199 / 882
記憶の残滓編
episode196
しおりを挟む
ハッと目を開け、キュッリッキは荒い息を何度も何度も吐いた。目からは涙がとめどなく流れ落ち、胸が苦しくてたまらない。
そうしているうちに、今は夢ではなく現実なのだと、ようやく認識できていた。
「フェンリル……フェンリルどこ?」
涙声で、弱々しく相棒の名を呼ぶ。
長椅子に置かれた青い天鵞絨張りのクッションに寝ていたフェンリルは、キュッリッキの声に目を覚ますと、素早く駆け寄りベッドに飛び乗った。
白銀の毛に覆われた顔を、キュッリッキの頬に労わるように何度も摺り寄せる。
「フェンリル…」
フェンリルの頬ずりに安堵し、キュッリッキの呼吸もだんだんと落ち着いてきた。
「幼い頃のことを、夢にみちゃってた…」
独り言のように呟くキュッリッキの言葉に、フェンリルはそっと耳を立てて聞き入った。
「修道院の崖から突き落とされた時のこと。あの時フェンリルが助けてくれなかったら、アタシ、死んじゃってたよ」
アルッティに突き飛ばされ、崖の外に弾かれたキュッリッキの身体は、風に巻き上げられ宙に浮いたあと、真っ逆さまに落下していった。
落ちていくときキュッリッキの頭の中は真っ白で、何一つ考えられていなかった。轟轟と唸る空気の音と肌を貫いていくような冷たさ。恐怖で塗り固められたように動かない身体。
もうダメだ! そう思った瞬間、小さな身体は地面に叩きつけられることもなく、柔らかなモノの上でふわっと跳ねて、座る姿勢でそっと着地した。
急に素足に感じるくすぐったい感触を、小さな掌で何度も摩るように触れる。
涙で濡れた顔をきょとんとさせ、目を何度も瞬かせた。
「ふぇ……りる?」
囁くように言うと、獣が喉を鳴らすような声が辺りに轟いた。
一つしゃくり上げたあと、周りをゆっくりと見渡す。
目の前には屹立した岩と、後ろには遠く眼下に広がる緑の大地、足元は白銀の広大な地面。
地面に手を押し付けると、柔らかな温かさが掌に伝わってきた。この感触は紛れもなく――
「フェンリル、おっきくなった」
キュッリッキは毛並みにボフッと抱きついて、その感触を頬で感じて小さな笑い声をあげた。
仔犬の姿しか見せていなかったフェンリルが、かりそめの姿を解いて巨狼の身体で顕現したのだ。フェンリルの本体を知ったのは、この時が初めてだった。
「フェンリルがあんなにおっきな狼だって知ったのも、あの時だったね。ずっと今みたいに仔犬の姿をしていたから」
フェンリルはキュッリッキの顔のそばで身を丸くして、じっと見つめている。
宝石のような水色の瞳には、労わるような優しい光が揺蕩っていた。
「ずっと一緒に居てくれたから、アタシ生きてこられた」
突き落とされ一命を取り留めたキュッリッキは、そのままフェンリルと一緒に修道院を黙って出た。戻る気にはなれなかったからだ。以来、一度も近寄ってもいない。
キュッリッキを突き飛ばしたあの子は、少しは反省をしてくれたのだろうか。気に病んでくれたのだろうか。
多分、そんなことはもう忘れてしまっているだろう。あの修道院のなかで、キュッリッキは片翼の異端だったから。
そうしているうちに、今は夢ではなく現実なのだと、ようやく認識できていた。
「フェンリル……フェンリルどこ?」
涙声で、弱々しく相棒の名を呼ぶ。
長椅子に置かれた青い天鵞絨張りのクッションに寝ていたフェンリルは、キュッリッキの声に目を覚ますと、素早く駆け寄りベッドに飛び乗った。
白銀の毛に覆われた顔を、キュッリッキの頬に労わるように何度も摺り寄せる。
「フェンリル…」
フェンリルの頬ずりに安堵し、キュッリッキの呼吸もだんだんと落ち着いてきた。
「幼い頃のことを、夢にみちゃってた…」
独り言のように呟くキュッリッキの言葉に、フェンリルはそっと耳を立てて聞き入った。
「修道院の崖から突き落とされた時のこと。あの時フェンリルが助けてくれなかったら、アタシ、死んじゃってたよ」
アルッティに突き飛ばされ、崖の外に弾かれたキュッリッキの身体は、風に巻き上げられ宙に浮いたあと、真っ逆さまに落下していった。
落ちていくときキュッリッキの頭の中は真っ白で、何一つ考えられていなかった。轟轟と唸る空気の音と肌を貫いていくような冷たさ。恐怖で塗り固められたように動かない身体。
もうダメだ! そう思った瞬間、小さな身体は地面に叩きつけられることもなく、柔らかなモノの上でふわっと跳ねて、座る姿勢でそっと着地した。
急に素足に感じるくすぐったい感触を、小さな掌で何度も摩るように触れる。
涙で濡れた顔をきょとんとさせ、目を何度も瞬かせた。
「ふぇ……りる?」
囁くように言うと、獣が喉を鳴らすような声が辺りに轟いた。
一つしゃくり上げたあと、周りをゆっくりと見渡す。
目の前には屹立した岩と、後ろには遠く眼下に広がる緑の大地、足元は白銀の広大な地面。
地面に手を押し付けると、柔らかな温かさが掌に伝わってきた。この感触は紛れもなく――
「フェンリル、おっきくなった」
キュッリッキは毛並みにボフッと抱きついて、その感触を頬で感じて小さな笑い声をあげた。
仔犬の姿しか見せていなかったフェンリルが、かりそめの姿を解いて巨狼の身体で顕現したのだ。フェンリルの本体を知ったのは、この時が初めてだった。
「フェンリルがあんなにおっきな狼だって知ったのも、あの時だったね。ずっと今みたいに仔犬の姿をしていたから」
フェンリルはキュッリッキの顔のそばで身を丸くして、じっと見つめている。
宝石のような水色の瞳には、労わるような優しい光が揺蕩っていた。
「ずっと一緒に居てくれたから、アタシ生きてこられた」
突き落とされ一命を取り留めたキュッリッキは、そのままフェンリルと一緒に修道院を黙って出た。戻る気にはなれなかったからだ。以来、一度も近寄ってもいない。
キュッリッキを突き飛ばしたあの子は、少しは反省をしてくれたのだろうか。気に病んでくれたのだろうか。
多分、そんなことはもう忘れてしまっているだろう。あの修道院のなかで、キュッリッキは片翼の異端だったから。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
Millennium226 【軍神マルスの娘と呼ばれた女 6】 ― 皇帝のいない如月 ―
kei
歴史・時代
周囲の外敵をことごとく鎮定し、向かうところ敵なし! 盤石に見えた帝国の政(まつりごと)。
しかし、その政体を覆す計画が密かに進行していた。
帝国の生きた守り神「軍神マルスの娘」に厳命が下る。
帝都を襲うクーデター計画を粉砕せよ!
ドマゾネスの掟 ~ドMな褐色少女は僕に責められたがっている~
桂
ファンタジー
探検家の主人公は伝説の部族ドマゾネスを探すために密林の奥へ進むが道に迷ってしまう。
そんな彼をドマゾネスの少女カリナが発見してドマゾネスの村に連れていく。
そして、目覚めた彼はドマゾネスたちから歓迎され、子種を求められるのだった。
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。
二年後にはリリスと交代しなければならない。
そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。
普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる