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03:猫と王子
しおりを挟む「橙、おはよ」
「……マジで来た」
翌朝。電車に乗るためにホームに立っていた俺は、開いた扉の向こうから爽やかな笑顔で登場した千蔵の姿に目を見張る。
一緒に登下校をするのだと決まった手前、乗る電車の車両と時刻は伝えていたのだが。
まさか本当にその車両の中から登場するというのは、よもや半信半疑の状態だった。
「そりゃあ来るでしょ。約束は守るよ」
「律儀な男だな……」
念のためにと首元にかけていたヘッドホンは、どうやら今日はお役御免となりそうだ。
電車に乗り込むと通学時間帯ということもあって、車内は多少混み合っている。千蔵と隣り合って吊り革に掴まると、ゆっくりと電車が動き出した。
「なに見てたの?」
「え、なに?」
「さっき、ホームで電車待ってる時にスマホ見てたでしょ」
見られていたのかと思うとなんだか気恥ずかしい気もするが、別に恥ずかしいものを見ていたわけでもないので正直に答える。
「見てたっつーか、画像整理してただけ」
開いていた画面はそのままだったので、俺は飼い猫の画像が並んだフォルダを表示して千蔵の方に傾ける。
猫を飼い始めてからの撮影が習慣にはなっているのだが、似たような写真ばかりで容量を圧迫されてしまうので、手持無沙汰な時間に整理するようにしているのだ。
「わ、可愛い……! これって橙の家の猫?」
「ああ、母さんが拾ってきたやつ」
「茶トラだよね、名前は?」
「きなこ」
「あはは、可愛い名前。こっちも見ていい?」
「いーけど」
表情を綻ばせながら画面を指差す千蔵に許可を出すと、スワイプした長い指先が新たな猫の画像を表示させる。
可愛い可愛いと同じ言葉を繰り返してはいるが、猫を前に語彙力を失うのはよく理解できるのでなんだか微笑ましくなってしまう。
「……おまえ、猫好きなの?」
「うん、好き。あんまり触る機会とか無いんだけどさ」
「家で飼ったりしねーの?」
「うちは妹が猫アレルギーなんだよね」
残念そうに眉尻を下げる千蔵は、今日もまた俺の見たことのない顔を惜しげもなく晒してくる。
(こんなにコロコロ表情変わる奴だったんだな……)
俺が知らなかっただけで元々がこういう人間なのか、それとも猫のなせる業なのかはわからないが。
そんな風に見慣れない姿ばかりを見ていたせいで、口が滑ったのかもしれない。
「……なら、見に来るか?」
「え……?」
きょとんとした顔で千蔵がこちらを見たことで、ようやく俺は何を口走ってしまったのかと気がつく。
「あっ、いや、違……!」
「いいの!?」
「えっ……あ、ああ……」
けれど俺が訂正を挟むよりも先に千蔵の嬉しそうな声が聞こえて、肯定を重ねてしまう。
それじゃあ今日の放課後に、とトントン拍子で話が進んでいき、その日の授業はなんだかまるで身に入らなかった。
「お邪魔しまーす」
「どーぞ。別に親いねえけど」
「ニャア」
千蔵と連れ立って帰宅した自宅の玄関を開けると、今日は起きていたらしい愛猫のきなこが出迎えをしてくれた。
けれど家族以外の人間がそこにいることに気がついたきなこは、目を丸くしてリビングの方へと引き返していく。
「あれ、嫌われちゃった?」
「いや、人見知りだからあれがデフォ。部屋そっちな」
「はーい」
廊下の奥にある扉を指差してリビングに向かうと、案の定全身で警戒をしているきなこが丸い猫ちぐらの中で俺を見ていた。
見知らぬ他人を家に上げるなと言いたげな瞳は、予想はしていたものの申し訳なくもなる。
「怖い奴じゃないって。大丈夫だぞ、きなこ」
「ニャウ……」
不満げな唸り声を背中に受けつつ、俺は客人に飲み物を出すべく冷蔵庫を漁る。
千蔵をもてなす必要もないとは思うのだが、会話に詰まった時に何か手元に無いと困るだろうという思いもあった。
(なに飲むか聞いてくりゃ良かったな。まあいいか)
冷蔵庫にあったウーロン茶をグラスに注ぐと、棚から適当な袋菓子を掴んで俺は自室に向かう。
両手は塞がっていたが部屋の扉は開いていたので、問題なく室内に足を踏み入れることができたのだが。
「…………は?」
「あ、おかえり橙」
目の前に広がる見間違いとしか思えない光景に、俺は言葉を失ってしまう。
床で胡坐をかいている千蔵の膝の上に、つい今しがたまでリビングで来客に警戒心全開だったきなこが、当たり前のような顔をして鎮座していたのだ。
「嘘だろ、きなこ……?」
「なんか、大丈夫だと思ってくれたみたい」
「いやいやいや、こいつマジで人見知りすんだぞ!?」
茶トラ猫という種類は、甘えん坊で人懐っこい性格をしていることが多い。けれど、きなこという猫は別だ。
元が捨て猫だったという経緯もあるせいか、基本的に人間という生き物に対して並々ならぬ警戒心を抱いている。
同じ家に住む家族であれば気を許して生活をしてくれているのだが、親父が出張で一週間ほど留守にしただけでも威嚇の日々が続くほどだ。
「じゃあ珍しいんだ? 嬉しいなあ」
きなこが自ら他人の膝に乗る姿なんて見たこともないが、さらに背中を撫でさせてすらいる。もはや緊急事態だ。
(いや……きなこにもわかるのかもな)
千蔵という男の持つ穏やかな空気。妙に惹きつけられる居心地の良さのようなものが、猫にも伝わっているのかもしれない。
(俺だって、猫だったらきっとああやって撫でられたって……)
などと考えかけたところで、我に返った俺は自身の思考回路が理解できずに全身に鳥肌を立ててしまう。
(なに考えてんだ俺キモすぎんだろ!!? きなこが予想外の行動したりするからだ!)
ローテーブルの上に菓子類を乗せて隣に腰を下ろすと、背後にあるベッドを背凭れに恨みがましくきなこを見る。
指先で顎の下をくすぐられる姿は気持ちが良さそうで、きなこはすっかり千蔵のそばを気に入ったようだった。
「ふわふわしてて触り心地いいね、きなこちゃん」
「あー、おふくろが熱心にブラッシングしてるからな」
「橙の髪もふわふわしてそう。触っていい?」
「ダメに決まってんだろ」
「ははっ、即答!」
そんな質問をされるなんて予想できるはずもなく、反射的に拒否した俺に思わずといった風に千蔵は笑う。その拍子に、僅かだが口内のピアスがちらつく。
「……おまえさ、なんでピアス開けてんの?」
「ん? 特にこれって理由もないんだけど……反抗期かな」
「反抗期」
千蔵という男に反抗期というものが存在したのかは定かではないが、少なくとも想像が難しいと感じる程度には似合わない言葉だとも思う。
「橙はさ、ピアス開けてないよね」
「あ?」
そう呟いた千蔵の手が動いたかと思うと、きなこに触れていた指が俺の耳元に伸ばされる。
耳の輪郭をなぞって耳朶へと滑り落ちていく指がくすぐったくて、意思に反して肩が大袈裟なほどビクリと跳ねてしまう。
「ッ……おい」
「あ、ごめん。橙って敏感なんだ?」
「はぁ……っ!?」
次いだ言葉がなんだか意地悪く聞こえてしまったのは、千蔵の表情が少しばかり悪い色を滲ませていたからだろう。
(コイツ、教室じゃこんな悪い顔しないクセに……!)
耳元から離れていく指は、再びきなこの毛並みを撫で付けている。
やたらと煩い心臓を落ち着かせるために、俺は手に取ったグラスの中身を一気に飲み干した。
「ピアス、似合いそうなのに」
「……痛ェだろ、穴開けるとか」
「そうかな。オレはあんまり痛くなかったけど」
耳朶を貫通させるのもハードルが高いと思うのに、千蔵はなんでもないことのように言ってのける。
(舌の方がよっぽど痛そうだけど、そうでもねえのか……?)
開けてみなければ真実はわからないだろうが、少なくとも俺は自分の舌を使って挑戦するつもりは微塵もない。
「そういえば、そろそろ学力試験だね」
「…………あ」
できれば聞きたくなかった単語ではあるが、避けて通れない学力試験という存在を嫌でも思い出してしまう。
俺が眉間に皺を寄せたことに気づいたらしい千蔵は、きょとんとした顔で首を傾げている。
「あれ、もしかしてあんまり自信無い感じ?」
「…………最低限点数取れりゃいいだろ」
うちの学校はそもそもの校則がゆるい。だからこそ俺は髪を金色に染めたりもしているし、ピアスを開けること自体も別に校則違反ではない。
しかし、学力試験で赤点を取った場合は別の話だ。
「うちって赤点取ったらバイトとか染髪禁止になるよね」
「…………」
校則がゆるい代わりに最低限のラインを守らせる。それがうちの高校のやり方だ。
すっかり見慣れてしまったこの金髪を、今さら黒に戻すのは気が引けてしまう。まだ高校に入りたてではあるが、いずれはバイトだってしたい。
だからこそ赤点を回避する必要があるのだが、勉強ははっきり言って嫌いだった。
「じゃあ、一緒に勉強する?」
「勉強……? おまえと……?」
「赤点回避したいんでしょ? 教えられそうなトコがあれば、オレ教えるけど」
(そういや、こいつの成績って学年上位だったか)
王子と呼ばれる所以はその見た目や言動だけでなく、一定以上の学力も併せ持っているからこそのものだ。
こいつが勉強を不得意としていたらそれはそれでギャップなのかもしれないが、生憎とそうした姿はまだ見たことがない。
「…………じゃあ、頼む」
「うん、なら目指せ赤点回避だね」
こうして俺は、なぜだか千蔵と勉強をすることになったのだった。
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