猫と王子と恋ちぐら

真霜ナオ

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07:千蔵の家

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「着いたよ、ここがオレの家」

 買い物を終えた帰り道。その足で千蔵の家にやってきた俺は、妙な緊張感に包まれていた。

(な、流れで家まで来ちまったけど……)

 住居の密集した地域にあるマンション住まいの俺の家とは異なり、閑静な住宅街の中にある千蔵の家は、そこそこに大きな戸建ての一軒家だった。

「お、お邪魔します……」

「どうぞ、親はいないからそんな緊張しないで。かぶち

「緊張とか別にしてねーし……っ」

 緊張していないというのは嘘だ。塚本と遊ぶのは学校帰りのカラオケがほとんどだし、中学時代だって人の家に上がることはなく、外に出るのが当たり前だった。

 玄関先を見るだけでも綺麗に整頓された室内は、千蔵を含めた家族全員が綺麗好きなのだろうと想像させる。

――――ガタンッ

 靴を脱いだところで何かが落下する音がして、千蔵が何かしたのだろうかと顔を上げる。

 俺の視線の先には確かに千蔵がいたのだが、さらにその先の光景に思わず固まってしまった。

「…………え……?」

「…………は……?」

 俺と同じようにこちらを見て固まっているのは、長い黒髪に綺麗な顔立ちをした同年代の女子だ。

「……橙 真宙まひろ……」

「なっ、なんで俺の名前……!?」

(いや、それより女がいるとか聞いてねーんだけど……!? 誰だコイツ、まさか千蔵の彼女とか……? 家にまで上がり込むような仲ってことか……!? けど、どっかで見たことあるような……?)

 突然の出来事に大混乱の俺の脳内をよそに、千蔵は特に気まずい様子もなく彼女のもとへと歩みを進めていく。

「……紫稀しき、この人連れてくるなんて聞いてないんだけど」

「ごめんごめん、連絡入れようと思ってたんだけど」

(っ……名前……)

 千蔵だ王子だと呼ばれてはいるが、コイツにはもう一つちゃんと下の名前があることを思い出す。

 そしてその名前を当たり前のように呼ぶ彼女の姿に、やはり特別な存在なのだろうかと考えた時。

「橙、紹介するね。オレの妹の紫乃しの

「え……妹……?」

「そう。で、紫乃。こっちが――」

「知ってる、橙 真宙」

「いや、なんで千蔵の妹が俺のこと知ってんの……!?」

 兄妹だと知って肩の力が抜けていくのを感じつつ、俺は浮かんだ疑問をそのまま口にする。

「なんでって、同じ学校だから橙のことも見かけるみたいだよ」

「同じって……でも、俺ら高1なのに妹って……?」

「あ、オレと紫乃は双子なんだ。二卵性だからあんまり似てないんだけどね」

「なるほど……?」

 言われてみれば確かに、目元や顔立ちが千蔵と似ているような気がする。

 妹を見た千蔵が手元で何か合図のようなものを送って、それを見た彼女はなぜだか不服そうに眉間に皺を寄せた。

「あっ……!」

「橙?」

 その姿を見て俺は思わず大きな声を出してしまうが、点と点が繋がったのだから驚きもするだろう。

「もしかして、眼鏡かけてた地味女子か……!?」

 教室から千蔵が合図を送っていた眼鏡女子の姿が重なって、一人で納得する俺に千蔵が不思議そうな顔をする。

「橙、知ってたんだ? 確かに学校だと、紫乃は地味な雰囲気出してるよね」

「紫稀の身内だってバレると面倒だから、わざとそうしてるの」

「面倒って、そんなことないと思うけどなあ」

(確かに……妹なんて知られたらめんどくさそうだよな、苗字でバレそうな気もするけど)

 親族ではない俺ですらも、千蔵と接する機会が増えたというだけでクラスメイトに囲まれて、千蔵について質問攻めにされたのだ。

 それが実の妹であるというのなら、俺なんかよりずっと知っていることは多いと情報を求められかねない。

(なら、あの合図も特別意味があるとかじゃなかったのか……?)

「……あたし、部屋で勉強してるから」

「りょーかい」

 そう言うと妹はきびすを返して、自室があるらしい二階へ続く階段へと向かっていく。

「っ……」

 一瞬、鋭い視線を向けられた気がしてぎくりとした。クールな印象を受ける妹は、美人なのも相まって無表情だと妙に迫力がある。

 だから気のせいだと思うことにして、続いて案内された千蔵の部屋へと向かうことにした。

 室内はやはりというべきか整頓されていて、色味はモノトーンで統一されているからか、どこか殺風景にも感じられる。

 そこに千蔵自身が加わることで華やいだようにすら見えてしまうのは、もはや王子という呼び名に俺の目が毒されているのかもしれない。

 横長のローテーブルを前に座布団に座った俺の隣に、遅れてやってきた千蔵も並んで腰を下ろす。

「コーヒー淹れてきちゃったけど大丈夫?」

「バカにすんな、飲めるに決まってんだろ」

「してないよ。この間パフェ食べた時にも飲んでたし」

 そう言う千蔵が運んできたトレーの上には、コーヒーの入った洒落たカップの他に、ミルクと砂糖も用意されていた。

(確か、コイツはブラックで飲んでたよな……? 俺がミルクとか入れてんの見てたから、わざわざ用意したのか……?)

 パフェの方がよほど印象に残るであろう見た目をしていたものだが、よく観察している男だと感心してしまう。こうした気遣いがまた女子たちが色めき立つ一因になるのだろう。

「……さっきの」

「ん?」

「妹に手でやってたサインみたいなの、あれって家族の合図みてえなやつなのか?」

 クラスメイトに届けるための情報ではない。俺自身が聞きたいと思ったら、自然と口からこぼれ落ちていた。

「ああ、あれは手話だよ」

「……手話?」

 思いがけない返答に、隣でコーヒーを啜る千蔵を見る。

「母が生まれつきあまり耳が聞こえない人だったから、父に習いながら二人で覚えたんだ。学校ではあんな風だから、紫乃には都合がいいみたいでさ」

「そうだったのか」

 よく見ている男だと思っていたが、そういった会話の手法を用いているのであれば、自然と観察力も身についてくるものなのかもしれない。

 そう考えたところでふと、千蔵の言葉の一部が過去形だったことに気がつく。

 そしてよく見ているこの男は、俺が気づいたことに気がついたようだった。ゆっくり立ち上がったかと思うと、棚の上に飾られていた写真立てを手に戻ってくる。

 差し出された写真の中には四人の姿。うち二人は千蔵と妹で、残る男女は両親なのだろう。女性の方は髪型こそ短くしているが、顔立ちは妹によく似ていた。

「去年事故に遭って、母は亡くなったんだ。だから今は父と紫乃と三人暮らし」

「……大変、だったんだな」

 写真の中に懐かしむような視線を落とす千蔵は至って普段通りの口調で話しているが、肉親を失って日も浅いというのに、つらくないはずがない。

(……俺なんかに、時間割かせてちゃダメなんじゃねーか……?)

 遊びや息抜きの時間も必要かもしれないが、俺は千蔵にそれ以上の負担を強いてしまっているように思う。

 家族でもない人間の毎日の登下校の付き添いなんて、よほどの理由でもない限り俺なら頼まれたってやりたくはない。

「橙、なにか考えてる?」

「えっ……いや……」

 俺の顔を覗き込んでくる千蔵にドキリとして、咄嗟にどう返せば良いかわからないまま視線を彷徨わせる。

「その、無理させてんじゃねーかって……おまえが言い出したことだから責任感じてたりすんのかもだけど、行きも帰りも毎日面倒だろ?」

 悩みはしたが変に気を使うのも良くない気がして、俺は素直に感じたことを伝える。

「…………」

 自然と俯いていたことで重力に従う髪が、俺の表情を隠していたらしい。千蔵の長い指がそれを耳にかけたことで、視界の端に整った顔が映り込んだ。

「橙にとって、迷惑になってたりする?」

「お、俺は別に……迷惑とかは思ってねーけど」

「なら良かった。オレも無理はしてないよ、橙との時間は楽しいから好きなんだ」

 安心したように笑う千蔵を思いのほか至近距離で目にしてしまった俺は、跳ねる鼓動を落ち着かせようと反射的に顔を背ける。

「ッ……し、手話って、簡単に覚えられるやつとかあんのか?」

「え……橙、興味あるの?」

「興味っつーか……まあ」

 意外だと言いたげな声に話題を逸らすためだとも返せずに、曖昧に伝えると千蔵の片手が視界に入り込んでくる。

 それが逃げていくのを追う形で隣を見れば、千蔵は顔の横で握りこぶしにした右手を、垂直に下げていく。

 次に向かい合うように立てた両手の人差し指を、挨拶するみたいに折り曲げた。

「これが”おはよう”って意味」

「おはよう……こう、か?」

 ぎこちなく動きを真似してみると、千蔵はうんうんと頷いてから今度は別の動きをする。

 左手の甲を右手でチョップするような動きの後、そのまま右手を顔の前に上げる動きは、なんとなく意味が伝わる気がした。

「これは”ありがとう”」

「なんか、それはなんとなく伝わったかも。ごめんと二択だったけど」

「そう? 簡単な挨拶だったら比較的覚えやすいと思うよ。……って、使うこともないかもしれないけど」

「……覚えといて損するもんでもねーだろ」

 俺の言葉に千蔵は少しだけ目を丸くしてから、口元をゆるませて「そうだね」と呟く。

「……あ、じゃあさっき妹にやってたやつは?」

 手話の流れで妹とのやり取りの様子を思い出して、俺はどういう意味があったのかと尋ねてみる。

 あれも挨拶の一種、たとえば「ただいま」などの意味なのかもしれないと考えたのだが。

「それは……また今度、ね」

 なぜかすぐには教えるつもりのないらしい千蔵の表情は、どことなく意地の悪いそれに見えてしまう。

 そこから少し食い下がっても結局答えを聞けることはなくて、俺はその”今度”がいつやってくるのか、気になって仕方なかった。

(……もっと仲良くなったら、さっきの手話も、千蔵のことも……もっと教えてくれんのかな)
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