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22:寄りかかれる居場所
しおりを挟む翌日。いつも通りに登校する千蔵は、傍目には何も変わりがないように見える。
目元のクマも昨日よりは薄くなっているようだが、昨日の今日で耳まで全快するとは思えない。
「千蔵くん、先生からの伝言を頼まれたんだけど……」
「ありがとう、何かな?」
教室で女子生徒に話しかけられた千蔵は、じっと彼女の顔を見つめて話を聞いている。
対する女子は一目でアイツを好きだとわかる反応で、そんな相手に見つめられて緊張しないはずもない。
「えっと、3限目の後に教室移動になるでしょ? そ、その後にね」
「うん」
真っ赤になりながら説明する彼女を、可哀想なほどに見つめ続けている千蔵。けれどよく見てみれば、千蔵の目が追っているのは別のものだと察する。
(アイツ……もしかして、口元の動き読んでんのか……?)
母親との手話の流れで身に着いたものなのかもしれないが、耳が聞こえにくくなってから、千蔵はああして会話を成立させていたのだろうか。
(器用な奴……けど、それだって限界があるだろ)
そう思った矢先、案の定千蔵を困らせる状況に陥る。
一対一で会話していた女子を羨ましく思ったのか、他の女子生徒たちがちらほらと千蔵の周りに寄ってくる。
そうして自分も輪に加えろとばかりに四方から話しかけ始めたのだ。
「ねえねえ千蔵くん、私も聞きたいことがあるんだけど」
「あっ、私も! 勉強教えてもらいたいなって」
「ずるいずるい! ならあたしだって……!」
あっという間に取り囲まれた千蔵は、彼女たちの言葉を目と耳で懸命に追いかけようとしている。
けれど多対一では難しいようで、その場を切り抜ける術を探しているようだった。
(あーもう、見てらんねえ……!)
席を立った俺は鞄の中から掴み取ったヘッドホンを手に、千蔵のもとへズカズカと歩み寄る。
「千蔵! これ聴いてくれよ!」
「きゃっ……!?」
女子たちの間に割って入った俺は、千蔵の耳に有無を言わさずヘッドホンを装着する。
急な割り込みに驚いたのは女子たちだけでなく千蔵本人も同様で、ぽかんとした顔で俺のことを見上げていた。
「ちょっと、橙邪魔しないでよー!」
「うるせえな、帰りにカラオケ行くって約束してんだよ」
「えっ……?」
もちろんそんな約束をした覚えは俺にもないので、千蔵だって状況を把握できておらず目をぱちくりとさせている。
しかし構わずに繋いだスマホから適当な音楽を流して、俺は輪の中を抜け出していく。
「今日中に全部覚えろよ! じゃねーとカラオケもメシ代もおまえ持ちにするからな!」
「うわっ、橙サイテー!」
「なにそれ、千蔵くん可哀想じゃん!」
女子たちからの盛大なブーイングを背中に受けつつも、それ以上取り合うつもりはないと俺は自分の席に戻る。
(予備にって言われたアイツのヘッドホン、持ち歩いてて正解だったな)
耳が聞こえにくいのだと伝えれば簡単なのに、自衛モードに入っている今の千蔵にはそれができないのだろう。
耳の事情を話したところで王子親衛隊の女子たちは騒ぎ出すのだろうから、言わないという選択は正解なのかもしれないが。
そうして迎えた放課後には、カラオケと言った手前同行を求める声が――女子というより主に塚本辺りから――上がる前に、俺は千蔵を引き連れて足早に教室を後にした。
「……橙、ごめん。今日ずっと気を使わせてたよね」
歩きながら申し訳なさそうに肩を落とす千蔵に構わず、俺は駅の方角に向かって歩き続ける。
「俺はもう大丈夫だからさ」
「……大丈夫じゃねーだろ」
「橙……?」
ここまで来てもなお、俺に頼ることをしようとしない千蔵に苛立ちさえ覚える。
おまえは本当に大丈夫だと、そう思って口にしてるのかもしれない。だけど、大丈夫じゃないのは俺の方だ。
「俺って、おまえにとってそんなに頼りない存在か?」
「なに……? ごめん、よく聞こえなかった」
誤魔化そうとしているわけじゃない、本当に言葉が届いていないだけだ。
俺は千蔵を睨みつけて指をさすと、両手の親指と人差し指でそれぞれ輪を作り、輪の部分を繋いで前に押し出す仕草をする。千蔵が息を吞むのがわかった。
続けて千蔵を指すように両手の人差し指を立てて、それを内側に近づけていく。
――――おまえとずっと一緒にいたい。
足りない動作もあるし、ここまでが今の俺の精一杯だった。それでも意味はきちんと伝わったらしく、口元を押さえた千蔵が声を震わせる。
「っ……そんなの、いつの間に覚えたの……?」
千蔵に声が届くように、少しだけ距離を詰めてはっきりと言葉にする。
「おまえは、俺が頼るのが自分だけなら嬉しいって言ってた。俺だって同じだ。大事な奴を気遣うのは当たり前だろ、おまえに頼ってもらえたら嬉しいに決まってる」
「…………勝てないなぁ」
泣きそうな顔で笑う千蔵が、線を引いていたそれまでとは明確に違って、はっきりと俺という存在を捉えてくれている。
少し寄り道をしていかないかという誘いを断るはずもなく、俺と千蔵は帰り道から少し外れた河川敷へと足を運ぶことにした。
(こんな場所があったんだな)
夕焼けに染まるその場所は地元の人間が犬の散歩やウォーキングに使うくらいで、水音や葉の揺れる音が心地良い。
「……父が入院したっていうのも聞いた?」
「ああ、多分妹が大体話してくれた気がする」
並んで地べたに腰かける千蔵は川の方へと視線を投げながら、ぽつりぽつりと話し始める。
「母さんが亡くなってから、二人分頑張らなきゃって父さん無理しすぎたんだよね……でも倒れたって聞いた時、父さんもいなくなるんじゃないかって……正直怖かったんだ」
突然片親を失ったのと近しいタイミングでそんなことが起これば、千蔵じゃなくたって不安を抱えて当然だ。
「だけどオレは兄だから、ここでオレまで崩れるわけにはいかないって、紫乃を不安にさせちゃダメだって思ったんだ。でも……オレってダメだね」
自嘲する千蔵は紫乃の言っていた通り、どこまでも完璧で頼れる兄であり続けようとしたのだろう。
「ダメじゃねーだろ。そんな状態だってのに、おまえは俺のことまで助けてくれてた。スゲー奴だよ」
「そんなことないよ。空回りして調子崩して成績まで落ちる始末だし、疎かになってる部分はあったんだ」
(あ……期末の成績下がってたのも、これが原因だったのか)
「橙を助けてるつもりで、そばにいたくて甘えてたのはオレの方なんだよ。なのに今度は橙を遠ざけようとして、ワガママだよね」
「……ワガママだっていいだろ」
俺の方からそっと触れた手は怯えたように一度離れて、確かめるみたいに遠慮がちに触れてくる。
それがまるで猫みたいだなんて思いながら、俺はしっかりとその手を握った。
「頼りなくたっていい、ワガママだっていくらでも言え。俺はおまえにとって王子なんだろ?」
「…………っ、ふふ。そうだね」
目を細めて笑う千蔵は、今度こそ迷いが吹っ切れたように俺の手を握り返してくる。
「……初めてだな、誰かにこんな弱い自分を見せるのは」
甘えるみたいに肩に乗せられる頭の重みが愛しくて、ここが河川敷じゃなかったら千蔵にキスしてやりたいなんて思う。
「ねえ、橙。……オレも、ずっと一緒にいたいよ」
抱えていた不安やすれ違ってきた時間も、全部が夕焼けの赤に染まって消えていくような、静かで穏やかな空間。
これが幸せってやつなのかと、俺は心の底から実感していた。
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