冥恋アプリ

真霜ナオ

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19:安らぎの時間

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 怪異は追い払ったはずだが、さすがにあの状況のままさようならとはいかない。
 一人でいるのが嫌だと言ったのは柚梨だったが、正直に言えば俺も同じ気持ちだった。
 命懸けの状況を回避したのはいいものの、一度は終わったと思った恐怖が再び襲い掛かってきたのだ。
 また同じことが起こるのではないか。そんな不安が生じる気持ちは、痛いほどよくわかった。

 そんなわけなのだが、柚梨はなぜか今夜、俺のアパートに泊まることになった。
 実家暮らしなのだから、家まで送れば良いのではないかと思ったのだが。結局自室では一人になってしまうのが怖いらしい。
 そうかといって、家族に『怪異に遭ったから怖くて一人で眠れない』などと言える歳でもないのだろう。

 仮に言うことができたとしても、いい歳をしてとまともに相手をしてもらうことはできない。それは、想像するまでもない光景だ。
 女友達の家に泊まっているということにして、柚梨は俺の家へと来ることになったのだった。

「えっと……ある物は好きに使っていいから。あと、着替え……コレでいいか?」

「うん、ありがとう。それじゃあ、お風呂先にもらうね」

 当然ながら、一人暮らしの男の家に女物のパジャマなどがあるはずもない。
 俺は適当なトレーナーとスウェットを渡して、先に風呂を使わせることにした。
 こんなことなら、普段からもっと部屋を綺麗に使っておけば良かったと思う。とはいえ、幸司の部屋よりは散らかっていない方だと思うのだが。
 変な物を置いてはいなかっただろうかと、部屋の中を無駄にウロウロと歩き回ってしまう。

「……樹、いる?」

「ああ、いるよ。ちゃんといるから安心しろって」

 しかし、柚梨は風呂に入るのも怖いらしかった。なのでこうして、定期的に風呂場から俺の方に声を掛けてくる。
 その度に律儀に応えてやるのだが、俺の心境はもはや恐怖どころではなかった。
 女性を家に招き入れたのも初めてなら、ましてやその相手があの柚梨なのだ。
 幼馴染みなのだから、小さい頃にはお泊まり会をしたことだってある。だから意外と緊張なんてしないかもしれないと思ったのが間違いだった。

「お待たせ。……ごめんね、遅くなったかな?」

「いや、大丈夫。それじゃあ俺も入ってくるわ」

「うん。……なるべく、早く出て来てね」

 狭いアパートだとはいえ、俺が目の届かない場所に行くのが怖いのだろう。
 そう言う柚梨は、改めて考えるといわゆる『彼シャツ』のような格好となっている。こんな状況は、男として意識しない方がおかしい。
 平静を装いながらシャワーを浴びる俺は、冬だというのに冷水を頭から浴びることで、熱を冷まそうと必死だった。


 風呂を済ませてからは、パソコンでサブスクを利用して二人で映画を楽しんだ。
 なるべく怖い思いを忘れられるように、話題のコメディ映画をチョイスしたのだが。
 二人で座るにはぴったりすぎるソファーの上で、俺と柚梨の身体は自然と密着する形になる。

(なんか……スゲーいい匂いするんだけど)

 俺の家のシャンプーを使っているのだから、匂いなんて同じはずだというのに。
 柚梨から香ってくるというだけで、なぜかまったく別の、オシャレな匂いがしてくるような気がした。
 そんなことをしているうちに、いつの間にか時刻は深夜になっている。
 映画の内容なんて一切頭に入ってこなかったのだが、柚梨は満足した様子に見えるので良しとしておく。
 本来ならば、今夜はゆっくり身体を休めるべきだと考えていたのだ。夜更かししすぎるのは良くないだろう。

「柚梨、そろそろ寝るか?」

「うん。……樹、隣で寝てもいい?」

「え……ハッ!?」

 思いがけないお願いに、俺は裏返った声を上げてしまった。
 当初の予定では、俺がソファーで寝て、柚梨にはベッドを使ってもらうつもりだったのだ。
 狭い部屋の中では横になれるスペースにも限界があるし、普通に考えればそれがベストだろう。布団だって、ベッドに敷かれた一組しかない。
 しかし、隣で眠るということはつまり、一緒の布団で寝ようということだ。

「やっぱりダメ、かな……?」

 控えめながらも、俺の反応を窺うように見つめてくる大きな瞳に、抗えるはずもない。
 そもそも、柚梨にとって俺はただの幼馴染みでしかないだろう。
 一緒の布団で眠るという行為自体、幼い頃の延長という感覚で頼んでいる可能性が高い。

「……しょうがないな、今日だけだからな」

「! ありがとう、樹」

 そう判断した俺は、彼女のお願いを聞き入れることにした。
 だが、いざベッドに寝転んでみると、思った以上に距離が近い。先ほど座っていたソファーなど比ではないほどだ。
 それも当然だろう。いくら男が不便なく眠ることができるサイズのベッドだとはいえ、所詮はシングルでの使用しか想定されていない。
 互いに背を向けるようにしてはいるが、その背中がどうしたって密着してしまうのだ。心臓の鼓動だって伝わってしまっているかもしれない。

(平常心……平常心……)

 俺はできる限り伝わる温もりから意識を逸らすために、頭の中で素数を数えることにした。
 なのだが、そんな俺の努力を柚梨はあっさりと打ち砕いてくる。

「……ねえ、樹。まだ起きてる?」

「んあ!? 起きてるけど……眠れないのか?」

 驚いて妙な返事をしてしまったが、どうやら柚梨は気にしていないようだ。
 聞こえた声ははっきりとしていて、一度眠りに落ちて覚醒したというわけではなさそうだった。
 もぞもぞと動く気配がしたかと思うと、あろうことか柚梨は、俺の方を向くように態勢を変えてくっついてきたのだ。

「!? ゆ、柚梨……!?」

「……そのまま、聞いてほしいんだけど」

「お、おう……?」

 壁側を彼女に譲っている俺は、動揺でいつベッドから転げ落ちてもおかしくない。
 だが、紡がれる柚梨の声がとても深刻そうで、混乱していた俺の頭も徐々に落ち着きを取り戻していく。
 背中に触れている手は、心なしか震えているようにも感じられた。

「私ね、今日本当に死んじゃうんだと思ったの。幸司くんのこともまだ、ちゃんと受け止めきれてないのに……死ぬってことだけが、妙にリアルで……凄く怖かった」

 怪異から解放されたことで、気持ちは落ち着いていくものだと思っていたのだが。
 異常な状況だったからこそ、心が正常に働いていないだけだったのかもしれない。
 いざ死の恐怖に怯えなくて済むとなったら、これまで体験してきた出来事が、現実のものとして溢れ出てきたのだろう。

「葵衣ちゃんも、丈介さんも、一緒にいてくれて心強かった。だけど……樹がいてくれなかったら、私はここまで生き残れなかったかもしれない」

「柚梨……」

「私のこと、見捨てたって良かったのに……樹は必死に守ってくれた。樹が私の幼馴染みで、本当に良かったと思ってるんだ」

「……見捨てるわけないだろ。お前は大事な……幼馴染みなんだからな」

 大事な女性だとは、言うことができなかった。
 怖気づいたわけではない。ただ、幸司のこともあったばかりで、どうしても今は気持ちを伝える気にはなれなかったのだ。
 それでも柚梨は、少しは安心することができたらしい。
 小さく笑ったような吐息が漏れると、次第に背後からは寝息が聞こえてきた。

「幸司を守れなかった分まで、お前のことは守るって決めたんだからな」

 俺の決意は、彼女に聞こえることはない。
 それでも、もうこれ以上大事な人を失うことなんて、絶対にしたくないと思った。
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