冥恋アプリ

真霜ナオ

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20:新しいスマホ

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 ぐっすりと眠りに落ちていた俺は、空腹を刺激する香ばしい匂いで意識を覚醒させた。
 まだ眠さはあったのだが、あまりにも大きい音を立てて腹が鳴るので、のそのそと上体を起こす。
 寒い日の朝はあまり得意ではない。けれど、今は三大欲求の中でも食欲が圧倒的に勝っていた。

「あ、おはよう樹。目が覚めた?」

「……ゆずり……?」

 俺はなぜ彼女がここにいるのかわからずに、寝ぼけ眼で彼女の顔を見上げてしまう。
 長い黒髪を一纏めにして、俺の顔を覗き込む柚梨の手元には、フライ返しが握られていた。

「もしかしてまだ寝ぼけてる? 朝ごはん作ったから、一緒に食べよ」

「おう……」

 現状を把握できないまま洗面所へ向かい、温めのお湯で顔を洗う。
 そこでようやく、俺の頭は昨晩のことを思い出した。そうだ、怪異から逃れることができた後、柚梨が家に泊まっていったのだ。
 彼女がすぐ隣で寝ていたことを思い出して顔が熱くなるが、部屋に戻ると、柚梨はいつも通りの様子でテーブルに食事を並べていた。

「口に合うかわからないけど……樹、和食派じゃなかったよね?」

「ああ……」

 ソファーに腰を下ろすと、柚梨も隣に着席する。
 テーブルの上には、トーストされた食パンとオムレツにベーコン、簡単なサラダが添えられていた。

「こんな材料、うちにあったか……?」

「早く目が覚めちゃったから、そこのコンビニで買ってきたの」

 どうやら、俺が眠りこけている間に、柚梨は一人でコンビニまで出かけていたようだ。
 まったく気がつかなかったのだが、俺に気を使ってくれていたのかもしれない。
 何より、昨日はあれだけ一人になることを怖がっていた柚梨が、朝食を作るために一人で出かけていたのだ。
 近所だとはいえ、彼女の中にあった恐怖が薄れてくれているのかと思うと、少しだけ安心できた。

「……いただきます」

「はい、めしあがれ」

 俺は両手を合わせてから、冷めないうちに朝食をいただくことにする。
 熱々のオムレツの中にはチーズまで入っていて、普段は既製品のパンやおにぎりで済ませている朝食が、とても豪華に感じられた。

「ん……美味い!」

「良かった。昨日のお礼にはならないけど、他にできることも思い浮かばなかったから……」

「そんなの、別に気にしなくていいのに」

 どうやら、助けたお礼をしたかったようだ。
 俺は柚梨が無事なだけで良かったのだが、その気持ちはありがたく受け取っておくことにする。
 何よりこんな美味い朝食にありつけるのなら、いつでも大歓迎だ。

「大学、今日は休むよね?」

「ああ、さすがに勉強って気分でもないし、今日くらいはいいだろ。それに、葵衣たちにも連絡しないといけないから、メシ食ったらスマホ買いに行こうぜ」

「そうだね。葵衣ちゃんたち、きっと心配してると思うし」

 互いのスマホを壊してしまったので、連絡が途切れたままの葵衣たちに、無事を伝える手段まで失ってしまっていた。
 連絡が取れない状況が続いた後、幸司があんな状態になっていた経験をしているのだ。
 葵衣たちにも不要な心配をさせないよう、なるべく早く連絡を取らなければと考えていた。


 朝食を済ませた俺たちは、駅前にある携帯ショップへと足を運ぶ。
 平日の午前中ということもあってか、思ったよりも客足は多くない。
 俺は並べられたサンプル用のスマホを睨みながら、表記されている機能を見比べていた。
 本来ならば最新機種を選びたいと思ったのだが、予定外の買い替えだ。ひとつ型の古いものを選ぶことにする。
 今はとにかく、最低限の機能を使うことができればいいのだ。

「樹、決まった?」

「ああ、そっちも決まったみたいだな」

 店員に声を掛けて準備をしてもらっている間に、柚梨の方も購入するスマホを選び終えたようだ。
 そこから手続きを済ませて、受け取りが完了するまでの時間を、別の場所で潰すことになった。

 駅前ということもあって、幸いにも暇潰しに困ることはない。
 ゲームセンターに立ち寄った俺と柚梨は、クレーンゲームやリズムゲームをして楽しいひと時を過ごした。

「はあ。学校サボってこんな風に遊ぶなんて、お父さんたちに知られたら怒られちゃうね」

「柚梨は授業サボるとかしなかったもんなあ。俺はたまに、幸司とサボったりしてたけど」

「ウソ!? 樹だってサボったりするように見えなかったのに」

「誰にでも隠してる顔のひとつやふたつあるってことだな」

 そんな話をしているうちに、あっという間に予定していた時間になっている。
 時間を確認するのにもスマホ頼りだったので、手元にスマホが無いというのは本当に不便なものだ。
 再び携帯ショップに戻った俺たちは、無事にスマホを受け取って店を後にした。

 そのまま駅前のロータリーに設置されたベンチに腰掛けて、互いにスマホの設定をするために操作を始める。
 あまり充電はされていない状態だったが、設定を済ませて連絡を入れるくらいの余裕はあるだろう。

「……え」

 起動されたホーム画面を目にして、俺は自然と短い言葉を発していた。
 たった今購入してきたばかりなのだから、使い慣れた以前のスマホとは勝手が違うのは当然だ。
 表示されている背景画像もアイコンも、見慣れないものばかりだった。

 そのはずなのに。

「……ねえ、樹」

 隣から聞こえる柚梨の声は、明らかに震えている。
 その理由は聞かなくてもわかる。だって、恐らくは俺と同じなのだろうから。

 昨日まで使っていたスマホは粉々にしてしまったのだから、当然データの引き継ぎなどできるはずもない。
 だから、ホーム画面なんて見慣れないものばかりなのが当たり前のはずだったのだ。
 だというのに、そこには赤いハートマークのアイコンが表示されている。

 あの、May恋アプリのアイコンが。

「何で……インストールなんてしてないし、これって最初から入ってるアプリじゃないよね?」

「ああ、いくら何でもマッチングアプリが最初から登録されてるなんて、あり得ないだろ」

 百歩譲ってそんなことがあるとしても、これだけは偶然などではない。
 間違いなく意図的に、俺と柚梨のスマホにインストールされたのだ。それはもちろん、携帯ショップの店員の仕業でもない。

 俺はメッセージアプリを開いて、自分の使っていたIDとパスワードを入力する。
 これまでやり取りしたデータは消えてしまっているが、登録してある友人や家族の連絡先は、これで取り戻すことができた。
 その中から葵衣の名前を見つけ出すと、メッセージではなく直接通話を繋ぐことにする。
 呼び出し音が鳴り始めてから数秒後、葵衣が応答してくれた。

『樹!? アンタ無事なの!? 柚梨ちゃんは!?』

「大丈夫、二人とも無事だよ。……今のところは、だけど」

 電話口の向こうから聞こえてきた葵衣の声が大きくて、俺は思わずスマホを耳元から少し遠ざけて話す。
 それだけ心配してくれていたのだろう。俺と柚梨が無事だとわかると、安堵の溜め息が聞こえてきた。
 昨日とは違って、今日は通話を妨害される様子はない。
 俺は葵衣に、昨日の出来事に加えて、新しいスマホにもアプリがインストールされているという事実を伝えた。

『つまり、スマホを壊すのも買い替えるのも意味がないってことか……壊して消えたってことは、時間稼ぎくらいにはなったんだろうけど』

「ああ、だけど根本的な解決にはなってなかった。このままじゃまた、同じことの繰り返しだ」

 俺の横で話を聞いている柚梨の表情も、段々と暗くなってきているように見える。
 せっかく恐怖を振り払って明るさを取り戻したというのに、これじゃあ彼女を守ることができていないのと同じことだ。

「……そういえば、昨日の電話でお祓いがどうのって言ってたよな?」

 ふと、葵衣とのやり取りを思い出して、俺は質問を投げかける。
 彼女は少し押し黙ってから、こんな提案をしてきた。

『……成功するかはわからないけど、他に方法もわからないし。とりあえず、一旦集まるよ!』

 葵衣の言う通り、他に妙案が浮かぶわけでもない。
 俺たちは彼女の案に賭けてみようと、再び集合することにした。
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