最終死発電車

真霜ナオ

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07:退路

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 一番いいのは、あの化け物を電車の外に放り出すこと。
 それができれば、化け物が死なないとしてもまずは電車が走り出してくれる。……それも、僕の希望的観測でしかないのだけど。

「う、後ろの車両に戻れーー!!」

 よく通る声で叫んだのは、澤部店長だった。
 見るからにパニックを起こしている店長は、相当焦った様子で8両目に戻ろうとしている。

 僕と喜多川以外のメンバーは、化け物から距離を取るために、自然と8両目の貫通扉の方に寄っていたらしい。
 だが、それは悪手あくしゅなのではないだろうか?

 店長が向かおうとしている8両目は、最初に見た通りこの電車の最後尾だ。
 もしも化け物が彼らを追いかけていったとすれば、その先には本当に逃げ場が無くなってしまう。

 それを理解できていないのか、現実から目を背けているのか。店長はとにかく、化け物から離れることしか考えられないらしい。

「店長、待ってください! そっちに行ったら袋小路ですよ!?」

「黙れ!! 早く戻らんかノロマ!!」

「きゃあっ!! や、やめてください……!!」

「いいから行けって!!」

 僕が制止しようとする声も聞き入れず、自分よりも扉の近くにいた雛橋さんを、8両目に押し込もうとしていた。
 福村もそれに加勢していて、彼女は完全に扉に押し付けられているような状態だ。

 男二人の力に細身の女性が抗えるはずもなく、福村が開いた扉に彼女ごと店長がなだれ込もうとする。
 けれど、8両目に戻る寸前に店長は自らその足を止めた。

「きゃっ……!!」

 背後から圧をかけられていた雛橋さんは、止まることもできずに倒れ込んでしまったらしい。

「し、閉めろ!!!!」

 その姿が見えなくなったと思った直後、再び店長の大声が響く。それと同時に、福村が必死の形相で扉を閉めたのが見えた。

「ちょ、なにしてるんですか店長!? 福村も……!!」

 二人の行動によって、雛橋さんを閉じ込める形になってしまった。
 8両目に逃げ込もうとしていたはずの二人が、突然どうしたというのだろうか?

 他のメンバーも不可解な行動に怪訝な顔をしているけれど、一番近くにいた桧野さんだけは、ひどく青ざめた表情をしている。

「開けてください、逃げるなら急がないと……!」

「いやああああああああああッ!!!!」

「っ、なんだ……!? 雛橋さん!?」

 高月さんが声を上げた時、耳をつんざく叫び声に肩が跳ねた。
 少しくぐもったようなその悲鳴は、どうやら扉の向こう側から聞こえているらしい。声の主は、間違いなく雛橋さんだろう。

 けれど、店長も福村も扉を開けようとする素振りすら見せない。

「な、なにやってるんですか!? 雛橋さんを助けないと……!!」

「やめろ!! 開けることは絶対に許さんぞ!!」

「店長!?」

「高月さん、死にたくなきゃ開けないでください……!」

「助けて!! 誰か、開けてお願い!! いやッ……ぎゃああああああああ!!!!」

 雛橋さんを助けに行こうとする高月さんを、店長と福村が止めている。
 そうしている間にも悲痛な叫びと共に、一心不乱に扉を叩く音が聞こえていた。それでも、ほどなくして扉の向こうは静まり返ったようだ。

「……どういうことなんですか、二人して雛橋さんを……!」

「そんなことを言ってる場合じゃないだろう!? わたしたちも早く向こうへ逃げねばならんのだ!!」

「逃げるって、雛橋さんはどうするんですか!?」

「アイツはもう死んでる!!」

 責める高月さんに怒りをぶつける店長は、唾をまき散らしながら僕と喜多川がいる方を指差している。

 状況はわからないが、どうやら8両目に戻ることはできないらしい。
 だとすれば、逃げ道は6両目に続く貫通扉だけになる。彼らがそこへ向かうには、化け物の横を通り抜けなければならない。

 捕まれば終わる。それをみんなわかっているから、誰かが最初に動き出すのを待っているようにも見えた。

「……あれ」

 彼らのやり取りを遠目に見ているしかなかった僕は、ふとあることに気がつく。
 先ほどは湖山を捕まえていたとはいえ、今の化け物は手ぶらの状態だ。だというのに、次の獲物を捕まえる気配がない。

 後方の車両に逃げ込むために他のメンバーは団子状になっているし、雛橋さんの悲鳴だって注意を引くには十分すぎたはずだ。

「もしかして……聴覚がないのか?」

「え?」

「いや、これだけ騒いでるのに、あの化け物が反応してる様子がないから」

「そういえば……」

「湖山を捕まえた時も、腕を振り上げた先でたまたま掴んだように見えた」

「目も耳もないもんな……じゃあ、触れられなければ移動できるかも?」

 絶対だとは言い切れないが、現状では他に方法も思いつかない。
 この際だ。危険が伴うのは承知の上で、僕はみんなに提案してみることにした。

「聞いてください! この化け物、目は無いし音も聞こえてないみたいなんです!」

「なにを言っとるんだ!?」

「だから、動くものとか音には反応しないんです!」

「……なるほど」

 店長は理解できていないみたいだが、高月さんや数名には意図が伝わったらしい。
 実際、僕が大きな声を出しても化け物はこちらを向きもしない。店長の声だって大きいのに、反応がないのはやはり聴覚が無いからだろう。

「化け物に触らないように、こっちに移動してきてください!」

「そ、そんなの無理です……!」

「大丈夫、琥珀ちゃん。私と一緒に行こう」

「でも……高月先輩……」

 桧野さんは真っ先に首を横に振っている。それを宥めるように、高月さんが優しく声を掛けていた。

「じゃあ、私と一緒に行くのと、一人で行くのどっちがいい?」

「そ、それは……一人は嫌です……」

「うん、なら私と行こう」

 どうやら高月さんは、僕の言葉を信じて真っ先にこちらに来てくれるらしい。
 桧野さんは不安でたまらないという顔をしているが、一人で行動するよりはいいと判断したのだろう。

 高月さんを先頭に進むことを決めた二人は、化け物へと向き直る。他のメンバーは、そんな二人の様子を固唾かたずを飲んで見守っていた。

「液体は踏まないように、ジャンプしてください。僕らが受け止めます!」

「わかった。琥珀ちゃん、せーので行くよ」

「は、はい……!」

 化け物の横を通り抜けるだけの隙間はあるのだが、最初に繭が倒れ込んできた場所の床には、黒い液体が広がっている。
 跨ぐには厳しい範囲なので、そこは飛び越えるしかなさそうだった。

 落とされたはずの湖山の下半身は、残らず溶けてしまったのかどこにも見当たらない。

「せーの!」

 高月さんの合図で、二人は化け物の方へと駆け出していく。
 殺されるかもしれないという恐怖心はあるだろうに、速度を緩めることはない。……いや、緩めれば飛び越えられないとわかっているからだろう。

「いいぞ、そのまま……!」

 予想した通り、化け物は二人が近づいても反応する気配はない。
 液体の手前で踏み切った高月さんは、待ち構える僕の腕の中に一直線に飛び込んで来た。

「うわっ……!」

「ッ!!」

 受け止めることはできたものの、日頃から鍛えているわけではない僕は、そのまま彼女と共に床に転がってしまう。
 格好良くキメられないのは悔しいが、今はそんなことを気にかけている状況ではない。

「だ、大丈夫ですか……!?」

「うん、私は大丈夫。ありがとう、清瀬くん」

「良かった……っ、桧野さんは……!?」

 起き上がって頷く高月さんを見て、無事な様子に安堵する。
 けれど、すぐに続いてきたはずの桧野さんの安否が気になって、そちらに目を向けた。

「こっちも大丈夫だ。桧野さん、怪我はない?」

「大丈夫……だと、思いま……ッ」

 僕の横で待機していた喜多川が、桧野さんのことをしっかり抱き留めている。
 そちらは倒れずにいるのが羨ましくも思えたが、二人とも無事にこちら側に来ることができたのだ。

 緊張の糸が切れたらしい桧野さんは、返事の途中でボロボロと涙を溢していた。
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