最終死発電車

真霜ナオ

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11:半身

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 開いた扉から、なにも乗り込んでこないでほしい。
 そんな願いも虚しく、それ・・は僕たちの前に姿を現した。

「な、んだ……あれ……?」

 何かの影が車内に侵入してきたのは、5両目に一番近い乗降扉からだった。
 始めは、人間が這いずっているように見えたのだが、それは遠目による錯覚だったのだろう。

 普通の人間が、あの闇の中から出てこられるはずがない。

「テケテケ……?」

「やめろ、こんな時に……!」

「でも、あれってさ……」

 こんな時までお前は空気を読むことができないのか。
 喜多川にそうツッコミを入れたかったけれど、車内の明かりによって照らされる姿を前に、僕は二の句を継げなくなってしまった。

 それはやはり、人の形をしていた。
 ほふく前進をするみたいに、床の上を這いずる上半身。真っ黒な液体を纏う化け物は、上半身だけで僕の身長くらいはあるような気がする。

 さらに、這いずった後に液体が付着しているのだとばかり思ったのだが、化け物の上半身から何かが外へ向かって伸びている。
 それが何かと考えた矢先、闇の向こうから下半身らしき塊が現れたのだ。

「うげっ……なんだよ、気持ちワリィ」

 福村のリアクションが耳に届くものの、大袈裟だとは感じなかった。
 その下半身は上半身とは異なり、自分の脚で立って歩いている。その二つの身体は、大きくうねる黒い背骨らしき何かによって繋がっていたのだ。

 ずるり、ぬちゃりと地を這う上半身を追うように、下半身がぺちゃりぺちゃりと歩みを進める。

「ヒッ……! あいつ、目があるぞ!!」

 乗り込んできた上半身が僕たちの方を向いたことで、店長が悲鳴を上げる。この怪物には眼球がついているのだ。
 ただ、頭と思われる位置についている目はどう考えても普通ではなく、赤黒く血走っている。

 サッカーボールほどもある、今にもこぼれ落ちそうな巨大な眼球が、ぎょろりとこちらを見ていた。

「あれも人を食べるのか……?」

「わからないけど、触られたら溶けるとは思う」

 どのような動きをする化け物かは定かでないが、少なくともあいつも黒い液体を纏っている。触れればただでは済まないのだろう。

「けど、あそこを通らなきゃ5両目には行けないよ」

「通るったって、どうやって……」

 高月さんの言うように、あの化け物のいる場所を通らなければ、僕たちが隣の車両に移る手段はない。
 それでも、触れることすらできない未知の生き物を相手に、どのように切り抜ければいいのか。

「あいつ、こっちに来るぞ……!!」

「うわっ!!??」

「嫌ああああッ!!」

 喜多川が叫ぶよりも前に、化け物が這いずる速度を上げて僕たちの方へと向かってくる。
 周囲に黒い液体をまき散らしながら、化け物が狙いを定めたのは、床に座り込んだままの桧野さんだ。

「やだ、いやァっ……!!」

「桧野さん! 立って!!」

「琥珀ちゃん!!」

 化け物の方に意識を向けていた僕と高月さんは、彼女がターゲットになっていることに気づくのに、一歩遅れてしまう。
 まずいと思った瞬間、僕の身体は強い力で後方へと弾き飛ばされていた。

「ぐっ……!!」

 化け物に体当たりをされたのかと思ったのだが、どうやらそうではないらしい。
 背中に痛みを感じたけれど、衝撃を受け止めてくれたのは車内のロングシートだった。

 顔を上げると、向かい側のロングシートの上には、高月さんと喜多川がいる。その喜多川の腕の中には、桧野さんが抱きかかえられていた。

「喜多川……!」

「清瀬、大丈夫か!?」

「ああ、僕は大丈夫。ありがとう」

 どうやら、咄嗟の判断で僕と高月さんを突き飛ばした喜多川が、桧野さんを抱えて移動したようだ。
 力のあるやつだとは思っていたけれど、瞬発力に改めて驚かされる。

 化け物はといえば、座席同士の間を抜けてまっすぐに7両目側の貫通扉まで移動したらしい。
 店長たちは乗降扉の傍に隠れていたり、同じように座席の上に避難しているのが見える。

「今なら行けるんじゃないか……?」

 ぽつりと漏らした福村の言葉に、いち早く反応を見せたのが梨本さんだった。
 その巨体のどこから出るのかというほどのスピードで、汚れていない部分の床の上を一目散に駆け抜けていく。

 7両目側に向かった化け物は、そちらの方を向いているので、僕たちの動きは見えないはずだ。

 その隙に自分だけが5両目に移動しようとしているのか、そうはさせまいと店長と福村も動き出そうとする。
 けれど、化け物の方を視界の端に入れていた僕は、その動きを見てしまった。

 前方についていたはずの巨大な目玉が、どぅるり……と不気味な音を立てて、後頭部の方へと移動してきたのを。

「な、梨本さん……! 危ない!!」

 僕が声を掛けると同時に、後についていくだけだった下半身が、今度は先陣を切って後退し始めた。
 下半身に引きずられるようにして、上半身が床の上を滑っていく。

「ヒッ……!!」

 振り返った梨本さんは、上擦った声を漏らすと慌てて避難しようと移動する。
 しかし、床に広がる液体を踏んで足を取られてしまった梨本さんは、乗降扉に向かって倒れ込もうとしていた。

 開いたままの扉の向こうに倒れればどうなるのかは、全員が8両目で知っている。

「うわああああああああッ!!??」

 最悪の想像が現実にならなかったのは、そのすぐ傍の座席の上に間宮さんがいたからだ。
 反射的に梨元さんの上着を掴んだ間宮さんは、全体重をかけて巨体を引っ張ることに成功した。

「あ……っぶな、セーフ」

 受け身を取ることもできなかった梨本さんは、座席の脇の手すりに腹をぶつけて悶絶している。足の裏も火傷しているだろうし、そっちの痛みもあるのだろう。
 それでも、闇に飲まれて死亡するよりはマシなはずだ。

 ただ、安心していられるのも束の間だ。
 またしても獲物を逃した怪物は、ギョロギョロとした目玉を頭部のあちこちに移動させている。

 怒っているのかもしれないし、新たな標的に狙いを定めようとしているのかもしれない。

「……そうだ」

 少なくとも、あの目が機能しているのは確かだろう。何かを探しているように見えるし、動き回るのには意味があるはずだ。
 そう直感した僕は、床の液体を避けつつ喜多川たちの方へと移動する。

「どうした、清瀬?」

「あのさ、考えがあるんだけど。あいつの目を潰せれば、どうにか隣の車両まで行けるんじゃないかな?」

「潰すったって……素手でいくわけにいかないだろ?」

「わかってる。だからさ、座席を使ってみよう」

「座席?」

 不思議そうな顔をしている喜多川は、まだ桧野さんの身体を抱きかかえたままだ。
 抱えられている桧野さんも、恐怖で自分の状態を客観視できていないのかもしれない。

 だが、僕の話を聞きながら少しだけ冷静さを取り戻し始めたのか、顔を真っ赤にしながら下ろしてくれと懇願していた。

「新幹線の座席ってさ、外せるようになってるらしいんだ。不審者が出た時に、盾に使ったりできるように」

「……ああ、それなら私も聞いたことがある。実際、試してみたことはないけど」

「それで、普通の電車のロングシートも外せるものがあるらしくて。基本的には汚れた時の交換とか、事故の時なんかに乗客を降ろす梯子はしごの代わりにもなるみたいなんだ」

「なるほどな。だけど、あの怪物に通用するか?」

「わからないけど……少なくとも、車内のものはあの液体に溶かされないみたいだから」

 僕の狙いはそこだった。武器として使うのが厳しかったとしても、溶けない盾なら役に立つかもしれない。
 素手で挑むよりマシなことは言うまでもないだろうし、反対する人間はいなかった。
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