最終死発電車

真霜ナオ

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12:化け物退治

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 悠長にしている暇はない。
 座席から降りた僕たちは、横一列に並んでロングシートを外しにかかることにした。

「な、何やってんの……?」

 会話の内容が聞こえていなかった間宮さんたちからは、僕たちの行動は不可解なものに映っていることだろう。それでも、説明している時間は無いのだ。

「せーの!」

 喜多川の掛け声と共に、僕たちは座面からシートを引き剥がす。予想していたよりも、シートはずっと簡単に外れてくれた。
 ある程度の重みがあるので一人で持ち運ぶのは厳しいけれど、これがどうにか対抗手段になってくれれば。

「喜多川、いけるか?」

「ああ、やるしかない。どのみちヤバイなら、無抵抗で死んでやるのなんて御免だからな」

「頼もしい」

 高月さんと桧野さんを下がらせて、僕と喜多川はシートの両端をそれぞれに抱える。
 これがもっと硬い材質だったなら、攻撃のための武器として使用できたかもしれないが。生憎あいにくと座り心地のいい座席はふかふかとしていて、その用途には使えそうにない。

「間宮さんたちは下がっててください!」

「わ、わかった……!」

 床の真ん中をなぞるように引きずられた液体の両脇に、二人で立つ。多少は踏んでしまうかもしれないが、靴を履いているのだからどうにかなるだろう。

「これであの化け物を外に押し出す、いいな?」

「了解。やってやろうぜ」

「いくぞ……!」

 僕の合図と共に、二人同時に駆け出していく。ぎょろりとした化け物の目玉は、すべてが僕たちの方を捉えている。
 すぐにでも触れられる距離まで近づくのは嫌だったが、逃げ回るばかりで状況が好転するとは思えない。

 僕たちは化け物の頭を目掛けて、シートを思いきり叩きつけた。

「ッ……くそ、暴れんな……!!」

「喜多川、っ……このまま押し込めるか!?」

「やるしかねえッ……!!」

 頭を床に押さえ込むことに成功はしたものの、長い両腕がバタバタと暴れる。その度に液体が飛び散り、腕が僕らの脚や身体にぶつかっていく。

 厚手のコートやデニムが溶けて、皮膚が焼かれていく感覚。
 痛みはあるが、それに怯んで手を離せばこのチャンスはもう巡ってこないかもしれない。

 床にモップ掛けをするみたいに、暴れる上半身を少しずつ乗降扉の方へと押しやっていく。

 幸いにも、液体のお陰で巨体を相手でも滑りはいい。
 反発しようとする力は強いものの、このままいけば化け物を外に追い出すことができるだろう。

「あと少し……っ!!」

「清瀬くん、後ろッ!!」

「えっ……?」

 目の前のことに夢中になっていた僕は、高月さんの声で肩越しに背後へ視線を向ける。
 僕のすぐ真後ろには、化け物の下半身が立っていた。その片脚が、僕の身体を蹴り上げようとしているのだ。

 手を離して逃げれば助かるかもしれないが、喜多川一人に上半身を任せることになる。
 それどころか、下半身の攻撃対象が僕から喜多川に変わるかもしれない。

 瞬間的にそんなことを考えたせいで、すぐには身体を動かすことができなかった。

「痛いッ……!!」

「え……ひ、桧野さん……!?」

 もうダメかもしれないと思った時、僕のすぐ横に桧野さんの頭があった。そして、その隣には高月さんの姿もある。

 何が起こったのかわからなかった僕は、二人が別のロングシートを持って加勢に来てくれたのだと理解するのに、時間を要してしまった。
 僕を蹴り上げようとした脚を、二人の持つシートが阻んでくれたのだ。

 それでも、女性二人の力だけでは厳しいこともわかる。
 化け物の下半身をシートで押し返そうとしているのだが、険しい表情をした高月さんたちが押され始めているのが見えた。

「ダメだ、高月さんたちは下がってください!」

「二人にだけ戦わせて、私たちだけ見てるなんてできるわけないでしょ……!」

「だけど……!」

 僕の意見を聞こうとしない高月さんの手が、掠めた液体で傷ついているのがわかる。それは桧野さんも同じだ。
 早く化け物を押し出さなければ。そう考えれば考えるほど、思い通りにいかない現状に焦りと苛立ちが募る。

 あともう少し力があれば。そう感じた時、僕と喜多川の間に何かが割って入ってきた。

「こいつ、外に出したらいいんだよね?」

「っ、間宮さん……!」

「早く追い出して、先頭車両行って、チャルはピーチのとこ帰るんだからッ」

 間宮さんが加勢してくれたお陰で、化け物の上半身は先ほどまでよりも外に向けて押し出せている。
 そこに何も言わず加わってきたのが、梨本さんだった。

 よく見れば足元には滲む血痕があるけれど、痛みを堪えて協力してくれているのだ。
 より強い力が加わったことで、勝機が見えてきた。化け物を押し出すことができる。

「きゃあッ……!!」

「琥珀ちゃん!?」

 けれど、それよりも先に化け物の力に抗いきれなかったのが桧野さんだった。
 衝撃で弾き飛ばされた彼女は、化け物が這いずった後の液体の上に倒れ込んでしまう。

「ああああああッ……!! 熱いっ、いやああああああ!!!!」

「桧野さん……!!」

「ダメだ喜多川!! お前まで離れたら持たない……ッ!!」

 背中全体に液体が付着してしまった桧野さんは、耳を塞ぎたくなる叫び声で痛みを訴えている。
 その声に離れようとした喜多川を制止するが、化け物の下半身を押さえているのは高月さんだけだ。彼女まで振り払われたら、今度こそ僕たちはおしまいだ。

「まったく、これだから近頃の若いモンは……!!」

「へっ……? て、店長!?」

「口じゃなく手を動かせといつも言っとるだろうが清瀬!?」

 そんな時、高月さんの隣に立った思わぬ人物に、目を丸くしたのは僕だけではないはずだ。
 あの店長が僕たちに手を貸してくれている。その光景があまりにも想定外で、こんな状況だというのに力が抜けそうになってしまった。

 それでも、気を取り直して僕は目の前の化け物に向き合う。

「それ、いくぞ!! 押せえーーーー!!!!」

 店長の絶叫するみたいな合図と共に、僕たちは渾身の力を振り絞って化け物の身体を押す。
 ズルズルと床の上を滑る上半身は暴れたが、とうとう電車の乗降口まで到達すると、シートごと闇の向こうへ押し出すことに成功した。

 背骨のようなもので繋がっている下半身も、両脚だけでは何かに掴まることもできないらしい。
 踏ん張りもきかずに、芋づる式に闇の中へと飲まれていった。

「や……った……?」

「……やったああああ!! 化け物やっつけた!!」

「やった……! っ、桧野さん……!!」

 半ば放心状態で闇の向こうを見つめていた僕たちの前で、ゆっくりと扉が閉まっていく。
 化け物が再びやってくる様子もなくて、僕たちは顔を見合わせて喜んだ。

 しかし、すぐに桧野さんのことを思い出した喜多川が駆け出していく。
 胎児のように身体を丸めて床の上に寝転んでいる桧野さんは、背中が真っ赤に焼けただれていた。

「ひどい……」

 手を貸した喜多川と高月さんによって、桧野さんをどうにか起き上がらせることはできた。
 剥き出しの背中を隠すためにコートを貸してあげたいとも思ったが、あの状態では布地が擦れるだけで相当な痛みを伴うだろう。

「可哀想だけど、どうにもしてあげられないな」

「とりあえずはこのままで、電車を降りたらすぐ病院に行こう。琥珀ちゃん、痛いだろうけど我慢してね」

「うっ……どうして、こんなの……」

 泣いている彼女を慰めるように、高月さんが優しく頭を抱き締めている。
 そっとしておいてあげたいのだが、状況がそうはさせてくれない。こうしている間にも、電車は走り出しているのだから。

「抱っこ……は、厳しいから、俺が背負っていくよ」

「喜多川くん……でも……」

「歩くのもしんどいだろ? おんぶなら、背中には触らずに済むし」

「……ありがとう」

 もう動きたくないと言い出すのではないかと思ったが、おそらくそんな元気もないのだろう。
 喜多川の申し出を受け入れた桧野さんは、大人しく背負われることを選択した。
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