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第一章<異世界生活編>
25:猫カフェ、存続の危機!?-前編-
しおりを挟む「店長さん、スタンプください!」
「はいはい、いつもありがとうございます。こちらが新しいスタンプカードです」
「やったー! 見て見て、新しいカード!」
「スゲーなホロン、俺もあと一つでスタンプ貯まるぜ!」
「二人とも早いなあ、僕はあと三つだ」
今日もやってきてくれた小さなお客さんたちに、新しいスタンプを押していく。
三人揃っていることも多いのだが、毎回一緒というわけでもない。スタンプカードの貯まり方にはバラつきがあって、最初にすべてを埋めたのが青髪の少女・ホロンだった。
アルマとクルール、二人の少年たちもそれぞれにスタンプを貯め続けている。
(貯まるのが早いお客さんもいるし、もっと特典があってもいいのかもな)
現状は入店料とドリンク無料の特典のみだが、思った以上にスタンプを楽しみにしてくれている客も多い。何かグッズのようなものを作ってみるのもアリかもしれないと思った。
色々な案に思考を巡らせているうちに、カフェはあっという間に閉店時間となる。
始めの頃は、慣れないカフェの営業に手一杯になることも多かったが、今では時間が過ぎるのがあっという間だ。もう閉店時間なのかと思うことさえある。
そのくらい、この仕事を楽しんでやれているということなのかもしれない。
最後の客を送り出してから、店内の掃除を始めようかという時だった。
店の扉が開いて、一人の男が入ってきたのだ。
「あの、申し訳ないんですが、もう閉店時間ですので」
新規の客であれば、閉店時間などを知らないことはよくある。まだ営業しているものと思って入ってきてしまった客なのかと思ったのだが、俺はすぐにそれが誤りであることに気がついた。
入店してきた男は、俺の言葉にも構わずズカズカと店の中に入り込んでくる。大きな足音に猫たちは驚いているのだが、男が猫たちを見る目は明らかに猫好きのそれではない。
魔獣に対する怯えや憎しみとも違う。まるで商品を値踏みするかのような視線は、少なくとも俺にとって不快さを感じさせるものだ。
「すみません、営業時間は過ぎていますのでお引き取り下さい」
「アンタがこのカフェの店長さんかい?」
「……そうですが」
俺の言葉が聞こえていないはずはないのだが、男は気にする様子もなく話しかけてくる。
でっぷりと脂肪を蓄えた腹周りに、身に着けている衣服や宝石はそこそこ高価な代物なのだろう。国王や王妃のような高貴さは感じられないが、少なくとも金持ちの部類ではあるのだとわかる。
「単刀直入に言おう。このカフェ、俺に譲ってくれねえかい?」
「……は?」
俺は何を言われたのかわからず、怪訝な顔をして男を見る。いや、実際にはわかっていたのだが、理解が追い付かなかったのだ。
カウンターまで歩いてきた男は、その上に重そうな麻袋を置く。紐を解いて中から溢れ出てきたのは、大量の金貨だった。
「俺ァ商人をやってるモンでな。金ならいくらでも積んでやるから、このカフェを譲り渡してほしいんだよ」
「どういうつもりかわかりませんが、お断りします」
譲れと言われて『はいそうですか』と返すはずがない。この店は売り物ではないのだ。
俺はきっぱりと断ったのだが、商人だという男は簡単に引き下がるつもりはないようだった。その証拠に、背負っていた鞄の中からもう一つ袋を取り出す。中身は確認するまでもない。
「金が足りねえってんなら、コレでどうだい? 店ひとつに出すにしちゃ、かなりの額だと思うがね」
「いくら積まれても無理なものは無理です。お断りします」
俺と男との会話が聞こえたのだろう。店の奥から、コシュカとグレイが姿を現した。
ただならぬ空気を感じ取ったのか、俺たちを見る二人の表情が険しいものになる。
「アンタなかなか強情だな。この店じゃ、魔獣の譲渡はタダでやってるって話じゃねーか。わざわざ金まで積んでやってるってのに、何で譲らねえってんだ? 店ならまた新しく建てりゃいいだろ、十分な金はあるんだしよ」
「譲渡にお金はいただいていませんが、猫たちも店も売り物ではありません。どこの誰とも知れないあなたに、この店を渡す理由はない」
あくまでも交渉に応じるつもりはないという姿勢を見せると、男はわざとらしく大きな溜め息を吐き出した。
禿げ上がった頭をガシガシと掻きむしると、男は遠巻きにこちらを見る猫たちを一瞥し、下卑た笑みを浮かべる。
「これまで誰も魔獣に手を出そうなんて、考えもしてこなかった。そこに目をつけるなんて、アンタ商売の才能があるな」
「……何が言いたいんですか」
「金は要らない、売り物じゃないなんて耳障りのいいこと言うけどよ。アンタだって、魔獣を商売道具として扱ってんだろ? それで生活してるってんなら、一体俺と何が違うんだよ?」
「それは……ッ」
「おいテメエ、いい加減にしろよ! 黙って聞いてりゃ好き勝手なこと言いやがって、そのツラぶん殴ってやっからこっち来いやクソジジイ!!」
俺の言葉を遮るように吠え出したのは、やり取りを静観していたグレイだった。
カウンターを飛び越えて、今にも男に殴り掛かろうとしているので、俺は咄嗟にその身体を取り押さえる。
「グレイ、落ち着け……! 暴力はダメだから!」
「離してください店長! このジジイ一発やらねえと腹の虫が治まらねえ!」
額に青筋を立てて暴れるグレイを押さえる間に、彼の威勢に怯んだ商人は、カウンターの上の金を回収して出口の方へと距離を取る。だらしない体格の割に素早い動きだ。
「フン。魔獣を扱う店の従業員も、所詮その程度のレベルか。こんな破格の交渉に応じるだけの頭の良さもないところを見ると、店長の器量もたかが知れているな」
「ンだとテメェ!? もういっぺん言ってみろやコラ!!」
「挑発に乗るなって、グレイ……!」
安全な場所でこちらを馬鹿にする言葉を吐く男に、俺だって苛立ちを覚える。
しかし、今はあんな男相手でも、グレイが暴力を振るわないよう押さえることで精一杯だ。
「アンタにどう思われようと知ったことじゃない。さっさと出て行ってくれ」
「穏便に済ませてやることもできたというのに、後悔することになるからな!」
男は捨て台詞のような言葉を吐きながら、煩い足音を響かせて店を出て行った。
その姿が消えてもグレイの怒りはしばらくの間治まらず、ヨルを抱っこさせることで徐々に鎮火していったのだ。
「ああいう人もいるもんなんだな。こっちの世界に来てからいい人ばかり見てきたから、ちょっと驚いたよ」
「あのクソジジイ……次あのツラ見たら絶対ボコボコにしてやる」
「グレイさん個人の怒りはともかく、店の評判を落とすことになるので暴力はやめてください。やるのであれば、証拠が残らないようにお願いします」
グレイを止める方向で宥めてくれているのかと思ったのだが、コシュカもどうやら怒りを溜め込んでいたらしい。物騒な言葉が飛び出してきて、俺はぎょっとしてしまう。
二人が怒ってくれていることは、とてもありがたい。
だけど、あの商人の言っていたことも、すべてが間違いではないのだ。
実際俺は、猫のお陰でこの世界での生活が成り立っている。頼れる者のいない世界に、身一つで放り込まれたのだ。猫がいなければ、飢え死にしていた可能性だってある。
「俺は金が欲しくてこの店をやってるわけじゃないけど……確かに、猫たちで商売をしてるのは事実なんだよな」
「ハ!? 店長まで何言ってんスか!?」
「いや、俺もいきなりあんなこと言われてムカついたけどさ。確かに猫を商売道具にはしてるんだよなあと思って」
猫のためだと体のいい理由を並べてはいるが、このカフェの経営を始めたのは、俺が生きていくための金を稼ぐという目的も大きい。
猫のためという純粋な目的だけではない。どこか後ろめたい気持ちがあったからこそ、あの男にすぐに言い返すことができなかった。
あの時グレイが割り込んできてくれなければ、俺はあの男に反論できていたのだろうか?
「……猫でお金を稼いでいるのは、確かに事実だと思います」
「コシュカ、お前まで何言い出してんだよ!?」
「ですが、ヨウさんは一匹一匹の猫に、同じだけの愛情を注いで接しています。それこそ、自分のことなんてそっちのけで、何をするにも猫が一番になるくらい……ちょっと異常だと思うこともあります」
「ハハ、異常か……」
自覚があるだけに、言い返すことができない。口を開けば猫のことを話しているし、考えるのは猫のことばかりだ。
元の世界でもそうだったのかもしれないが、カフェの経営を始めてからは、より猫が中心の生活になっている。
「店長は猫第一主義っスもんね。オレだって猫は好き……だけど、店長みたいにはなれねえと思う」
「商売のためだからと、ここまでやれる人はそういないと思います。ヨウさんは正当な対価を得ているだけであって、私利私欲のためにカフェを経営しているわけではありません」
「私利私欲……ではあるかもな、猫まみれの生活したかったし」
そう言ってへらりと笑う俺に、二人は同意するように表情をゆるませる。
正しく見える言葉を並べているだけで、俺は本当は間違ったことをしているのではないかと迷いが生じてしまった。けれど、それをすぐに否定してくれた二人によって、失いかけた自信を取り戻すことができたのだ。
生活をしていくためだけではない。この店はもう、俺にとって無くてはならない、大切な居場所なのだ。
「それに、猫たちだけじゃないっスよ。オレに仕事と住む家を与えてくれたのも、他でもない店長なんスから!」
「猫に怯える必要もなく、お客さんの笑顔が見られるのも、ヨウさんがこのカフェを始めたからですし。ヨウさん自身が思う以上に、周りにも影響を与えてくれているんですよ」
「……ありがとう、二人とも」
俺はこの世界に来て、本当に人に恵まれたと思う。
一度は揺らぎかけてしまった自信だが、この二人がいてくれる限り、俺は自分の進むべき道を間違えることはないだろう。
心の底から、そんな風に思えたのだった。
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