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第二章<猫アレルギー治療編>
22:別れと帰還
しおりを挟む伝説の薬草を手に入れることができてから、一週間ほどが経過した。
新薬の開発というものは、それなりに時間がかかるのだろうと思っていたのだが。
「できたぞ」
「……朝飯、ですか?」
ギルドールが、あまりにも日常会話の一端のように言うものだから、俺は怪訝な顔を向けながらそんな問いを投げてしまう。
「アホか、誰が朝飯の話してんだよ。薬だよ、治療薬」
「えっ、できたって……完成したってことですか!?」
「おう」
そんなはずがないと思っていたのだが、まさかの肯定に、俺は思わず座っていた椅子から転げ落ちそうになる。
驚いたヨルが膝から飛び降りたのだが、今はそれを気にしていられる余裕はない。
ギルドールは、薬が完成したと言ったのだ。猫アレルギーの治療薬が。
「こ、こんな短期間で完成させられるものなんですか……? 詳しく調べる必要があるって言ってませんでしたっけ……?」
「もちろん調べたに決まってるだろ。そのチビの毛やら何やらも使って分析して、必要な成分を抽出して、コレだっつー配合を見つけ出したんだからな」
まずは猫アレルギーというものについて知る必要がある。
そう言われたので、確かにヨルの毛を少し切り取って、唾液なども採取させた記憶はあるのだが。
少なくとも、数か月はかかるものだと考えていたのだ。それが、たったの一週間で完成したと言われれば、驚くのも無理はないだろう。
「ただし、猫アレルギーの奴に実際に試したわけじゃあない。そのアルマってガキに薬を使ってみなけりゃ、どの程度の効果があるかはわからんよ」
「それでも、治療薬はできたんですよね……?」
俺はどうしても信じられなくて、何度も確認をしてしまう。
そんな反応に、説明するよりも実物を見せた方が早いと判断したのだろう。ギルドールは、小さなプラスチックのケースに入った、透明な青色をしたカプセルを差し出してきた。
「一錠飲めばいい。アレルギー物質を抑制する効果は魔法で永続するはずだから、まずは試しだな。問題なく効いてくれりゃ、薬の量産も可能だ」
「これで……猫アレルギーが治せる……」
俺も長年苦しめられてきた猫アレルギー。それを治療することが、本当にできるというのか。
にわかに信じ難いことではあった。それでも薬を手にしたことで、俺にもようやく実感が湧いてくる。
そのケースを大切に鞄にしまうと、俺はギルドールに深々と頭を下げた。
「本当に、ありがとうございます……! 薬だけじゃない。色々お世話になって、どうやってお礼をすればいいか……」
「あー、そういうのはいい。お前さんたちに力を貸すことにしたのは、オレの意思だしな。あの薬草は他にも役立ってくれそうだし、オレにとってもメリットがあったんだよ」
「だけど……」
「それに、医者は人を救うのが仕事だからな」
俺があの酒場で彼に言ったことを、ギルドールは覚えていたらしい。
そう言われてしまうと、それ以上食い下がることもできなくなってしまった。
「正直、町医者やってた頃は救いたいとも思えないような奴が多くてな。医者なんて我ながら難儀な仕事だと思っていたんだが……久々に、やりがいのある仕事ができたと思ってるよ」
そういって、差し出されたギルドールの手を握り返す。
固い握手を交わしていると、肩の上にいたヨルが、自分も混ざると言わんばかりに前足を伸ばしてきた。
「ハハ、お前さんじゃあ短すぎて届かねえな」
「ミャウ」
これまでヨルにはあまり関心を示さなかったギルドールだったが、ゆったりとした笑みを浮かべると、小さな黒い前足をそっと握ってくれたのだった。
本来、薬の開発を待つ間に一度カフェに戻って様子を見ようと思っていたのだが。
そう時間はかからないからと言われて、この一週間はギルドールの家に世話になっていた。
それもきっと、これだけの短期間で完成することがわかっていたからこその提案だったのだろう。
無事に治療薬を手に入れることができた俺たちは、ルカディエン王国へと戻る準備を終えて、国境へとやってきていた。
「ギルドールさん、本当にお世話になりました。シアも、色々とありがとな」
「気をつけて帰れよ。つっても、転移できるんだったら心配いらねえか」
「便利な腕輪持ってるんだから、たまには遊びに来なさいよ。気が向いたら出迎えくらいはしてあげてもいいわ」
「シアさんも、またカフェに遊びに来てください。次に来る時はきっと、もっと猫の種類が増えていると思います」
「作り置きの残りモン、冷蔵庫に突っ込んであるから早めに食えよ。傷みやすいからな」
各々が挨拶を済ませる。永遠の別れではないのだから、会おうと思えばいつでも会えるのだが。
「……なんか、ずっと一緒だったから寂しくなるな」
「ッ……!」
思わずこぼした俺の言葉に、シアが突然背中を向ける。
その肩は震えているようにも見えるのだが、もしかすると、シアも同じように寂しいと思ってくれているのかもしれない。
知り合って日は浅いかもしれないが、とても濃い時間を共にしてきたのだ。
もうすっかり、一緒にいるのが当たり前のようになってしまっていたことに気づかされる。
「隣の国なんだから、大した距離じゃないわ! アルマって子の病気を治すんでしょ、ちんたらしてないでさっさと帰りなさいよ!」
「……うん。また来るから、元気でな」
それ以上の言葉は、きっと必要ないだろう。
俺たちは国境を超えると、転移の腕輪を使ってフェリエール王国を後にした。
◆
「何か……もの凄い久々な気がするな」
転移は無事に成功して、俺たち三人は猫カフェのある、スペリアの町の入り口に立っていた。
何ヶ月も離れていたわけではないというのに、町の景色がすっかり懐かしい。
本来はすぐにでもカフェに転移して、猫たちの様子を確認したいと思っていた。
けれど、それ以上にまずはアルマに薬を届けてやりたかったのだ。そのために、カフェではなく町の方を転移先に選んだ。
「アルマさん、喜んでくれるといいですね」
「そりゃあ喜ぶだろ。これでやっとアイツも、猫飼えるようになるんだからな」
「確か、アルマの家はこの通りを真っ直ぐ……」
アルマの家は以前に訪れたことがあったので、俺は道のりを思い出しながら歩き出す。
しかし、町の中を進み始めてすぐに、妙な違和感を覚えた。
カフェがすっかり定着して以来、町を歩いていると声を掛けてくれる住人も増えたのだが。
町にいる人たちはなぜか遠巻きで、俺たちの方を見て警戒しているような、不自然な表情を見せているのだ。
「……何か、変じゃないスか?」
「私たち……というより、ヨウさんが見られているような気がするのですが」
コシュカの言う通り、住人たちの視線が向けられているのは、『俺たち』ではなく『俺』のようだ。
特に見た目が変化したはずはないのだが、そのような視線を向けられる理由がわからない。
そこにやってきたのは、見覚えのある老人の姿だった。
「町長、何かあったんですか?」
彼はこの町の中心人物であり、コシュカの養父でもある。何かあったとするならば、きっと事情を知っているだろう。
そう思って俺は彼に近づこうとしたのだが。
「ワシの傍に寄るでない! この大ボラ吹きめが!!」
「え……?」
町長は、威嚇するように杖の先を俺に向けたかと思うと、声を荒げて俺を睨みつけてくる。
その言動に動揺しているのは俺だけではない。コシュカも、そんな町長の様子の理由が思い当たらずにいるようだ。
「町長、一体どうしたんですか? ヨウさんは何も嘘なんて……」
「コシュカ、その男から離れなさい! ソイツは勇者でも何でもない、ワシらを騙そうと企む大嘘つきの悪党じゃ!」
「ジイさん、何言ってやがんだ……!? 頭イカレちまったのかよ!?」
グレイもそんな町長の様子に、反論しようと口を開きかけたのだが。
様子がおかしいのは、町長だけではなかった。彼の声を聞きつけた住人たちが集まってきたかと思うと、町長の言い分に加勢し始めたのだ。
「町長の言う通りだ! 何も知らないのをいいことに、オレたちを騙し続けられると思ってたのか!?」
「国王様まで言いくるめて、異世界から来たなんて話も嘘なんだろ……!!」
「証明する方法が無いからって、勇者を騙るなんてあり得ないわ!」
矢継ぎ早に飛び出してくる罵声の数々に、俺は反論も忘れて呆然としてしまう。
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けれど、それを理由に住人たちを騙すような真似に、心当たりがないのだ。
「白々しい演技をしおって! 本物の勇者様が、おぬしの悪事を暴きに来てくださったのじゃ……!!」
「本物の……勇者……?」
町長たちが何を言っているのか、理解ができなかった。
そんな俺たちの前に、住人たちの間を抜けて見慣れない人物がやってくる。
「町長、その男が勇者の名を騙る悪党かい?」
「おお、勇者様……! そうです、この者こそが勇者を名乗っていた偽者です……!」
俺は、その男の姿を見て驚いた。
男の腕には、まるでヨルにそっくりな、真っ黒な猫が抱かれていたのだから。
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