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第5話 夕凪1-1

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 翌日。
 昼を告げるチャイムが高らかに鳴り響く学校で夕凪は自席にてお弁当を広げていた。
 近隣では珍しく給食のない中学校だった。学食もあり購買もある、その日の気分に合わせてスタイルを変えることができた。

「はあ……」

 おかずに箸が伸びない。時折戯れに持ち上げてみるも、口に運ぶ前に元の位置に戻していた。
 今日は一日こんな調子だった。学業は身につかず、意識も散漫で人の問いには生返事。原因は昨日の夜の話と分かっていても気持ちを晴らす方法は見つかっていない。

「どうしたの? これ見よがしにため息なんてついて」

 顔の先から声がする。夕凪は箸を置いて、うつむいていた顔をけだるげに上げる。

「……なんでもない」

「いや、そんな聞いてほしそうな感じ出されても困るんだけど」

 夕凪の視線の先には少女の姿がある。学生服に身を包み、薄く化粧の乗った顔は校則で禁止されているが、お目こぼしをもらえる程度には地味に抑えられていた。
 神代 ゆかり。中一の時からの親友は、中二の夏休みを経てギャルに変身していた。元々片鱗は見せていたが化粧に着崩した制服、過度な装飾の施された持ち物に良い噂の利かない交友関係と、どこか遠くに行ってしまったように思えて一抹の淋しさを感じていた。
 しかしそう性格まではすぐには変わらない。仲間内では気のいい性格なのが変わっていなくて、

「……あのさぁ」

 夕凪は開いた口をすぐに閉じる。
 身内の恥を他人に相談するなど出来るはずもないと、

「いや、何でもない」

「そこまで言ったら言えっての」

 ゆかりは一段と身を乗り出していた。顔が、目が近い。
 夕凪は首を横に振る。しかしじっと見つめるゆかりにため息をついて、

「……仮の話ね。両親が不倫してたらどうする?」

 実際は不倫どころじゃないが、夕凪はぼかして聞いていた。
 話をきいたゆかりは、身を引いて、天井を見上げた後、

「……してんの?」

「仮の話だって言ってるでしょ!」

 夕凪は声を荒げて睨んでいた。
 ひるまず、うんうんと頷いたゆかりは、

「はいはい。ってかさ、どうしようもなくね? うちら中学生じゃん」

「そう、なんだけど……」

「親同士で決着つけるのを見守るしかないじゃん? あ、でも喧嘩はやめてほしいかな」

 言い終えると、ゆかりは相談料といって夕凪の弁当のおかずを一つつまんで口に運ぶ。
 その味ににんまりと笑みを浮かべる彼女を視界に入れつつ、両親達の顔を思い浮かべる。
 不倫はしている。しかもあの様子だとお互い公認で。だから母たちに尻に敷かれていても、男女の関係で仲が悪くなったことは滅多にない。

「喧嘩はしてないんだけど」

「仮の話なんでしょ?」

 ゆかりは口の中の物を飲み込んだ後、勝ち誇ったように顔を上に向ける。

「むぅ」

 してやられたとむくれ顔を見せる。その不細工な顔をゆかりは笑って、

「親のことは親が決着つければいいことでしょ。それより放課後遊びにいこーよー」

「うーん……」

「考えても仕方ないって。カラオケ行って発散しよっ」

「……わかったよ」

 夕凪は根負けしたようにうなずいていた。
 悩んでいることは違うと、その日の最後まで口に出すことはできなかった。




 フリータイムのカラオケは流行りの音楽が狂ったように流れ続けていた。
 ドラマ、アニメ、映画。半期も過ぎれば旬じゃないとなじられ消えていく。運よく再燃することもあるが、話題性がないとどれほど素晴らしい楽曲も拾い上げてもらえない。
 インスタントに大量消費されていく音楽は心揺さぶるよりも娯楽性を重視されていた。
 午後四時から始まった少女たちの熱唱も二時間を過ぎた辺りで急に熱が引いていた。
 次に何を歌うか決まっていないなか、ドリンクバーからゆかりが帰ってくる。プラスチックのグラスを二つ持ち、片方を夕凪の前に置いてソファーに腰かけていた。

「ん、ありがと」

 タブレットに目を向けたまま謝辞を述べる。ゆかりはストローにつけた口を離すと、

「そういえばさ、二組の中山、他校の男子と付き合ってるらしいよ?」

「マジで!?」

「マジマジ。塾が一緒なんだって」

 ゆかりが事務的に言う。
 頭に思い描くのはぽやぽやとしたはっきりしない少女の顔だった。引っ込み事案で主張のない、悪く言えばいもっぽい牧歌的な女の子。それが男子と付き合っていると、二歩も三歩も前に進んだ大人の品格があるように思えて、夕凪は絶句していた。
 まじかぁ……
 相手はどんな人なんだろうか。なんとなく似たような雰囲気の人物像が浮かんで笑いが込み上げてくる。
 それでも恋愛をしているということは同年代の女子からすれば憧れの対象だ。

「へぇー、いいなあ」

 夕凪はさほど興味がないという雰囲気を醸し出しながら相槌を打つ。
 向かいに座るゆかりはただ笑っていた。タブレットから見える彼女の顔に目を細めると、

「夕凪には無理じゃない?」

「なんでよ」

「だって塾いかなくてもいいくらい頭いいじゃん」

 そういうことじゃない、と首を横に振る。
 彼氏が欲しい、恋愛がしてみたいだけで会って塾に出会いを求めているわけではない。
 それに、

「そんなの高校に行ったらあっという間に抜かれちゃうよ」

 本当に頭のいい人は中学のうちから高校、その先の勉強をしているものだ。今の勉強で満足しているだけでは敵わないと身をもって体感していた。

「そんなもん?」

「そんなもんだよ、ゆかりも勉強したら?」

 決めかねてタブレットを置いた夕凪は前に視線を向ける。
 ゆかりは、んっと喉を鳴らす。目を細めて頭の後ろで腕を組むと、

「……私はいいかなぁ。頭悪くっても死ぬわけじゃないし」

「やりたいことできなくなるよ?」

「やりたいことねえ……なんも浮かばないなあ」

 ゆかりは天井を見上げてつぶやく。
 身の入っていない返答に、夕凪はため息をついて、

「そんなんでいいの?」

 問うと、

「もう、おかんみたいなこと言わないでよ。そこまで言うんなら夕凪は何かあんの?」

 逆に聞き返されて、夕凪は言葉に詰まる。
 諭すような言い方になっていた。しかし逆の立場になってみると頭の中は空っぽだった。
 嫌な汗がにじむ。羞恥に顔がほてる。
 情けないと思っても嘘だけはつきたくなくて、

「……ごめん」

「ちょっと、マジになんないでよ」

 ゆかりは笑っていた。手を振って気にしてないからと軽く言う。
 そして、
 
「あー彼氏ほしー。お金も欲しいし学校いきたくねー」

「だだもれ」

 突然話題を変えたゆかりに、思わず笑ってしまう。
 気を使わせた。それが少しだけ申し訳なくて、夕凪は目の前のグラスに少しだけ口をつけた。
 ゆかりは目を閉じて身体を左右に振っていた。何をしているのか問う前に、

「夕凪ってさ――」

 声がして、目を合わせる。
 薄く閉じた目がきらりと光っていた。口元は大きく弧を描き、白い歯をのぞかせていた。
 こわっ……
 例えようのない恐怖に背筋が震える。ろくでもないことを考えているなと若干身を引くと、ゆかりは唐突に立ち上がっていた。
 目だけはそらさずに、夕凪の隣に座る。ぐっと沈んだソファーに、夕凪は引っ張られないように身体を踏ん張っていた。
 今だけは近寄りたくない。そんな思いは向こうから破られる。

「――実は男だったりしない?」

「いきなりどうした?」

 ゆかりは軽く腰を上げて拳一個分の距離をピタリと詰める。スカートが尻で踏まれ、遠ざかることもできない。
 ぴたっ。
 露出したふとももに手が触れる。コップの結露で湿った指が冷たい。
 艶のある目が夕凪を見ていた。かすかに開いた口からはなまめかしい舌が覗いている。
 顔が近づいてくる。夕凪は背をそらして逃げるも、相手のほうが早く迫る。
 そして、

「あっ、んぅ!?」

 ほとんどふくらみのない左の胸にゆかりは触れていた。それは寄せ上げるように力強く、先端の敏感な所を下着越しに押しつぶす。
 やめてよ…冗談でしょ……?
 震える吐息は声にならず、ふとももをなでる指が徐々に上へと、スカートの中に向かって――

「――っだあぁっ!」

「おごっ!?」

 夕凪は首を思いっきり後ろにそらして、勢いをつけて戻す。
 金属同士の衝突にも似た音が頭の中で響く。人生で初めての頭突きは目の奥から痛みがにじみ出て、血液が流れるたびにやすりをかけたようなしびれが全身に回る。
 胃からこみあげてくるものを必死で抑えながら、

「……ちょっと! 脳みそでも腐った!?」

 夕凪は罵声を浴びせる。
 目に涙を湛えて頭を押さえるゆかりは、

「だって、夕凪が男なら私を彼氏にしてくれるかなって」

「仮に男でもしないっての!」

「なんでよ。これでもスタイルには結構自信があるんだけどぉ」

 ゆかりは自慢の胸を強調していた。
 同年代と比べて一回り以上大きく育ったそこを見て、夕凪は息を飲む。自分の胸に手を当て、圧倒的な格差に眉間にしわを寄せた。
 ゆかりが胸の下に手を当てていた。ぐっと軽く持ち上げると手を離す。それだけでたゆんと揺れる乳房を見せつけられて、
 ……これからだしっ!
 夕凪の母、一紗の胸は大きい。遺伝が正しければ、自分も期待できるはずなのだ。
 ただ両親の事を思い出して、夕凪は顔を下に向ける。例えようのない不快感と居心地の悪さを思い返していた。
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