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第36話 左近4

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 日が暮れて、夕暮れが闇夜に近づくころ、一紗と和は外にいた。
 自宅近くのスーパーからの帰り道。和の持つ、後ろで転がすキャリーカートには大量の戦利品が入っていた。

「今日のご飯どうする?」

 並走する一紗に問いかける。彼女は和を一瞥すると首を傾げていた。

「どうするとは?」

「あーやっぱり。今朝の話聞いてなかったでしょ。晴人と海、今日から旅行だよ?」

 和の言葉に一紗は首をさらに寝かす。
 呆れ顔の彼に、まぁいいさとつぶやいて、

「旅行か……」

 ぽつりと飛び出した言葉に、

「いいよねぇ」

 感情のこもった相槌《あいづち》が返ってくる。

「そうか?」

「あれ、嫌い?」

「移動が面倒くさい」

「また身も蓋もないことを……」

 眉を寄せて困ったような表情とは裏腹に、和の口元は小さく緩んでいた。
 夕暮れの明かりが背中を押すなか、二人はゆっくりと帰路に着く。次第に言葉も少なくなり、そしてどちらともなく手が伸びて浅く繋いでいた。
 その時、

「ん?」

 短い呟きと共に一紗がきゅっと手を強く握る。
 そして細く冷たい指がほどけるように逃げて、前を指さしていた。

「あれ、食堂のあいつじゃないか?」

 その発言に従い、和も前方を注視する。
 人通りがまばらな道では対象は見つけることに難はなかった。十メートルよりは向こう側で背中を丸めてたどたどしく歩く少年の姿があった。

「うーん……あんな小さかったっけ?」

 和が疑問を口にするも、一紗は話を聞かずに大きく手を振っていた。

「おーい、そこの」

「……んだよ」

 立ち止まり、振り返った左近はあからさまな表情を向けていた。
 不機嫌さを前面に出した視線に臆《おく》することなく一紗は、

「これから飲もうぜ」

 近寄ってその肩を組んでいた。
 それを鬱陶しげに跳ねのけると、左近は二歩下がる。

「行かねえよ」

「なんだよ辛気臭い顔して。捨て猫みたいだな」

「まじでさ、いい加減にしろよ」

 口調に怒気が混じる。左近は一紗に肉薄《にくはく》するとその胸倉《むなぐら》を掴み上げていた。
 喉元を押さえられているにもかかわらず、彼女は余裕そうに笑みを浮かべたまま、

「ほう、やるか?」

 ポケットから取り出した折りたたみのナイフを広げ、その切っ先を左近の腹に向けていた。

「ちょっ──いったぁ……」

「おいおい、バカなのか?」

 ブラフだ、刺すわけが無い。キラリと反射する刃先を見下ろしていた左近は、外から伸びる手がナイフを隠すように掴む所を見ていた。
 指の隙間から赤い汁が漏れ出している。痛そうだと呑気に考えていると、和は一紗の手からナイフを取り上げていた。

「こんな往来でナイフなんて出しちゃダメだよ。警察に見られたら捕まっちゃうじゃん」

「問題はそこじゃねえだろ……」

 痛がりながらも軽い感じで叱る彼に左近は一抹《いちまつ》の恐怖を感じていた。
 ズレている。普通じゃない。さもそうするのが当然だと躊躇《ためら》わない様子はいきなり何を仕出《しで》かすかわからず不安にさせる。
 そんな彼に一紗は血塗れの手を包んでいた。

「や、和。大丈夫か?」

 手も声も震えていた。
 
「大丈夫だよ。」

「ち、血が、痛くないか? 早く、救急車呼ばないと」

 おろおろと狼狽《ろうばい》する彼女は真っ赤になった手を気にすることなくスマホを探していた。白いシャツがどんどんと赤に染まっていくが、なかなか探し物は見つからない。
 そのみっともない姿に左近はため息をつく。

「……あぁ、もう見てられねえよ。あんたんちはこっから近いのか?」

「うん、すぐそこだよ」

 気楽な当事者は朗らかに笑って、マンションを怪我のないほうの手で指さしていた。




「これでいいだろ」

 部屋に着き、救急箱から取り出した包帯を巻き終えた左近は結び目を見てそう告げた。
 些《いささ》か不格好な巻き方にも和はありがとうと笑みを浮かべていた。

「……こんなのでいいのか?」

 様子を眺めていることしか出来なかった一紗が尋ねる。傍から見れば全身に赤い手形をつけた彼女の方が重傷に見えた。

「刺した訳でもねえからな。それより狼狽《うろた》えすぎ」

「……死ぬかと思ったんだ」

「じゃあナイフなんて持ち出すな」

「……わかった」

 一紗は素直に頷いていた。
 ……わかんねえな。
 しおらしい彼女を見て左近は頭を悩ませていた。
 普段の言動とはかけ離れた、肩をすぼめる様子は借りてきた猫よりも静かだった。不遜《ふそん》な態度を見てきた彼女には似つかわしくなく、どちらかが偽物なのではという疑念すら生まれていた。
 それは左近よりも長くいる和も同じなようで、

「ありがとねぇ。こんなふうになるなんて知らなかったから」

「お前はお前でなんでそんなに他人事なんだよ」

「そんなふうに見える?」

 左近は即座に頷いた。
 気持ちが悪い。常識と非常識を反復横跳びしているかのような感覚に酔いそうだった。
 だからこれ以上一緒にいるのは避けようと、左近は立ち上がる。

「どっちでもいいけどよ。じゃあ帰るわ」

「あれ、帰るの?」

「普通帰るだろ」

「お詫びにご飯食べていかない? 一紗が四人分買っちゃったから余ってるんだよね」

 四人分。その言葉に左近は引っかかる思いを覚える。
 部屋を見渡すとそこはリビングで、おおよそ学生二人で住むには広すぎるように見えていた。繋がる扉も多く、間取りは子供のいる家庭を想像させる。
 子供がいる可能性も否定は出来ないが、それよりも容易に考えつくのが、

「……ルームシェアか」

「そうそう、そんな感じ」

 和がにこやかに答える。
 ……まじか。
 他の住人を想像しようにも検討もつかないが、一癖以上はありそうだと勝手な確信があった。
 出来れば関わりたくは無い。ただそれ以上に帰って一人家にいる気持ちになれなくて、

「……ま、いいか」

 一瞬の気の迷いから左近はそう答えていた。
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