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第38話 左近6

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 二人が言い合いをする中で左近は嫌になるほど冷静になっていた。
 ……そうか。
 悪かったのは自分か。先に諦めたのは自分だったのか。
 思い返してみれば父が茶道を強制したことはほとんどなかった。練習をさぼっても怒られることも無く、代わりに弟の指導に熱が入っているようだった。
 それが子供ながらに寂しくて、ますます練習から距離を置いていく。自分で引き起こした悪循環に気づかずただひねくれていく毎日はとうとう夜遊びして家に帰らなくなるまでになっていた。
 勘当と言っても自分から家を出ていったことの言い訳に使っているに過ぎず、再度家に招かれた時ですら関係を繋ぎ止めようと向こうは案を出していた。やり方は別として一方的に拒絶していたのはいつも左近の方だった。
 馬鹿みたいではなく本当に大馬鹿者だ。適度に酔った頭はそのことを意固地《いこじ》にならずに頷かせる。

「いや、そいつの言う通りだよ」

「そんなことないって。何か違う理由があるんじゃない」

「変な気休めはやめろ。ズバッと斬ってくれた方がなんぼもマシだ」

「そうだぞ」

 ……うーん。
 遠慮のない一紗の物言いに、素直に感謝することが出来ない。
 それを受けて和は口をへし曲げて、

「……わかった」

 どうにか絞り出すように声を出していた。
 気持ちはよく分かると目を向ければ仕方がないんだと手を挙げる。お互い苦笑する様子を見て一紗はテーブルの下で和の足を蹴っていた。
 少し痛がる彼をよそに、

「しかしそう考えたらむしろ気が楽になったなぁ。自分のせいなら仕方ねえし」

 左近は頭の後ろで手を組んで、背もたれに身を預けていた。
 原因はわかっても解決することは無い。覆水《ふくすい》盆に返らず、仕出かしたことは取り返しのつかない所まで来てしまった。しかし誰かを恨んで生きていく必要がなくなったことに気分は良くなっていた。
 そんな左近に一紗は笑みを投げかけて、 

「で、だ。お前が良ければ一緒に住まないか?」

 その一言を直ぐに理解出来ず、十二分に吟味《ぎんみ》してから、

「……なんで?」

 左近は首を横に倒しながら尋ねていた。
 それに対して一紗は一言、

「何となく」

 ……なんとなくって。
 そういうものなのだろうか。誰かとルームシェアをした事の無い左近には勝手が分からず、しかし首を横に振る。

「そこまで面倒になんかなれねえよ。これでも感謝してるんだぜ、マジで」

「うるさい」

「なんでだよ」

 無茶苦茶な話の流れにむしろ笑いが込み上げてくる。
 次に一紗が何を言うかすら分からず、その表情からも伺うことが出来ない。何故か眉間に皺を寄せ不快感を顕にした様子の彼女は、

「自分を卑下するな。迷惑なんてかけられる時にかけとけばいいんだよ。私はな、勘当されたのはお前に理由があるって言ったけど勘当されたことを悪いとは言ってないぞ。たまたま一つ上手くいかなかっただけなのに全部が全部諦める必要なんてないんだ」

 一つって……
 一つどころではないんだと言っても無駄だと思い左近は口を閉じる。
 本質はそこでは無いからだ。やり直せるのではなく、受け入れて前を向けと。不器用な言葉でも伝えたいことくらいは理解出来ていた。
 いつぶりか、自分を受け入れるような言葉に絆されそうになる。そんな気持ちを一掃したのは和だった。

「そうだよ。皆でいた方が楽しいし、大学だって辞めない方がいいよ」

「な? これでも本人は説得しているつもりなんだ。笑えてくるだろ?」

 平々凡々な言葉は恐ろしい程心に刺さらない。毒にも薬にもならない彼を一紗が気に入っている理由が左近には分からなかった。
 ただ熱意だけは伝わり、

「こんな、俺でもいいのか?」

「知らん。そもそも今日あったばっかの人間のことなんて分かるわけないだろ。合う合わないはしばらく過ごしてから考えればいいんだよ」

 言っていることは確かにその通りだったが調子を外すような言い方に戸惑いと彼女らしさを感じていた。

「あ、ありがとう……」

 その一言を皮切りに一紗は立ち上がり、手を叩く。

「さて、そろそろ縁もたけなわだし風呂に入って寝るか」

「そうだね。僕が晴人の部屋に寝るから、僕のベッド使って」

「お、おう」

 同じように和も動き出していた。彼はテーブルの上に残ったゴミをまとめだしていた。
 素早い動きは示し合わせていたようで、左近は呆気にとられているその様子を眺めているしかなかった。

「えっと、片付けとパジャマ用意して……あ、サイズ合わないか」

「そこまでしなくていい」

 まるで母親のように甲斐甲斐しく世話をやこうとする和を左近はどうにか制止する。
 ……怖いって。
 誘われたというより引きずり込まれているような躊躇いのなさに早まったかなと、左近は考えていた。




 風呂に入り、同居人の一人の服を借りて、左近はベッドに入っていた。
 干したばかりという布団は変な匂いもなく、柔らかい。部屋は狭く、しかし寝るだけなら不自由はなかった。
 ……うーん。
 常夜灯《じょうやとう》で照らされた知らない天井を左近は眺めていた。
 どうしてこうなったのか。水を浴びて酔いの覚めた頭で考える。
 これから待つ生活苦を考えれば渡りに船な話であった。共同生活もある程度なら我慢出来るだろうし、本当に駄目なら当初の予定通り安い所か住み込みかを考えればいい。
 それよりもしっかりと納得しないまま状況に流されてしまったことに強い抵抗を覚えていた。条件が悪いという訳ではなく、自分の意思でお願いしていないことにもやもやするのだ。
 大したことじゃないんだけど……
 今更断る気もなく、ただの自己の問題だった。そういうところが小さいんだよなと自己嫌悪していると、
 トントン。

「ん? どうぞ」

 ドアをノックする音に、左近は視線を向ける。
 既に日も変わる頃、異常なほど構う和のせいで不自由は無い。ならば誰だろうかという疑問は直ぐに解消される。

「よお」

「なんだよ……っ!?」

 一紗がそこにいた。
 ただその服装は、いや服装と呼べるものでは無く、ただバスタオルを巻き付けているだけに過ぎなかった。浮き出た鎖骨が目に入り思わず左近は目を背ける。

「なんて格好で──」

「静かに。もう夜なんだ」

 しっと、短く息を吐いて彼女は口に指をつける。

「そうじゃないだろ、何しに来たんだよ」

「ナニしに、だろ?」

「ちょっと待って、待ってくれ。理解が追いつかない」

 蛇のように尖った瞳で笑う一紗に、左近は手を伸ばして訴える。
 ……なんだこれは?
 彼女がそういう女であることは知っていた。だからといって初日からこうなるとは思ってもみなかった。
 認識が甘かったのか、一紗が非常識なのか。どちらにせよ感じている身の危険だけは正しいものだった。
 一紗はこの状況を楽しむように笑い、

「いいぞ。座らせてもらうけど」

 一言告げると、躊躇なく部屋に入って静かに戸を閉めた。
 パタンという音が逃げ場が無くなったことを示しているようで左近は生唾を飲む。一紗はそのままベッドまで来ると腰かけて、顔を向けていた。
 少しでも距離をとるように左近は寝ていた身体を起こす。その抵抗も虚しく彼女は擦り寄ってきていた。

「……あいつに悪いとは思わないのか?」

「全然。久しぶりに早くから寝れるって喜んでたぞ?」

「……やっぱおかしいって」

 和が笑顔で布団に入る姿が容易に想像出来て困る。
 絞り出すようにして出した言葉に彼女は身体を寝かせながら、 

「おかしいおかしくないの話じゃないんだよ。やるか喰われるかの話なんだ」

「一緒じゃねえか!」

 ほとんど叫びになった声に、一紗は指を左近の口に当てる。
 そして片目を閉じて、

「どうしても嫌なら目隠しくらいは用意するぞ」

 ……いやいや。
 マニアックな提案に左近は首を振る。

「やらないって言う選択肢はないのか」

「ないな。ないない」

 謎の断言に自然と目が細くなる。
 すると一紗は首を傾げて、

「それとも付き合ってる人がいるとか?」

「いたらここには来ねえよ」

「そうか、なんか複雑そうな家だから許嫁《いいなずけ》でもいるかと思ったけどそんなことないんだな」

「古いなぁ」

 左近はふぅと息を吐く。
 郷に入れば郷に従えということなのだろうか。少なくとも、彼女は逃がす気はないようだった。

「さて、そろそろいいか?」

「……本当にするんだな?」

「安心しろ、後日もう一人控えてるから」

「そりゃ素晴らしいことで」

 何故か確定している予定に疑問しか浮かばないが、そういうものと諦めるしかないようだった。

「だろ? 今日はその前哨戦だ」

「それは失礼だろ。ほら、来いよ」

 左近は掛布団を剥いで寝床に招き入れる。
 顔と身体だけ見ればそこら辺のものとは比べるのも烏滸《おこ》がましい程の美人だ。それが誘ってくるというのに無下にできるほど枯れてはいない。
 一紗は這って左近の胸に顔を埋めていた。そして手を股間に這わせると、ふっくらと主張し始めた陰部に笑みをこぼす。

「ふっ。なんだ、ここはもう乗り気じゃないか」

「そりゃそうさ、こんな美女のお相手が出来るなら男冥利に尽きるってもんさ」

「ただの美女じゃないぞ。エロい事が大好きな美女だ」

「自分でそれ言うか?」

「好きだろ、こういうの?」

 手玉に取るような笑みに頬をふくらませた左近は彼女の身を強引に抱きしめ、顎を引き上げるとその唇を奪っていた。
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