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第41話 左近9
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翌朝。
柔らかいスポンジで身体を洗われているくすぐったさと、ふかふかのパンに包まれている温かさを感じて、左近は目を覚ましていた。
……夢か。
雲の上にいたのは幻で、現実はスプリングのきいたベッドの上だ。黄色い陽の光が差し込む中で半分目を開ける。
馴染みの薄い内装だ。もやのかかった頭はそれについて深く考えることをやめていた。
大きく息を吸い、また大きく吐く。それだけで全身を襲う気だるさに再び目を閉じていた。
……んん?
違和感に気付いたのはその直後だった。股が濡れている。柔らかいボールを押し付けられた陰茎が震えていた。
重い頭を少しだけ浮かせて、腹部を見下ろす。なだらかであるはずのそこは人の頭ほどの膨らみがあった。
布団をはぐと案の定、何故か一紗がいた。
「……何してんだ?」
目を閉じて、陰茎をその立派な胸で挟み込み、少しだけ見えている亀頭をやる気無く咥えている。
赤ん坊のおしゃぶりのようで、それにしては口にしているものが凶悪だった。
「あさだちふぇら」
「……はい」
そして左近は考えることを止めた。
「ん、あむあむ、じゅる……」
意地でも離さない一紗から目を逸らし、もう一度枕に頭を沈める。これは夢だ、こっちのほうが夢なんだと念じていると、
コンコン。
ドアをノックする乾いた音に、ようやく口を離した彼女が答える。
「ん、いいよぉ」
「いや、まっ──」
「おはよー。よく寝れ……ては無いよね」
ドアが開くと、そこにはパジャマ姿の和が立っていた。状況を視認していち早く理解した彼は苦笑いを浮かべていた。
「まぁな」
「ごめんねぇ。無理させたでしょ」
「そう思うならこのカミツキガメをさっさとどかしてくれよ」
いつの間にかまた股間に顔を埋《うず》めていた一紗を指差すと、両手を広げて肩をすくめる和は部屋に入ってくる。
昨日からずっと裸でいることには慣れたが、それでも男に肌を見られることが急に恥ずかしく思えて、腕を身体に絡ませ隠す。その姿に和は目もくれず一紗の肩に手を置いて揺すっていた。
「一紗ぁ。シーツ交換するからどいてー」
「やら」
「やだじゃないの。ほら」
なかなか動こうとしない一紗に、慣れた手つきで和はその腕を握ると、自分の身体を倒すようにして引っ張りあげる。起こすと言うよりかは収穫に近い動作にうーと唸る一紗を、和はあやす様に抱きしめて頭をなでていた。
「……ちゅーしろ」
「はい、ちゅう」
「……やけに素直だな」
むしろこいつは誰と入れ替わったのかと、疑いたくなるほどの光景だった。
昨夜の淫魔っぷりはなりを潜めて、子供のように甘えている。そのことをすぐには受け入れることが出来なかった。
和は腕に一紗を抱きながら、洗濯物を器用に回収していく。当然左近の下に敷かれているシーツも対象なので、急かされるように移動するなりそそくさと床に落ちたパンツを履く。
「朝だけね。寂しがり屋なのに外ではいい格好したがるから」
和の口から出た言葉が指す先が一紗であることは容易に想像がついた。しかし、それが昨日までの彼女とは一致せず、その疑問が思わず口から漏れていた。
「誰の話だ?」
「ん? どういうこと?」
その問いに和は首を傾げる。
……うーん。
同一人物の評価の違いに腑に落ちない気持ち悪さが拭えない。ぬいぐるみを抱くように和へ身体を絡ませる一紗は美しさだけは変わらず、後は見る影もなかった。
そんな彼女はひとしきり甘えた後、
「やまとぉ。ふろつれてってー」
首にぶら下がって薄い胸板に頬擦りをしていた。
多くの男性が羨望の目を向ける状況にも和ははいはいと軽く受け流し、彼女を抱え直していた。
「よいしょっと。あーあ、フローリングまで汚して。雑巾がけだなぁ」
「やっておくよ」
「いいの? 悪いね」
原因の一部が自分であることの自責の念からでた言葉に和は笑顔で答えていた。
あらかた回収が終わり、出ていく二人の後ろ姿を眺めていた左近は、閉じた扉を見つめながら、
「……お似合い、なんだろうなぁ」
小さく、誰に向けたものでも無い声でぽつりと呟いていた。
その日の夜のこと。
夕食を終えて三人が後片付けも済ませた後、玄関のほうから鍵を開ける音が鳴る。
直後、
「ただいまー」
甲高い女性の声がリビングに響き渡り、床を叩く音とともにリュックサックを背負った女性が現れる。
海だった。彼女は遅れて入ってくる晴人と共に肩の荷を降ろしながら、固まった身体を解すように背筋を伸ばしていた。
「おかえりー」
「ん。あー、疲れた……って誰?」
和と挨拶を交わし、続く流れで肩を回していた彼女は部屋に居ないはずの第三者を見つけて、凝視していた。
その声に後ろでリュックサックの中身を広げていた晴人も頭を上げる。居心地悪く居座る左近は苦笑しながら二人に手を振っていた。
「おい、あれって『狂犬』じゃないか?」
「『狂犬』……?」
「えっ、そうなの?」
晴人はそう海に耳打ちする。それを聡《さと》く拾った一紗は首を横に倒し、和はへぇと感想を漏らす。
……知らなかったのか。
そういえば言ったことも言われたこともなかったと左近は思い返していた。一紗と同様学内ではそれなりに不名誉な知名度があるため、言わずとも知られていることが多い。それに自分からいちいち狂犬ですと言って回るほど恥ずかしい真似は出来ない。
二人は警戒をにじませた表情を浮かべていた。それも仕方ないと思いつつ左近は柔らかい表情で肯定する。
「あ、あぁ。そう呼ばれているみたいだな」
その言葉を受けて、海は額を押さえて目を瞑る。そしてすぐに一紗を睨みつけると、
「知らなかったんかいっ!」
「もっと大きい奴だと思ってた」
「僕も……」
言い訳に、海の言葉が詰まる。
……あるある。
噂話ばかりが先行して、実物を見て驚かれることは多々あった。コンプレックスでもなんでもないが、身長を見て舐めてかかってくる馬鹿は何度も床を舐めさせてきた。
左近が初めて人を殴ったのは中学三年の時だった。家のこともありクラスで浮いていた彼とは別に一人、虐められている生徒がいた。ちょうどその前日に大きな失敗をしてむしゃくしゃしていたところに、なんのわけか突き飛ばされた名も知らぬそれが左近の机をなぎ倒していた。
突如肘をついていた台がなくなり、ぼおっとしていた左近は前に倒れる。あまりにも突然のことで頭が真っ白になり、気がついたらそいつに馬乗りになって何発か殴っていた。
そして気付いた。拳を痛める度に頭のもやが少しづつ晴れていくことに。
泣き腫らすそれを置いて、左近は初めて湧いた衝動に身を任せる。怯えが混じる目が見つめる中で好奇に満ちた視線に目をつけて左近は拳を振りかざす。
ろくでもない自己弁護など聞く気もなく、殴る蹴るを繰り返す。反撃されることもあったがその分上乗せして徹底的に心を折っていく。
そして、最後に立っていたのはボロボロの血塗れになった左近だけだった。
喧嘩はいい。勝敗も分かりやすく人の評価に左右されない。それ以来、鬱憤が溜まる度に誰彼構わず当たり散らすようになっていた。
……自業自得なんだけどねぇ。
勿論そんなことをしていたら家族にも迷惑がかかる。周りからも人が離れていき、最後に胸中に残っていたのは虚しさだけだった。
それ以来、初対面の人からはまず間違いなく距離を置かれるようになっていた。しかし海は喉から出かかった言葉を飲み込んで、大きなため息をつくと、
「はぁ……まぁいいわ。で、その人がなんで家にいるのよ」
「同居することにした」
一紗が短く答える。
海は一瞬ぽかんと口を開いていた。すぐに閉じて、左近と一紗を交互に見てから、
「なんで?」
引きつった笑みを浮かべて首を傾げていた。
「楽しそうだろ?」
「そうだねぇ」
一紗は言葉を投げかける。受け取った和は言葉通りの表情を浮かべていた。
「いやぁ……どうなんですかねそこんところ」
「よ、よろしく」
晴人が頭を掻きながら疑問を口にする。その目は左近に向けられていた。
頭を下げてお願いするしか出来ず、場を紛らわす乾いた笑いが口から零れる。
「一紗」
海は刺すような口調で言うと、玄関を指差し、
「元いた場所に戻してきなさい」
「やだ、こいつはここで飼うんだ」
雑な取り合いが始まっていた。
「もう、捨て犬じゃないんだから失礼だよ」
和が二人の間に立って諌める。
……捨て犬か。
大きく間違ってもいないなと苦笑する。そんな当事者を他所に、取っ組み合いの喧嘩になりそうな雰囲気の二人は、一紗が先に視線を外して、
「晴人はどうだ? 同居に賛成か、反対か」
矛先を第三者に向けていた。
「俺か!?」
「お前も一員なんだから当たり前だろ。あ、保留は駄目だからな」
釘を刺されて、晴人は目線を泳がしていた。
口を開くことを躊躇う彼は、女性二人を交互に見た後、
「……和がいいならいいんじゃないか?」
当たり障りのない保身に逃げていた。
「なんで僕なのさ」
「信頼してますよ、旦那」
「調子のいいこといって、もう」
和は不満そうな言葉とは裏腹に笑みが見え隠れしていた。
……ん?
友達にしては対応が気安すぎるような気がして、もやもやっとする。具体的に言えばまるでカップルのような──
……なわけないか。
なわけない、なわけない。邪念を振り払うために首を振る。
晴人の返答を聞いた一紗は、にまーっと笑って、
「よし、三対一で可決だな」
「全会一致じゃないんだけど!」
海が強く叫ぶ。しかし見渡してもそれに同調してくれる人はおらず、
「──もういい、寝る! 後は勝手にすればっ!」
弾けるように飛び出していく後ろ姿を皆が目で追いかけていた。
「……大丈夫なのか?」
罪悪感を感じ、問いかける。
「ちゃんと話せば、多分……」
答えたのは和だった。そしてそこに被せるように一紗が口を挟む。
「出ていくって言ってないからな。ただの意固地さ。それよりお土産は?」
「……そういうぶれないところは感心するよ」
未開封のリュックサックに目をつけた彼女に、晴人がため息混じりに答えていた。
柔らかいスポンジで身体を洗われているくすぐったさと、ふかふかのパンに包まれている温かさを感じて、左近は目を覚ましていた。
……夢か。
雲の上にいたのは幻で、現実はスプリングのきいたベッドの上だ。黄色い陽の光が差し込む中で半分目を開ける。
馴染みの薄い内装だ。もやのかかった頭はそれについて深く考えることをやめていた。
大きく息を吸い、また大きく吐く。それだけで全身を襲う気だるさに再び目を閉じていた。
……んん?
違和感に気付いたのはその直後だった。股が濡れている。柔らかいボールを押し付けられた陰茎が震えていた。
重い頭を少しだけ浮かせて、腹部を見下ろす。なだらかであるはずのそこは人の頭ほどの膨らみがあった。
布団をはぐと案の定、何故か一紗がいた。
「……何してんだ?」
目を閉じて、陰茎をその立派な胸で挟み込み、少しだけ見えている亀頭をやる気無く咥えている。
赤ん坊のおしゃぶりのようで、それにしては口にしているものが凶悪だった。
「あさだちふぇら」
「……はい」
そして左近は考えることを止めた。
「ん、あむあむ、じゅる……」
意地でも離さない一紗から目を逸らし、もう一度枕に頭を沈める。これは夢だ、こっちのほうが夢なんだと念じていると、
コンコン。
ドアをノックする乾いた音に、ようやく口を離した彼女が答える。
「ん、いいよぉ」
「いや、まっ──」
「おはよー。よく寝れ……ては無いよね」
ドアが開くと、そこにはパジャマ姿の和が立っていた。状況を視認していち早く理解した彼は苦笑いを浮かべていた。
「まぁな」
「ごめんねぇ。無理させたでしょ」
「そう思うならこのカミツキガメをさっさとどかしてくれよ」
いつの間にかまた股間に顔を埋《うず》めていた一紗を指差すと、両手を広げて肩をすくめる和は部屋に入ってくる。
昨日からずっと裸でいることには慣れたが、それでも男に肌を見られることが急に恥ずかしく思えて、腕を身体に絡ませ隠す。その姿に和は目もくれず一紗の肩に手を置いて揺すっていた。
「一紗ぁ。シーツ交換するからどいてー」
「やら」
「やだじゃないの。ほら」
なかなか動こうとしない一紗に、慣れた手つきで和はその腕を握ると、自分の身体を倒すようにして引っ張りあげる。起こすと言うよりかは収穫に近い動作にうーと唸る一紗を、和はあやす様に抱きしめて頭をなでていた。
「……ちゅーしろ」
「はい、ちゅう」
「……やけに素直だな」
むしろこいつは誰と入れ替わったのかと、疑いたくなるほどの光景だった。
昨夜の淫魔っぷりはなりを潜めて、子供のように甘えている。そのことをすぐには受け入れることが出来なかった。
和は腕に一紗を抱きながら、洗濯物を器用に回収していく。当然左近の下に敷かれているシーツも対象なので、急かされるように移動するなりそそくさと床に落ちたパンツを履く。
「朝だけね。寂しがり屋なのに外ではいい格好したがるから」
和の口から出た言葉が指す先が一紗であることは容易に想像がついた。しかし、それが昨日までの彼女とは一致せず、その疑問が思わず口から漏れていた。
「誰の話だ?」
「ん? どういうこと?」
その問いに和は首を傾げる。
……うーん。
同一人物の評価の違いに腑に落ちない気持ち悪さが拭えない。ぬいぐるみを抱くように和へ身体を絡ませる一紗は美しさだけは変わらず、後は見る影もなかった。
そんな彼女はひとしきり甘えた後、
「やまとぉ。ふろつれてってー」
首にぶら下がって薄い胸板に頬擦りをしていた。
多くの男性が羨望の目を向ける状況にも和ははいはいと軽く受け流し、彼女を抱え直していた。
「よいしょっと。あーあ、フローリングまで汚して。雑巾がけだなぁ」
「やっておくよ」
「いいの? 悪いね」
原因の一部が自分であることの自責の念からでた言葉に和は笑顔で答えていた。
あらかた回収が終わり、出ていく二人の後ろ姿を眺めていた左近は、閉じた扉を見つめながら、
「……お似合い、なんだろうなぁ」
小さく、誰に向けたものでも無い声でぽつりと呟いていた。
その日の夜のこと。
夕食を終えて三人が後片付けも済ませた後、玄関のほうから鍵を開ける音が鳴る。
直後、
「ただいまー」
甲高い女性の声がリビングに響き渡り、床を叩く音とともにリュックサックを背負った女性が現れる。
海だった。彼女は遅れて入ってくる晴人と共に肩の荷を降ろしながら、固まった身体を解すように背筋を伸ばしていた。
「おかえりー」
「ん。あー、疲れた……って誰?」
和と挨拶を交わし、続く流れで肩を回していた彼女は部屋に居ないはずの第三者を見つけて、凝視していた。
その声に後ろでリュックサックの中身を広げていた晴人も頭を上げる。居心地悪く居座る左近は苦笑しながら二人に手を振っていた。
「おい、あれって『狂犬』じゃないか?」
「『狂犬』……?」
「えっ、そうなの?」
晴人はそう海に耳打ちする。それを聡《さと》く拾った一紗は首を横に倒し、和はへぇと感想を漏らす。
……知らなかったのか。
そういえば言ったことも言われたこともなかったと左近は思い返していた。一紗と同様学内ではそれなりに不名誉な知名度があるため、言わずとも知られていることが多い。それに自分からいちいち狂犬ですと言って回るほど恥ずかしい真似は出来ない。
二人は警戒をにじませた表情を浮かべていた。それも仕方ないと思いつつ左近は柔らかい表情で肯定する。
「あ、あぁ。そう呼ばれているみたいだな」
その言葉を受けて、海は額を押さえて目を瞑る。そしてすぐに一紗を睨みつけると、
「知らなかったんかいっ!」
「もっと大きい奴だと思ってた」
「僕も……」
言い訳に、海の言葉が詰まる。
……あるある。
噂話ばかりが先行して、実物を見て驚かれることは多々あった。コンプレックスでもなんでもないが、身長を見て舐めてかかってくる馬鹿は何度も床を舐めさせてきた。
左近が初めて人を殴ったのは中学三年の時だった。家のこともありクラスで浮いていた彼とは別に一人、虐められている生徒がいた。ちょうどその前日に大きな失敗をしてむしゃくしゃしていたところに、なんのわけか突き飛ばされた名も知らぬそれが左近の机をなぎ倒していた。
突如肘をついていた台がなくなり、ぼおっとしていた左近は前に倒れる。あまりにも突然のことで頭が真っ白になり、気がついたらそいつに馬乗りになって何発か殴っていた。
そして気付いた。拳を痛める度に頭のもやが少しづつ晴れていくことに。
泣き腫らすそれを置いて、左近は初めて湧いた衝動に身を任せる。怯えが混じる目が見つめる中で好奇に満ちた視線に目をつけて左近は拳を振りかざす。
ろくでもない自己弁護など聞く気もなく、殴る蹴るを繰り返す。反撃されることもあったがその分上乗せして徹底的に心を折っていく。
そして、最後に立っていたのはボロボロの血塗れになった左近だけだった。
喧嘩はいい。勝敗も分かりやすく人の評価に左右されない。それ以来、鬱憤が溜まる度に誰彼構わず当たり散らすようになっていた。
……自業自得なんだけどねぇ。
勿論そんなことをしていたら家族にも迷惑がかかる。周りからも人が離れていき、最後に胸中に残っていたのは虚しさだけだった。
それ以来、初対面の人からはまず間違いなく距離を置かれるようになっていた。しかし海は喉から出かかった言葉を飲み込んで、大きなため息をつくと、
「はぁ……まぁいいわ。で、その人がなんで家にいるのよ」
「同居することにした」
一紗が短く答える。
海は一瞬ぽかんと口を開いていた。すぐに閉じて、左近と一紗を交互に見てから、
「なんで?」
引きつった笑みを浮かべて首を傾げていた。
「楽しそうだろ?」
「そうだねぇ」
一紗は言葉を投げかける。受け取った和は言葉通りの表情を浮かべていた。
「いやぁ……どうなんですかねそこんところ」
「よ、よろしく」
晴人が頭を掻きながら疑問を口にする。その目は左近に向けられていた。
頭を下げてお願いするしか出来ず、場を紛らわす乾いた笑いが口から零れる。
「一紗」
海は刺すような口調で言うと、玄関を指差し、
「元いた場所に戻してきなさい」
「やだ、こいつはここで飼うんだ」
雑な取り合いが始まっていた。
「もう、捨て犬じゃないんだから失礼だよ」
和が二人の間に立って諌める。
……捨て犬か。
大きく間違ってもいないなと苦笑する。そんな当事者を他所に、取っ組み合いの喧嘩になりそうな雰囲気の二人は、一紗が先に視線を外して、
「晴人はどうだ? 同居に賛成か、反対か」
矛先を第三者に向けていた。
「俺か!?」
「お前も一員なんだから当たり前だろ。あ、保留は駄目だからな」
釘を刺されて、晴人は目線を泳がしていた。
口を開くことを躊躇う彼は、女性二人を交互に見た後、
「……和がいいならいいんじゃないか?」
当たり障りのない保身に逃げていた。
「なんで僕なのさ」
「信頼してますよ、旦那」
「調子のいいこといって、もう」
和は不満そうな言葉とは裏腹に笑みが見え隠れしていた。
……ん?
友達にしては対応が気安すぎるような気がして、もやもやっとする。具体的に言えばまるでカップルのような──
……なわけないか。
なわけない、なわけない。邪念を振り払うために首を振る。
晴人の返答を聞いた一紗は、にまーっと笑って、
「よし、三対一で可決だな」
「全会一致じゃないんだけど!」
海が強く叫ぶ。しかし見渡してもそれに同調してくれる人はおらず、
「──もういい、寝る! 後は勝手にすればっ!」
弾けるように飛び出していく後ろ姿を皆が目で追いかけていた。
「……大丈夫なのか?」
罪悪感を感じ、問いかける。
「ちゃんと話せば、多分……」
答えたのは和だった。そしてそこに被せるように一紗が口を挟む。
「出ていくって言ってないからな。ただの意固地さ。それよりお土産は?」
「……そういうぶれないところは感心するよ」
未開封のリュックサックに目をつけた彼女に、晴人がため息混じりに答えていた。
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