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忘れた世界
15.消失した煙
しおりを挟むside 副団長アーロン 【ミレナリア/北東・魔獣の森/転移発生直後】
シルヴェスターは友であり、騎士団を率いる団長だ。それは、幾ら時が経とうと変わらない――はずだった。
「シルヴェスター!」
あいつが森の地面に飲み込まれていくのを、ただ見ている事しかできなかった。
伸ばした手は空を掻き、魔獣の爪が振り下ろされるのを風で弾く。
「お前らの相手してる場合じゃねえんだよっ!」
魔獣を炎で無力化してすぐ、シルヴェスターが消えた場所に走り寄る。
「副団長、団長はどこに!?」
「俺が知るかっ! さっさと片付けて、探知が得意な奴連れてこい!」
シルヴェスターが消えた今、指揮は俺が執るしかない。逸る気持ちを抑えながら、魔獣を討伐する。
討伐後、探知魔法と陣に詳しい奴が連れて来られる。困惑している様子だが、そんなのは皆同じだ。
「どうだ?」
「団長の魔力は近くに感じられません。少なくとも、魔獣の森にはいないようです」
「陣の方は?」
「魔法の痕跡も残っていません。副団長を疑う訳ではありませんが、本当にあったんですよね? 地面に飲み込まれるような転移陣は、聞いた事がありません」
「どこ行ったんすか団長。団長の“吸って吐け”が合図なんすよ。あの声がないと、隊が息継ぎ忘れますって」
地面に手を当てさらに調べているが、やはりわからないようだ。
「一番早い騎竜で侯爵に報せ。他は二班に分かれて捜索。数人は最寄りの村に行け。どんな情報でも構わない、ただ内密にだ。侯爵家の嫡男が消えた――噂になれば、王都中の餌になるぞ」
どこ行っちまったんだよ、シル。
森の空気に、あいつの煙の匂いはもう残っていなかった。
――
side オルベルト侯爵 【アロネス邸/同日】
廊下から、執務室にまで響く足音。
書類から顔を上げ、扉を見やる。
「オルベルト侯爵様っ! シルヴェスター様が現在、行方不明に!」
「……詳細を」
慌ただしく執務室に来た騎士は、息を整え詳細を報告する。
「はっ。ミレナリア北東・魔獣の森にて討伐中、突如現れた転移陣に飲み込まれ消失。付近の捜索を続けていますが、森にそれらしき反応はありません」
「首謀者は」
「共に捜索中です。討伐には、転移陣を発動できる者は同行していません。加えて、単身での転移だったため、余程高位の魔法士の関与が疑われます」
「そうか。この件に関して箝口令を敷く。情報はどの程度広がっている」
「副団長の指示で内密に動いております。現在、団長の失踪を知るのは、討伐に参加した一部隊のみです」
「……アーロンか、機転の効く男だ。団員には、しばらくは後継者業務に専念する、とでも言っておけ。あの愚息の事だ。信じられないだろうが、何も言わないよりはましだ」
「はっ。承知いたしました」
「王都は、跡継ぎの噂に飢えている。情報は金貨と同価だ。漏らすな」
早足に執務室を退出する騎士団員。箝口令を敷いた今、捜索に参加できるのは、シルヴェスターの失踪を知る団員のみ。
彼奴は団員には殊更好かれている。逸る気持ちは分からないでもない。
しかし、面倒な事になった。後継を正式に公表しようとしてた折のこの事件。
未確認の転移陣。アロネス家の政敵か、個人的な恨みを持つ者か。
静かに控えていた執事長に指示を出す。
「リオンを呼べ。今は学院から戻ってきているな?」
「はい。かしこまりました」
しばらくして、入室を求める声が聞こえた。
「父上、何かご用ですか?」
「シルヴェスターが魔獣の森で失踪した。すぐに戻れば良いが、卒業までに戻らなければ、お前を後継者として公表する」
「兄様が失踪? それに、どういう意味ですか」
リオンは目を丸くして尋ねてくる。
「詳細はそこの執事長に聞け。彼奴は以前から、お前を後継者にと言っていた。領地経営はお前の方が向いているとな。それに、跡継ぎの空席は市場の暴落に等しい」
「それでも兄様には敵いません。私は兄様の補佐をするために、学院で学んでいるのですから」
「シルヴェスターが戻らなければ、補佐もないだろう。備えておけ」
――
side リオン 【同・執務室】
兄様の詳細を執事長から聞き、父に向き直る。
「神殿には、いえ。母上にはこの事を?」
「まだ知らぬ。知れば泣き喚くだろうな」
吐き捨てるように言う姿に、相変わらず冷酷な父だ、と思う。兄の失踪を、ただの損失として捉えている事がありありと伺える。
「いつ報せを?」
「時が来たらだ。聖女としての役目もある。やっと瘴気が落ち着いたのに、次は各地で魔素の減少だ。仕事を放り投げられたら敵わん。アイラには、大人しく神に祈っててもらわねば」
母、アイラは侯爵夫人であり、太陽神殿の聖女の一人でもある。瘴気の浄化に努め、領民から慕われる一方、結婚には恵まれなかった女性だ。
母は、魔獣の森を治めるアロネス家に政略結婚で嫁ぎ、瘴気がある程度治まった今、逃げるように神殿で暮らしている。
子供には慈しみを持っていたが、それだけだ。神殿で過ごした年月は、侯爵夫人になるには長すぎた。
「母の事はわかりました。しかし、兄様が戻らない場合は、どのように公表を?」
騎士団の士気の低下は避けられないだろう。
それに兄は優秀だ。掴みどころのない性格をしているが、その容姿や魔力量の高さから、釣書はひっきりなしに届く。
「後の面倒を考えると死亡、としたいところだが、失踪の方が彼奴にはしっくりくるだろう」
「そうですね。兄様が死ぬなんて考えもつかない。私の方でも、学院の転移史の講師に当たります」
兄は騎士団にも領民にも人気が高い。
ただ案外兄は、好き嫌いが激しい。求められれば、一応助けはする。ただ、「誰が好んで、人の人生なんて背負うか」と僕だけには言っていた。
縛られる事が苦手な兄。
きっとどこかで、今も煙を燻らせながら生きているはずだ。
そう願いながらも、兄が戻らない場合の段取りを思案し始めた。
――
side アイラ 【神殿・礼拝室】
広い礼拝室、太陽神ソルと月神セラフィの像が私を見つめる。
「……あぁ、私の子。ついに行ってしまうのね」
「聖女様、彼は予言通り彼方へ?」
「ええ。……招かれました。裏側へ」
彼方からしたら、此方が裏側なのでしょうけれど。
再度、二神に祈る。
「子を自ら手放す母を、どうか赦しはしないで」
けれど、きっと彼は言うのでしょう。「まあいい」と。
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