土の魔法使い

前田有機

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第9話 帝都の夜

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 フィルシの街を出たのが比較的早かったこと、フィルシの街から帝都までの距離が然程遠くなかったことが幸いし、ダーシェたちの宿泊先はほとんど障害なく決まった。
 そして、ダーシェたちは帝都の繁華街で夕食を取っていた。
「これ、あんまりあったかくない……」
 テレサががっかりした表情でシチューを掬っては戻し掬っては戻し、を繰り返している。
「君の選んだ店なんだから、せめてそれくらいは食べてよ」
 苦笑するダーシェの器もあまり量が減っていない。
「この店は、失敗だったかなぁ」
 店内を見渡すが、夕飯時にも関わらず店内にはダーシェとテレサの他はあまり客が見えず、空席の方が多かった。
 ダーシェも初め、店の小洒落た雰囲気、出来立てのパンが食べ放題というシステムに魅力を感じていたため、期待値の落差は大きい。
「この間食べたシチューの方がこっちなんかよりも全然美味しかったなぁ」
 変わらずテレサは愚痴りながらシチューを弄ぶ。
 あはは、と笑って受け流しつつダーシェは店内の様子を改めて眺めてみる。
 客入りは悪く、ダーシェたちの他には二組ほどしか客は見当たらない。店内に設置されているテーブルのほとんどは空席である。
 店員の動きにもイマイチ活気が見られず、洒落た店構えであるだけにかなりそれだけに勿体ない。
 見れば見るだけため息が出てしまう。

 やや暗い雰囲気でダーシェたちが食事を摂り、もうすぐ宿に戻ろうかという時だった。
「うっわ、ここ客少な過ぎるだろ!」
「帝都にもこんな時化た店があったんだな!」
 ゲラゲラと喧しい笑い声と共に五人組の男たちが入店してきた。閑散とした店内が瞬く間に彼らによって喧騒で満ち溢れる。
「軍人か……」
 乱れているが、彼らの服装は全てが同じもので、一目で彼らが何者なのかを証明する。
 さらに顔が全員赤くなっていること、やや覚束ない足元から相当に酔っていることが伺える。
 彼らはしばらく、店の入り口付近でたむろし、取り留めのない会話をダラダラと続けていた。
「なあ、姉ちゃん。いつになったら俺ら案内されんの?」
「え? あ、今、ご案内します!」
 ちょうど兵士たちの近くでパンを焼いていた女性店員が慌てて兵士たちを席に案内する。どうやら彼らはただ喋っていたのではなく、待たされていたらしい。
 兵士たちは遅えとか、この店の接客はどうとか悪態をつきながらも女性店員なや案内に着いていった。
 それまではよかった。
 女性店員が多少待たせはしたものの客である兵士たちを席に案内した。
 それまではよかったのだ。
 が、そこからが良くなかった。
「お前、舐めてんのか、あぁ⁈」
 兵士の一人の怒りが頂点に達した。その怒声は店中に響き渡るほどのものだった。様子を度々観察していたダーシェを除いた他の客、店員は皆びくりと肩を震わせ、驚いたようにその方を見た。
 聞いていた分だと案内した女性店員の説明の仕方があまり良くなかったらしい。実際、ダーシェたちが席に着いた時よりもかなり簡素で手を抜いたようにも見える説明に、ついに堪忍袋の緒が切れてしまったのだ。
「も、申し訳ございません!」
 激昂する兵士に対し、女性店員はひたすらにぺこぺこと頭を下げて謝罪の言葉を繰り返す。
 激怒する兵士の連れの兵士たちはニヤニヤとその場を面白そうに眺めている。
「こっちは客なんだぞ、なのになんだその態度は? 客はてめえらにとってただの金ヅルか? 少し待ったくらいじゃあそりゃ我慢するがよぉ、なんだ? その舐め腐った接客はぁ?」
 今にも殴りかからんという勢いだ。そんな怒りに満ちた表情の大男に怒鳴られれば年若い少女など正に蛇に睨まれたカエルのごとく何もできなくなってしまう。
 連れの兵士たちはまあまあとか、そんな怒るなとなだめてはいるがそんなものは気休めで本当に止めようという気など微塵も感じられない。

 そんな彼らの様子を見ていたダーシェはふと、袖を引っ張られる。テレサだ。
 テレサは目に涙を浮かべ、ギュッとダーシェの服の袖を握ってダーシェの方を見ていた。
「どうしたの、テレサ」
 ダーシェが尋ねてもテレサは弱々しく首を横に振るだけで言葉は何も返って来なかった。けれど、ダーシェにはそれだけで十分に伝わった。
「お代は渡しておくから先に宿に戻ってて。道は、わかるよね?」
「道は、大丈夫………。でも…」
「ごめん、テレサ。悪いんだけど、俺は少し用事ができたから。本当にごめんね」
「………………わかった」
 長い間のあと、テレサは頷き席を立った。あの恐怖に怯えた表情のテレサに付いていかなかった自分に後悔はあった。
 けれど、あの兵士たちはダーシェにとって降って湧いた幸運と言ってもいい。軍服から彼らはただの兵卒で、兵卒は戦場帰りではない限り食事は兵舎で摂る決まりがあるのだ。
 つまり、現在ダーシェの目の前にいるのは北の神殿を制圧した部隊の人員で、それは帝国軍の将、エンキの部下であることを示すからだ。
 テレサが店を出たことを確認し、席を立つ。その頃には兵士たちの下に店長と思しき男性もやって来ており、ひたすらに平謝りしていた。
 ダーシェは未だ怒り収まらぬ兵士の元にあえて響くように足音を立てて近寄って行った。

「失礼、あなた方は帝国軍に所属する人たちですよね」
 ダーシェのその呼びかけは一瞬にしてその場の空気を破壊していった。
 彼のその場違いな明るい声音はむしろ兵士の怒号よりも目立ち、そして彼の存在感は全員からの注目を浴びるほどだった。
「そうだけど、あんた誰?」
 兵士の一人がダーシェに尋ねる。
「俺はまあ簡単に言えば、先の戦いでの軍の凱旋式典を観に来たただの一国民ですよ。少し気になったのでお声をかけさせていただいただけです」
「なるほど、で何の用?」
 怒っていたのはやはり一人のみで他の兵士たちは近寄ってみて全くの冷静を保っていることがわかった。
「その軍服の階級章からあなた方が兵卒の人だってのがわかったので、あれ、なんでかなと思って」
「ああ、俺らはあんたの言う先の戦いに出てたからだ。それくらいはわかるよな?」
「やっぱり! いやぁ、嬉しいなぁ。帝国建国以来の悩みのタネを見事に打ち砕いた英雄に一足先にお目見えできるなんて!」
 多少大げさに、ダーシェは喜んで見せる。その様子に兵士たちは気を良くしたのか若干硬かった表情がすぐに柔らかくなった。
「煽てたって俺らはなんもしねえぞ? あー、お前らもう下がっていいよ」
 兵士の一人が先ほどまで仲間が叱責してしいた女性店員と店長を追い払う。
「せっかくだ、少し飲もうや」
 店員が下がると兵士の一人がダーシェに言う。
「ぜひ、ご一緒させてください」
 ダーシェは彼らと席を共にするのだった。
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