【完結】桜便り~十年越しの教師と生徒~

上条左腕

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第九十一話【共闘】

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 この幸せな恋愛は不倫だった。他人の不幸の上に成り立っている幸せだった。そうはっきりとわかった瞬間、あれ程までに焦がれていた彼への思いが一気に冷めて行くのを感じた。それと同時に猛烈な吐き気に襲われ、全てを吐き終わった後、私の彼に対する思いは憎悪に変わっていた。そして、愚かなことをした自分への膨大な嫌悪感。

「私があなたに接触したのは、謝って欲しいからではないんです」

 土下座する私の身体を起こし、美海さんは再び私に向き合い言った。

「あなたは、夫が既婚者だと知らなかったのでしょう?事前の調査で私も知っています」
「……そうですけど」
「三人の女性の中で、夫が既婚者だと知らないのはあなただけだった……だから、私に協力して欲しくて、今日、こうやって訪ねて来たんです」
「協力……?」

 美海さんは既に弁護士を通して他の不倫相手二人に対し慰謝料を請求済みだと言う。先輩に対しても離婚、慰謝料請求を準備中だということだった。そして、最後に私に会いに来た。

「夫が既婚者であることを隠し、あなたに精神的、社会的損害を与えたことに対して、不法行為に基づく損害賠償請求が出来ます」
「私が慰謝料を請求できるってことですか……?」
「そうです。その為に、夫とのメールやメッセージのやり取りの文面、渡されたプレゼント、デートの場所の記録など、証拠になるものが必要です。あなたが持っている夫の私物などがあれば、それも不倫の証拠になる場合もあります」

 淡々とした彼女の説明を、私は真剣に聞いた。

「……でも、良いんでしょうか?」
「え?」
「私、知らなかったとはいえ、先輩……いいえ、あなたのご主人と……」

 やはり気が引けた。知らなかったとはいえ、私は美海さんの夫とそういう関係になってしまった。なのに、彼女と協力するなんて……本当に良いのだろうか。私は本来、責められる立場なのではないのか?私がそう言うと、美海さんは少し黙った後に口を開いた。

「何も思わないと言ったら嘘になるかもしれない……でも、あなたは被害者だから。私と同じ、あの男の」

 その美海さんの真っ直ぐな目を見て、私は決心した。「良い返事を貰えて良かった」そう言って美海さんは帰って行った。
 美海さんが帰ってから、私は近くのコンビニへ向かった。そこで煙草を一箱購入し、家に帰って吸った。久々に吸う煙草はやけに美味しかった。ここで私は、この件に触れて初めて涙を零した。

 それから、とんとん拍子に事は進んで行った。
 先輩は美海さんと私の弁護士から正式に慰謝料を請求され、会社でも立場を失った。彼は会社では結婚指輪を外していた為、彼が既婚者であると知らない社員もいた。親しい人がいなかった私は、当然、そのことを知る由もなかったのだ。そして、私以外の不倫相手の一人が会社の人間であったことも露見した。
 先輩と不倫相手の女性社員は、社内調査で処分が下った。先輩は懲戒免職。女性社員は地方へ左遷された。

「お疲れ様」

 全て終わった後、私と美海さんは二人で居酒屋へ行った。ビールが並々と注がれたジョッキを合わせると、ゴクゴクと喉を鳴らし、体内に流し込んで行く。あんなことの後に飲むお酒は、いったいどんな味なのだろうと思っていたが、普通に美味しかった。寧ろ、いつもより美味しかったかもしれない。

「……大変だったよね、お互い」
「はい……あの、ありがとうございました」

 私は改めて美海さんに頭を下げた。それは謝罪の意味合いもあったが、感謝の方が大きかった。

「止してよ……もう終わったんだから」

 美海さんはそう言って、ジョッキに残っていたビールを一気に飲み干した。
 この短い期間で、私と美海さんの距離はかなり縮まった。美海さんは私に対していつの間にか敬語を止めていたし、私も「美海さん」と彼女を名前で呼んでいた。夫の不倫相手とその妻……妙な関係だったが、協力し合った間柄。少しばかり絆というものが芽生えたのかもしれない。

「私たちは、まだ若いんだから、いくらだってやり直せる……別に悪いことしたわけじゃないしね」
「私は……」
「知らなかったんだもん。全然、悪くない」

 美海さんの言葉に、私の心は少し救われた。不倫をしてしまったという事実は変わらない。それに対しての罪悪感は私の性質上、一生ついて回るだろう。しかし、ほんの少しだけそれが軽くなった気がした。その夜、私たちはとことん飲み明かした。初めてホストクラブにも行った。幸い、ハマることはなかったが楽しかったのを覚えている。
 彼女と別れ、少し明るくなり始めた街を一人で歩いていると、いつの間にか双眸が濡れていることに気付く。
 終わったんだ。全部。さようなら、私の初めての恋人。悲しいやら嬉しいやら、そんな思いが涙となって流れた。段々と昇って行く太陽が眩しく、目に染みた。全てが生まれ変わる、そんな気がした朝だった。
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