愛を誓うならヤドリギの下で

月居契斗

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愛を誓うならヤドリギの下で 6

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 そうしてとうとう収穫祭を二日後に控えた週末、シュカは授業が終わっても椅子に座ったまま動かなかった。
 本当は今夜からルクシウスの家に泊まる予定だったのだが、収穫祭の催しの準備が終わっていないからと残念そうに断られてしまったのだ。
 ルクシウスだけでなくラランやジアスをはじめとした司書総出で催し物の準備に奮闘しているようで、行っても邪魔になってしまうだけだし仕事ならば仕方がないと頭では理解していても、しょんぼりと落ちた肩には力が入らない。
 そんなシュカを見つけたアッシュは取り巻き達を軽くあしらって帰らせると、座ったままのシュカに近付いた。
「今日は図書館に行かないのか」
「うん…催し物の準備が終わってないから、今日のお泊りは中止にしてほしいって言われちゃったんだ。図書館に行っても邪魔になるだけだろうし…」
「ふぅん。なら、今日は俺の家に来ないか?」
「えっ? いいの?」
 予想していなかった言葉に飛び上がりそうになる。
「シュカさえ良ければ…俺にもクッキーの作り方を教えてほしい」
「うん! 一緒に作ろう!」
 そうして連れ立って教室から出たシュカは、アッシュの迎えの馬車に慄きつつも乗り込んだ。
 前にルクシウスと乗ったのは小ぢんまりとしたもので隣に座ると互いの肩が触れそうなほどだったが、この馬車には十人くらいは乗れるのではないだろうか。
 名家の子息であるアッシュが学生寮に入っているとは思っていなかったが、毎日馬車で送り迎えされているとも考えていなかったシュカはふかふかした座席の上で落ち着かない。
「どうした、乗り心地が悪かったか?」
「わ、悪くなんてないよ。ただ、ちょっと、すごいなぁって思って緊張してるだけ」
「さすがに毎日乗ってると飽きるけどな」
 馬車は学校前の大通りを走り続け、やがて少し幅を狭めた横道に逸れた。ここに来るまでの倍くらいの時間をかけて、馬車は赤茶色のレンガできちんと舗装された道を突き進んでいく。
 シュカの家ともルクシウスの家とも違う方角にあった建物は、思わず城と呼びたくなるような居住まいでシュカを出迎えた。
 重々しい鋼鉄製の門が開かれ、馬車のまま庭を突っ切ることにも驚いて声をなくすシュカに小さく笑ったアッシュはようやく止まった馬車から降りた。
「お帰りなさいませ、アッシュ様」
 馬車のドアを開けてくれたのは白髪混じりの髪を丁寧に撫で付けた初老の男性で、仕立ての良い黒いコートを隙なく着込んでいる。彼は手を差し出し、馬車に不慣れなシュカが降りるのを手伝ってくれた。
「今日は学友を連れてきた。それと、着替えたら厨房を借りたいんだが使えるか」
「では厨房係にはそのように。お連れ様のお着替えもご用意いたしますか?」
「ああ。クッキーを作るからきっと盛大に汚すぞ、俺もコイツも」
「かしこまりました」
 恭しく頭を下げた男性が踵を返そうとしたのを見て、シュカは慌てて声をかけた。
「はじめまして、シュカ・カレットと言います。今日は突然お邪魔しちゃってすみません」
「お初にお目にかかります、カレット様。わたくしはこの屋敷の執事を勤めております。アッシュ様のご友人とあらば、いつでも遠慮なくお越しくださいませ」
 笑うと彼は随分と朗らかな印象になった。
「コイツはノーランド。父上の執事だったんだが、俺が卒業するまでの間だけという条件でこっちに引っ張ってきたんだ。もちろんこの屋敷のこともよく知っているから、わからないことがあれば何でも聞くといい」
「う、うん…」
 アッシュは荷物を持とうとした使用人を片手で遮り、さっさと廊下を歩いていってしまう。慌ててシュカも彼を追いかけ、図書館と同じくらい広いのではないかと思う屋敷をどこをどう歩いたのかもわからないまま進んだ。
 アッシュが父親の執事を借りているという事実に、住んでいる世界の違いを見せ付けられて頭が混乱している。
「ここが俺の部屋だ。一先ず着替えだな」
 案内されたアッシュの部屋は小さめの家なら一軒すっぽり入ってしまうのではないかと思うほどに広かった。ここが個人の部屋だなんて信じられない。
「アッシュ様、お着替えをお持ちしました」
「そこに置いてくれたら自分で着替える」
「かしこまりました」
 軽いノックと共に入ってきたのはノーランドとは違う若年の男性で、無駄のない動きで二人分の着替えを置くと素早く部屋を出て行った。
「シュカ、呆けてないで着替えるといい」
「うん…」
 開いた口が塞がらないとはこのことだ。シュカはアッシュにせっつかれてのろのろと着替え、わけもわからないままキッチンへと足を踏み入れた。
 キッチンにはおなかがすいてしまいそうな良い匂いが広がっていて、ついつい腹の虫が騒ぎそうになる。
「坊ちゃんがキッチンに来るとは珍しいですな」
 気さくに声をかけてきたのは恰幅のいい男で、アヒルのお尻を横から見たような形に整えられた口髭が何とも印象的だ。
「聞いておりますぞ、クッキーを作るんですってね」
「ああ。作り方はシュカから教わるから、お前は自分の仕事に専念しろ」
「わかってますとも。ご友人も今日はこちらでお召し上がりに?」
 話の矛先を向けられたシュカは目を白黒させる。思案顔のアッシュに見つめられ、シュカは頬を引き攣らせながらとりあえず笑った。
「ついでだ。シュカも今日はここで夕食を済ませていくといい」
「えっと、じゃあ…お言葉に甘えさせてもらいます」
「そうとなりゃあ腕によりをかけねぇと坊ちゃんに叱られちまう!」
 丸太のように太い腕をぐるぐると回した男は豪快に笑いながら自分の仕事へと戻っていく。
「賑やかなおうちなんだね」
 クッキーの材料も必要な器具も既に揃えられていて、それを確認しながらシュカは隣のアッシュに声をかけた。
 こんな広い屋敷なのに人の話し声がすぐ近くから聞こえる。使用人も畏まりすぎていないし、気さくに笑いかけてくれるのはありがたい。
 アッシュは心底ほっとしているシュカを見て、それからふと笑った。
「そうでないと寂しいだろう?」
 思いがけない返答に戸惑ったシュカは目を瞬かせる。
「さ、クッキーの作り方を教えてくれ、シュカ」
 もうこの話はお終いだと言わんばかりに肩を小突かれ、シュカは小麦粉と篩を手に取った。
 母親から教わった作り方をなぞって伝えるだけとは言え、わかりやすく説明するのはなかなか難しい。
 それでもなんとか二人で作ったクッキーを入れたオーブンからは良い香りが漂っている。クッキーが焼けるまでの時間もキッチンで過ごした二人は、そわそわしながらオーブンを開けて中を覗き込んだ。
「初めてにしては上出来だよ、アッシュ君!」
「…しかし、こう、何とも不恰好だな」
 シンプルな丸い型で抜いたクッキーは型から外す時にどうしても歪んでしまって、アッシュの言うとおり焼き上がりは少し歪になっていた。それでも初めて作ってこのレベルなら上等だ。
 焼き上がったばかりのクッキーを頬張って顔を見合わせる。
「すごくサクサクしてておいしいよ」
「確かに…味は悪くない」
 見た目は少し歪んでいても味は満点だった。
 用意されていた材料をすべて使い切った二人は、皿の上の山盛りのクッキーを見て笑い合う。
「土産に少し持って帰るといい」
「うん、ありがとう。あとはノーランドさん達にも食べてもらおうよ」
「…そう、だな。そうしよう」
「喜んでくれるといいね」
「ああ」
 いつもより素直に頷いたアッシュに、シュカは彼が普段は素っ気なく見えてその実、周りの人のことを大切に思っていることを知って嬉しくなる。
 アッシュが教えてくれたのは、今この屋敷にはアッシュと、彼の世話をする使用人以外はいないということ。そして、ここがラディアス魔術学校に通うフォール家の人間のためだけに建てられた屋敷だということを聞いて何度目かの度肝を抜かれた。
 アッシュの部屋に戻ってクッキーを食べながら、さらにいろんな話を聞かせてもらった。
 定期的に庭師が来て観賞用の果樹や草花の手入れをしていること、退屈を紛らわせるために楽団を呼ぶことさえ可能だということ、三年に一度は肖像画を新しくしなくてはいけないのが面倒だと思っていること。
 もういろいろと規模が違いすぎて驚き疲れてしまいそうなほどだった。
「あ、ねえ、ずっと気になってたんだけど、聞いてもいい?」
「何だ?」
「アッシュ君の婚約者さんってどんな人? いつも僕ばっかり話してるし、少しくらい教えてよ」
 いつになく強引なシュカにアッシュは少しだけ躊躇う顔をしたが、首の後ろを掻きながらため息を吐くと渋々ながらも了承してくれた。
「アイツは…何を考えているかわからない。揃いの痣が浮かぶまで会ったことも話したこともなかったし、俺より八歳も年上だからな。痣が出てからも顔を合わせるのは年に数回程度だった」
「そう、なんだ…」
「フォール家とはほとんど血の繋がりがないくらい遠い親戚だと聞いているが、痣が出てるんだから血統に間違いはないだろう。祖父が開いたパーティーにも来ていたしな」
 フォール家が開くパーティーとはどんなものなのだろうか。
 自分の想像の範疇を越えに越えたもののはずだと考えるのをやめたシュカは、ノーランドが淹れてくれたお茶を飲んで気持ちを落ち着かせる。
「そのパーティーは俺の八歳の誕生日を祝うもので、祖父が選んでくれた正装に着替えている最中に痣が浮かんだんだ」
 そう言って、アッシュはわざわざ袖を捲って痣を見せてくれた。やはりシュカには燃え盛る炎のように見える。
「小さい頃から痣が出たら大人の仲間入りだと聞かされていた俺は、喜んでパーティーの参加者に見せて回った」
「なんだか可愛いね」
「今の俺からは想像できないだろ。俺にだって子供らしい頃もあったんだ」
 ぶっきらぼうに言ってそっぽを向くアッシュは子供っぽくて可愛らしい。
 話してみてわかったことだが、案外彼は感情表現が豊かだ。学校ではフォール家の人間として相応しくあれと自制しているようだが、音楽室の近くで二人きりで話す時は表情もよく変わる。シュカはもうすっかりアッシュのことが好きになっていた。
「それで、どうなったの?」
「ああ…。痣を見せて回るうちに誰かが俺に言ったんだ。それと同じ形の痣を持っている者がこの場にいる、と」
「えっ!」
「今のシュカと同じように俺も驚いたよ。まさか、自分に痣が出たその日のうちに同じ痣を持っている人が見つかるとは思っていなかったからな」
 まるで探検記でも読んでいる気分で、シュカは息を飲んで話の続きを待った。
「俺のところに連れて来られたその人はアメジストみたいな紫色の瞳で、子供ながらになんて綺麗な人なんだろうって感動したのを今でもよく覚えてる」
 視線を遠くに投げたアッシュはその時のことを思い出しているのだろう。
 だがすぐにシュカに視線を戻した彼は照れたように微かに口の端を動かした。
「その時の俺は子供っぽいことをしたんだ」
「え、なになに? 何をしたの?」
「安物のオモチャの指輪を差し出して、結婚式の練習をしようって言った」
「なにそれ可愛い!」
 興奮したシュカの頭の中に今よりもうんと幼いアッシュの姿が描かれる。
 たぶんきっと満面の笑みを浮かべて小さく細い指先でオモチャの指輪を差し出したアッシュは、それはもう天使のように愛らしかったに違いない。
「その人は子供の遊びに付き合ってくれた。俺の手から指輪を受け取ると、その場に膝をついて、俺の左手の薬指に指輪を通してくれたんだ」
 アッシュが首元から出した指輪はオモチャだが、思い出が詰まった大切なものなのだ。
 その証拠に指輪を見つめるアッシュの瞳はあたたかくて優しくて、愛しい過去を懐かしむ色に溢れている。
「もうすっかり自分の誕生日パーティーだなんて頭から吹っ飛んで、その日はもうずっとその人にベッタリだったよ。俺はいつかこの人と結婚するんだって信じて疑わなかった」
「すごく素敵なお話だね。御伽噺みたいだ」
「はは、御伽噺みたいに終わってくれたら良かったのにな」
 彼の言い方に不穏なものを感じたシュカは口の前まで運んでいたカップを下ろした。
「アッシュ君はその人のことが好き、なんだよね?」
「ああ、こんなオモチャの指輪を今でも大事に持ってるくらいだからな」
「好かれてるとは思ってないの?」
「シュカはまともに会話もしたことがない相手から好かれてると思えるか?」
「それは…」
 質問を返されたシュカは何も言えずに口ごもる。
 アッシュは指輪を襟の下に戻すと、俯いてしまったシュカの髪をぎこちなく撫でてくれた。
「だから俺は、シュカがお前の婚約者と仲良くしている話を聞くのが好きなんだよ」
 同い年とは思えないくらい大人びた笑い方をするアッシュが切なかった。
 夕食をごちそうになり、それからもたっぷりと話し込んでから馬車で家まで送ってもらったのだが、いつもよりもかなり遅くなった帰宅を両親に怒られてしまった。
 馬車に同乗していたアッシュも一緒に謝ってくれたおかげでお説教は長引かなかったけれど、両親に心配をかけてしまったことが申し訳なくてシュカは落ち込んだ。
「でもね、シュカが初めてお友達を連れて来てくれたのはとても嬉しかったわ」
 母がそう言って本当に嬉しそうに笑ってくれたから、シュカは今度は自分の家にアッシュを招こうと考えた。アッシュの住まいよりは遥かに狭い家だけれど、母も誘って三人でクッキーを作るのもいいかもしれない。
 あの寂しそうな笑い顔を思い出すとシュカまで切なくなる。
 もし自分がアッシュの立場だったとしたら悲しくて寂しくて耐え切れない。年に数回しか好きな人に会えなくて、さらには会話もほとんどできないだなんてつらすぎる。
 ベッドに入る前の儀式のあと、シュカはアッシュの恋も上手くいきますようにと願った。
 満月になるにはほんの僅かに足りない月は雲に遮られることもなく、願いをかけるシュカの姿を静かに見下ろしていた。


 翌日、シュカは昼をゆうに過ぎてから図書館へと顔を出した。
 明日の収穫祭のために今日はいつもよりも早めに閉館するとルクシウスから聞いていたが、準備に忙しくしているところを邪魔したくなくてもたもたしている間にあっという間に時間が過ぎていたせいだ。
 図書館のエントランスには鮮やかな落ち葉色の飾りがたくさん付けられていて、見ているだけでわくわくする。
「ルクシウスさん!」
 昨日たった一日会えなかっただけなのに、彼の顔を見た途端、シュカは自分でも笑ってしまいそうなくらい浮かれてしまった。
 ルクシウスも微笑して、シュカが駆け寄るのを待ってくれる。
「閉館時間に来ても良かったのに」
「だって…」
「でも、私も君に会いたかったから、早く来てくれて嬉しいよ」
 優しい声で囁かれて胸がきゅんと音を立てた。周りに人がいなければルクシウスに抱き付いて自分からキスをしたのに。
 じれったさを感じたシュカの唇をルクシウスの指が掠めていく。
「お、お手伝いできることがあったら言ってくださいね」
 頬が一気に熱くなるのを自覚しながら言うと、ルクシウスはシュカの髪の先を指で揺らしながら小さく笑った。
「なら、ひとつお願いをしようかな」
「はい! 何でも言ってください」
「閉館時間まで、私の傍にいてくれるかい?」
 シュカは頬を赤らめつつも満面の笑みを浮かべて力いっぱい頷いた。
 いつもより早く図書館を閉めてからが忙しさのピークだった。
 シュカは箱いっぱいに詰められた色鮮やかな落ち葉を形や色ごとに分ける作業を手伝い、ちっとも減らない落ち葉の多さに少しずつ焦りを募らせる。
 図書館で行う収穫祭の催しは色とりどりの落ち葉を使った自分だけの栞作りとのことで、いかにも図書館らしい提案だとシュカは大いに感心した。世界でただひとつ自分だけの栞があれば、今まで本を読む機会が少なかった人もきっと本を読みたくなるだろう。
 しかし理想を語るのは簡単でも、それを現実にするには多大な労力が必要だ。
 最初はシュカとラランで担当していた落ち葉の仕分けには、いつの間にかルクシウスとジアスが加わっていた。
「やっと終わった~!」
 大きく背伸びをしたラランが声を上げる。他の面子もそれぞれ疲れを顔に滲ませていた。
「明日が楽しみですね」
「そうだね。たくさんの人が来てくれるといいね」
 シュカがルクシウスと顔を見合わせていると、行儀悪く床に寝転んだジアスがげんなりと顔を歪めた。
「今日以上に疲れるかもしれないって考えると今から憂鬱っスよ…」
「あら、でもきっと楽しいわよ。それにジアスってば何だかんだ面倒見いいから子供達からの人気もあるし、時間なんてあっという間に過ぎちゃうって」
「そうかぁ?」
 的確なラランの意見にシュカも頷いた。
 ジアスはいつもダルそうな顔をしているが仕事に関しては真面目で、館内にいる子供には彼のほうから積極的に声をかけている。子供達にじゃれつかれている姿も何度も見たことがあるし、シュカ自身もそう感じていたのだから間違いはない。
「いい職場に巡り会えて良かったなぁ」
 心底からそう思っているのがわかる声でラランが言うと、皆一様に疲れも忘れて笑い出し、その場にはしばらく楽しげな声が響いた。
 笑いが落ち着くと館内の照明を落とし、それぞれ明日に備えて早めの帰宅準備を整える。いつもより早いと言っても太陽は既にほとんど沈んでいて、辺りは薄紫の夜色に染まっていた。
「じゃあ、また明日!」
「お疲れさまっス。明日はみんなで盛り上げましょ」
 ラランとジアスが帰っていく。
 シュカは彼らに手を振って見送ると、ルクシウスに向き直った。
「ルクシウスさんもお疲れさまです」
「ありがとう。シュカもお疲れさま。結局準備を手伝わせてしまって悪かったね」
「いいえ! お手伝いするって僕から言い出したことですし、みんなと一緒に明日の準備をするのも楽しかったから平気です」
「そう言ってもらえると安心するよ」
 シュカは自然とルクシウスと手を繋ぎ、彼の家へと続く道を歩き出す。
 静かな夜が来たことを喜んでいるかのように虫達が様々な音色を奏でるのを聞きながら、昨日はアッシュの家に招かれたことを話した。
「アッシュ君はただの別荘だって言ってたけど、もうなんていうか…お城みたいに大きくて驚きました。アッシュ君の部屋もすごく広かったんです!」
「ああ、私も遠目から見たことはあるよ。確かに大きいね。あの屋敷に彼と最低限の使用人だけで住んでいるんだろう? あんまり広すぎるのも寂しいだろうに」
「はい…。でも皆さん気さくな人ばっかりで、話し声が絶えなくて、アッシュ君だけじゃなくてみんなが寂しくならないようにってお互いに気遣ってるのかなって思いました」
 話しながら思い出すのは寂しそうなアッシュの笑い顔だ。
 優しい使用人達がいても、たくさんの取り巻きに囲まれていても、アッシュの想い人は彼の傍にはいてくれない。それがどんなに悲しくて寂しいことなのか、シュカには想像することしかできなかった。
 自分のことのように考えて胸を痛めて俯いたシュカに気付いたルクシウスが細い肩を抱き寄せる。
「何か心配なことがあるのかい?」
 ことさらに優しく訊ねられてしまうと、もう我慢なんてできなかった。
 シュカはルクシウスのローブに頬を押し付けて、ジャスミンの香りを胸いっぱいに吸い込んでから口を開く。
「実は…僕と同じようにアッシュ君にも同性の婚約者がいるんです。その人とはもう何年も前に婚約したけど、年に数回しか会えないし、ほとんど会話もできてないって。それを僕に話してくれた時のアッシュ君はすごく寂しそうで、悲しそうで、なのに…今のままでいいんだって笑うんです」
 込み上げる切なさを堪えきれず、昂った感情は涙となってシュカの頬に零れた。
「フォール家には昔から婚約者を精霊が選ぶって言い伝えがあって、同じ形の痣が浮かんだ人と婚約するんだってアッシュ君が教えてくれました。八歳の誕生日にアッシュ君にも痣が出て、たまたまパーティーに来てた人がその相手で…アッシュ君は今でもずっとその人のことが好きなのに…っ」
 ルクシウスはしゃくりあげるシュカを抱き締めて、震える背中をそっと擦ってくれた。
 自分にはこんなにも優しくて大好きな人がいつだって会える距離にいるのに、アッシュは違う。手を伸ばしても触れられない、名前を呼んでも届かない、会いたくても会えない。
 もうすっかり諦めきったアッシュの笑顔がどうしようもなく悲しくて、つらくて、シュカは声を上げて泣きながらルクシウスの背中に腕を回してしがみついた。胸が押し潰されたように痛くて、堰を切って溢れ出した涙は簡単には止められない。
 ルクシウスは泣きじゃくるシュカの髪ごと何度も頭を撫でてくれた。
「自分はそうなれないから、だから僕とルクシウスさんが仲良くしてる話を聞くのが好きなんだって、でも僕は…そんな悲しいこと言わないでほしい…」
「ああ、そうだ。シュカの言うとおりだね」
 あまりにも泣きすぎて歩けなくなってしまったシュカはルクシウスに抱き上げられた。
 しがみ付いた首元からはジャスミンの香りがする。その涼やかで甘い花の香りを吸い込んで少しずつ落ち着きを取り戻したシュカは、鼻を啜りながらルクシウスの耳元で泣いて困らせてしまったことを謝った。
「気にしなくていいよ。それと、私にできることがあればどんなことでも力を貸すから、遠慮なく言うこと」
「はい」
 ルクシウスの言葉が嬉しくて、シュカは彼の肩に頬を擦り付けるようにして頷いた。
 家に着く前にはシュカの涙もすっかり落ち着いたが、ルクシウスはシュカがもう自分で歩けると何度言っても決して下ろそうとはしなかった。
 小さい子供にする扱いだと不貞腐れて頬を膨らませたシュカを玄関ドアの前でやっと下ろしてくれたルクシウスは、家に入ってドアを閉めるなりシュカを強く抱き締める。そのまま顎を掬われて落とされたキスも、シュカはおとなしく受け止めた。
「もし自分が年に数回しかシュカに会えない立場だったらと考えたら…ああ、ダメだな、耐えられそうにない」
「僕も、そんなの嫌です」
 アッシュもきっとこんなふうに日ごと夜ごと胸を痛めているのだろう。
 いや、彼の苦しみはもっと強くて深いはずだ。シュカには想像することしかできないのに、それだけでもこんなにつらいのだから。
 再び零れそうなほど目尻に溜まった涙をルクシウスが拭ってくれる。
「さあ、まずは食事にしよう。考えるのはそれからだ」
 穏やかに笑ってくれたルクシウスを見上げてシュカは頷いた。
 アッシュのためにどうすればいのいか、自分に何ができるのか、ルクシウスとなら見つけられそうな気がする。
 いつものように夕食はルクシウスが用意してくれた。今日はカボチャのリゾットだ。ベーコンの塩気とカボチャの甘みがちょうど良くて、食べ終わる頃には身体の芯からぽかぽかになった。
 デザートに小さなスイートポテトが出てくると、シュカは「収穫祭らしいですね」と言って笑った。
「明日の収穫祭で出店する人が、もてなす側の私達には祭りを楽しむ余裕はないだろうから、先に気分だけでも収穫祭を味わってほしいとわざわざ届けてくれてね」
「あ…そっか、そうですよね。人がたくさん来るんだもん、ルクシウスさんも抜けられないですよね」
「一緒には回れないが、シュカが顔を見せに来てくれたら私はそれだけで嬉しいよ」
 言いながら、ルクシウスはシュカの口元にくっついていたスイートポテトの欠片を指で拭い取ってくれた。それをさも当たり前みたいに舐める彼を見てしまい、顔から火を噴きそうになる。
「あ、あのっ、スイートポテトを食べちゃった後で悪いんですけど、僕…クッキーを作ってきたんです」
「おや、わざわざ私のために?」
「は、はい…ルクシウスさんに食べてほしくて、お母さんとずっと練習してて。それで昨日はアッシュ君とも作って。だから、あの、えっと……どうぞ!」
「ありがとう」
 微笑したルクシウスはしどろもどろになりながらシュカが差し出したクッキーを受け取った。
 収穫祭を意識してラッピングのリボンはオレンジ色のものを選んだのだが、元々の目的はルクシウスの誕生日のお祝いなのだから別の色にすれば良かったかもしれない。今さらそう思い付いて視線が彷徨う。
 だが、ルクシウスは嬉しそうに包みをあちこちから眺め、それから「今すぐに開けてもいいのかな?」と訊ねてきた。
「もちろんです」
「本当にありがとう、シュカ。君の手作りのクッキーをもらえるなんて、とても嬉しいよ」
「そんなに大したものじゃないです。お店で売ってるものみたいに綺麗な形でもないし、味だってきっと普通だし…」
「だが、シュカが私のことを考えながら私のためだけに作ってくれたものだろう? それだけで特別だ」
 優しい顔でそんなことを言われたら胸がときめいてしまう。
 慎重な手付きでリボンが解かれ、包み紙が広げられるのを見ていると緊張で心臓が大きな音を立て、自然と手のひらにも汗が滲んだ。
 葉っぱの形に型抜きされたクッキーはプレーンとココア味、それから蒸かして裏漉ししたカボチャを練り込んだ三種類を用意した。
「うん、おいしいよ。シュカみたいに優しい味がする」
 ルクシウスの言葉に肩を撫で下ろしたシュカは大きく息を吐く。この二週間で一体何枚のクッキーを焼いたか覚えていないくらい練習に練習を重ねた成果は出たようだ。
 ずっと試食係を任されてくれた父はやっと解放されると胸を撫で下ろしていたのに、こっそり「一度でもいいから父さんのためだけに作ってくれ」と耳打ちしてきたのが何だかおかしかった。
 思い出し笑いを零していたシュカは、ふとルクシウスが摘み上げたクッキーを見て目を丸くする。
「あ、それ…っ」
 一枚だけ忍ばせたハート型のクッキー。食紅を使って薄いピンク色にしようと言い出したのは母だ。
 ルクシウスがハートの形のクッキーと自分を交互に見ているのがわかって、シュカは視線をテーブルに落としたまま上げられなくなる。
「本当に君は…可愛いことをしてくれるね」
 クッキーを持った手とは逆の手で額を押さえたルクシウスが低く呟く。
 小さな呟きに気付いて顔を上げたシュカは耳まで真っ赤にしたままハート型のクッキーがルクシウスに食べられて飲み込まれるのを見守った。
「おいしい、ですか?」
「ああ、世界で一番おいしいよ」
 ルクシウスの笑顔に見つめられ、じわじわと込み上げてくる愛しさに頬が緩む。
 この人を好きになって本当に良かった。今までだって何回も思ったけれど、たぶんこれからだって何回でも同じことを思うのだろう。
 泣いてしまいそうなくらいに幸せで、けれどシュカは涙を堪えて笑った。
 二人だけの穏やかなひと時を過ごした後、先に入浴を済ませたシュカは相変わらず几帳面なほどに整えられたベッドではなく、ソファに座って本を読みながらルクシウスを待った。
 ソファの傍のテーブルに置かれていたのは精霊と魔法生物について書かれている本で、たまたま開いたページには風の精霊が描かれている。
「いいなぁ…僕も精霊を見てみたいな」
 先日、シュカがノートに書き留めておいた質問に対するルクシウスの答えは肯定だった。
 ルクシウスが初めて目にしたのは風の精霊で、それで関心を持って風属性の魔術を専攻したそうだ。
 シュカも知っているとおり精霊とは相性がある。もし精霊から好かれなければ、どんなに望んでも一生その姿を見ることはできない。
 アッシュはどうだろう。赤毛の魔術師は強い魔力を持つと言われているが、それは精霊から好かれることとイコールで繋がるのだろうか。見えるとしたら挿絵に描かれているように長い髪を翻して薄衣を纏った姿なのだろうか。
 精霊にも性別があるのだとルクシウスは言っていたし、もしかしたら姿にも個体差があるのかもしれない。様々な可能性を考えるだけでわくわくする。
 寝室のドアが開く音を聞きつけたシュカは本を閉じてテーブルに戻した。
 ルクシウスはタオルで髪を拭いながらシュカの隣に座ると自分と同じ石鹸の香りが鼻先をくすぐり、それがどうしようもなく恥ずかしくて、思わず視線を逸らしてしまった。
「どうかした?」
「あ、いえ…その…何でもないです」
 そうは言ったものの、赤くなった頬の色を見たルクシウスにはきっと気付かれているだろう。
 シュカは誤魔化すように目線を壁に向け、そして思い出した。座った姿勢を正してルクシウスに向き合う。
「ルクシウスさん、お誕生日おめでとうございます!」
「ああ、そうか、もう日付が変わっていたんだね。ありがとうシュカ。真っ先に君に祝ってもらえて嬉しいな」
 湿り気を残したルクシウスの指先が頬を撫でてくれる。その手を宝物のように両手で包み込んで、シュカはルクシウスを真っ直ぐに見つめた。
「今年だけじゃなくて来年も、その次の年もその先もずっと僕が一番最初にお祝いしたいです」
 多忙なルクシウスを独り占めはできないかもしれないけれど、こうして誰よりも早く祝福の言葉をかけるくらいはできるはずだ。
「早速だがプレゼントをもらってもいいかい?」
「…はい」
 シュカは目を閉じてルクシウスからのキスを待とうとしたが、僅かに声を上げてルクシウスを押しやった。
「シュカ?」
「ルクシウスさんからしてもらったら、ルクシウスさんへのプレゼントになりません…!」
「なるほど。なら、シュカから私にキスをしてくれる、ということかな」
「…そう、です」
 消え入りそうな声で頷くと、ルクシウスは嬉しそうに目を細めて、そして目を閉じた。
 キスはいつだってルクシウスがリードしてくれて、シュカが率先して唇を寄せたことはほとんどない。
 ルクシウスの肩と頬にそれぞれ手を添え、顔をゆっくりと近付ける。心臓が破裂しそうなくらい大きな音を立てているのが聞こえてしまいそうだ。
 濡れて束になった前髪が額に落ちているのも、閉じた目元のまだ薄いシワも、自分とは違って完成しきった骨太の肩も、ルクシウスを形作っているすべてが愛しくて愛しくてたまらない。こんなにも誰か一人を愛しいと感じる日が自分に来るなんて思ったこともなかった。
 シュカは片膝をソファに乗せて背中を丸め、そして、ルクシウスの唇のすぐ横にキスをした。
「すみません…」
 顔を真っ赤に染めながらしょんぼりと肩を落としてシュカが謝ると、目を開けたルクシウスは咎める様子もなく微笑んだ。そのまま彼の手に引き寄せられて唇が重なる。
 何度か触れるだけのキスをした後、僅かに離れたルクシウスと至近距離で見つめ合った。
「シュカ、少しだけ口を開けてみて」
「は、い…」
 言われたとおりに唇を緩めると、さっきまでのキスよりも深く唇が重なった。
 唇の内側の薄い皮膚、粘膜に近い場所が触れ合う感触は初めてで、どうすればいいかわからない。いつの間にかルクシウスの膝の上に座るような体勢になっていることにも気付けず、キスを受け止めるだけで精一杯だ。
 だから重なった唇の隙間から滑り気を帯びた何かが入り込んできた瞬間、シュカは驚いて顔を離してしまった。
「嫌だった?」
「い、嫌とかじゃなくて、今のなんですか…」
 口を押さえたまま聞き返すと、ルクシウスは二度ほど瞬いて、それからふと笑った。
 それはからかうような笑いではなく勝手に溢れ出てしまったような優しいもので、シュカは浮きかけた腰を元の位置に戻す。
「大人のキスは、ああやって舌も使うんだよ」
「舌も……」
「まだそういうキスはしたくない?」
 そんなふうに言うくせに、頬に添えられたルクシウスの右手の親指はシュカの唇の内側に入りたそうに触れてくる。自然と口を開いてしまったシュカは抵抗することもなく引き寄せられたが、ルクシウスの手のひらに包まれた肩に無意識に力が入ってしまうのは仕方がない。
「ん…っ」
 唇の内側が触れ合って何度か角度を変えた後、ルクシウスの舌がシュカの口に入ってきた。どうするのが正解かなんて知るはずもない。
 シュカはただただ硬直するばかりで、強張った舌先にルクシウスの舌が触れたことに慄いて肩を大きく跳ねさせたけれど、ルクシウスの手でしっかりと後頭部を支えられていたせいで唇は離れない。
 ルクシウスの舌は器用に動いてシュカの舌を撫でると、さらにあちこちをくすぐるように動き回った。少しだけざらついた舌の感触はあまりにも生々しく、恥ずかしさと戸惑いで息が上がる。
「んは…ッ」
 長すぎるキスで息が吸えず、とうとう耐え切れなくなったシュカが顔を離すと、唾液が僅かに糸を引いてからふつりと切れた。
 肩を上下に揺らして足りない酸素を取り込む。やや酸欠気味でクラクラする頭の中で思い浮かんだ感想は、すごいの一言に尽きた。
(こ、これが大人のキス……)
 ルクシウスの膝に乗ってほぼ同じ高さになったシュカの目線の先で、ルクシウスはまだまだ余裕の表情だ。
「鼻で息をするといいよ。そうすれば少しは楽だから」
「は、ぃ…」
 自分だけが息を切らしているのが何だか無性に悔しい。シュカはそれを隠そうともせずに、今度は自分から唇を近付ける。
「ン…っ」
 おずおずと口を開くとルクシウスの舌がゆっくりと侵入してきた。動きは決して強引ではなく、舌が触れ合う感触にシュカを慣れさせるためだけに表面を擦り付けられる。
 両手でしっかりとルクシウスの肩に掴まり、目を閉じたシュカは自分の口内をゆるゆると確かめていくようなルクシウスの舌の動きを追いかけた。
「ふ、ぅ…ン…」
 上顎や舌の裏側を舐められるとぞわぞわした震えがいっそう強くなる気がして、鼻からは勝手に息が漏れる。
 たっぷりと舌を絡め合ってから離れると、塞がらなくなったシュカの口の端からはとろりと唾液が伝い落ちる。拭いたいのに腕に力が入らない。そんなシュカの代わりにルクシウスが垂れた唾液を拭ってくれた。
 全身が熱くてふにゃふにゃで、お風呂に長く入りすぎてのぼせた時のように鼓動が大きく騒いでいる。
 体勢を保っていられずルクシウスに凭れかかって息を整えている間も、ルクシウスの手はシュカの髪や背中から腰までを何度も何度も優しく撫でてくれた。
 普段そうされる時にはただ嬉しいと感じるだけだったのに、あたたかい手のひらがじれったいほどゆっくり滑り降りると、どうしたことかシュカの腰の辺りには謎の蟠りが湧き出る。
「大人のキスはどうだった?」
 そんなふうに聞かれてもどう答えていいのかわからない。
 シュカは眉を下げ、もじもじしながらルクシウスのガウンの襟を弄くり回す。
「嫌でなかったのならそれでいいんだ」
「…嫌じゃない、です。でも、何だかぞわぞわってして、びっくりして…」
 ルクシウスの腕の中にすっぽりと抱き竦められ、シュカはようやく落ち着いた呼吸で彼の匂いを吸い込んだ。
「またさっきのようなキスをしてもいい?」
 耳元で囁かれた声にはどこか懇願めいた音が混ざっているような気がして、シュカは小さく無言で頷く。
 恥ずかしかったけれど嫌ではなかったし、昨日までよりも少しだけ大人扱いしてくれたことは嬉しいと思えた。シュカはまだ熱を持ったままの指先でルクシウスのガウンの襟を辿り、彼の顔を覗く。
「僕…ルクシウスさんの誕生日プレゼントになれましたか?」
 言った途端、ルクシウスはなぜか微笑のまま硬直してしまった。
 シュカはおろおろして、やっぱり別のものを用意したほうが良かったのかと考える。
「シュカ」
「は、はいっ」
 ハート型のクッキーを見つけた時みたいに額を押さえたルクシウスが下から覗き込むような角度でシュカを見る。
「以前、君とはちゃんと夫婦になりたいと言っただろう?」
「はい」
「夫婦がすることについては知っている?」
「ぐ、具体的なことは知りません。でも、コウノトリじゃないことは、知ってます…」
「コウノトリ、ね…。ああ、しかしそこまで知っているなら安心だ」
 何が安心なのかシュカにはまったくわからない。
 ただ、何となくルクシウスの雰囲気がいつもと違うような気がして構えてしまう。
「君が成人したら、私は間違いなく君を抱くよ」
 シュカは顔から火を噴きそうになった。とんでもない爆弾発言だ。言葉も息も飲み込んだシュカは熱を帯びたブルーグレーの瞳と見つめ合う。
「君のすべてを私のものにしたいんだ」
 こうもはっきりと宣言されてしまうと、シュカのほうがいたたまれなくなる。
 シュカは俯いてルクシウスのガウンに額を押し付けた。
「お、大人になるって大変そうですね…」
 様々に入り乱れた気持ちでそう言うとルクシウスは珍しく声を上げて笑った。
 それからようやく就寝のためにベッドに誘われ、シュカは壁際に潜り込む。くっついて寝るのが心地良い季節になったのは嬉しいが、さっきのルクシウスの発言のせいで緊張してなかなか眠気がやってこない。
 それでも二人分の体温がすっかりシーツに馴染む頃には蜂蜜みたいにとろりとした睡魔がシュカの目蓋を重くした。
「おやすみ、シュカ。今までで一番嬉しい誕生日のプレゼントだったよ」
 独り言みたいなルクシウスの声は溶けそうなほど優しくて、嬉しくなったシュカはほんのりと笑みを浮かべる。
 そのまま穏やかな眠りに意識を沈ませたシュカは、自分の額にルクシウスが甘いキスをしてくれたことには気付けなかった。

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