愛を誓うならヤドリギの下で

月居契斗

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愛を誓うならヤドリギの下で 8

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 ルクシウスの誕生日と収穫祭が終わり、十一月に入ると途端に季節は冬へと様変わりした。
 どんよりとした灰色の雲が立ち込める日が多くなるのと比例して気温は一気に低下し、凍て付く雪の気配を含んだ乾いた風が村を駆け抜ける。
 いよいよ十二月を迎えると待ち構えていたかのように雪が降りはじめ、溶けては降ってを繰り返して、少しずつ村を白く染めていった。遠くに見える山は既に山裾まで真っ白にしているものもある。
 道を行き交う人の首にはしっかりとマフラーが巻かれ、時折強く吹き抜ける風に背中を丸めていた。
 それでもシュカは相変わらず授業が終わると図書館に顔を出し、閉館時間になるとルクシウスと共に帰宅する日々を繰り返している。そうすることが当たり前になったことを自覚したシュカは、まるでルクシウスの存在が自分の一部になったみたいに感じて気恥ずかしくなった。
 けれど、慣れきったわけではない。ルクシウスのことが好きだと胸をときめかせるたび、初めて彼から告白された日のように新鮮な気持ちにもなれた。
 もう何度も彼に恋をしている。そしてたぶん、これからもきっと何度も彼に恋をするのだ。
 冬休みを目前に控えた最後の週末は期末試験の最終日でもあったけれど、年が明けるとすぐに進級試験が待ち構えているかと思うと気が気でない。それでも一先ず今は週明けの採点結果を待つばかりとなった生徒達は張り詰めていた気持ちを緩めて、冬休みの予定に胸と声を弾ませている。
 シュカも彼らと同じくらい軽い気分で、帰り支度をしているアッシュに駆け寄った。アッシュはシュカに気付いて顔を上げると柔和に微笑んだ。
 以前まで当然のようにアッシュを囲んでいた取り巻き達は、いつの間にか教室に来ることさえなくなっていた。
 気になったシュカがそれとなく聞くと、アッシュは「友人は欲しいが取り巻きはいらないと言ったら来なくなった」と教えてくれた。シュカはそれを聞いて酷く複雑な気持ちになったが、当のアッシュは少しも気にする様子はなく、むしろ気楽になったと言わんばかりの顔で過ごしている。
 アッシュ自身が良しと思っているのならシュカが口を挟むべきではない。
 それに教室でも会話をするようになってから、他のクラスメートとも話しているアッシュの姿を見る機会が増えた気がする。皆、アッシュとの距離を測りかねていたのだろう。
 シュカとアッシュに声をかけて、掃除当番以外のクラスメートが帰っていく。彼らに手を振り返したシュカもアッシュと一緒に教室を出た。
「試験どうだった?」
「やれるだけやりきった、というところか。シュカはどうだ」
「僕もそんなところ。あとは採点を待つしかないし、とりあえず終わって良かったーって感じ」
「そうだな。この後は図書館か?」
「うん。一度家に戻って着替えてから、だけどね」
「ああ…泊まりか。いいな。冬休みもはじまるから余計に楽しみなんじゃないか?」
 からかうようなアッシュの台詞にシュカは「そうでもないよ」と顔を曇らせた。
「実は、お仕事の都合でクリスマスから年明けまで会えないんだ…」
「そうだったのか…すまん、軽率なことを言った」
「ううん、知らなかったんだもん仕方ないよ。あっ、そうだアッシュ君、代わりにするみたいな言い方になっちゃって悪いんだけど、冬休みになったら僕に家に泊まりに来ない? アッシュ君さえ良ければ、だけど…」
 シュカの提案にアッシュは目を瞬かせる。
 もしかしてアッシュにも既に予定があったのだろうかと考えて、それも当然かと思い直した。詳しいことは知らないが、親族やらの集まりもあるのではないか。
 そんな不安が顔に出ていたシュカの髪を、アッシュは目を細めて掻き混ぜた。
「なら、シュカの誘いに乗るとしよう」
「僕から誘っておいてなんだけど、おうちの集まりとかあるんじゃないの?」
「正直、堅苦しいだけの集まりは好きではなくてな。さすがに年始の集まりには顔を出さなくてはいけないが、クリスマスくらいは羽根を伸ばさせてもらおう。…だが、本当に泊まりに行ってもいいのか? 人の家で過ごす時の作法など、俺は知らないぞ」
「作法なんて、そんなのないよ」
 友達同士の間にそんな堅苦しいものあるはずがない。
 馬車に乗り込んだアッシュに手を振ったシュカは小走りで家へと帰った。いつもなら着替えを入れた鞄を持ったらすぐに図書館に向かうのだが、さっきの提案を今すぐ母にもしておきたくて気が逸る。母はアッシュのことを気に入ってくれているようだから、きっと賛同してくれるはずだ。
「ただいま! あのねお母さんっ、お願いがあるんだけど聞いてくれる?」
「おかえりなさい。そんなに慌ててどうかしたの?」
「えっとね、冬休みになったらアッシュ君をうちに泊めてもいいかな。アッシュ君も、来たいって言ってくれてて…」
「そうねぇ…アッシュ君のおうちの方が許可してくれるなら泊まってもらうのは大歓迎よ。一緒にクッキーを作る約束、まだ果たせてないものね」
 ミシェーラが言った約束とは収穫祭の日にシュカが提案した誘いで、もちろん収穫祭の後も何度か声をかけたのだが、アッシュがシュカの家に来たことは未だない。もう既にシュカは何度もアッシュの家に遊びに行かせてもらっているのに、だ。
 遊びに来ることを嫌がっているのではなく、ただ遠慮しているだけとはわかっている。
 こうなったら意地でも泊まりに来てもらってアッシュと一緒にクッキーを作ってやろうと心が燃えた。
「お父さんには私から話をしておくわ」
「うん、ありがとう、お母さん! じゃあ僕、ルクシウスさんのところに行ってくるね」
「はいはい、行ってらっしゃい。転ばないように気を付けるのよ?」
「わかってる」
 母に見送られて家を出たシュカは、わくわくした気持ちを抑えながら図書館へと向かった。
 道の途中で雪がちらつきはじめ、冷え切った風が容赦なく肌を刺激する。シュカはマフラーごとコートの襟を掴んで隙間をなくし、溶け残った雪で転ばないように気を付けながら急ぎ足で図書館を目指した。
 エントランスの前で微かに肩や髪に乗った雪を払い落とすと、きっと赤くなってしまっただろう頬を手のひらで隠しながら館内へと足を踏み入れる。
「シュカ、走って来たのかい? 頬が真っ赤だ」
 こういう時に限って真っ先にシュカを見つけるのはルクシウスだ。
 彼は返却カウンターに座っていて、頬を真っ赤にしたシュカを見つけて驚いたように目を大きくする。
「いえ、寒かったんです。雪が降り出して…」
 走るくらいの速度で来たと言うのが何となく恥ずかしくて、シュカはささやかな嘘をついた。でもきっとルクシウスにはお見通しなのだろう。
 寒さでも走ったせいでもなく頬が熱くなっていくのを自覚しながら、シュカは読み終わった本をルクシウスに差し出した。
「そういえば試験はどうだった? 良い結果になりそうかい?」
「…やれるだけはやりました」
「シュカなら心配はないよ。いつも真面目に授業も受けているだろうしね」
「そうだといいんですけど…やっぱり心配なんです」
 期末試験を乗り越えられても、その次の進級試験はどうなるかわからない。ぐるぐると渦を巻いてこみ上げる不安がシュカの頭を痛くする。
「大丈夫。シュカはちゃんとやれる子だから」
 ルクシウスがそう断言するのならとシュカは頷いた。
 まだ年も明けていないのに今から考えて不安になっていても仕方がない。期末試験は悪くない手応えだったと思っているし、進級試験もやれることをすべてやり尽くすしかないのだ。
「僕、進級試験もがんばります」
「ああ、その意気だ」
 穏やかに微笑まれると嬉しくなる。
 そこでようやくシュカはここが図書館だと思い出した。返却カウンターで話し込んでしまって他の人の邪魔になっていなかっただろうか。
「お仕事の邪魔しちゃってごめんなさい…」
「大丈夫だよ。雪が降り出したら来館者は少なくなるから。それよりも、館内はあたためてあるけれど、本に夢中になって身体を冷やしすぎないように気を付けなさい」
「はい」
 ルクシウスの言葉に頷いてからシュカはいつも好んで座っている席へと向かった。昨日までは試験勉強に専念していたが今日からまた好きなように本を読める。
 精霊に関する内容の本と古代魔術の専門書を棚から抜き取って席に座ると、早速表紙を開いた。
 どちらにも共通して登場するのは古の魔女トワンナと、彼女に力を貸したとされる蒼銀の毛並みを持つ氷の狼の姿をした精霊王ランディルスティン。今この世界に存在するすべての魔術師がトワンナと精霊王の子だとさえ言われるほど二人の功績は大きい。
 世界の礎を築いた二人の存在は伝説に近いものではあるが、今でも世界中で使われている魔術のすべてがその時代から連綿と続いていると思うと一種の感動さえ生まれる。
 シュカはすっかり夢中でページを捲りながら、自分にも魔術師の素質があったことを誇らしく思った。
 これで精霊に好かれることさえできれば、幼い頃から憧れていた精霊魔術師になることも夢ではない。淡い期待にドキドキしながら専門書を半分ほど読み進んだところで顔を上げると、思ったよりも閉館時間が近付いていた。
 本を棚に戻して身支度を整え、職員用の通用口に置かれた椅子に座ってルクシウスを待つ。
 閉館準備をすべて終わらせるまでにはもう少し時間があるのを確認し、シュカは手近な棚から暇潰しの本を選んだ。
「待たせたね、シュカ。帰ろうか」
「あ、はい」
 いくらも読まないうちに閉館作業を終えたルクシウスが来たことに気付き、シュカは本を棚に戻す。
 他の司書とも連れ立って外に出ると、辺りは薄っすらと積もった雪に染められていた。
「うう~寒いっ!」
 防寒着で丸々と膨らんだラランが肩を震わせる。着膨れた足元は殻から飛び出したばかりのヒヨコみたいに覚束ない。
 ジアスはため息混じりに「危なっかしい」と呟くと、彼女が途中で転んだりせず無事に家まで帰れるかどうかを見届ける役目を買って出てくれた。
 それぞれに労わりの声を掛け合い帰路に就く。
 雪のせいでいつも以上に静かな道はどことなく物悲しい雰囲気だ。
「もうすぐクリスマスですね」
「ああ。…すまないね、シュカの誕生日だというのに一緒に過ごせなくて」
 シュカの誕生日はクリスマスだ。一緒に過ごせるかと期待していたのだが、ルクシウスにはもう既に先約があった。
 それだけでなく年内いっぱいは遠い場所に用があって何日も家を不在にするのだとも言われてしまって、それにはさすがに落ち込んだし、一緒に行きたいと我が儘を言いたかったけれど、聞き分けの悪い子供だと思われたくなかったシュカは物分りのいい大人のフリをした。
「僕の誕生日って知る前から決まっていたことなんでしょう?」
「それはそうなんだが…」
「だったら仕方ないです。代わりに今日と明日はめいっぱい甘やかしてくださいね」
「もちろんだ。シュカが満足するまで甘やかすよ」
 力強く頷いてくれたルクシウスの腕にぎゅうっとしがみ付く。雪混じりの風で冷えた鼻は夏よりもずっと分厚くなった彼のローブの匂いを嗅ぎ取ることはできなかったけれど、きっと変わらずジャスミンの香りがするのだろう。
 解けかけたマフラーを巻き直してくれるルクシウスのさり気ない優しさにすら恋心が募った。
 ルクシウスと過ごせる今年最後の週末だ、めいっぱい甘えてやろうと決心する。
 いつもよりも大きな鞄に詰め込んできたのはお泊り用の着替えと、少し早いが当日には渡せないクリスマスプレゼント。
 ルクシウスの家に着いて玄関のドアを閉めると、シュカはルクシウスに自分から抱き付いた。
「早速甘やかしてほしいのかな?」
「ほしいです」
「わかった」
 小さく頷いたルクシウスに抱き上げらて椅子に座らされ、近付いた目線にドキドキしていると優しく頬にキスをされた。
 そっとマフラーを解かれたが、高鳴る鼓動のせいで寒くはないし、いつの間にか暖炉にも火が熾されている。
 厚手のコートを片腕ずつ脱がされ、風とマフラーのせいで少し乱れた毛先をルクシウスの指先が弄ぶように撫でていった。
「寒くはない?」
「大丈夫です」
「お茶を淹れるから待ってて」
 左手を取られたかと思えば、手の甲に触れるだけのキスをされる。きゅうとシュカの胸は高鳴った。
 お茶の支度をするルクシウスの背中を見つめる自分の頬は真っ赤だろう。
(甘やかすっていうか、これじゃあ溶けちゃいそうだよ…)
 差し出されたジャスミンの香りのする甘いミルクティーも、添えられたルクシウスの微笑も、シュカの胸を騒がせるだけだ。
 二人で夕食を楽しんだあと、先に入浴を勧められたシュカは身体の芯まであたたまりふわふわとした心地で寝室に入った。
「そうだ、今のうちに用意しておこうっと」
 鞄の中にこっそり隠しておいたプレゼントの包みをテーブルの上に置く。
 楽しみな気持ちと心配する気持ちとで落ち着かない。少しでもルクシウスの好みに合えば良いのだが。
 壁際のベッドはいつもと同じく勝手に乱すのが申し訳なく感じるくらい几帳面に整えられている。ちんまりとソファに座って膝に顔を埋めていると、寝室のドアが開く音が聞こえた。
「先に寝ていても良かったのに」
「眠いわけじゃないんです」
 タオルを首にかけたルクシウスがテーブルの上の包みに気付いた。
「当日には渡せないから、ちょっと早いですけどクリスマスプレゼントです」
 言いながらシュカはクリスマスカードを差し出した。
 プレゼントもカードもあまり子供っぽくないように見えるデザインのものを一生懸命に選んだつもりだが、やはりどうしても緊張と不安とが頭の中を駆け巡る。
 シュカの隣に座ったルクシウスは赤い実をつけた柊が描かれたカードを開いた。
 ルクシウスの目がカードに書かれた文面を追いかけているのが嫌でもわかってしまい、手のひらに汗が滲む。毎年両親とクリスマスカードを贈り合っているのに、贈る相手が変わるだけでこうも緊張するものなのか。
「あと、これはプレゼントです…気に入ってもらえるといいんですけど……」
 シュカはテーブルの上のプレゼントを取り、改めてルクシウスに差し出した。
 母に教えてもらいながら苦労してラッピングしたプレゼントを優しく受け取ってくれたルクシウスは、嬉しそうな顔のまま踵を返す。
「私も用意しているんだ」
 そう言いながらルクシウスは机の引き出しから何かの包みを取り出した。
 濃い緑色の包装紙に細い金色のリボンが巻かれたそれは大きさが違うものが一緒になっているのか、ちょっと歪に角張っている。
「ありがとうございます!」
「一緒に開けようか」
「はいっ」
 隣に座り直したルクシウスが、シュカからのプレゼントのリボンに手をかけた。
 シュカも金色のリボンの端を掴んで、せーの、で引っ張る。
 綺麗に結ばれているリボンを解くのが勿体無いと思ったけれど、中身を確かめたい気持ちには負けた。
「これ…ルクシウスさんが寄稿していた本! いいんですか?」
「もちろんだよ。自分の本をプレゼントにするのは妙な気分だけれどね」
 真新しい初版本を見てシュカは瞳を輝かせる。もうひとつは金の箔押しで描かれたツタ模様が大人っぽいシンプルなノートだった。
「勉強熱心なシュカに合うんじゃないかと思ったんだ」
「すっごく嬉しいです。大切にします!」
「ああ、ありがとう。シュカからのプレゼントは…クッションカバーかな?」
「は、はいっ」
 シュカが選んだのは、濃い青色に染められた麻混じりの生地に金の糸で星空の刺繍が施されたクッションカバーだ。
 ルクシウスは青色を好んでいるようだったし、細やかな刺繍は手作り特有の素朴な雰囲気があり、この部屋に似合いそうだと一目で気に入って選んだものだった。四隅の先端に縫い止められている短めのタッセルが少し子供っぽいかもしれないが、なければないで物足りなく感じてしまいそうな気もする。
 ルクシウスは手触りを楽しんだあと、シュカに向けてとびきりの笑みを浮かべてくれた。
「ありがとうシュカ。私はこういったものを選ぶセンスがなくてね、とても嬉しいよ。早速使わせてもらおうかな」
 言うが早いか、ルクシウスはソファの隅に追いやっていたクッションを掴むと飾り気の欠片もないカバーを外してシュカが贈った刺繍入りのカバーをかけた。クッションの形に膨らむとまた雰囲気が変わる。
「ああ、なかなかいいね、気に入ったよ」
「良かったぁ…!」
 彩りの少ない寝室にもすぐに馴染んだ濃い青色のカバーを気に入ったようで、ルクシウスはクッションを膝に乗せると十字型の星の刺繍を数えるように指先でなぞった。
 何となくシュカがその指の動きを見つめていると、クッションカバーから飛び出した指先がシュカの手の甲に触れる。
「君は本当に、私を喜ばせる天才だ」
「だったらルクシウスさんは、僕をドキドキさせっぱなしの魔術師ですね」
「そんな私は嫌かい?」
 答えなんてわかりきっているのに、顔を寄せてわざとらしく聞いてくるところが憎らしい。シュカは近付いた顔に手を伸ばして悪戯っぽく弧を描いている唇を指でなぞる。
「嫌なわけないじゃないですか…」
「それなら良かった」
 肩を抱き寄せられて唇が重なった。
 厚手のカーテンを閉めた窓の向こう側では雪が降っているのか静まり返っていて、二人の息遣いしか聞こえない。シュカがぎこちなく口を開くと、すかさずルクシウスの舌が入り込んできた。
 静かな部屋に響く水音を聞き止めた耳がじわじわと熱を持っていく。
 息が苦しくなって唇を離したシュカを追いかけるようにルクシウスが迫ってくる。鼻で息をするようにと言われていても、速まっている鼓動のせいで酸素の供給は追いつかない。
「は、ぁ…っ」
 触れ合う角度が変わる瞬間を狙って息を吸うと、シュカの肩を掴んだルクシウスの手に僅かに力が入った。
 痛くはないけれど、逃がさないと言わんばかりの強さで捕らえられていることが恥ずかしくて、でもそれ以上に嬉しい。ルクシウスから求められているのだと体感できるこの瞬間は毎回幸せでたまらない気持ちになる。
 一頻り唇を重ねてから離れると、シュカはルクシウスの胸に閉じ込めるように抱き締められた。
「よりにもよってクリスマスに予定を入れた過去の自分を罵りたいよ」
「くふっ」
 ルクシウスがあまりにも真剣な声でそう言うものだから、シュカは耐え切れずに笑い出してしまう。
「僕だってルクシウスさんと一緒に過ごせなくて残念です。だから来年は、今年の分も合わせていっぱいくっついて過ごせばいいんじゃないですか? ね?」
 そう提案すると、ルクシウスはほんのりと困ったように眉を揺らし、それから「そうだね」と言ってくれた。
 何か変なことを言ってしまったのかと考えたシュカは、来年のクリスマスに自分が成人を迎えるのだと気付く。
「来年のクリスマスのプレゼントを、もう予約できてしまった気分だ」
 僅かに笑いを含んだルクシウスの声を聞いたシュカは自分の発言がどれほど大胆だったかを考えて熟れたリンゴのように顔を真っ赤に染め上げた。
 成人になったらルクシウスとの関係が一歩進むのだ。もっと深く、もっと強く。
 ルクシウスのものになるということがどんなことなのか未知のこと過ぎて検討もつかないけれど、たぶんきっと嬉しくてたまらないことには違いない。
 考えただけでシュカは何だか切なくなって、縋るようにルクシウスの背中に腕を回した。
「来年のクリスマスは二人だけで過ごそう」
「はい」
「シュカが成人する特別な日だからね、ご馳走を用意しないと。キャンドルと花も飾ろう。あとは…誰にも邪魔をされないように予定は一切入れないでおくよ」
「はい…っ」
 きゅうきゅうと胸が痛む。
 けれどそれは悲しい痛みではなくて、あたたかい涙が溢れそうになるくらいに甘くて嬉しい痛みだった。



       ***



 シュカの通うラディアス魔術学校が冬休みに入ると、リアンフェール図書館も少し遅れて閉館期間を迎えた。
 次の開館日は年明けなのだが、そう大して長くはない日数で大掛かりな本の移動や入れ替えを行うのだから司書という仕事は大変だ。
 しかも司書長であるルクシウスが不在ともなれば作業効率は下がる。
 ジアスとラランが気難しげに眉を顰めていたのを思い出して、シュカは何だか心配になった。リアンフェール図書館の蔵書数はとてつもなく多く、ただただ本の管理をするだけでも骨が折れるだろう。
 それでも予定どおり、クリスマスになる直前にルクシウスはシュカの知らない場所へと出かけていった。
 出立の当日、シュカは早起きをしてルクシウスの家に向かうと、長時間の移動と真冬の寒さに耐えるためにしっかりした造りの馬車に乗り込んだルクシウスに向かって寂しさを堪えて手を振った。
「行ってらっしゃい、ルクシウスさん。どうか気を付けて」
「ありがとう、シュカ。行ってくるよ」
 馬車の小窓から手を振ってくれるルクシウスを追いかけたかったが、その衝動をぐっと堪えて、シュカはとぼとぼと自分の家へと帰る。今日の昼過ぎにはアッシュが泊まりに来る予定になっているから準備をしなくてはいけないのに、落ち込んだ気分を切り替えるのに随分と時間がかかってしまった。
 テーブルクロスをクリスマスらしいものに変え、キャンドルを窓辺に並べているうちにアッシュが来た。
「口に合うかわかりませんが、皆さんでどうぞ」
 家の前に停まった場所から降り立ったアッシュが差し出した包みの中身は塊のハムで、一冬分を余裕で賄えるほどの大きさだ。
「シュカの家に泊まるのだと言ったら皆が大騒ぎしてな…」
 手土産はあれが良い、いやこれが良いと大騒ぎをした結果、気軽に消費できる食べ物のほうが良いだろうということで議論は落ち着いたのだが、そこからまた食べ物ならば何が適切かという議論が再び勃発したのだそうだ。
 クリスマスということもあって七面鳥のローストが合うのではないか、いやいやケーキのほうがクリスマスらしいのではないか、もういっそクリスマスディナーを作ってしまうのが手っ取り早いのではないか。
 少しずつ白熱していく議論に終止符を打ったのは執事のノーランドだった。
「傷みの早いものよりは日持ちするものが良いかと思いますし、ハムを手土産にしてはいかがでしょうか」
 ミシェーラが淹れてくれたお茶を飲みながら経緯を話したアッシュが苦笑する。
「家同士の付き合いで他人の家に招かれたことはあるが、こういった立場では訪ねたことがなくてな」
「そんなに深刻に考えなくてもいいのに」
 かくいうシュカも友達の家に泊まり行ったことはないのだけれど、それにしてもアッシュは堅苦しく考えすぎだと思う。
 シュカはお茶を飲み終わるとアッシュを連れて村を散策することにした。入学と共にあの屋敷にやって来たアッシュは学校と屋敷との往復をするだけで村を見て回ったことはないらしい。
 村はすっかり雪に染められていたが、まめに道や広場の雪かきが行われているおかげで歩きにくさはない。
 厚手のコートをしっかりと着込んだ二人は雪の感触が残る広場へとやって来た。
「随分と大きなモミの木だな」
「毎年クリスマスには村のみんながキャンドルを持って集まって、ここで一緒にお祈りするんだよ」
「祈る? 何に?」
「うーんと、クリスマスって元々は聖人の誕生日をお祝いする日だったんだけど、この村では一年間平和に過ごさせてくれてありがとうって感謝する日になってるんだ」
「そうなのか…だが、それはいい風習だな。皆が平和に過ごしてくれると俺も嬉しい」
 何気なく呟かれたアッシュの言葉はまるで王様のようで、彼がいずれは人の上に立つことになる人間なのだと改めて気付かされた。
 シュカはモミの木を見上げるアッシュの横顔を黙って見つめていたが、頭を振って物悲しさを退けると、モミの木を指差してわざと明るい声を出した。
「アッシュ君、見て! あの鳥の形の飾りはね、ルクシウスさんが用意したものなんだよ」
 薄い木の板から切り出された二羽の鳥のシルエットは円満な夫婦や恋人の象徴なのだと、飾りに紐を結び付けながらルクシウスが教えてくれた。
 もうすっかりそうするのが当たり前になって過ごしてきたクリスマスの飾りのひとつひとつに幸せを引き寄せるための意味が込められているなんて、ルクシウスから聞くまで何ひとつ知らなかった。
「お祈りを済ませたら、ひとつずつ飾りを持って帰って一年間大切にするんだよ。翌年のクリスマスには前の年に持って帰った飾りを持ってきて、ありがとうって気持ちを込めながら火にくべるんだ」
 そう言ってシュカが指差した広場の奥には薪が組み上げられていて、雪がかかって湿ってしまわないようにシートが被せられている。
 家族で、夫婦で、恋人や友人同士で。聖夜の焚き火を囲む顔ぶれは違っていても一年の平和を願う気持ちは皆同じだ。
「今年はアッシュ君も一緒に行こうね」
「ああ。シュカさえ良ければ」
「いいに決まってるでしょ」
 シュカはアッシュと共に過ごすクリスマスがますます楽しみになった。
 アッシュにとっては何の変哲もない至って平凡な村だろうに、彼はシュカがあちこちに連れ回しても嫌な顔ひとつすることなく付き合ってくれた。
 最後に連れて行ったのはシュカのお気に入りの場所だ。
 水面に薄氷が張った小さな湖は夕暮れと夜の狭間に浮かび上がるように美しくて、真っ直ぐに視線を向けたままアッシュは白い息を大きく吐き出した。
「この村に来れたことを、とても嬉しく思う」
「急にどうしたの」
 シュカがアッシュの顔を覗き込むと、彼は少しだけ沈黙してから口を開いた。
「今まで俺は、自分の婚約者のことを誰かに話したことはなかったんだ。もちろん一族の間には広がっている話だが、一族以外の、精霊が付ける痣のことを知らない者に話したことはなかった…」
 アッシュがマフラーの上から首元を押さえる。そこには以前、彼が見せてくれたオモチャの指輪があるのだろうとシュカはすぐに気が付いた。
「いずれ諦めるつもりでいたんだ」
「え…?」
「婚約を破棄しようと考えている」
「どうして? だって、好きなんでしょ? 婚約者の人のこと、今もずっと好きなんだよね?」
「ああ。だが…会ってもくれないんだ…話すことすら満足にできなくて、それでも婚約者と言えるか?」
「それは…」
 口ごもるシュカに切ない目を向けたアッシュが苦く笑う。
「だから、俺のこの気持ちが確かにここに存在していたことをシュカが知ってくれて嬉しいんだ。ありがとう」
 手首の痣を服の上からなぞったアッシュにかける言葉を見つけられない自分が無性に腹立たしくて悔しくて、シュカは強く唇を噛み締めた。
 それから二日後のクリスマスの夜、夕食の支度を終わらせてから来ると言った両親を家に残してシュカは約束どおりアッシュと共に広場へとやって来た。
 時々酷く心配性になる父は子供だけで夜道を歩かせるのは危ないと言っていたが、今夜はお祈りのために遅い時間でも出歩いている人は多いし、玄関の前にキャンドルを並べている家もあって、村中がいつもよりもずっと明るく感じる。
 広場にはもう既に人が集まっていた。
 ひらひらと雪の花が微かに舞う中、暖を取るためにホットワインを飲んでいる大人の姿を幾つも見つけられる。
 シュカもアッシュの手を引いて子供用のあたたかいリンゴジュースをもらうと、広場の奥で燃え上がる焚き火の中に去年持って帰ったリンゴを模した飾りをそっと投げ入れた。
「リンゴは確か、知識を意味していたんだったな」
「うん。魔術学校に通えることになったから、いろんなことをいっぱい覚えられますようにって願かけしてたんだ」
「シュカらしい」
 小さく声を上げて笑うアッシュを恥ずかしそうに睨んだシュカは、ツリーの前で祈りを捧げてから手が届きそうな低い場所に飾られていた鳥の飾りを枝から外す。
「アッシュ君はどれにする?」
「…俺もいいのか?」
「当たり前だよ」
「なら……そうだな…」
 シュカの真似をして祈りを捧げたアッシュは、シュカが取った鳥の飾りのすぐ近くに引っ掛けられていたベルの飾りを外した。喜びの訪れの象徴であるベルの飾りはアッシュが持つのに最適だと、密かにシュカは思う。
 そうこうしている内にシュカの両親も合流し、村人達に混ざって雪が舞う寒空の下で聖夜の景色を楽しんだ。
 夜が深まるにつれて空から舞い落ちる雪は数を増していき、広場に集まっていた人々は少しずつ家へと帰っていく。
 道沿いの家の玄関先では、微かな風に揺らめいているキャンドルの明かりが何とも幻想的だ。これもクリスマスの夜の楽しみだとアッシュに教えながら家への道を歩く。
 家に帰ると、四人でクリスマスの特別なメニューを食べた。
 母の自慢の野菜をたっぷり使ったサラダの上にはアッシュが持って来てくれたハムがまるで花のように飾られていたし、表面をカリカリに仕上げたローストポークも特別な日だけの料理だ。スープもサラダも普段よりも少しだけ手が込んでいる。
「ここまではクリスマスのお祝い。そしてこれはシュカのお誕生日のお祝いのケーキよ」
 食事の後に母が出してくれたのは砂糖漬けのベリーが可愛らしく飾られた小さめのケーキだった。
 しかしシュカの隣でアッシュは目を丸くしている。
「誕生日だったのか?」
「うん。あれ、言ってなかったっけ?」
「聞いていないぞ! 言ってくれればプレゼントを用意したのに…」
「そんなの気にしなくていいよ。うーん…じゃあ今年はアッシュ君がうちに来てくれたことがプレゼントってことで。ね?」
「俺のほうが嬉しくなっているんだから、シュカへのプレゼントにならないだろう」
 そんなやり取りを聞いていたイーサンとミシェーラはついつい笑い出してしまった。
 遅れてしまうがちゃんと用意するからなと念を入れて宣言されてしまったシュカはアッシュの誕生日を聞き返し、彼の誕生日プレゼントも用意しようと決めた。
 それからみんなでケーキを分け合って食べて、シュカはアッシュと共に部屋に戻った。
「おなかいっぱいになったね」
「ああ、さすがにもう入らないな…」
 丸く膨らんだおなかを擦りつつ、シュカはアッシュと顔を見合わせて自然と笑い合う。
「こんなふうにクリスマスをゆっくりと過ごしたのは初めてだ」
「アッシュ君のおうちではいつもどう過ごしてたの?」
「毎年この時期はあちこちでパーティーを開いていた。まあ、体のいい顔色伺いだな。ただでさえ窮屈な衣装を着ているのに、ゴマ擦りだけは上手いヤツらの挨拶を延々と聞かされるのはさすがに疲れる。今年はシュカが誘ってくれたおかげで楽しく過ごせた」
「そっか、なら良かった。僕もアッシュ君と過ごせてすごく楽しかったよ」
「飾りをもらってしまったことだし、来年もこちらで過ごすとしよう」
 そう言って笑うアッシュは悪戯っ子みたいだったが、さすがに年明けの挨拶回りからは逃げられず、翌日の昼過ぎに迎えの馬車に乗って帰っていった。
 一気に静かになった家の中が寂しい。
 掃除を手伝いながらもシュカは物憂げな様子で雪が降り続ける外の様子を窓から見つめていた。ルクシウスは年内には帰ってくる予定だが、降雪の程度によっては数日遅れてしまうかもしれない。
 そんな息子を見かねたのか、ようやく仕事が一段落したらしい父が珍しくお茶の用意をしてくれた。
 ジャムを溶かした紅茶は身体があたたまる。だが父がお茶にジャムを入れるのは、渋くなってしまった紅茶の味を誤魔化すためだと知っているシュカはつい小さく笑みを零した。
「お父さん、学生時代のルクシウスさんってどんな感じだった?」
 シュカが尋ねると、イーサンは少しばかり眉間にシワを寄せた。
 もちろん父がルクシウスのことをあまり良く思っていないことは知っている。話してくれないかもとシュカが考えていると、イーサンはお茶を一口飲んでからテーブルにカップを置いた。
「あの人は、優秀すぎて孤独だったよ」
 思いがけない言葉にシュカは目を瞬かせ、口に含んだお茶を慌てて飲み込んだ。
「入学してすぐの頃にはもう上級魔術を使いこなしてて、教師陣だって知らないような古代魔術にも詳しくて、いつだって沈着冷静で少しの隙もない。知識だって同年代の生徒となんか比べ物にならなかった。最初こそお近付きになりたいと思ってるヤツらに囲まれてたけど、いちいち物言いがきつくてな…。何と言うか、傷口を抉って開いたところに岩塩を塗りたくられるみたいな言い方をされちゃ、並の人間なら傍にいたいなんて思わないだろ」
「…うん」
「事実、俺が入学した頃にはもう、あの人と周りとの壁はかなり分厚くなってたよ」
 他人が嫌いだったと言ったルクシウスを思うと胸が痛い。
 いつだったか読んだ本にも孤独ほどつらいものはないと書いてあったことを思い出すと、シュカの胸の痛みはさらに増す。
「あの人が卒業するまでの数年、同室で生活してる間に何度ため息をつかれたかなんて覚えてないくらいには散々だった。呼吸するのと同じくらい自然に嫌味も言われたしな」
「今のルクシウスさんからは想像できないね」
 カップから視線を上げたシュカが言うと、イーサンはちらりと視線を投げかけてきた。
 口を挟んでしまったことを咎められるかと思ったが、父は「だろ?」と肯定しただけだった。
「在学中にあの人が他人と仲が良さそうにしてるのを、俺は一度も見たことがなかった」
 何と言っていいかわからないままシュカはカップの中身を飲み干す。
「だから、お前があの人を恋人だって連れて来た時は、絶対に許さないつもりだったんだ」
 イーサンは真剣な眼差しでシュカを見ていた。
 シュカもそんな父を真っ直ぐに見つめる。
「けどなぁ…久しぶりに会ったあの人は別人みたいになってた。これはもう同姓同名の別人だろって本気で考えたくらいには、あの頃の印象とはかけ離れてたな。魔術師も辞めて司書になってるってのにも驚いたよ」
 シュカは頷きながら、ルクシウスが変わったのはヤドリギの精霊のおかげだと心の中で呟いた。
「あの人と一緒にいて幸せか?」
 静かな声で聞かれ、シュカはしっかりと頷く。
 幸せだ。ただ傍にいるだけで心の奥からあたたかい感情が湧き出てくるようだった。
 かつてのルクシウスがどれほどの孤独の中にいたのかシュカには想像することしかできないが、それでも今のルクシウスと共にいられることが泣き出してしまいそうなほど幸福だ。
 穏やかな微笑みを向けられ、あの腕に抱き締めてもらえることは、何にも変えがたい奇跡だと思う。
 彼がどうして自分みたいな子供に愛情を向けてくれるのか不思議に思うことはあるけれど、理由なんかもうどうでもいい。
「僕ね、ルクシウスさんに好きになってもらえて、本当に幸せだよ」
 答える声が涙で潤んでいる。
 父は「そうか」とだけ言うと、手を伸ばしてシュカの頭をそっと撫でてくれた。
 一秒でも早くルクシウスに会いたくなって、ぽろぽろと涙を零しながら、シュカは今も降り続けている雪がルクシウスが帰ってくる間だけでも弱まってくれるようにと祈った。
 家の玄関ドアがノックされたのは、その翌日の夕暮れ時のことだった。
 母の隣で夕食の準備を手伝っていたシュカはノックの音に気付かず、居間にいた父がドアを応対した。
「シュカ」
「なぁに?」
 父に呼ばれて振り返った先には、シュカが心から帰りを待ち望んでいた人が立っていた。
 厚手のコートの肩に払いきれずに残った雪の欠片が部屋の明かりを反射して宝石のように光っている。
 息をすることさえ忘れて立ち尽くすシュカを招き入れるために僅かに広げられた両腕を見て、ここが自宅であることも、両親の目があることもシュカの頭の中から吹き飛んだ。
「ただいま、シュカ」
 勢いよく飛び込んだ腕の中は甘く涼しげな花の香りがした。
「お帰りなさい、ルクシウスさん! え、でも帰ってくるのは年内ギリギリになるって…」
「本当はその予定だったんだが、私がシュカに会いたくてたまらなくて早めに切り上げてきてしまったんだよ」
「大丈夫なんですか?」
「ああ。ちゃんと目的は果たしているからね」
 腕の中に飛び込んだシュカをしっかりと受け止めたルクシウスが髪を撫でてくれる。雪を払ったせいで少し冷えたその手さえも愛しくて、シュカは広い背中に回した腕にますます力を込めた。
 会えなかった数日分の出来事を話したいのに口を開いたら涙も一緒に出てしまいそうで言葉にならない。
「イーサン、ミシェーラ…すまないが、このままシュカを連れて行っても構わないか?」
「いいですよ」
 真っ先に許可の声を上げたのはイーサンだった。
 ミシェーラもルクシウスも驚いて目を丸くする。
 二人の視線を受けて咳払いしたイーサンは、ルクシウスの胸に顔を埋めた体勢から動かない息子を見て苦笑した。
「ただ、年が明けたらすぐに進級試験があるんで、その勉強だけはしっかりやらせてくださいね。先輩」
「…ああ、わかった」
 シュカはルクシウスに促され、急いで部屋に飛び込むと勉強に必要な教科書や参考書を鞄に詰め込んだ。着替えは少しならルクシウスの家に置いたままにさせてもらっているものがあるから大丈夫だろう。
 ルクシウスが外で待たせていた馬車に乗り込む寸前、シュカは玄関先まで見送りに出てくれた両親を振り返った。
「お父さん、ありがとう」
 父は何も答えなかったけれど、頬に浮かんでいる笑みが背中を押してくれているような気がした。
 扉が締まるとすぐに馬車は動き出した。
 シュカは顔を近付けていた窓から離れて席に座り直すと、改めてルクシウスに目を向ける。たった数日離れていただけなのに、会いたくてたまらなかったはずなのに、いざとなると上手く言葉を吐き出せない。
 ルクシウスの顔を見ては目を伏せて、また彼の顔を見ては頬を染めてを繰り返すシュカに、とうとうルクシウスが笑い出した。
「隣に座ってくれないのかい?」
「あ…えと、じゃあ…失礼します」
 おずおずと隣に座った途端、ルクシウスの腕が伸びてきてシュカを捕まえてしまう。首筋に顔を埋められてくすぐったさに身を捩るものの、ルクシウスの腕の力は強くて逃げられない。
 自分の存在を確かめてでもいるかのようにしっかりと抱き締めてくるルクシウスの背中をそっと撫でたシュカは微かな声で囁いた。
「会えなくて寂しかったです」
「私もだよ。シュカの声が聞きたくてたまらなかった」
 ようやく腕の拘束を解いてくれたルクシウスがシュカの顔を覗き込む。
 シュカは目を閉じて、お帰りなさいを唇で伝えた。
「この数日はどう過ごしていたんだい?」
 家に着き、御者に代金とは別の心付けを上乗せして手渡したルクシウスが開けてくれたドアを潜ったシュカは何から話そうかとうずうずしてしまう。
 ルクシウスがお茶を用意してくれている間も横にぴったりと張り付いて、アッシュと過ごしたクリスマスを順を追って話して聞かせ、アッシュがベルの飾りを選んだことまで話したところでお茶の準備が整った。
 あたたかくて甘いミルクティーは相変わらずジャスミンの香りが心地良く鼻を通り抜ける。
 満足げな息を吐き出したシュカを、ルクシウスは静かに見つめていた。その視線があまりにも優しくてむず痒い気分になる。
「そういえば、ルクシウスさんは何をしに出かけてたんですか?」
「ん、ああ…以前、水と風の精霊を男女に区別して呼び分けている研究者の話をしたのを覚えているかい?」
「はい。男のシルフをシルヴァ、男のウンディーネをアンディーンと呼んでいるんでしたよね」
「そのとおり。良く覚えていたね」
 ルクシウスに褒められてシュカはふわりと頬を染めた。
「その研究者が住んでいる場所の近くに質の良い鉱石が取れる洞窟があってね、次の原稿の取材も兼ねて久しぶりに顔を出しに行っていたんだ」
 家を訪ねて顔を合わせるなり、相手はルクシウスに「恋人でもできたのか」と聞いてきた。
 それを告げられたシュカは大きな目をさらに丸くする。
「な、なんでわかったんですか…?」
「顔付きが違うと言われたよ。今の私は満ち足りた顔をしているらしい。残念ながら自分ではわからないが」
 苦笑を浮かべながら自分の頬を触るルクシウスを見つめるシュカのほうが首まで赤くなってしまった。
 ルクシウスを満たしているのが自分だと言われたような気分だ。けれどもしそうだとしたら、こんなに嬉しいことはない。
「成人前の子と婚約したと言ったらさすがに驚いていたようだったが、喜んでもくれたよ。やっと人間らしくなったな、とね」
 父から聞いた学生時代のルクシウスの話を思い出す。
 昔のルクシウスは今の彼のように優しく笑うことなんてなかったんだろう。
 誰も寄せ付けず、誰も必要としない。優秀なルクシウスにはそれで良かったのかもしれないが、そんなのは悲しすぎる。
 考えただけで胸が苦しくて、痛くて、シュカは浮かびそうになる涙を堪えた。
「僕、ルクシウスさんと恋人になれてとても幸せです」
 椅子から立ってルクシウスの傍に寄り、いつもと目線の高さがほんの少しだけ逆転している彼の頭を抱き締める。ぎこちない手付きで髪を撫でているとルクシウスの腕がシュカの腰に回された。
 じんわりと伝わってくるルクシウスの体温さえも愛しくて、シュカはますますルクシウスを抱き締める腕に想いを込める。
「ずっとルクシウスさんの傍にいさせてください」
「それは私の台詞だよ」
 いつの間にかルクシウスの膝の上に座る大勢になっていたシュカは、彼からのキスを待つのではなく、自分から顔を近付けた。
 微かに唇の表面が触れるだけではあったけれど、心臓は痛いほど大きく騒いでいる。
 真っ赤に染まり上がったシュカの頬にルクシウスの指が滑った。耳をくすぐり、髪を乱しながら首の後ろに回った手のひらはあたたかい。
「好きだよ、シュカ」
「僕も…です」
 泣きたくなるほどの幸福感に喉を詰まらせたシュカはルクシウスの首に腕を回して、二人を隔てる隙間がもどかしいと言わんばかりにしがみ付いた。
 過去のルクシウスの心を変えたのはヤドリギの精霊だが、これからのルクシウスの心を守るのは自分の役目ではないか。いつしかそんな気持ちがシュカの中に生まれていた。
 勉強のことなんて頭からすっかり抜け落ちて、眠りに就く寸前まで何度もキスを交わしながら、シュカはルクシウスから離れようとしなかった。
「おやすみ」
 シュカが夢に落ちる狭間に滑り込んできた声は、確かに満ち足りたように穏やかで優しく、柔らかい音をしていた。

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