愛を誓うならヤドリギの下で

月居契斗

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愛を誓うならヤドリギの下で 10

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 穏やかな春が過ぎて夏が来た。
 木々は緑を濃くして、瑞々しい枝葉を力強く伸ばしている。
 色とりどりの花の季節は終わってしまったが、シュカは馬車の窓から外の景色を眺めて楽しそうに顔を綻ばせていて、その隣ではアッシュが同じように明るい表情で笑っていた。
「みんなでお出かけするのって楽しいね」
「そうだな。俺もこうした外出の仕方は初めてだ」
 ささやかな歓声を上げる二人の向かい側の座席ではルクシウスとジークフリートが並んで座っていたが、そちらはずっと無言のままだ。特にジークフリートは不機嫌さを隠そうともしていない。
 そんな婚約者に気付いていながらも、アッシュはシュカの隣から動こうとはしなかった。
「坊ちゃん、もうすぐ着きますから座っててくださいよ」
「ああ、わかった」
 御者が小窓からかけてきた声を聞いたシュカは慌てて座席に腰を据える。アッシュもおとなしく座り直すと、しばらくして馬車はゆっくりと速度を落としはじめた。
「ここに来るのは久しぶりですね」
「そうだね。いつ来ても賑やかな街だ」
 馬車から降りたシュカはルクシウスを見る。ここは以前シュカがルクシウスと一緒に来たことのある商都だ。
 あれから一年近く経っているが、相変わらず人手が多く活気に満ちている街並みを見ているだけでも楽しくなってしまう。それでなくともこの街には特別な思い入れがある。
 シュカは左手の薬指に嵌めた指輪に視線を向け、それからくすぐったく微笑んだ。
「シュカ、まずは宝飾品店に案内してくれ」
「うん!」
 今日の目的は、一年前に訪れたシェングン宝飾品店にアッシュを連れて行くこと。
 シュカがルクシウスから贈られた指輪のことを話したことがアッシュからジークフリートにも伝わったようで、夏休みになったらぜひ案内してほしいと頼まれた。それなら四人で行きたいとシュカにねだられて休みの申請をしたルクシウスも交えて、今日という日は実現したのだ。
 今にも人ごみの中へ走り出してしまいそうな婚約者を見つめるルクシウスとジークフリートの目は、それぞれに違う色を宿している。
「アッシュ、こういう時はまず俺の手を取るべきだろう。俺はお前の婚約者なんだから」
「な、何を言っているんだ。あんたも俺もこの街のことは知らないんだから、知っている者に案内を頼むのは道理だろう」
「だったらルクシウスのほうが適任じゃないか」
 その意見は尤もだったが、アッシュはシュカの手を握ったまま離れようとしない。
 互いに一歩も引かない二人の様子を見ていたシュカはルクシウスに視線を向け、そして彼と同時に笑い出した。
 素っ気ないことを言いながらも頬を赤くしているアッシュを見れば、彼がただただ恥ずかしがっているだけだとすぐにわかる。春先の川岸でようやく想いを交した二人は今が蜜月という雰囲気だった。
 教師としてのジークフリートは変わらず淡々とした独特な教え方をしているが、授業中にこっそりとアッシュに視線を向けていることをシュカは知っている。
 しかしアッシュはそれまでちっとも使えなかった精霊魔術が使えるようになったことに夢中になるあまり、ジークフリートの熱い視線にはまったく気付いていないのが切ないところだ。
「まあまあ、落ち着きなさいジークフリート。婚約者を独り占めしたい気持ちはよくわかるが」
 春先の一件以来交流を持つようになったルクシウスとジークフリートは、年下の婚約者を持つ者同士、互いの名前を敬称なしで呼び合うほどに意気投合した部分があるらしい。苦笑を浮かべたルクシウスに諌められたジークフリートは渋々案内役をシュカに譲ってくれた。
 アッシュの恥ずかしがり方はルクシウスと付き合いはじめたばかりの頃の自分に似ているような気がして、シュカは何となく落ち着かない気分になる。
 一年ぶりの街並みに大きな変化はなく、シュカはすんなりと目的の店にアッシュを案内することができた。ドアベルが軽快な音を立てる。
「いらっしゃい」
「こんにちは」
 店主然とした態度で出迎えてくれたのは一度見たら忘れられない派手な装いの青年で、彼はやはりキラキラと光る輝石を散りばめたターバンを頭に巻いていた。
「あー、何か見覚えある気がする…」
 青年がシュカとルクシウスを交互に見る。たった一度来たことがあるだけなのによく覚えているものだとシュカは感心した。
 その時だ。
「ちょっとリカード、何かやらかしたッ? 石がめちゃくちゃ騒いで耳が痛いんだけど!」
 足音も荒く階段を駆け下りてきた少年が耳を押さえながら喚く。
 そのあまりの剣幕に驚いた四人は出入り口のすぐ近くで動きを止めてしまった。
「ロメルマリア、お客さんが来てるからお淑やかにな」
 眉を吊り上げていたロメルマリアと呼ばれた少年は唖然とするシュカ達に気付くと一気に頬を赤くし、派手な青年が座っている椅子の脚を蹴った。だがもちろんリカードにはまったくダメージなんてなくて、逆に足先を痛めた少年は憎らしげに青年を睨み付ける。
「悪いんだけど、黒髪のお兄さんだけでも一旦店の外に出てくれないかな」
 ジークフリートは首を傾げながらも店の外に出て行くが、ドアのすぐ傍を陣取ってそこから動くつもりはないようだ。
 それでも少しはマシになったのかロメルマリアは恐る恐る耳から手を離す。
「耳が痛すぎて死ぬかと思った…」
 ロメルマリアが持っている石の声が聞こえるという特殊な能力のことをシュカからこっそりと耳打ちされたアッシュは驚きを隠せない表情で彼に目を向けるものの、生まれつき精霊に好かれやすい婚約者がいるアッシュはすぐにそれを受け入れた。
「改めていらっしゃいませ。今日は何かお探しで?」
「その…婚約指輪に使う石を探しに来たんだ」
「指輪は誰が着けるの?」
「お、俺だ…」
 ロメルマリアは顔を赤くしたアッシュをジッと見つめ、それから番犬のような雰囲気を纏いながら店の外で待っているジークフリートを見る。
「…あの黒髪のお兄さんって何か変わってる体質の人?」
「体質というか、生まれつき精霊に極度に好かれやすいと聞いている」
「それでかー!」
 叫んで頭を掻き乱しながらカウンターに突っ伏したロメルマリアの髪を、リカードがおもしろがっている顔で掻き回す。その手を邪険に叩き払ったロメルマリアは咳払いをして居住まいを正した。
「魔力を含んだ石っていうのは当然、精霊の影響も受けやすいんだ。人間が持つ魔力よりも、精霊の魔力のほうが遥かに純粋だしね。だからあのお兄さんみたいに精霊に好かれやすい人が近付くと、石もそわそわするっていうか落ち着かなくなっちゃうっていうか、そんな感じ」
 何となく理解したシュカとアッシュは、なるほどと頷く。
「だとしたら…うーん、こんなに騒がれちゃうと石を選ぶのも大変だなぁ」
 ロメルマリアが眉を顰めて頭を抱えたその時、再びドアベルが軽快に鳴り響く。
 店内にいる全員の視線を集めた小柄な老人は微塵も動じずに無言のまま手をひとつ鳴らした。空気をビリリと振動させた老人は皺がくっきりと刻まれた眉間をさらに険しくさせてカウンターに近付くと、耳を抑えたロメルマリアの頭に見るからに硬そうな握り拳を落とす。
「いっっったぁい!」
「お前はいつまで経っても石に舐められおって、情けない」
「そんなこと言われても…」
 殴られた頭を抑えて目に涙を滲ませたロメルマリアの後ろではリカードが声を殺して笑っていた。
 老人は鼻から息を吐くと、店外のジークフリートに入ってくるよう声をかける。
「すまんかったのう、お客人」
「俺が入っても大丈夫なのか?」
「じいちゃんが石達を鎮めてくれたから、もう平気です」
 石の声が聞こえるだとか、騒いだ石を鎮めるだとか、つくづくこの宝飾品店の従業員は変わっている。
 ロメルマリアはカウンターの前に置いてある椅子に座るようアッシュに勧めると、奥の棚から小さめの原石が乗せられたトレイを運んできた。
「じゃあ、今からこの石を端から順に持ってみて」
「わかった」
 シュカも以前そうしたようにアッシュが何の石かもわからない塊を手に取ると、ロメルマリアは目を閉じて耳を澄ました。それを誰もが息を殺して見守る。
 やがてアッシュがトレイに並べられていた石をすべて持ち終わると、すぐにロメルマリアは目を開けて息を吐いた。
「この辺りがいいかな。カーネリアン、ルビー、琥珀。どれも火の精霊と相性のいい石だね」
「ジークフリート、あんたはどれがいいと思う?」
「…すべて使うことはできるのか」
「もちろんじゃよ」
 ジークフリートの問いかけに頷いたのは老人だった。
 カウンターからロメルマリアを追い出した老人は一冊の古びたノートをどこかから引っ張り出す。開かれたノートには様々な指輪のデザインが描き込まれていた。
 大きな石が目立つように配置されたもの、小粒の石を全面に散りばめたもの。それとは逆に石が目立たないようにデザインされた指輪もあった。
「ロメル、少し早いが食事にするといい。いつもどおり孫のお守りは任せたぞ、リカード」
「ああ、任された」
「離せってば! 俺もじいちゃんのデザイン見たいのにーっ!」
 膨れっ面で喚きながらリカードに引っ張られて店から出て行ったロメルマリアを見送ったアッシュが老人に向き直る。
「できればこの指輪と同じ作りにしてもらいたいんだが…」
 老人はアッシュが差し出したオモチャの指輪を受け取り、細かい部分まで素早くノートに描き写した。そこに加えられた三種類の石のせいでデザインは僅かに違ってしまう部分もあるが、大元の印象からはほとんど変わらない。
 続いてアッシュの指のサイズを確認した老人はにこやかに目尻を垂らした。
「できあがり次第、すぐに連絡するからのう」
「楽しみにしている」
 宝飾品店を出た四人は路地の奥まった場所で見つけた落ち着いた雰囲気のカフェに入った。昼食にはまだ少し早い時間だが、昼の忙しい時間帯になると四人まとまって入れる余裕がなくなりそうだとアッシュが提案したためだ。
 手早く注文を済ませると、アッシュがテーブルの向こうからシュカに視線を向ける。
「シュカの言っていたとおり、なかなかおもしろい店だったな」
「でしょう? 石の声が聞こえるなんてすごいよね。どんな音なんだろう」
 うっとりと表情を緩ませたシュカが虚空に視線を飛ばした。
「ジークフリート、あんたは精霊が見えるんだろう? どんなふうに見えてるんだ?」
 アッシュが興味の矛先をジークフリートへと移す。
 以前ルクシウスから精霊にも性別があるのだと聞いて以来、性差があるなら外見にも差があるのではと考えていたシュカも興味をそそられて身を乗り出す。
「特に形は定まっていないな。僅かに色が付いた靄のようなものもいれば、教科書に載っているのと近い形のものもいる」
「見る人によって姿が違っているのは、精霊が概念で形成されているからとも言われているね」
「概念、ですか?」
 博識の恋人が自分の知識欲を満たしてくれる瞬間が好きだと密かに自覚しているシュカは、隠し切れない好奇心に目を輝かせて隣に座ったルクシウスを見た。
「見た人が精霊を恐ろしいと思えば恐ろしい姿になるし、美しいと思えば美しい姿になる。もちろん精霊にも魔力の差はあるから、魔力が強い精霊に会った人は無意識に恐怖心を抱いて、その恐怖心に近しい姿を想像する。例えば…火の上位精霊であるイフリート、とかね」
 言いながらルクシウスが意味ありげにジークフリートに視線を向ける。対するアメジストの瞳が好戦的に光ったが、それには誰も気付かなかった。
 シュカが知っているイフリートは大抵は強い炎を纏った屈強な男性として描かれていることが多い。その姿さえも見る人によって変わってしまうのかと思うと、興味深さと共に困惑が浮かんでしまうのは否めない。精霊をどんなイメージで捉えれば良いのかわからなくなる。
「あ、そうだ、ルクシウスさんが見たことのある風の精霊はどんな姿だったんですか?」
「鳥の姿をしていたよ。その時の印象が強いからか、私の魔術が可視化されると鳥の形になることが多いかな」
「俺の指輪を見つけてくれた時も鳥の形をしていたな」
「そういえばそうだったね」
 アッシュの言葉に、シュカが相槌を打った。
 川の中に落ちたオモチャの指輪を見つけた時、ルクシウスの魔術は半透明ではあったものの鳥の形になり、忙しなく動く翼の音が聞こえてきそうなほどに違和感なく鳥の動きそのものだった。
「魔術や魔力が可視化するのは誰にでもあることなのですか?」
「いや、可視化するのは一定以上の魔力を持った魔術師に限られているようだよ」
 アッシュの質問に答えるルクシウスの言葉に、シュカは自分の魔術は目で見ることはできないかもしれないと考えた。
 魔力の強さは血筋に比例することが多い。名門であるフォール家の直系の血筋であるアッシュの魔術が可視化する可能性は極めて高いだろう。
 黙り込んでしまったシュカの頭の中を読み取ったかのように、ルクシウスがプラチナブロンドを撫でてくれた。振り返って仰いだ恋人は「心配いらないよ」と言っているみたいに優しい表情をしていて、もうそれだけでシュカは込み上げてしまった不安を消すことができた。
 そうこうしている間に注文した料理がテーブルに並び、シュカは慣れた手付きで大皿のサラダを取り分ける。新鮮な野菜とスライスされた鶏ハムのサラダは見るからにおいしそうだ。
「いただきます」
 示し合わせたように全員でそう言うと、しばらくの間テーブルには沈黙が満ちた。
 シュカが注文したのはシンプルなピラフだったが、バターの香りとコンソメの味が染み込んでいて勝手に頬が緩む。
 食後のドリンクまでしっかりと堪能してからまた談笑し、昼時になったために混雑してきた店を出たところでアッシュが突然シュカの肩を掴んだ。
「俺はシュカと見て回りたい場所があるから、しばらく別行動をしてもいいだろうか」
 質問の体ではあるが、言葉尻には決定事項だと言わんばかりの勢いがある。
 ルクシウスは戸惑った様子のシュカの頭を撫でてから、アッシュに向かって「構わないよ」と答えた。
 やや渋い表情のジークフリートは無言だったが、反対意見を言わないところを見ると別行動を許してくれるようだ。
「では、二時間後にこの場所で」
 手短にそう言うとアッシュはシュカの手を掴んでさっさと歩き出してしまう。
 取り残されたルクシウスとジークフリートは二人の背中が人ごみに紛れて見えなくなってもしばらくその場に佇んでいたが、どちらともなく息を吐き出すと顔を見合わせた。
 年下の婚約者に振り回されているような気がするものの、それも悪くないなんて考えている顔だった。
「この街に来るたびに顔を出す書店があるんだが、一緒にどうかな」
「…行く」


 大人の婚約者達から離れた場所で足を止めたアッシュは少し先に緩やかに水が流れる古びた噴水が設置されたちょっとした広場があるのを見つけて、そこにシュカを引っ張った。
 偶然空いたベンチに座り、日差しを反射してキラキラと光る噴水の流れを見つめるアッシュの横で、シュカも同じように噴水に目を向ける。
 噴水のモニュメントはユニコーンで、微睡むように座っている足元から絶え間なく水が流れ落ちていた。湿り気を帯びたユニコーンの像には薄く苔が生え、ところどころヒビや欠けもあり何となく物悲しい気分になるが、伏せられた目元は穏やかで悲観的には見えない。
「見たい場所ってここ?」
「いや、あれはあの場を離れるための咄嗟の思い付きだったんだが、この街にはこんな場所があったんだな。ここなら落ち着いて話ができそうだ」
 わざわざ別行動にしてまで二人きりで話したいこととはなんだろうか。
 つい緊張してしまったシュカに気付いたアッシュが苦笑する。だが、彼はすぐにその表情を引き締めた。
「シュカに聞きたいことがあるんだが、いいか?」
「そんなに改まって聞きたいことって…?」
 アッシュはシュカに向けていた視線を再び噴水に向けた。
 辺りを忙しなく行き交う人ごみは適度なざわめきで内緒話を覆い隠してくれる。
「ルクシウスさんとは肉体関係を持ったのか?」
「んぐふっ」
 変なタイミングで息を吸ってしまい軽く噎せたシュカは涙が滲んだ目で呆れ顔のアッシュを咎めるように見つめた。
「驚いた…まだなのか。付き合いはじめてから一年は経っているんだろう?」
「僕が成人するまで待つって言われてるんだよ。それより! アッシュ君のほうこそどうなの? キ…ス、くらいした?」
「アイツとはベッドを共にした」
 シュカだってルクシウスと同じベッドで眠ったことはあったが、頬に不自然な赤みを浮かべたアッシュが言っているのはそういうことではないのだと気付いてしまったシュカはじわじわと頬を赤くする。
「それって…」
「ああ。シュカが想像したとおりのことだ。そういう関係になるには早すぎたかもしれないが、今まで思うように触れ合えなかった反動とでもいうのか…抑えが利かなかった」
 アッシュとジークフリートが想いを通わせてからまだ三ヶ月も経っていないが、二人が経てきた長い擦れ違いを思えば、一刻も早くと求める気持ちが生まれるのも仕方がないことかもしれない。
 昼下がりの広場のベンチで顔を赤くした二人の間に静寂が満ちる。
 シュカはもじもじと指先を動かしながら、横目でアッシュの様子を窺った。
「えっと、その…どうなの?」
「どう…とは?」
「ぐ、具体的に…。やっぱり痛い?」
「ああ…痛い。あれは未知の痛みだな」
 どことなく遠い目をしながらアッシュが断言する。
「先に経験したからこそ言っておくぞ。いいか、その時になったら身体からはできる限り力を抜くんだ。緊張する気持ちは充分理解できるが、力んでいては入るものも入らないからな」
 思わず喉を鳴らしてしまったシュカはそんな大変そうな経験を目の前のアッシュがしたのだと想像してしまって、慌ててそれを頭の中から追い出した。
「最初は痛いだけ?」
「それは相手次第だろう。アイツはその…がっついてはいたが、酷いことはしなかった、と思う。比較対象がいないから何とも言えんが」
 だんだんと小さくなっていく声を、それでもしっかりと聞き取ったシュカはアッシュと同じように赤い顔のまま手元に視線を落とす。
「やっぱり、好きな人とって…幸せ?」
 おずおずとシュカが聞くとアッシュは頬を赤くしたまま微笑んだ。その顔があまりにも優しくて、言葉はなくてもすべてを察したシュカの心臓は小さく跳ねる。
 シュカもアッシュに向かって微笑んだ。
「あとは…そうだな、ベッドの中での我が儘は大体許される」
「そうなの?」
「少なくともアイツはそうだったし、ルクシウスさんもきっとそうだと思う。あの人はいつもシュカのことを優しい顔で見ているから」
「えっ、そう? うん…まあ、そうだと思ってたけど、改めて言われるとちょっと照れちゃうね」
 互いに顔を見合わせて声を上げて笑う二人の髪を吹き抜けた風がふわりと揺らしていった。
 二時間たっぷりと話し込んで合流したルクシウスとジークフリートは、シュカ達と別行動している間ずっと書店に篭っていたらしい。
 ただ黙々と立ち読みしている二人を想像してしまって、堪え切れなかった笑いに唇を震わせたシュカは馬車に乗り込むとルクシウスの隣に座り、アッシュはジークフリートの隣に座った。
「何か良い本は見つかったのか?」
「授業に使えそうな本が幾つかあったから屋敷に届くように手配した。明後日くらいには届くと思う」
「あんた、ちゃんと教師らしいことしてるんだな…」
「俺を何だと思ってるんだ」
 睨まれたはずのアッシュが楽しそうに笑う。
 どんな些細な会話でも嬉しくなる気持ちはシュカにもよくわかった。
 緩やかに動き出した馬車の中でもまだ尽きない話題に盛り上がっていたシュカは、疲労感と心地良い揺れに眠気を促され少しずつ瞼が重くなるのを自覚した。アッシュも口数が減り、瞬きの回数が多くなっている。
「少し眠るといい」
 ルクシウスの手に頭を引き寄せられて髪を優しく撫でられると、すぐに目蓋がくっ付いてしまった。もっと話していたいのに、触れ合ったルクシウスの体温は眠気の味方をしているみたいに心地良くて抗えない。
 最後の抵抗とばかりに顔を上げると、アッシュもジークフリートの肩に凭れかかって今にも眠ってしまいそうになっていた。
 アッシュを見つめるジークフリートの瞳はこれ以上ないほどに優しくて、それを見たシュカは安心して目を閉じた。寄り添ったルクシウスの服から漂うジャスミンの香りが今にも眠気に支配されそうな頭の芯をさらに溶かしていく。
 やがて静かになったそれぞれの婚約者の肩を抱いて支えながら、ルクシウスとジークフリートは視線を交わした。
「そちらは上手くいっているようだね」
 ジークフリートはルクシウスの言葉に応えはしなかったが、安心しきった顔で眠っているアッシュの様子を見れば二人の関係がどうなっているかなんてすぐわかる。
「そっちこそどうなんだ。もう手は出したのか」
「残念ながら、まだだよ」
 僅かに肩を竦めたルクシウスを見て、ジークフリートが珍しく大きく表情を変えた。
「まさか…枯れてるのか?」
「失礼な」
 あまりの発言に眉を顰めたルクシウスは、シュカの両親から釘を刺されていることをこっそりと打ち明ける。
 信用されていないわけではないと思うが、歳が離れていることもあり、そういう意味では誠実さを求められてもおかしくはない。
 シュカの両親からの期待に応えたいという思いからでなく、シュカを大切に思っているからこそ彼が成人するまで待とうと決心したけれど、この一年で何度シュカに理性を砕かれそうになったことか。
「シュカが成人したら、もう止まらないだろうね」
 一晩…いや、一日中ベッドから出してやれなくなりそうな予感がある。
 そう遠くはない未来を想像したルクシウスは複雑そうに含み笑った。
「男の理性なんてのは砂の城より脆いからな」
「まったくもってそのとおりだよ」
 奇妙な沈黙を乗せたまま、やがて馬車はルクシウスの家の前で止まった。
 起こされたシュカはぼんやりしたままルクシウスに抱えられるようにして馬車から降りるが、その間もアッシュは眠ったままだ。
「楽しみにしすぎて昨夜はあまり眠れていなかったようだ」
 ジークフリートがこっそりと教えてくれたアッシュの秘密に、シュカはほんのりと口元を緩めた。
 ゆっくりとした速度で走り去る馬車を見送り、ルクシウスに促されて家へと入ったシュカはお茶の用意をしてくれるルクシウスの背中を見つめながら微睡んでいたが、出されたお茶を飲んでやっと目が覚めた。
「寝ちゃってごめんなさい」
「気にしなくていいよ」
 はしゃぎ疲れて眠ってしまうだなんて子供っぽくて恥ずかしい。シュカはお茶のカップを両手で包んだまま落ち込んでしまう。
「アッシュ君とはどんな話をしたんだい?」
 話題を変えようとしたのか、早々にお茶を飲み干したルクシウスが口を開いた。
 シュカはそれに答えようと顔を上げて、それから頬を真っ赤に染めた。アッシュから打ち明けられた内容はとてもじゃないがルクシウスには伝えられない。
「えっと、その…いろいろ、です」
 しどろもどろになって言い訳するなんて、さすがに怪しすぎるだろうか。
 シュカの心配をよそにルクシウスはそれ以上は追求してこなくて、逆に不安になって上目遣いで見上げたルクシウスはいつもと変わらず穏やかな表情のままだ。何か言ったほうが良いかと考えあぐねている間に入浴を勧められ、シュカはおとなしくそれに従った。
 ルクシウスが用意してくれた食事を口に運ぶ間に流れる沈黙さえ気まずく感じて、書斎に移動してからも本の内容なんてちっとも頭に入ってこない。
 ほんの数ページしか進んでいない本を手から取り上げられて、やっとシュカはルクシウスが寝支度を整えていることに気付いたほどだ。
「今日は早めに休もうか」
「は、はい」
 壁際に置かれたベッドはいつもと変わりなく几帳面なほどに整えられている。
 そんなことにさえどぎまぎしながらも掛け布の中に潜り込み、ルクシウスが入る余裕を作って振り向いたところで、シュカの上に影が落ちた。一気に高鳴った鼓動がルクシウスにも聞こえてしまいそうだ。
 ルクシウスは咄嗟に掛け布を握ったシュカの手を捕まえてシーツに押し付ける。痛くはないけれど、込められた力は強くて簡単には逃げられそうもない。
「怖い?」
 その問いかけにシュカは首を振った。相手がルクシウスである限り、怖いなんて思わない。
 ジークフリートと結ばれたことを話してくれた時のアッシュの顔には後悔している様子なんてこれっぽっちもなかった。
 好きな人と触れ合えることは幸せ以外の何物でもない。そう言っているようにさえ思えた。
「怖くないです」
 ルクシウスの目を見つめ、シュカははっきりと言い切った。
 唇が重なる寸前に目を閉じてルクシウスの体温を受け止めて、いつの間にか解放されていた腕で広い背中を抱き締める。
 息が上がってしまうほどに重なり合った唇が離れると、ルクシウスは手を伸ばしてベッドサイドの灯りを小さくした。それが就寝の合図だととっくに覚えている。
「もう、終わりですか…?」
 吐き出した声にははっきりと物足りなさが含まれていて、薄闇の中でもブルーグレーの瞳が瞬いたのがわかった。
 シュカも自分の発言がとんでもないものだったと気付いて火が出そうなくらい顔を熱くする。
「君を怖がらせたくないんだよ」
「…怖くなんかないのに」
 あやすように髪を撫でられると、まるで聞き分けのない子供にするみたいだと腹立たしくなった。
「前にも言っただろう? シュカが成人するまで待つって」
 宥めるような声色と共に頬から耳にかけてを優しく滑る手のひらの温度に眠気を誘われたシュカは小さくあくびをした。待たなくても良いのにという言葉は、音にならないままシュカの腹の奥に沈んでいく。
 ルクシウスの手に引き寄せられるままに彼の肩に頭を乗せると、魔法がかかったみたいに勝手に目蓋がくっ付いた。
 でも、せめて一言だけ。
「僕も、早くルクシウスさんと、ちゃんと恋人になりたいです」
 好きな人と結ばれたのだと幸せそうに笑っていたアッシュが羨ましかった。
 具体的なことなんてちっとも知らないままだけど、ルクシウスをもっと近くに感じてみたい。明日の朝、目を覚ましたら自分の誕生日になっていたらいいのになんて詮無いことを願いながら、シュカは小石が坂道を転がるように夢の世界へと落ちていった。
 シュカが完全に寝付いたのを確認したルクシウスは小さなため息を吐き出した。複雑に渦巻く感情を持て余して薄暗い天井を見上げるのは何度目だろう。
「あと半年…か」
 思い出すのは帰りの馬車でジークフリートから言われた言葉だった。
 枯れてるだなんて、そんなことはない。だからこそこうして人知れず悩み、眠れない夜を過ごしているのだと言ってやりたかった。
 自分に対する好意を言葉でも行動でも素直に表現してくれるシュカのことを愛しいと思わないはずもない。
 今年で成人を迎えるはずのシュカはあどけないと言ってもいいほどの純真さでルクシウスを翻弄し続けて、この一年間、毎日のように理性を大鍋で煮込まれているのはルクシウスのほうだ。
 浅ましい欲望が鎌首を擡げるのを必死に押し隠しながらプラチナブロンドのつむじにキスをする。
 あと半年の辛抱だと己に言い聞かせ、随分と心許なくなった理性を叱咤したルクシウスは深く息を吐きながら目を閉じた。こんなふうに翻弄されるのも悪くはないと思っている自分に仄かな苦笑を浮かべながら。

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◎あらすじ かつて「指導官ランスロット」は、冒険者見習いだった少年に言った。 「一級になったら、また一緒に冒険しような」 ──その約束を、九年後に本当に果たしに来るやつがいるとは思わなかった。 美形・高スペック・最強格の一級冒険者ユーリイは、かつて教えを受けたランスに執着し、今や完全に「推しのために人生を捧げるモード」突入済み。 それなのに、肝心のランスは四十目前のとほほおっさん。 昔より体力も腰もガタガタで、今は新人指導や野営飯を作る生活に満足していたのに──。 「討伐依頼? サポート指名? 俺、三級なんだが??」 寝床、飯、パンツ、ついでに心まで脱がされる、 執着わんこ攻め × おっさん受けの野営BLファンタジー! ◎その他 この物語は、複数のサイトに投稿されています。

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