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第三章 月の眷属
ゴブリン・ボックス
しおりを挟むギルド職員の採用条件は〈倉庫持ち〉であることだ。前にシュコニが言っていた。
「……さて怪盗、私は逃げるけど追いかけてくる? それとも縛られた子供や仲間を助けるのかしら?」
ギルド酒場のマキリンは蜂とゴブリンがひしめく倉庫の脇で冷酷に笑った。彼女の手には包帯があり、包帯の先には子供くらいの大きさのミイラがいる。
「マキリン……!? なんのつもりなの、その倉庫は——」
「じゃあね」
黒髪のマキリンは子供のミイラを引っ張りながら倉庫入り口の裏手に逃げて行った。裏手には迷宮の通路がある。マキリンが逃げた後も倉庫は開きっぱなしで、倉庫の中で、一番デカくて王冠をかぶったゴブリンが猿のような吠え声を上げた。
〈——司令:全軍前進——〉
ゴブリンの群れが小さな小部屋に湧き出して来た。母さんは俺にナイフを振り抜くと、〈棒〉を押し付けて怒鳴った。
「あんたも切って!」
母に包帯を切ってもらった俺は棒で後ろのフェネ婆さんを解放し、簀巻きにされているシュコニの包帯を焼き切った。その間に母は子猫を解放していて、ミケが立ち上がるなりスキルを発動する。
〈——怪盗術:とんぼ返り——〉
〈——怪盗術:とんぼ返り——〉
ミケと母さんは揃って目の前のゴブリンを蹴りつけ、反動で俺とフェネ婆さんの間にまでバックステップを踏んだ。俺は即座に婆さんへ〈教師&無詠唱〉を切り替え、
「なんじゃ、この力は——」
「いいから! 狭いから爆発系は無しで!」
〈——水滴魔術:水風船——〉〈——水滴魔術:水風船——〉
〈——雷鳴魔術:10V——〉〈——雷鳴魔術:10V——〉
二人がかりで魔法を連打した。ババアのMPも俺負担なので一気に500近くMPが減ったが、蜂と普通のゴブリンの半分が魔法で吹き飛ぶ。コスパとしては微妙だ。俺の〈水滴〉は〈濁流〉の下位スキルだし、狐の婆さんも本来は炎が得意だ。なにせ炎の極大魔法を持っている。
逃亡したマキリンの倉庫から邪鬼どもを押しのけて大物が出てきた。ホブゴブリンだ。どいつも体長2メートルはあり、体型は毛の無い灰色のゴリラといった雰囲気だ。雑兵と同様にホブも鎧と剣を装備していて、うち一体が細い十字架のような大剣を振り上げ、俺たちに襲いかかってきた。
〈——怪盗術:巾着切り——〉
ミケが即座に武器を奪って、戸惑うホブゴブリンにゴブリンの技を食らわせようとする。
〈——邪鬼心示現流:チェスト——〉
しかしホブの前に雑兵の群れが立ちはだかった。浅層にも出るゴブリンどもは全員が盾を構えていて、一斉にスキルを発動した。
〈〈 ——ゴブリン盾術:人身御供—— 〉〉
ミケが打ち下ろした剣は重なった盾の前に砕けた。数匹の雑魚ゴブリンを殺したものの、体勢を崩した三毛猫に30匹の蜂が群がる。
「——ミケ!」
俺はミケにタックルをかまして身代わりになった。HPが消費され、絶対防御の青い壁が蜂の針を砕く。ついでに〈水風船〉を連打してやった。魔法に弱い蜂どもは即死し、バタバタと床に落ちた。
「教師は村長に使ってる、ミケには使えないから全力で避けてくれ!」
「にゃ!」
「俺はアクシノさまに頼むけどな!」
「に゛ゃ!? なにそれずるい」
「これを渡すから、貸してたナイフを返せ!」
「……にゃ☆」
議論している暇は無かった。脳内に〈はいよ〉と返事があって、俺の体が〈鑑定連打〉に明滅する。
〈蜂蜜は不要だ。倉庫奥の巣に直接魔法を連打しつつナイフを受け取ってメイドに加勢しろ〉
俺が〈ひのきのぼう〉を差し出した瞬間、ミケは俺に〈シルフの懐刀〉を渡した。5年がかりで作った武器を子猫に使わせるのは癪だが、こいつは物理じゃ俺より確実に強い。
シュコニは15匹のゴブリンに追われていたが、うまく刀を振り回して倉庫入り口の脇に移動していた。倉庫と迷宮の壁の隙間に隠れ、追ってきたゴブリンを刺し殺している。
俺は水滴を連打しながらシュコニと合流し、眠たげな棒読みのセリフを聞いた。
「にゃ。くらえざこども……倍返しだー」
眠たい目をした三毛猫がゴブリンの群れに突撃した。〈ひのきのぼう〉が青白く輝き、ゴブリンたちが一斉に盾を構える。
〈〈 ——ゴブリン盾術:人身御供—— 〉〉
〈——邪鬼心示現流:チェスト——〉
今度こそ決まった。
大剣スキルを持つミケが横薙ぎに振り抜いた〈ひのきのぼう〉は俺の杖術が児戯に思える壮絶な攻撃力を発揮し、ゴブリンの雑兵が掲げたすべての盾はもちろん、後ろにいたホブゴブリンの両足を切断してホブを土下座のような格好にさせた。
しかしそれでも斬撃は止まらない!
どういう原理か〈ひのきのぼう〉は光る斬撃を放ち、大量の蜂を巻き込みながらダンジョンの壁をぶち抜いて隣とその隣までの大穴を開けた。どうして刃が当たってないのに切れるんだ。物理学に喧嘩を売るような謎現象だ。
〈……おいおい、あの棒はもう、「聖剣」並だな〉
「にゃ……!?」
アクシノはもちろん、使った本人たるミケすら驚く威力だったが、大穴が空いたのはありがたかった。
「あの横穴に退避!」
母が叫び、位置的に近くにいた村長とミケは〈棒〉の一撃が作った横穴に逃げ込んだ。
「カオスくん、私たちも逃げるぞっ!?」
「ああ、倉庫裏手の通路に!」
倉庫入り口と壁との間をすり抜けて俺たちは細い通路に入った。通路には三匹のゴブリンが待ち構えていて、先を走っていたシュコニが錆びた胴剣でモロに切られる。しかし俺が渡した黒革のマントが耐久力を発揮し、
「~~~~こなくそっ!」
〈——天然理心流:三段突き——〉
シュコニは日本刀でゴブリンどもを切り伏せた。
一方俺は、通路を振り返って〈火炎〉を連打する。
〈——火炎魔術:癇癪玉——〉〈——火炎魔術:癇癪玉——〉
〈——火炎魔術:癇癪玉——〉〈——火炎魔術:癇癪玉——〉
狙いは天井だ。4連発の爆発は通路の天井を崩落させ、追って来たゴブリンたちは悲鳴を上げて退却した。宙を舞っていた大量の蜂を巻き込みながら崩落で道が塞がれる。敵はしばらくこの通路に入れないだろう。俺は数匹の蜂に刺されて少し血を吐いたが、背中に女性の小さな手が触れる。
「キミやミケにはずっと言ったよね? 〈回復〉だけはナサティヤ先輩にも負けないっ」
〈——手当て:王族の手——〉
知らないスキルが視界に浮かび、全身の血管を熱が駆け抜け、俺は即座に猛毒から回復した。
〈——火炎魔術:癇癪玉——〉
シュコニに即座に治療してもらい、俺は仕留めそこねた蜂どもを爆破した。口に残った少量の血をつばと一緒に吐き出す。
「すごいね、シュコニ……詠唱無しで毒を消せるの?」
「ふふん♪ パーティ組んで良かっただろー? これからは、『お乳』ではなくお姉さんと呼び給えっ」
「それに、お姉さんはずっと地図を作ってたよね? 母さんたちと合流しなきゃ。この通路からどう進めば——」
俺はシュコニお姉さんに道を聞こうとして、突如包帯で簀巻きにされていく黒メイドに目を見開いた。シュコニは猿ぐつわをかまされ、不満げにうーうーと唸った。
「しぶといのねぇ……7年前も、せっかく捕まえた〈女王〉を殺されたっけ」
〈——今度こそ印地:スライダー——〉
昏い通路にマキリンが立っていた。女は「シラガウト球」を印地し、唐辛子の団子は俺の顔面に直撃した。
HPが削られた。蜂の毒を受けた時点で自明ではあるが、母が詠唱した状態異常耐性は既に効果を失っている!
激しく咳き込み、両目が涙で覆われた。唐辛子で視界を奪われた中、誰かが俺の髪の毛を掴む。「誰か」というか、答えはひとりに決まっている……!
「来なさい、クソガキ。あんたがいればナサティヤは手出しできなくなるわ」
おおう? この女、子供の俺を人質にする気かよ。なにせ中身がオッサンだからその発想は無かったね。
俺は冷静に考えた。
——理由はわからないがマキリンは敵で、仲間に魔物をけしかけた犯罪者だ。
ならもう、人間扱いはしなくて良いよね? 異世界たるこの国に「人権」なんて発想はまだ無いみたいだし。
俺は髪の毛を掴まれながら心に念じた。
(……アクシノさま、俺は見えないから頼む)
〈言った通りに動けよ? ——髪を掴んでいるということは、そこに腕があるということだ。目が見えずとも感覚でわかるな? まずはあの女の腕をナイフで切ってやれw〉
たとえ両目を塞がれていても、俺には叡智アクシノの〈神託〉が残っていた。
言われた通りに切りつけると「ギッ」と苛ついた声がした。〈神託〉だけを聞いてさらにシルフの懐刀を突き出すと肉をえぐった感覚があり、「このガキ……!」という声と足音がする。
〈女は後ろに逃げた。前に飛び出しながら〈平突き〉を使え〉
〈——骸細剣術:平突き——〉
ミケと違って腕力に乏しい俺のナイフはマキリンの鎧に阻まれたようだが、作戦通りだ。〈叡智〉は俺に時間稼ぎを提案していた。
〈よし、メイドは自分に〈手当て〉を使い、自力で包帯から逃げ出した。目の前に〈調速〉して〈水滴〉を連打〉
鑑定・連打中の俺は〈神託〉の通りに調速で相手の体勢を崩し、水風船を連発してやった。女性の悲鳴が聞こえたが、ここで日和れば殺されるのは俺だ。
俺は無詠唱の連打で攻撃しながらステータス画面を開いた。
目を閉じていてもディスプレイは見える。空中に浮いたように見えるこのディスプレイは「ゲームみてえな世界が良い」と願った俺にしか見えないモノだが、それは言い換えれば、俺の網膜か脳内にだけ見えているモノということだ。
アクシノさんがオススメだと言うので俺は〈教師〉の対象をポコニャさんにセットし直し、魔法を連打しながら次の〈神託〉を待った。
〈よし、メイドの詠唱が終わる。手当てスキルは早い代わりに高コストだから、余裕があるなら詠唱のほうが良い〉
〈——治療術:マニコロドーシャ——〉
シュコニが高らかに詠唱を終え、唐辛子に侵されていた視界が晴れた。ボロボロに傷ついたマキリンが見える。鎧は俺の水撃の連打ですっかり砕けていて、その下に着たMP織りのブラウスも破れ、水浸しになっている。相手が自分を殺そうとしている敵じゃなきゃエロく見えただろうね。
クソ女は左手の指を3本失っていた。人差し指と親指しかない左手から血が垂れている。間違いなく俺の水滴連打のせいなので一瞬血圧が上がったが、相手はほんの7歳の俺を殺そうとした犯人だ。
マキリンは正面に俺、背後に日本刀を構えたシュコニに挟まれていて、子供ミイラは連れていなかった。幼児虐待の現行犯は、指の残った右手に黒革の鞭を握りしめて叫んだ。
「くそっ……! なんだよコレ、おまえはHPだけが取り柄の雑魚のはずだろ!? あんたの親はどっちも、酒場で『カオスはまだ子供』だって……ただのガキだって言っていたのに!」
ほお、両親は酒場でそんなことを言っていたのか。
そりゃ毎日迷宮で忙しい父は俺と模擬戦をしたことが無いし、母は、同じ斥候の才能があるミケばかり指導してたし、多少はね? ——ていうかカオスって呼ぶな犯罪者。
「マキリン先輩、どういうことです? なんで私たちに攻撃を……私らは、ゴリの仲間じゃないのに!」
シュコニが叫んだが、その答えを聞くことはできなかった。
「……見つけたぞ」
一切の足音も気配もなく、シュコニの背後にひとりの老紳士が立っていた。シュコニは驚いて日本刀を向けたが、老人は気にするそぶりも見せない。
髪はオールバックで、両目と同じ灰色をしている。老人は執事のような黒い燕尾服を着ていて、左腕にはドレスを着た青い髪の少女を抱いていた。
青髪・青目の見知らぬ少女は泣きながら早口の外国語を喋っていて、叡智から加護を受けた子は誰でもこのスキルを持つそうだが、〈翻訳〉持ちの俺は少女の言葉が理解できた。
『もういい、マグじい。帰ろう。マガウルが死んだら嫌……あの人、狼の2人を殺してる。せっかく助けてくれたのに、お兄ちゃんはすぐ穴に落として、弟は自慢のホブ・ゴブリンに殴り殺させた……それをずっと、わたしに自慢してた……!』
〈おいカオス……ワタシが与えた〈翻訳〉に、なにをボケっと聞き入っている?〉
翻訳された少女の言葉にアクシノさんの呆れた声が混じった。
〈おまえはそれでも叡智の眷属か? ワタシが加護を与えているフェネはマキリンを見るなり真実を知ったし、後輩のおまえにも「やれ」と指示していただろう〉
(あ……)
MP消費を考え、鑑定のLv5——マキリンにそれを発動すると同時に、少女から「マグ」と呼ばれる老人が動いた。
「——お嬢様、しばらく目を閉じていてください」
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