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第七章 悪役令嬢と誰でもない男神
夏の終わりに
しおりを挟むそれから約半月、夏の暑さが和らいでもなお、わたしはピピンの葬式をしてやれなかった。
理由は複合的なもので、城へピピンを連れ帰った日、彼の両親は男爵令嬢のわたしに平伏して頼んだ。
親戚を葬儀に呼びたいという。
ピピンの母には姉がいて、別の下級貴族に仕えていた。ピピンは使用人たちにたまに与えられる休暇のときに叔母に会い、仲良くしていたそうで、わたしはすぐに義母に頼んで馬車を出させた。
よその家の使用人を連れ出すにはその家の主人の許可が要るが、わたしは男爵令嬢だ。ピピンの両親に叔母の休暇を請う手紙を持たせて見送った。
ピピンの叔母が働く土地には往復で10日は必要で、これが地球の話なら遺体の防腐に大量のドライアイス代が必要になっただろう。少なくともイギリスの病院ではそうだった。しかし腐食の女神アミンの加護を得たハチワレは数日に一度クワイセの倉庫で術を使い、それだけでピピンの亡骸は微生物から守られた。
ピピンの叔母を呼ぶ間、その両親が抜けた埋め合わせとしてハチワレとクワイセは黙々と厩舎の仕事をこなし、「お嬢様は来るな」と言われてしまったわたしは義父の書斎で黙々と読書を続けた。
欲しい情報はなかなか見つからなかった。ここが地球ならネットで「葬儀のやり方」を検索して一撃だろうし、ネットが無くともノー・ワンなら答えを知っているはずだが、ルド迷宮を抜け出て以来、心で問いかけても無言を貫いている。
そうしてピピンの両親が出発して9日目の夜、わたしはハチワレたちと書斎に集まり、明日か明後日には開かれるであろう葬儀の計画を立てていた。
だが、
「チ……城の外が騒がしい」
クワイセが沈んだ声で言った。ピピンが死んでからずっと暗い顔をしている。
「にゃ? ……アクラ、様、が帰ったのか」
葬儀について書かれた本を自力で読解していたハチワレも顔を上げた。
葬儀が遅れたもうひとつの理由は、義兄と竜と姫君だった。
◇
ハチワレたちと城の正面玄関に向かうと、夜空の下で黒いトカゲの「馬」が疲れた体から湯気を上げていた。
ハチワレたちはピピンの両親に代わって馬係をしている。2人は無言で馬車を厩舎へ引いていき、義理の妹のわたしは義母オンラと一緒にその場に残った。
「ああ、ハッセ! お父様はどうなさったの?」
オンラは息子を抱きしめ、アニキは他の連中の目を気にしながら照れくさそうに押し返した。
「きっとニョキシーから聞いているでしょう」
義母は一瞬わたしに視線を送り、すぐに息子へ目を戻した。
「……では、あの人は本当に聖地に……?」
「はい。馬鹿犬からはどの程度事情をお聞きで? 父上とロスルーコ様は——」
「いえ、待って」
叡智持ちでお喋りな兄は玄関先で事情を話そうとして義母に止められ、
「ロスルーコ様、それにルグレア様。まずは当家にようこそおいでで」
オンラはロスルーコ家の長男ドライグと、リンナとその母を城に招き入れた。兄が慌てて言った。
「そうでした……母上、急で申し訳ありませんが、ロスルーコ様たちのために歓迎の宴を準備しなければ」
「ええ、ええ。すぐ厨房に命じましょう」
義母は使用人頭のハゲに素早く準備を命じ、使用人たちは真っ青になってそれぞれの仕事を始めた。
「お客人たちの荷物をお運びしろ!」
アダルやドラフが横柄な態度で怒鳴り、使用人たちを呼びつける。
急な来客たちは悪びれるでもなくコートやカバンを奴隷に運ばせ、ひとりの女が満面の笑みを浮かべてわたしに抱きついた。
虫唾が走ったが、わたしは我慢することにした。
「ニョキシー! ギータが命令したみたいだけど、私を置いて先に帰るなんて酷いよ! でもまあ、子供だから仕方ないかな?」
リンナは幸せいっぱいの顔で7歳のわたしの頬を指先で突いた。
「あのね、ドライグ様は羽に大怪我をなさったから帰ることになったの。ドライグ様は勇敢にも戦うと仰ったけれど——バラキは知ってる? ずっとカレの教育係だった鬼が代わりに戦うからと説得して。ハッセ様も魔女を討ちたいと願い出たんだけど、アクラ男爵から留守を頼まれてしまって……ギータだけが行っちゃった。私、あの子を止めたんだけど手紙を預かってさ。これだよ!」
リンナはわたしに羊皮紙の巻物を押し付けるとアニキに駆け寄り、甘えた声で手を取った。もう一方の手はドライグの腕に巻き付いていて、
「ハッセ様、お屋敷を案内してくださる?」
前にも屋敷に滞在していたくせに、両手に花で城に入っていく。
わたしは暗い目でその背中を見つめたあと、渡された羊皮紙を開いた。手紙は赤い蝋で封印されていて、上質な教育を受けたとわかるきれいな文字が書かれていた。
『ニョキシー男爵令嬢、そしてハチワレとクワイセへ』
ギータの手紙には最初にそう書かれていて、
『ピピンを殺したのは「月」の悪魔たちだ。リンナ姉さんだって本当はピピンの死を悲しんでいるんだ。おれは自慢の牙を奮って、聖地でたくさん悪魔を噛み殺す。だから、復讐はおれに任せろ』
短い手紙の主張には同意しきれなかったが、わたしは厩舎から戻ってきたハチワレたちにギータの手紙を見せた。
「チ……手紙はともかく、それじゃオレたち使用人は、あいつらの世話をしなきゃダメなのか!?」
「ねえニョキシー、あいつらはいつ屋敷を出てく? 伯爵と子爵だ。連中が出てくまで、おれたちは休む時間が無い……休めない!」
ハチワレもクワイセも、別に自分が仕事をサボりたくて言っているわけじゃない。
「……わからないよ」
翌日、ピピンの両親は親戚を連れて屋敷に戻ったが、2人もまた義母オンラから休みを許されず、奴隷として貴族どもの給仕をさせられた。
わたしは義母から仕事を命じられるピピンの両親をただ見ているしかなかった。
◇
それから約半月、わたしは自分の忍耐を試され続けた。
朝晩の食事は開始するなりカップを打って下賜しまくり、自分は食べずに食堂を出て、ハチワレたちと一緒に下賜したばかりのパンをかじった。
我ながら挑発的で不遜な態度だったと思うが、代理家長のオンラはルグレアの相手で忙しくなにも言わなかったし、アニキのアホも女に夢中でわたしを気にかけなかった。
唯一、リンナだけは何度か声をかけて来たが、わたしが可能な限り無視していると子供を馬鹿にした顔で肩をすくめ、自分の恋愛を最優先にした。あの女はどうもドライグとアニキを天秤にかけているようで、耳障りな小鳥のようにいつも2人の男に愛想を振りまいていた。
そうして夏も半ばを過ぎた夜、義母やアニキに命じられて屋敷の玄関に出たわたしは、ようやく不快な時間が終わったと思った。
その夜ロコック城を訪れたのはロスルーコ家の次男リヴァイで、彼は尊大な長兄とも奔放な三男とも異なる性格だった。
「兄上、そろそろ屋敷にお帰りください。父上の居ない領地では、母上が全ての政務を行っているのです」
リヴァイはクソ真面目な苦労人気質で、背中には青空のような竜の羽がある。自由を思わせる青空色の羽に反してリヴァイはしょぼくれた顔で困惑していて、わたしは彼の実直な性格を好ましく思った。
というか、わたしはロスルーコの三兄弟のうちドライグだけが嫌いで、後年リヴァイの捜索を命じられた時はわりと本気で助けてやろうと思ったし、現在も、せめてあいつの亡骸を回収してやろうと努力している。
わたしがドライグだけを嫌う理由は単純明快で、
「そうか……それじゃ義母どのは私に政務を任せたいと?」
「義母……? そうです、ハリティ母さんが、私達の母上が、兄上に政務を手伝って欲しいと……」
次男リヴァイに帰宅を請われたドライグは真顔で静かに頷いた。
「……ふん、休養と称しロコック領で無意味に遊んでいたのは正解だったな。あの女もようやく俺に政治を任せる気になったか」
ドライグは急に自分を「俺」と言いながら内心をぶちまけて見せ、わたしはもちろん、その発言は周りにいる全員を驚かせた。
「……なにを驚いている? お前たちは偉大なるロスルーコの次期当主が、たかが鬼族の女になって良いのか。あれは、所詮は父上の後妻——我がロスルーコは、偉大なる竜の家系だ」
周囲の反応が気になったのか、ドライグは自分の呼び方を元に戻して言った。
「……つまり、私は父上と同じ真紅の竜だし、この世界の治安は『純粋な竜』でなければ守れない。わかるだろう? 私は常々お父様に警告していたのだが、義母はたかだか鬼族のくせに自分を竜だと思い込み、権力欲に取り憑かれているのだ……」
そこでドライグは自分の腕にへばりつく女に一瞬だけ視線を向けた。冷淡な赤い目がわずかに揺れるのをわたしは見逃さなかった。
「……つまり、だから……父上には何度も申し上げたことだ。純粋な竜にふさわしい伴侶は、最低でも鬼よりは優れた種族だ。純粋な竜か——もしくは、例えば、強力な夜刀の女性だ」
赤竜ドライグはヒトの姿をしていたが頬をほんのり赤く染め、夜刀の女は王子様の言葉に戸惑うようにちらとアニキに目線を送った。鬼族のハッセは屈辱に燃えているように見えた。
……くだらないな。
子犬のわたしはそんな貴族どもの恋愛を冷めた目で見つめていた。
リンナはついにドライグの心を掴みかけているようだが、わたしの後ろには使用人としてハチワレとクワイセが付き従っていて、2人は冷え切った蝋人形のように固まって貴族どもの会話を聞き流していた。
次男リヴァイがオンラに平身低頭しつつ城に通され、アニキたちも去っていく。ロスルーコの次男は多くの従者を引き連れていて、伯爵家の使用人たちは、仕える先を問わず甲斐甲斐しく世話をした。魚人アダルの湿った外套を嫌な顔せず受け取っている。
貴族どもが屋敷に入るのを待ち、わたしは言った。
「……ハチワレ、クワイセ、あれを見ろ。リヴァイのおかげで屋敷の働き手が増えた」
蝋人形のようだったハチワレがようやく頷き、わたしはクワイセに言った。
「ピピンの両親に会いに行こう。この半月はピピンのおばさんまで屋敷の仕事をさせられていたけど、リヴァイが人手を増やしてくれた。あれだけいればおまえたちが休んでも構わないはずだ」
「それなら、夜のうちに白い色の花を集めたい」
クワイセは掠れた声で頷いた。
「……白かったウサギと、同じ色の花が良い」
リンナを始めとする上級貴族たちは滞在中に誰も下級貴族ドルガーのことを話題にしなかったし、ルッツやアウバー、そして奴隷のピピンについて話さなかった。
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