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第七章 悪役令嬢と誰でもない男神

新しい領地

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 聖地ラーナボルカ市のマンションに戻ってきたカオスはリビングで父親や友人のためにホット・チョコを作り始めて、わたしは調理場の騒ぎを避け彼の部屋に入った。ゴミパンダはともかく、か弱い黒犬をナチが残した不発弾のような目で見張る〈剣閃の風〉たちが嫌だったからだ。

「にゃ? どこ行く? 寝るのか?」

 部屋のドアを閉めようとするとミケがわたしについてきて、その数分後、わたしはビートルズの名曲を聞いていた。

 部屋に入ると三毛猫は退屈そうにベッドへ寝転がり、おそらく彼女を加護しているカヌストンたちに「HPはいつ回復?」などと独り言をしたのだが、神々から返事を聞くと舌打ちし、倉庫から自分のアコースティック・ギターを持ち出して歌と演奏を始めたのだった。

 曲目はレット・イット・ビーで、コードも歌詞も、カオスシェイドから教わったに違いない。

 時刻は深夜だったが、近隣住民など存在しないかのように堂々と歌ったし、楽器を鳴らした。子猫によるとこのマンションで自分と互角に戦えるのはカオスくらいだから、音に文句を言いに来たやつは殺せば良いそうだ。

 わたしは懐かしさに気が狂いそうになりながら子猫の演奏に耳を傾けたが——しかし、ミケの演奏にはイライラさせられた。

 子猫は歌詞がうろ覚えで、名曲の肝心なところを「にゃー」と鳴いて誤魔化したからだ。子猫は英語でLet it be……このままで良いさと歌いやがり、わたしはミケが誤魔化すたびに悪態をついてしまった。

「にゃ? おいキサマ、ふぁっくとはなんだ? ずっと小声でゆってた」

 歌い終わった彼女は小首をかしげた。

「……くしゃみをしそうになっただけです」
「戦士のくせに風邪か。実に軟弱な子犬である!」
「にしても上手ですね、演奏は」

 ミケはハチワレを思い出させるまったりとした口調でわたしを小馬鹿にし、演奏だけを褒めるわたしの皮肉に気付かないまま、本当はギターよりエレキベースを演奏したいのだと語った。

「にゃ。何度かカオスがるのを見たのだが、その音は虎の唸り声のよう。弦も4本でギターより簡単そうだし」
「へえ、良いじゃないですか。確かにベースの重低音は猫のゴロゴロみたいですよね」
「にゃ? ……キサマ、どうして『ベース』の音をしってる? それはカオスにしか使えない楽器で、『でんじゆーどー』とやらで音を出すのだが」

 ミケは一見抜けているようで、妙なところで鋭い。

「それは……つまり、そう、服屋さんで見ました。カオスシェイドは演奏でアクシノとかいう貧乳を呼び出し、仲間のロボがボコボコに」
「にゃにゃ!? マジか。カオスはたまに加減を忘れるからな……ロボとは?」

 ミケは服屋での戦いについて詳しく聞きたがり、わたしが大まかに教えてやると、エレクトーンで魔女を呼び出したカオスに憤慨した。

「にゃ。またしても歌の神様を……あいつのアレは本当にずるい」
「おお、まったく同意しますね」
「ミケもずいぶん練習しているのだが、ファレシラ様はミケの前には現れてくれません。例えば、カオスは赤子のときに……」

 そして子猫はスタンド・バイ・ミーを演奏した。

 レット・イット・ビーより誤魔化す回数が少なく聞きやすかったが、ミケは自分がどんな意味の英語を歌っているのか理解しているのかな。


  ◇


 その翌日、ハチワレと別れるのは寂しかったが、わたしはルド村を出てロスルーコ市に向かっていた。

 あと数日は村に居たかったが急な知らせがあり、出発しなければならなかった。

 馬車の中には振動にうめく傷だらけのバラキが横たわり、ひとり息子と別れたばかりのモモが寂しそうな顔で看病している。

「そんな顔するな、モモ。あいつにはわたしのお小遣いを全部やったし、布団とか着替えとか……それに、今回のことでわたしは家のナンバー・ツーになった。さすがにアニキには負けるけど、先代の妻でしかないオンラより上だ! 家に戻ったらすぐに休暇を与えるし、すぐ会いに行けるから」

 わたしは馬車の御者台でモモを励まし、すぐ横で馬へ不安げに鞭を振る“ルッツ”に小声で言った。

「上手だよ、クワイセ……教えるから全力で覚えて。騎士は馬を操れて当たり前だ。騎乗できなきゃ騎士じゃない! 町に着くまでに覚えないと……」
「チ、オレもピピンに習っておけば……!」
「口調! 下級とはいえルッツは貴族だ、そんな言い方しないぞ!? 特に舌打ちはダメ!」
「チ……!」

 ルド村からロスルーコ市までの数日は、バレたら終わりの恐ろしい旅だった。道中は連日吹雪で、凍えるような雪風に頬を割かれながらわたしはクワイセに馬術を教えた。

 ロスルーコ市が間近に迫る最終日、女騎士ルッツはどうにかレベル1の馬術スキルを会得した。

「いいぞ、クワイセ……これでようやく『騎士』を名乗れる。あとは槍・剣・盾のスキルのどれかと最低限の読み書き、それに貴族の礼儀作法を覚えればとりあえず一人前だ。……生まれてからずっとメイドだったし、作法は間近で見てきたよね?」
「……モチロンミテタヨ」
「おい!? 粗相をして変装がバレたら処刑だぞ、わかってんのか!?」
「うぅ……死神の変身スキル……覚えたときは最強だと思ったのに……」
「諦めるな!」

 わたしは頭に雪を積もらせながらルッツの脇を小突き、

「アニキや義母がロスルーコの家でくだらない要件を聞いたらロコック領に戻れる。せめてそれまではお上品な騎士の娘を演じてくれ。実家に戻れば多少のアラはわたしの権力で誤魔化せるから」
「……なあニョキシー、ほんとのことを言うと、オレ、ずっと貴族のお嬢様が羨ましかったんだ。オレも貴族に生まれていたら、きっと毎日贅沢に……」
「おお、なら夢が叶ったじゃないか」
「チ……騎士って寒いんだな」
「そうだな。冬場の全身鎧は使用人服の何倍も冷えるし、夏場の鎧は使用人服の百倍も蒸し暑いぞ。ずっとお日様に茹でられている気分になる——個人的には冬はまだマシだ。犬だからかな? 鬼のアニキは真冬のほうが地獄だと譲らないが」
「チ……鎧を脱いだら?」
「ダメに決まってんだろ、我々は騎士だぞ?」
「チ……」

 ロスルーコ市に着くと屋敷の門前には上等な身なりの鬼族がいて、黒服の男はダラサ王国が派遣した最上級の執事だった。

 彼はダラサ王から2通の親書を預かっていて、その手紙こそわたしたちがルド村を出なければならなくなった理由だった。

 ドライグとアニキは応接間でそれぞれ手紙を開き、ロコック家の長女たるわたしも同席を許された。ルッツとは一旦離れ離れになったが、わたしも手紙の内容は知りたかった。

 兄ハッセは暖炉で薪が爆ぜる暖かな応接間で素早く手紙に目を通し、深くため息して隣のわたしや義母オンラに言った。

「母上、これは国王陛下からの祝いの手紙で——領地が増えたぞニョキシー。これまでロスルーコ様が支配していた土地の一部が我が家に分配された。畑が増えたし、船が使える川まである! 地理的に、屋敷の場所は今のままで良いだろうが……」
「それは幸運だな、ロコック。こちらは転居せねばならぬよ。当家はそちらに領地を渡したのと引き換えに、南部の都市ゴウラを任された……旧ダラサ王の腹心が支配していた大きな街だが、例の事件で領主が処刑されて以来、新しい王家が直轄としていた土地だ」

 ドライグが上機嫌に笑い、同席していた次男リヴァイが不安そうに言った。青い髪と翼も相まって青ざめて見える。

「兄上、ゴウラの市内にはノモヒノジアがありますよ。麦や米、それに砂糖が大量に採れる迷宮ですが、魔女が遣わす悪魔も多い」
「優秀な騎士を雇い集めねばな。王家の連中はその費用を嫌って私たちに押し付けたのだろうが——」

 ドライグはそう言ってちらりとわたしに目線を送ったが、わたしはすぐに目線を躱した。ドライグはわたしに絶対防御ヒットポイントがあるのを知っているし、ハチワレの力も知っている。兵士になれと言われたら大変だ。

 その場にはリンナとルグレアがいた。母と娘は上品に麦茶を飲んでいて、きっと新しい公爵と子爵がどれほどの富や領地を得たのか知りたくて来たのだろうが……。

「おお、それじゃリンナがドライグ様を手伝ってやれよ! それにルグレアも強いんだろ? ザコに見えるけどあんたも鬼だ、公爵様を手伝ってやれ」

 わたしは偉そうに命令し、リンナはともかくルグレアは壮絶な笑みを浮かべた。さすがに髪が黄変しているが、わたしは身分上タメ口で構わない。哀れだね、元第二夫人w

「悪いがわたしはドライグサマを手伝わないぞ、アニキ」

 わたしはドライグに代わりの生贄を提案してから断り、

「わたしはまだ7歳のクソガキだ。実家でぬくぬくニートしてるよ」
「ニートってなんだ、妹よ? 当家も領地の管理があるし、公爵様をお手伝いできぬと言うのは理解できるが……」
「…………なんでもない。とにかく、腹が減ったから食堂に行ってる!」

 失言に慌てつつ、応接間を飛び出した。

 兄はともかく公爵家に対して失礼な態度だが、おそらく問題ないはずだ。わたしは「義母を失ってアホになってる少女」の設定なのだから。

 実際、ニヘっと笑って退室すると呼び止めようとしたアニキを義母オンラが引き止め、「お父様を失って……」とかなんとか、わたしの馬鹿な行動をかばってくれた。

 しかし——……。

 寒々とした廊下に出たわたしは不安を感じた。貴族どもに復讐してやると決めたものの、ニートとか、ちょっとした失言をきっかけに歯車が狂うかもしれない。

 自分がしくじって自分が死ぬのは構わない。なにしろわたしは一度死んでいるのだし。

 だけどわたしのミスのせいでクワイセやハチワレが処罰されたら嫌だ。ピピンのように、永久に奪われてしまうのはもう嫌だ。

 わたしは白い息を吐きながら友達の子ねずみを探して屋敷をうろついた。クワイセの姿でもルッツの姿でも見つけられず、ようやく女子トイレの個室を開いたとき、クワイセは死にかけていた。


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