癒しのハーブはきみを変える

九竜ツバサ

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 小谷の家は築五十年は経ているような外見の一軒家だった。
 田畑の広がる地域の中に、自然に埋もれるようにひっそりと立っている。

 タクシーを下りた翔吾は珍しくロングスカートを履き、普段結っている髪を下ろしたままの姿で訪ねた。
 大きなポストの中には透明な袋に入った求人雑誌が、いくつか回収されずに突っ込まれている。

 明恵は朗らかな笑顔で出迎えてくれた。居間でテレビを見ていた義父母らしき人たちに挨拶してから階段を上る。奥の仏間から漂う線香の匂いが家中を満たしていた。

「二階の右、二つ目が息子の部屋です」
「ありがとうございます」

 階段の半分ほどのところで、前にいた明恵が立ち止まった。

「竜也(たつや)! お客さんだからね!」

 腹の底から吐き出した大声が家の中に響き渡り、翔吾は目を瞠った。返事は無い。明恵は「ほんとにもう」と頬を膨らませながら階下へ下りて行く。苦笑が漏れた。

 足を進めるたび床板が軋む。
 上りきった先の廊下には、ベランダに繋がるガラス戸が見えた。サンルームの作りになっていて近代的だが、一枚硝子の窓は雪国の冬を越すには頼りない印象を受ける。外に面した窓からは夏の日差しが射し込んで熱が籠り、眩暈がするようだった。

 言われた通りの部屋の前に立つと、その奥からはアニメの音声が部屋の外にもうるさいくらい漏れていた。

「竜也くーん、お母さんの依頼で来た金沢ですー。お話しませんかー?」

 警戒心を持たれないように配慮し、柔らかく間延びした声でいう。ちょうど「○○くーん、あーそーぼー」と小学生が友達を誘う具合だ。中からの反応は無かった。想定内だ。
 翔吾の声はドアに吸収されてアニメに負ける。何度も声を書けたが同じだった。

 ゴンゴンと強くノックしても、竜也は気付かないふりをしている。だんだんと腹立たしくなってきて、目の前の板を殴りつけたくなったが、足の指を丸めることで耐えた。相手は一応客である。
 冷静を取り戻す為に一度息をついて、幾分か凪いだ声色で問いかけた。

「それ6月までやってた『魔法少女ココナ』でしょ? 私も見てたよ」

 返事は無いが、気配が動いた気がした。

「最後に仲間になったユリノよかったよなあ。まさかあんなことになるなんて思わなかったけど、いいラストだった。初期メンのツカサとシオンの友情エピソードも泣けたし。チサトの必殺技『ファイナルトルネード』も超かっけーの。それとさあ……」

 アニメの感想を矢継ぎ早に喋り続ける翔吾の背後で小鳥が囀る。田園風景と小鳥、こめかみから流れる汗、アニメの音。息切れを起こしてぼんやりしてきた脳が小学生の頃の夏休みを思い出す。
 自分の家にはゲームが無かったから、友達の家でよく遊んだ。こんな頑固な友達はいなかったから、どうしたらこの青年と親しくなれるのかはわからない。しかし、反応を窺うに趣味は合うんじゃないかと何となく思った。

 一生懸命話しかけているのにさっぱりドアは開かないし、あからさまに溜息でもついてしまおうかと思っていたときだった。

「あの……チサトの必殺技は――」

 ドアの向こうからくぐもった声がした。翔吾はその小さな声を聞き逃してしまわぬように壁に耳を押し付ける。

「『ファイナルトルネード』じゃない。『ファイナルサイクロン』だよ」

 今度ははっきりとした声で、竜也は喋った。
 翔吾は思わず右手でガッツポーズをする。

「あ、ああ、そうだった!最後の必殺技は『ファイナルサイクロン』だったな!」

 翔吾が声を明るくして「なあ、もっと話そうぜ」と誘う。突然プツンとアニメの音が消えて、二人の間に静寂が広がる。あちこちで蝉が鳴いていた。蝉の声しか聞こえない。
 土と刈られた雑草の匂いが、風に乗って入り込んでくる。
 それっきり竜也からの反応は途絶えた。
 あまりしつこくするのも効果的ではない気がして、翔吾は「また来るから」と声を掛け、階下へ下った。

「どうでした?」

 明恵が台所から出てきて心配そうに訊く。
「ちょっとお話ししましたけど、根気強くですね。また遊びに来ます」
「……そう、何だか懐かしいわぁ」

 明恵が膨らんだ紙袋を翔吾の手に持たせながら口角を上げた。

「小学生のときはお友達がよく遊びに来ててね、ほらうちゲームが沢山あったから。竜也も明るくて、活発だったんですよ。ぜひまた来て下さい。竜也も嬉しいんじゃないかな」

 やけに重い袋の中身を覗くと、大ぶりのスイカが窮屈そうに詰め込まれていた。明恵の愛情の大きさを表すような重量を腕に感じながら、小谷家を出る。車道沿いまで出てタクシーを呼んだ。



 翔吾は休日だったが店に寄ると、美鈴は目を丸くして出迎え、スイカを切ってくれた。歯切れのいい真っ赤な果肉は驚くほど甘い。
 縁側でスイカを齧り外に種を飛ばしていると、美鈴は少しだけ考えるような素振りを見せてから「小谷さんのことお願いしますね」と笑った。彼女からの信頼を感じる。嬉しくて、いっそう高く遠くへ種を飛ばした。

 二人で一玉の半分を食べきり、「お疲れさまでした」と別れてすぐに、翔吾はパチンコ屋へ向かった。いまだ中絶費用の半分も貯まっていない。自分で稼いだ金だと思うせいか、リスクの高い台を選べない。ということは跳ね上がるようなリターンも期待できないということだ。

 しかしそろそろ勝負をするべきか。
 考えながら煙草を取り出そうとしてやめた。口の中の甘味が消えるのが嫌だった。
 制限時間は刻々と近づいている。
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