癒しのハーブはきみを変える

九竜ツバサ

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 大粒のみぞれが降る日に、美鈴は退院してきた。
 隣で荷物を持ち、開いた傘のほとんどを美鈴に差し出している由貴も一緒に。

 子どもはまだNICUに入院していて、退院まで一か月はかかるという。しかし母乳も順調に飲んでいるし、体重も増えていて、経過はいいらしい。美鈴は毎日病院に通っては、「可愛い、可愛い」と興奮で半泣きになりながら出てくるというのを繰り返しているようだ。同じく美鈴のところに毎日通っている由貴が言っていた。

「元気になりましたか」
 翔吾が店の玄関で出迎えると、美鈴が血色のいい顔でにっこりと笑う。

「お陰様で。ご迷惑をお掛けしました」
「いや、大したことしてないんで気にしないでください」

 ご迷惑なんてとんでもない。運よくカウンセリングの客は入らなかったし、注文の変更も無かったので、一人で出来る業務ばかりで気楽だったくらいだ。むしろたまに閉店時間を早めたり、近所の子どもと遊んでいたり、不真面目に仕事をしていたことを叱られるべきである。

「冷やし中華を作ってあるんで一緒に食べましょ」

 翔吾の提案に美鈴はますます表情を明るくして、約一週間ぶりの自宅兼職場へ足を踏み入れた。それに続いてずぶ濡れの由貴が玄関のドアを閉める。

「お前はまずシャワーだな」

 ダイニングで人数分の麦茶を入れていた美鈴は、キッチンを背にして翔吾を振り返った。
「奥様はお元気ですか?」
 翔吾が目を剥く。そんな話をしたことは無い筈だ。
 美鈴は悪戯が成功した子どものような顔をして、「由貴さんに聞いたんです」と右足の爪先を上げた。
「奥様が由貴さんのお姉さんだっていうことも。妊娠してるんでしょう?」

 翔吾は膝を折って、力が抜けたようにへなへなとその場に座り込んだ。
「あいつはまた余計なことを……」
「子どものことなら私に気を遣わなくて大丈夫ですよ。それより平気なんですか? 切迫早産だとか」
 年を取った犬のような動作で首を上げる翔吾を見て、美鈴は心配そうに眉尻を下げた。
「今のところは大丈夫そうっすね。来月からは管理入院なんですけど」
「離れると余計に心配ですよね」
「そうそうしかも三人ぶんですよ」
「三人ぶん?」
「子ども双子なんです」

 えー! と、美鈴は予想以上の反応を見せた。澄んだ瞳を輝かせながら「二卵性?一卵性?」「男の子ですか? 女の子ですか?」と問い詰める。
「はあ……二卵性で……どちらも女の子で……」
 翔吾はたじたじになりながらも一つ一つの質問に答えていく。子どものことを聞かれるのはまだ気恥ずかしかった。本当に父親になったような気がして。いや、本当に腹の子の父親なのだが、その実感が自分のペースを乱して襲ってくるのが恐かった。まだどこか怯えている。背中が痒くてぞわぞわする。

「楽しみですね!」
 美鈴は翔吾よりも楽しみそうに声を弾ませた。
「あー……由貴とはどうなんですか? 仲良くやってます?」
 話題を逸らしたくて、この場にいない義弟について問うた。
 美鈴は途端に俯いて、口をもごもごさせながら頬を赤く染める。
「仲良くしてもらってます。だいぶ、慣れてきて、手も握れるようになったんです……」

 その状況、由貴は心臓が飛び出るほど緊張しているだろう。そして天にも昇りそうなほど喜んでいる筈だ。
 あの愛想の無い顔が緩むのを見てみたい気がするが、やはり何となく抵抗感がある。兄弟の部屋でエロ本を見つけたときくらいの気まずさだ。

 話しているうちに由貴がタンクトップと下半身にバスタオルを巻いただけの、およそ意中の女性に見せるべきではない恰好で現れた。美鈴は勢いよく目を逸らし、翔吾は思い切り顔を顰めて彼の頭をはたいた。

「だって服びしょ濡れだったし、着替えなかったから」
 表情を変えずあっけらかんとしている男に翔吾は自分が持ち帰り忘れていた服を着せ、二人きりになった座敷で「お前何律のことバラしてんだよ」と詰め寄った。
「話の流れでつい。でも別に何とも無かったでしょ。隠すようなことでも無いし」
 悪気の無さそうな態度が憎らしく制裁として鳩尾に拳をめり込ませ、三人で冷やし中華を食べた。

 帰り際、翔吾は美鈴に努めて明るい声色で退職したい旨を伝えた。
「その代わり、必要であれば由貴がここでバイトするんで」
 と代替案を提案する。由貴とは事前に打合せ済みだった。
 美鈴は翔吾の事情を察したのか、あまり驚かず頭を下げた。
「今までお世話になりました」
「俺の方こそです」
「よかったらまた遊びに来てくださいね」
「勿論。由貴の働きっぷりと美鈴さんの子どもの成長を見に来ます」
 翔吾が手の甲で鼻を擦ると、美鈴は腕を伸ばして彼の頭を撫でた。
 小雨に変わり、明るくなった空には虹が架かっていた。
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