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15 ふたつの色が重なるとき
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いろんなことがあったから、ずいぶん時間がたったような気がしていたけど、実際には一時間もたっていなかった。
そのあとは何事もなく受付に立ち、お客さんが途切れてひと息ついていたとき、スマホに通知が来ていることに気づいた。
お母さんからのメッセージだった。バザーはうまくいっているかな、と思いつつアプリを開く。すると、ぎょっとする画像が目に飛びこんできた。
「バザーのディスプレイできたよ」という書きこみに添付されている写真。
そこに、わたしが昨夜完成させた布絵本が写っている。バザーの出品物として、ほかの小物と一緒に並んでいた。
どうして、布絵本がバザーに出品されてるの?
布絵本とバザーの出品物は別々に置いたはずなのに。
混乱した頭で今朝の自分の行動を思い返してみる。
バザー出品物は机に、布絵本は椅子に置いたんだ。だけど出かける前、慌てて机にある出品物の山を崩してしまった。あのとき混ざっちゃったってこと?
ざあっと血の気が引く音が聞こえたような気がした。
瑠璃とわたしのことを知らなければ、絵本を見ても意味はわからないと思うし、実用的なものじゃないから、売れはしないと思うけど……。絶対とは言い切れない。
急いでお母さんに連絡を取ってみる。だけどメッセージは読まれず、電話にも出てくれない。忙しいのかな。
せめて、絵本は売り物じゃないんだよ、というメッセージだけでも読んでくれるといいんだけど。
今すぐバザーの会場に行きたい。でも、受付の交代はまだ先だし……。
「待井さん、どうしたの? なんかそわそわしてるみたい。ドールハウスで変なとこ見つけた?」
顔を上げると、滝くんが間近でわたしの顔をのぞきこんでいた。いつもならおどろいてかたまるか後ずさるかしているけど、今はそれどころじゃない。
「……どうしよう、滝くん。あのね……」
わたしは滝くんに布絵本がバザーに出品されてしまったことを話した。
要領よく説明できなかったけど、瑠璃のための布絵本を作ることはすでに話していたからか、すぐにわかってくれた。
「受付やってる場合じゃないな。代わってもらおうよ」
そう言うが早いか、滝くんは周りの人をつかまえ、あっという間に交代してもらうことができた。
「待井さんは今すぐバザー会場に行って事情を説明して、絵本を取り戻そう。大丈夫、できる!」
滝くんのきっぱりとした声に、背筋が伸びる。
「ありがとう、滝くん」
代わってくれた人に軽く引きつぎをして、さあ行こうとしたとき、滝くんは窓の外を見て「あっ」と声を上げ、
「待井さん、がんばってね。おれも声かけに行くから!」
言い終わらないうちに、ものすごいスピードで教室を飛びだしていった。
なにが起こったのかわからなくて、一瞬ぽかんとしてしまった。だけどすぐに気を取り直してわたしも教室を出る。
滝くん、誰にどんな声かけをするんだろう……?
彼の見ていた方向を見ても、人混みがすごい、ということしかわからなかった。
バザー会場は被服室だ。別校舎で離れているけど、急げば数分で着くはず。
だけど教室を出てすぐ、自分の考えが甘かったことに気づいた。
隣の教室のお化け屋敷は大人気で長蛇の列。そこを抜けるのがまず難関だった。
ようやく人混みをかき分けたと思ったら、次は大きなボードにはばまれた。四人の女子生徒が看板らしきものを持って階段を降りようとしていて、なかなか通れない。
通行できるようになるまで待つ時間がとてつもなく長く感じられたけど、実際は三分くらいだったと思う。女子たちが階段から看板を下ろすことができた瞬間、拍手が起こった。わたしも拍手をしながら走りだす。
やっとバザー会場にたどり着いた。中に入ると、売り子をしているPTAの人たちと、たくさんのお客さんでにぎわっている。
お母さんもいた。お客さんに声をかけながら出品物を並べている。わたしに気づくと笑ってこちらに来てくれた。
「深白、ドールハウスはどんな感じ? お母さんも休憩になったら見に……」
「ごめん、あのね、わたしの作ったものの中でひとつ、バザーに間違って出しちゃったものがあるの」
早口で言いながら、お母さんが送ってくれた写真の場所を目で探す。
わたしの出品物が並んでいる売場はすぐに見つかった。写真とは違い、大きなすき間が空いている。
きっとバッグやポーチが売れたからだと思いたい。思いたかった。
だけど、どれだけ探しても一番求めているものが見当たらない。
「お母さん、ここにあった布絵本は……」
「……ごめんなさい。さっき、売れちゃったの」
お母さんの小さな声が、信じたくなかった事実をわたしに突きつけた。
「売れた……」
わたしがあまりにも呆然としていたように見えたのか、お母さんはすまなそうに伏し目がちになった。
「本当、ついさっきなのよ。女の子の生徒さんが買っていったの。もしかしたら近くにいるかも……」
わたしはちょっとだけうなずいて見せてから、ふらふらと廊下に出た。
もし買った人が近くにいたとして、絵本が見えるように持っていてくれるとも限らない。この人ごみではとても探せないと思いつつ、なにかせずにはいられなかった。
しばらくバザー会場近くの廊下を歩き回ってみた。やっぱり布絵本を持っている人は見つからない。
同じ作品をもう一度作ることはできる。だけどあのときの感情は、もう二度と縫いこめることができない。
自分のミスだから仕方がないとはいえ、つらすぎる。
廊下の壁にもたれてうなだれていると、
「深白……」
おそるおそるといったように名前を呼ばれた。聞き覚えのある声。
あわてて顔を上げると、瑠璃がわたしの顔をのぞきこんでいた。ふちの細いメガネをかけたその顔は、気遣わしげな表情だ。
「具合悪いの? 大丈夫?」
「だ、大丈夫、元気……」
瑠璃から話しかけてくれるなんて。戸惑いながら答えていると、瑠璃が腕に抱えているものが視界に飛びこんできた。
それはわたしが今、必死に探していた布絵本だった。
「瑠璃、その絵本……」
「これ、深白が作ったんだよね。さっきわたしが買った。滝くんにすごい勢いで頼まれたから。布絵本を絶対見てほしいって」
「滝くんが?」
「うん。だーっとこっちに走ってきたかと思ったら、バザー会場で待井さんの作った絵本が、って一気に言うからびっくりした。突然すぎて意味がよくわからないし。だけど滝くんの圧っていうか熱意がすごくて、なんか、見に行かなきゃって……」
滝くんが「おれも声かけにいくから」って言ってたのは、瑠璃に対してだったんだ。
そんなに一生懸命走って、伝えてくれたんだ。
「たしかこう言ってた。『ハンドメイドが嫌いなのは仕方ない。だけど一回だけでもいいから、待井さんの気持ちが詰まった作品、見てくれないかな?』って」
瑠璃は複雑そうな表情で話を続けた。
「それ聞いて、最初はちょっとムッとした。なんで深白とわたしのことに滝くんが出てくるのって。だけどすぐ、深白の作ったものを見なきゃいけないって気持ちになった。わたし、友だちなのに深白のこと全然理解してなかったから、絵本を見たらわかるかもしれない。知りたいって、思ったんだ」
自分から伝えることができなかった、わたしの好きなものを、瑠璃は理解しようとしてくれたんだ。
そう思うと胸がいっぱいになってきた。
わたしは大きく頭を下げて瑠璃にあやまった。
「趣味のこと、隠しててごめんね。瑠璃が嫌いなものを好きって言ったら、わたしごと嫌われちゃうって思って怖くて、打ち明けられなかったの。本当はわたし、クールでも格好よくもないんだよ。パッチワークが好きで、やわらかいものが好きで、そのことを言えなくてびくびくしてた人間なんだ。ごめんなさい……」
「深白だけじゃなくて、わたしも……」
聞こえてきた声に顔を上げると、瑠璃は考えこむように目を伏せ、布絵本をめくっていた。わたしたちの間に沈黙が落ちる。
最初のページはほとんど真っ白だ。窓や机の輪郭線だけ薄い色の糸で縫ってある。
次のページから色がついたふたつのマグカップや本が現れ、背景にも少しずつ色がついていく。
最後のページまでめくり絵本を閉じると、瑠璃はわたしを見てまぶしそうに笑った。
「これが、深白なんだね……。わたしの好きな本とか、ふたりで色の話をしたときのこととか、すごくていねいに受け止めて、表現してる。優しい目で見てくれてる」
「……」
わかってくれた。届けたかったわたしの気持ち。
ちゃんと、瑠璃に伝わったんだ。
うれしくて泣きたくなって、わたしからも伝えたい気持ちがあふれてくる。
「瑠璃がね、白は全部の色が重なってできてる、深白はいい名前だ、って言ってくれたとき、うまく言えなかったけど、本当にうれしかったんだ。色がないからみんなと混ざれないのかな、なんて自分の性格と合わせて考えてたから、救われたような気持ちになったんだよ」
「あれはわたしが考えたわけじゃなくて、本の受け売りだから……」
「……ううん。白色について考えてくれて、深白をいい名前って言ってくれたのは瑠璃だよ。ありがとう、瑠璃」
瑠璃は目を丸くしてわたしの顔を見つめた。
「深白って名前は、深白にぴったりだね」
「そうかな?」
「うん。ぱっと見は、黒やグレーが似合いそうだけど、ほかのどんな色も受け止めてくれるっていうか……」
「そ、うなのかな……?」
わたしにはちょっと難しい話だった。頭をひねっていると、瑠璃は小さく笑い、ふたたび口を開いた。
「前から、なんとなくわかってた気がする。深白は第一印象と違う子なんだって。普通にしてたらクールっぽく見えちゃうだけだったんだよね」
「うん……」
「わたしはクールな人になりたくて、そういう深白に勝手にあこがれてたんだ。お母さんになにを言われても心がぐらつかないようにできるって。だけど深白がイメージと違うってわかったとき、わたし自身、自分のイメージを深白に押しつけてたのかなって気づいて、恥ずかしくなって……」
細い肩をさらにすぼめ、消え入りそうな声で瑠璃は語った。
瑠璃がひとりで本を読んでいたとき、硬い表情をしていたのは、お母さんとの関係で悩んでいたからなのかな。
瑠璃の様子がおかしいって感じたとき、わたしは自分の秘密を隠すことに必死で、なにもできなかった。
あのときに勇気を出していたら、この話が聞けていたのかな。
わたしたちはお互い、不安や自信のなさを抱えてぐらぐらと揺れていたのに、そのことを知らないまま、一緒にいたんだな。
そう思うと、今は前より心の距離が縮まったような気がする。瑠璃の気持ちが揺れるときは、そっと手を添えて支えられそうな気がした。
「あとね、深白がハンドメイド好きって知って、わたしはだめなやつなんだって思われてる気がした。昔、お母さんに『かわいらしい服がきらいなんて、つまらない子』って言われたときみたいに」
「そんなこと、言われちゃったの?」
「うん……お母さんはハンドメイドが大好きで、女の子ならこういうのが好きでしょう、って思い込んで、無理に押しつけてくる人だったの。で、勇気を出して『わたしの好みじゃない』って言ったら、つまらない子って言われちゃった」
「そんなこと……。瑠璃はだめなんかじゃないよ。自分の好みをつまらないって言われちゃったら、つらいね」
そのままの自分を否定されるのは傷つく。ましてや、お母さんから言われるならなおさらだ。
「それもつらかったけど、わたしが本当にいやだったのはハンドメイドじゃなかった気がするんだ。お母さんに自分の意見を押しつけられることが、いやだった。少し逆らうようなことを言ったら無視されたり、そうかと思えばベタベタくっついてきたり、お母さんはいつも自分中心で。わたしは母親って言う大きな渦に巻き込まれて出られない、って気持ちになった。息苦しくて、怖かった」
前に瑠璃が言っていたことを思いだした。「ハンドメイドを押しつける人」は瑠璃のお母さんのことだったんだ。
「瑠璃はそういうつらい場所から逃げだそうと、ずっとがんばっていたのかな。クールになろうって努力したり、本を読んで知識をつけたりして、ずっと……」
「……うん、そう……だと思う……」
声を詰まらせながら、瑠璃がうなずく。
それから思い切った様子で大きく頭を下げた。
「ごめんね、深白。わたしが傷ついたからって、深白を傷つけてもいいことにならないのに、わたし、自分で気づかないうちにそういうことしてた。いやなこと言っちゃったし、仲直りに来てくれたのに突っぱねちゃって……本当にごめん」
わたしは、いいんだよ、という意味で何度も首を振った。だけどこれじゃ瑠璃から見えない。
ちゃんと声に出して気持ちを伝えなきゃ。
「わたしこそ、ごめんなさい。これからは好きなことを瑠璃に隠したりしない。瑠璃とはうわべだけ仲よくするんじゃなくて、ちゃんと友だちになりたいから……」
「まだ、友だちでいてくれる?」
そう言いながら、ゆっくりと顔を上げた瑠璃の瞳には、涙が浮かんでいる。
「あたりまえだよ!」
わたしは必死に答える。瑠璃のきゅっと結んだ唇がほどけた。
「深白、泣いてる」
「瑠璃もだよー」
鼻声で言い返すと、瑠璃はふ、と笑みを漏らした。わたしもだんだんおかしくなってきて、ふたりで声を出して笑った。
そのあとは何事もなく受付に立ち、お客さんが途切れてひと息ついていたとき、スマホに通知が来ていることに気づいた。
お母さんからのメッセージだった。バザーはうまくいっているかな、と思いつつアプリを開く。すると、ぎょっとする画像が目に飛びこんできた。
「バザーのディスプレイできたよ」という書きこみに添付されている写真。
そこに、わたしが昨夜完成させた布絵本が写っている。バザーの出品物として、ほかの小物と一緒に並んでいた。
どうして、布絵本がバザーに出品されてるの?
布絵本とバザーの出品物は別々に置いたはずなのに。
混乱した頭で今朝の自分の行動を思い返してみる。
バザー出品物は机に、布絵本は椅子に置いたんだ。だけど出かける前、慌てて机にある出品物の山を崩してしまった。あのとき混ざっちゃったってこと?
ざあっと血の気が引く音が聞こえたような気がした。
瑠璃とわたしのことを知らなければ、絵本を見ても意味はわからないと思うし、実用的なものじゃないから、売れはしないと思うけど……。絶対とは言い切れない。
急いでお母さんに連絡を取ってみる。だけどメッセージは読まれず、電話にも出てくれない。忙しいのかな。
せめて、絵本は売り物じゃないんだよ、というメッセージだけでも読んでくれるといいんだけど。
今すぐバザーの会場に行きたい。でも、受付の交代はまだ先だし……。
「待井さん、どうしたの? なんかそわそわしてるみたい。ドールハウスで変なとこ見つけた?」
顔を上げると、滝くんが間近でわたしの顔をのぞきこんでいた。いつもならおどろいてかたまるか後ずさるかしているけど、今はそれどころじゃない。
「……どうしよう、滝くん。あのね……」
わたしは滝くんに布絵本がバザーに出品されてしまったことを話した。
要領よく説明できなかったけど、瑠璃のための布絵本を作ることはすでに話していたからか、すぐにわかってくれた。
「受付やってる場合じゃないな。代わってもらおうよ」
そう言うが早いか、滝くんは周りの人をつかまえ、あっという間に交代してもらうことができた。
「待井さんは今すぐバザー会場に行って事情を説明して、絵本を取り戻そう。大丈夫、できる!」
滝くんのきっぱりとした声に、背筋が伸びる。
「ありがとう、滝くん」
代わってくれた人に軽く引きつぎをして、さあ行こうとしたとき、滝くんは窓の外を見て「あっ」と声を上げ、
「待井さん、がんばってね。おれも声かけに行くから!」
言い終わらないうちに、ものすごいスピードで教室を飛びだしていった。
なにが起こったのかわからなくて、一瞬ぽかんとしてしまった。だけどすぐに気を取り直してわたしも教室を出る。
滝くん、誰にどんな声かけをするんだろう……?
彼の見ていた方向を見ても、人混みがすごい、ということしかわからなかった。
バザー会場は被服室だ。別校舎で離れているけど、急げば数分で着くはず。
だけど教室を出てすぐ、自分の考えが甘かったことに気づいた。
隣の教室のお化け屋敷は大人気で長蛇の列。そこを抜けるのがまず難関だった。
ようやく人混みをかき分けたと思ったら、次は大きなボードにはばまれた。四人の女子生徒が看板らしきものを持って階段を降りようとしていて、なかなか通れない。
通行できるようになるまで待つ時間がとてつもなく長く感じられたけど、実際は三分くらいだったと思う。女子たちが階段から看板を下ろすことができた瞬間、拍手が起こった。わたしも拍手をしながら走りだす。
やっとバザー会場にたどり着いた。中に入ると、売り子をしているPTAの人たちと、たくさんのお客さんでにぎわっている。
お母さんもいた。お客さんに声をかけながら出品物を並べている。わたしに気づくと笑ってこちらに来てくれた。
「深白、ドールハウスはどんな感じ? お母さんも休憩になったら見に……」
「ごめん、あのね、わたしの作ったものの中でひとつ、バザーに間違って出しちゃったものがあるの」
早口で言いながら、お母さんが送ってくれた写真の場所を目で探す。
わたしの出品物が並んでいる売場はすぐに見つかった。写真とは違い、大きなすき間が空いている。
きっとバッグやポーチが売れたからだと思いたい。思いたかった。
だけど、どれだけ探しても一番求めているものが見当たらない。
「お母さん、ここにあった布絵本は……」
「……ごめんなさい。さっき、売れちゃったの」
お母さんの小さな声が、信じたくなかった事実をわたしに突きつけた。
「売れた……」
わたしがあまりにも呆然としていたように見えたのか、お母さんはすまなそうに伏し目がちになった。
「本当、ついさっきなのよ。女の子の生徒さんが買っていったの。もしかしたら近くにいるかも……」
わたしはちょっとだけうなずいて見せてから、ふらふらと廊下に出た。
もし買った人が近くにいたとして、絵本が見えるように持っていてくれるとも限らない。この人ごみではとても探せないと思いつつ、なにかせずにはいられなかった。
しばらくバザー会場近くの廊下を歩き回ってみた。やっぱり布絵本を持っている人は見つからない。
同じ作品をもう一度作ることはできる。だけどあのときの感情は、もう二度と縫いこめることができない。
自分のミスだから仕方がないとはいえ、つらすぎる。
廊下の壁にもたれてうなだれていると、
「深白……」
おそるおそるといったように名前を呼ばれた。聞き覚えのある声。
あわてて顔を上げると、瑠璃がわたしの顔をのぞきこんでいた。ふちの細いメガネをかけたその顔は、気遣わしげな表情だ。
「具合悪いの? 大丈夫?」
「だ、大丈夫、元気……」
瑠璃から話しかけてくれるなんて。戸惑いながら答えていると、瑠璃が腕に抱えているものが視界に飛びこんできた。
それはわたしが今、必死に探していた布絵本だった。
「瑠璃、その絵本……」
「これ、深白が作ったんだよね。さっきわたしが買った。滝くんにすごい勢いで頼まれたから。布絵本を絶対見てほしいって」
「滝くんが?」
「うん。だーっとこっちに走ってきたかと思ったら、バザー会場で待井さんの作った絵本が、って一気に言うからびっくりした。突然すぎて意味がよくわからないし。だけど滝くんの圧っていうか熱意がすごくて、なんか、見に行かなきゃって……」
滝くんが「おれも声かけにいくから」って言ってたのは、瑠璃に対してだったんだ。
そんなに一生懸命走って、伝えてくれたんだ。
「たしかこう言ってた。『ハンドメイドが嫌いなのは仕方ない。だけど一回だけでもいいから、待井さんの気持ちが詰まった作品、見てくれないかな?』って」
瑠璃は複雑そうな表情で話を続けた。
「それ聞いて、最初はちょっとムッとした。なんで深白とわたしのことに滝くんが出てくるのって。だけどすぐ、深白の作ったものを見なきゃいけないって気持ちになった。わたし、友だちなのに深白のこと全然理解してなかったから、絵本を見たらわかるかもしれない。知りたいって、思ったんだ」
自分から伝えることができなかった、わたしの好きなものを、瑠璃は理解しようとしてくれたんだ。
そう思うと胸がいっぱいになってきた。
わたしは大きく頭を下げて瑠璃にあやまった。
「趣味のこと、隠しててごめんね。瑠璃が嫌いなものを好きって言ったら、わたしごと嫌われちゃうって思って怖くて、打ち明けられなかったの。本当はわたし、クールでも格好よくもないんだよ。パッチワークが好きで、やわらかいものが好きで、そのことを言えなくてびくびくしてた人間なんだ。ごめんなさい……」
「深白だけじゃなくて、わたしも……」
聞こえてきた声に顔を上げると、瑠璃は考えこむように目を伏せ、布絵本をめくっていた。わたしたちの間に沈黙が落ちる。
最初のページはほとんど真っ白だ。窓や机の輪郭線だけ薄い色の糸で縫ってある。
次のページから色がついたふたつのマグカップや本が現れ、背景にも少しずつ色がついていく。
最後のページまでめくり絵本を閉じると、瑠璃はわたしを見てまぶしそうに笑った。
「これが、深白なんだね……。わたしの好きな本とか、ふたりで色の話をしたときのこととか、すごくていねいに受け止めて、表現してる。優しい目で見てくれてる」
「……」
わかってくれた。届けたかったわたしの気持ち。
ちゃんと、瑠璃に伝わったんだ。
うれしくて泣きたくなって、わたしからも伝えたい気持ちがあふれてくる。
「瑠璃がね、白は全部の色が重なってできてる、深白はいい名前だ、って言ってくれたとき、うまく言えなかったけど、本当にうれしかったんだ。色がないからみんなと混ざれないのかな、なんて自分の性格と合わせて考えてたから、救われたような気持ちになったんだよ」
「あれはわたしが考えたわけじゃなくて、本の受け売りだから……」
「……ううん。白色について考えてくれて、深白をいい名前って言ってくれたのは瑠璃だよ。ありがとう、瑠璃」
瑠璃は目を丸くしてわたしの顔を見つめた。
「深白って名前は、深白にぴったりだね」
「そうかな?」
「うん。ぱっと見は、黒やグレーが似合いそうだけど、ほかのどんな色も受け止めてくれるっていうか……」
「そ、うなのかな……?」
わたしにはちょっと難しい話だった。頭をひねっていると、瑠璃は小さく笑い、ふたたび口を開いた。
「前から、なんとなくわかってた気がする。深白は第一印象と違う子なんだって。普通にしてたらクールっぽく見えちゃうだけだったんだよね」
「うん……」
「わたしはクールな人になりたくて、そういう深白に勝手にあこがれてたんだ。お母さんになにを言われても心がぐらつかないようにできるって。だけど深白がイメージと違うってわかったとき、わたし自身、自分のイメージを深白に押しつけてたのかなって気づいて、恥ずかしくなって……」
細い肩をさらにすぼめ、消え入りそうな声で瑠璃は語った。
瑠璃がひとりで本を読んでいたとき、硬い表情をしていたのは、お母さんとの関係で悩んでいたからなのかな。
瑠璃の様子がおかしいって感じたとき、わたしは自分の秘密を隠すことに必死で、なにもできなかった。
あのときに勇気を出していたら、この話が聞けていたのかな。
わたしたちはお互い、不安や自信のなさを抱えてぐらぐらと揺れていたのに、そのことを知らないまま、一緒にいたんだな。
そう思うと、今は前より心の距離が縮まったような気がする。瑠璃の気持ちが揺れるときは、そっと手を添えて支えられそうな気がした。
「あとね、深白がハンドメイド好きって知って、わたしはだめなやつなんだって思われてる気がした。昔、お母さんに『かわいらしい服がきらいなんて、つまらない子』って言われたときみたいに」
「そんなこと、言われちゃったの?」
「うん……お母さんはハンドメイドが大好きで、女の子ならこういうのが好きでしょう、って思い込んで、無理に押しつけてくる人だったの。で、勇気を出して『わたしの好みじゃない』って言ったら、つまらない子って言われちゃった」
「そんなこと……。瑠璃はだめなんかじゃないよ。自分の好みをつまらないって言われちゃったら、つらいね」
そのままの自分を否定されるのは傷つく。ましてや、お母さんから言われるならなおさらだ。
「それもつらかったけど、わたしが本当にいやだったのはハンドメイドじゃなかった気がするんだ。お母さんに自分の意見を押しつけられることが、いやだった。少し逆らうようなことを言ったら無視されたり、そうかと思えばベタベタくっついてきたり、お母さんはいつも自分中心で。わたしは母親って言う大きな渦に巻き込まれて出られない、って気持ちになった。息苦しくて、怖かった」
前に瑠璃が言っていたことを思いだした。「ハンドメイドを押しつける人」は瑠璃のお母さんのことだったんだ。
「瑠璃はそういうつらい場所から逃げだそうと、ずっとがんばっていたのかな。クールになろうって努力したり、本を読んで知識をつけたりして、ずっと……」
「……うん、そう……だと思う……」
声を詰まらせながら、瑠璃がうなずく。
それから思い切った様子で大きく頭を下げた。
「ごめんね、深白。わたしが傷ついたからって、深白を傷つけてもいいことにならないのに、わたし、自分で気づかないうちにそういうことしてた。いやなこと言っちゃったし、仲直りに来てくれたのに突っぱねちゃって……本当にごめん」
わたしは、いいんだよ、という意味で何度も首を振った。だけどこれじゃ瑠璃から見えない。
ちゃんと声に出して気持ちを伝えなきゃ。
「わたしこそ、ごめんなさい。これからは好きなことを瑠璃に隠したりしない。瑠璃とはうわべだけ仲よくするんじゃなくて、ちゃんと友だちになりたいから……」
「まだ、友だちでいてくれる?」
そう言いながら、ゆっくりと顔を上げた瑠璃の瞳には、涙が浮かんでいる。
「あたりまえだよ!」
わたしは必死に答える。瑠璃のきゅっと結んだ唇がほどけた。
「深白、泣いてる」
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