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第六話 「食せずして飢ざるの法」~兵糧丸の作り方~
しおりを挟む山崎美成著 「世事百談」 天保十四(1843)年刊
「食せずして飢ざるの法」より
串柿を糊のように潰して、同量の蕎麦粉を混ぜ、大梅程の大きさに丸めて朝出る時に二三粒を食べると一日の食事になるという。
もし蕎麦粉がなければ、もち米の粉でもよい、もしくは三種合わせても構わないと、安斎漫筆にある。
また、棗一升を煮て、それへ芝麻(ゴマ)一升、糯米一升を一緒に粉に挽いて混ぜて団子にして一つ食べると一日腹が減らないと、白河燕談にある。
私(山崎)がかつて聞いた方法は、白米一斗を蒸籠に入れ百度蒸して干して置き、一握りずつ毎日水と共に三十日食べれば、死ぬまで一切の食事が必要なくなるという。
黒豆をよく蒸して一日食事をせず、翌日その黒豆だけを食べ、喉が渇いた時は水を飲む。
こうして一年ほど暮らすと、後には一切の食物が不要な仙人になれるという。
黒豆五合、胡麻三合水に一夜漬けた後に三度蒸し、皮を取って搗いてこぶし大の大きさに丸め、甑(蒸籠のようなもの)の中に入れて、戌の刻から子の刻まで(5時間ほど)蒸して、あくる朝の寅の刻(午前4時)に取り出して日に干す。
これを一つ食べると七日間腹が減らない、二つ食べると四十九日、三つ食べると三百日、四つ食べると二千四百日も餓えないという。
この三つの方法は、唐土(中国)で飢饉のときに、多くの人を救ったものだということだ。
ちなみに、人の通らない谷底や井戸に誤って落ちたり、海上でも食物が無くなった時に命を繋ぎ、気力が衰えない方法として、寿世保元には以下のような方法が記されている。
口に唾をいっぱい貯めては飲み込む、それを一日三百六十度繰り返すと何十日でも餓えないという。
これについては、このような話がある。
正徳の頃の事だという、武蔵の国の奈良宋哲という人が常に親しく交際している僧に付き従って七日間の断食をすることになった。
宋哲が知人の僧に、この唾を飲み込む方法を教えると彼はそれを信じて断食に入った。
もう一人いた別の僧は、この方法を聞いて嘲り笑って用いなかったが、断食も六日目に入ると、その僧は手足が痛んでことの外苦しそうに顔をしかめ始めた。
宋哲から教えてもらった法を忠実に守っていた知人の僧はなんともなく、無事七日間の断食の行法を終えることが出来たという。
思うに、この唾を飲み込む法は効果があるような気がする。
唾は体液なので吐かずに飲み込んで体を潤すことは理にかなっている。
普段の健康管理でも心得ておきたいことだ。
戦国時代の戦闘食、非常食である「兵糧丸」の作り方は各種レシピがあります。
この山崎美成が記しているレシピはシンプルな方でしょう。
今は「カロリーメ〇ト」というものがありますが、これは現代の兵糧丸といったところでしょうか。
じつは、カロリー〇イトは公式にはスコットランドのお菓子ショートブレッドにヒントを得たと記されていますが、昭和初期の大日本帝国陸軍でソックリなものが作れれています。
「軍粮精」(昭和13年に「元気食」と改名)というのがそれで、ブドウ糖、脱脂粉乳、エコナ、ココナツミルク等を混合してキャラメル状にオブラートに包んだもので、原料からするとカロリーメ〇トにけっこう近い味がしそうです。
この「軍粮精」一号から三号まであって、三号はカカオバターと抹茶が配合された「抹茶味」らしいですね、ちなみにニ号は不明。
パッケージには、
一、行軍ヤ戰闘デ疲レタ時ニ、ニ-五粒ヲ食ベレバ元氣ヲ回復スル
一、一日二〇粒(一包)位ガ適量デアルガ之レハ一度ニ食ベテモ毒ニハナラナイ
一、之レヲ食ベレバ一時的ニ元氣ガ出ルノダカラ、携帯口糧ノ代用トシテ使フノハ適當デナイ
そう書かれています。
思えば、「瓶詰」はナポレオンの時代に軍の遠征用の保存食として発明されたものですし、「牛肉の大和煮」「コンビーフ」「乾パン」もそもそも軍用食、ベトナム戦争では逆に民生品の日本のインスタントラーメンが非常に重宝されたといいます。
食べ物については調べると色々な発見があります。
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