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第十四話 「天命自然の事」

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 根岸鎮衛著 「耳嚢」巻之一


 「天命自然の事」より


 天明二(1782)年春の事である。

 内々に済んだ話なのでその氏名は記さないが、私(鎮衛)の知人から聞いた話では、下谷辺りに住む徒士を勤める人の妻は、元々素性も良くない召し使い同様の者で、性格も悪く周囲の人も関わりを持つのを嫌がる者だったという。

 最近妻は密かに男を作って不倫をしているのか、夫に対して不審な態度を取ることがあった。
 夫は、長く使っている下男に「どうも妻の様子が怪しいのだが・・・」と尋ねると、下男も「私もそのように思います」とのことだった。

 ある日、夫が体調不良で家に帰ってきたところ、妻が食事を作り丁寧に膳に乗せて持ってきた。
 夫は、いつもとは違う妻の態度に不信を抱いて下男の方を見ると、下男もしきりに何か目で訴えている。
 下男は、妻が食事に何かを入れている所を目撃したのだ。

 夫はいよいよ用心して、「今日は体調が悪いので食事は要らない」と妻に言うと、妻は「せっかく作ったのですから・・・」としきりに勧めてくる。

 夫は、汁を一口すすったが、「やはり、どうも気分が良くないので食事は食べられない、すまないが片付けてくれ」と言って居間に横になった。

 しばらくして居間の方で大きな音と叫び声が聞こえたので、下男が駆けつけると、妻が夫の首に纏わりついて押し倒しているではないか。

 夫も力のある者なので起き上がり、下男が持ってきた薪を手に取って妻を殴ると、天罰なのか当たり所が悪く妻はそのまま死んでしまったという。

 近所の者達も騒動を聞いて駆けつけたが、夫は事情を話して内密に済ませたという話だ。

 世の中には凶悪な者もいるものだと思ったので、ここに記す。


 現在なら妻による夫の毒殺未遂(第一の事件)、そして夫の正当防衛(第二の事件)とテレビのワイドショーのネタになりそうですが、江戸時代は内々で済ませられたようです。
 ましてや徒士といえども武士の家の醜聞ですから、なるべく秘密裏に処理したのでしょう。

 ケースは違いますが、武家が不義を働いた下男などを手討ちにしても特に罪には問われませんでした。
 また、武士だけではなく庶民でも、妻の不倫・浮気相手は「殺してオッケー!」
 まあ、たいていは世間体もあるので現在で言う「示談金」で済ませたようで、これを「首代」と称して、五両とか七両くらいが相場だったとか。

 不倫や浮気も命がけだったようです。
 


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