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第3話 3
しおりを挟む訪問から十日後、婚約に「候補」という文言が追加された書状と共に、アルベルトが快速馬車に乗ってやって来た。
通常であれば王都まで馬車で十日近くかかるところを、往復十日である。
四頭立ての快速馬車の威力もさることながら、婚約の許可を王からもぎ取って来る勢いも凄まじい。
バレンティーナの予想通り、危機的状況であることがうかがえる。
引っ越しの荷物は後から届くそうで、馬車から運んだのは身の回りの物と衣服が少しだけだった。
「父上、書状が届くって言っていたけど、本体も一緒に届いてびっくりですねぇ」
アルベルトと簡単な挨拶を交わした後で、王城の従者と屋敷の使用人が部屋に荷物を運びこむのを見守りながら、エリアスはサムエルに声をかけた。
「馬鹿者、不敬な言い回しをするな。とはいえ、こちらの準備も整わぬうちに来られるのは迷惑……まあ、寛大なお方だから、今できるもてなしをすれば良い」
「大きな声では言えないけど、殿下は痩せていて顔色も悪いですね。母上の話では冷遇されているそうで。ろくなものを食べさせてもらってないのかな。今夜は美味しいものをいっぱい用意しましょう!」
「小さな声でも言うな。だが、我が家で暮らすからには心穏やかに、せめて健やかにお過ごしいただこう」
機嫌よく笑うエリアスに釣られて、サムエルの表情も緩む。
アルベルトの同行者を使用人棟の客室で労うよう伝えて、二人は屋敷の中に戻った。
その日は早めの晩餐会で、家族との顔合わせを行った。
「アルベルト殿下、従者を全て帰らせること、申し訳ないが納得していただきたい。魔獣や他国からの防衛の地であり、各種の研究も行っております。漏洩を防ぐため、信頼できるもの以外を屋敷に置くことができないのです」
「心得ております。立ち入りを禁じる部屋や施設があれば申しつけてください。それと、今後は家族となるのです。私のことはアルベルトと呼び捨てください。どうか本当の息子のように接していただけますよう。お願い致します」
「もちろんだとも、アルベルト! 今日から私の息子だ!」
アルベルトが社交用の綺麗な笑みを見せると、単純なサムエルは、感激して嬉しそうにアルベルトの手を取ってうなずいた。
「困ったことがあったら、気兼ねなく何でも言うのだぞ」
「はい。義父様」
すっかり気を許した父親に対して、女性陣が冷たい。
母と姉達はいつも話題を提供して場を和ませるのに、今日はなぜか無口で、淡々と食事をしている。
マナーなのか何か事情があるのか。だが、エリアスは早く仲良くなりたい。
「アル兄様、僕の事はエリアスって呼んでくださいね! あ、アル兄様って呼んでもいいですか?」
お得意の媚び媚びスマイルで話しかける。
「エリアス、いいですよ。これから仲良くしてくださいね」
「はい!」
元気に返事をすると、大人達は、思わずという自然な笑みを返してくれるものだが、アルベルトは相変わらず作り笑顔のままである。
残念ではあるが、エリアスも無邪気な子供を装っているので無理強いする気はない。
それでも、出来れば早く、作り笑顔などなくても気安く過ごせる関係になりたい。
「アル兄様はどのお料理が好きですか? 喜んでもらいたくて、僕が考えたんですよ!」
食べ盛りの子供なら大好きになるであろうハンバーグとナポリタンをメインに、野菜を豊富に使ったメニューにしてもらった。
「どれも美味しいですよ。特にこの肉料理が絶品です」
「それは、肉を刻んで玉ねぎや香草を混ぜて焼いたもので、醤油を使ったソースが自慢なんです! 僕の大好物!」
アルベルトの笑顔が固まり、フォークが一瞬止まった。
「あれ? 醤油ダメだった?」
エリアスが心配した顔を向けたが、すぐに表情を戻した。
「いえ、肉によく合いますね。とても美味しいです」
勧められるままにお代わりをして、デザートのプリンまでしっかり食べてくれた。
好き嫌いなく、もりもりとたくさん食べる姿が好ましい。
アルベルトがどんな人か知りたいし、何が好きかも知りたい。
一緒に暮らすようになったら、期待通りに一緒に遊んだり何かを作ったりできるのだろうか。
エリアスは今からワクワクしている。
早い時間の夕食だったため、まだ外は明るい。
「アル兄様、少しお散歩しませんか? 僕が自慢のお庭を案内します」
「ありがとう、エリアス。よろしくお願いします」
両親に挨拶する時間も待ちきれず、手をつないでアルベルトを引っ張る。
ダイニングルームからガーデンテラスに続く扉を開けてもらい、そこから目の前の庭に出た。
夕日がアルベルトの横顔に影を作る。
「エリアス、男の婚約者でゴメンね」
突然、アルベルトが申し訳なさそうに言う。
「どうして謝るの? 兄様ができてうれしいです。いっぱい遊びましょうね!」
「……そうだね。いっぱい勉強したり、魔術や剣術の訓練したり、遊びましょう」
優しい声なのに泣きそうな顔に見える。
だがそれは、夕日が作った濃い影のせいかもしれない。
手前の花壇にはダリアやキクなど暖色系の色鮮やかな花を植えているが、次の区画で栽培しているのは薬草だった。
様々な種類のセージやラベンダーの、青・ピンク・紫の花が満開で、ハーブとして有用なだけでなく見ても美しい。
その中から、きれいに咲いているラベンダーを何本か手折り、アルベルトの顔の前で振る。
「いい匂いする?」
「おや、珍しい。ここは薬草園だね。薬草の研究をしてるのかい?」
アルベルトが周囲を見渡す。
「あ……うん。そう」
ここは案内しても良かったのだろうかと一瞬考えるが、庭園に行くことを許されたのだから問題ないだろう。
深く考えるのはやめた。
それよりも、興味深そうにきょろきょろしている彼に色々と教えてあげたい。
「私はカモミールティーをよく飲んでいたよ」
「あ、カモミールもあるよ。他にも色々あるから、今度ブレンドしてもらおう!」
「いいね。エリアスは好きなハーブはあるかい?」
「僕はレモンバームが好き。ミントも好き。時々、自分で摘んでフレッシュハーブティーにしてるの」
「もしかしてミントを地植えしてるの?」
「まさか! 庭中に蔓延って大変なことになっちゃうから鉢植えだよ」
「だよね。一度、離宮の庭で侍女がやってしまって、大変だったよ」
「うわーやっちゃったね。ハーブは、植え方とか効能効果は教会の指導書を見ないとね。うちの庭師には、複数の教会が出してる本を見るよう言ってるよ。時々誤った見解の著者がいて、特に効能効果は毒性を見過ごしたら大変だからね」
教会では、薬草を栽培して販売したり、時には配布しているので、定期的に指南書をまとめたものを販売している。
だが、ネット情報同様、この世の本は書いた者勝ちなので、情報の正確さは約束されていない。
しかも、勝手に売っていいし勝手に写していいから、全ては購読者の自己責任なのである。
「ああ、なるほど。複数の教会の研究結果を照らし合わせれば、より正確な結果が得られるね。やはりエリアスは賢いな」
「えー? それほどでもあるかも。あ、こっちはお野菜だよ」
アルベルトの手を引いて先に進む。
「ふふ、花壇に野菜まであるのだね」
この区画は菜園になっている。
最初はトマト、ナス、キュウリなど小学校の理科でおなじみの種を手に入れたから細々とやっていたが、今では庭園で一番大きな区画になってしまった。
本当に兄ができたようで嬉しいエリアスは、初日から自制を忘れて何もかも教えてあげたい気持ちになっている。
何より、アルベルトの日本人のような容貌がホッとするのだ。
だが、近くで見ると本当に肌つやが悪く、使用人の子共達より痩せている。
毒でも盛られていたのではないかと心配になるほどだ。
晩餐会で、醤油のことを話した時に、表情が硬くなったことを思い出す。
「あの、さっき気になって……もしかして、前に醤油に、何か変なもの……入ってたとか?」
遠慮がちに言うと、アルベルトは頭を横に振った。
「違うよ。醤油は、王都では黒くて塩辛すぎて、あまり好まれないから、驚いただけだよ」
「なんだ、良かった! 僕は島国の食材が好きで、商会に頼んで取り寄せてもらってるんだ。本当は味噌とか鰹節とか昆布とかも欲しいけど、なかなか見つからないみたい」
エリアスは、作りたい物は様々あるが、食材が見つからないことを話した。
「それ、私が協力できるかもしれない」
子供の頃に、何度か特派員と一緒に島国に渡っているアルベルトは、北部の港や山間部で見かけた食材を説明する。
「それだよ、たぶんそれ! 黒い板みたいなのが昆布で、焦げ茶色の臭い粘土みたいなやつが味噌です!」
鰹節も見たことがあるかもしれないと、荷物が届いたら旅の日記を探してくれることになった。
これで、島国食材を入手できる。
商会の担当者が戻ったら、次は必ず出汁を仕入れてきてもらおう。
アルベルトの笑顔に少しだけ温かさが混じった気がする。
きっと、普通の貴人は人前ではへらへらしてはいけないのだ。
母やユリアは客の前では決して美しい笑顔を崩さない。
親しい間柄であってもばか笑いなんてしない。
アルベルトのそれは、王族の間では常識なのだと思うことにした。
少しさびしいけれど。
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