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一章
vs " Z "(4)
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アミーという獣は、その姿かたちを見ると、まるで現実の狼のような姿をしている。
それぞれ二本の前脚と後ろ脚に支えられた、長い胴体、長い体毛、もふりとした尻尾。
狐のように三角に尖る耳、獲物との距離を測る瞳、すらりと突き出した鼻梁、空気の振動を察知する細い髭。
大きさについても、通常の個体は、大型犬程度までしか成長しない。
もしも現実に存在したならば、狼と同じように、あるいは犬と同じように、食肉目イヌ科イヌ属に分類されたことだろう。
地球の狼がそのような姿になったのと同じような理由で、この世界のアミーはそのような姿をしているのかもしれない。
より速く駆けるため。
より効率よく狩りをするため。
そのような形であるのが、もっとも生き延びられたから。
まるで狼のような、姿かたちをしている。
――ように、見える。
だがその獣が、もしも現実に存在したならば、ネコ目イヌ科イヌ属には分類されるだろうが、決して狼や犬とは呼ばれないだろう。
狼の仲間と、区分されることはないだろう。
その所以は、たとえば異常に発達した後ろ脚の構造であるとか、猫のように柔軟な背骨の骨格であるとか、臓腑の配置とか、牙のかたちとか、尻尾の太さとか、そういうまっとうに生物学的な理由からも裏付けられるかもしれない。
その結果として、あるいはイヌ科イヌ属にも分類されないかもしれない。
だが、そもそも。
そんな理論的な裏付けがされなくても。
前作のプレイヤーは、アミーという獣を、狼だとは認識してなかった。
狼のような姿をしていて、狼のように愛らしいけれど。
だが、決して狼ではない。
前作の初回イベントで、異常進化した個体に遭遇したプレイヤーは、最初からその獣を狼と呼ぼうとはしなかった。
その獣は、現実に存在するいかなる獣の名を与えるのにも相応しくないと思われた。
ゆえに、アミーという新たな名が与えられたのだ。
イベントのあとから『犬』を始めたプレイヤーであっても、アミーという獣の本気の狩りを見たあとには、アミーを狼と認識するのをやめていた。
なぜなら、その獣の動きが、明らかに狼のそれではなかったからだ。
こんな狼が居てたまるかと、考えをあらためたからだ。
時には兎のように跳ね、時には鹿のように身体を振り回し、
ある程度の中距離を疾駆し、飛び掛かり、
顎から食らいつき、前脚で薙ぎ払い、押し潰し、
時には尻尾を鞭のように振るい、敵を打ち据える。
そんな、四つ脚動物に見られる、常識的な動き。
それを逸脱しているからこそ、その獣は新たな名を与えられたのだ。
その異常な動きを、最初に見せつけられた、哀れな犠牲者たち。
その姿かたちから、その獣を狼のようなものだと誤認して、『犬』の初回イベントに参加したプレイヤーたち。
彼らは、その誤りの代償を、その命で支払うことになった。
――そこには、当然、俺も含まれている。
*――――
――……ゥゥウ、ルルァッ!!
飛び跳ねるような挙動を繰り返し、獣の猛追を躱す。
荒い息を吐きながら、それでもこの身は機敏に跳ねる。
腐葉土の積もった地面を蹴りながらも、足を滑らせることはない。
それは、単に俺がこの手の回避動作に慣れているから――というわけでは、ない。
(……やっぱり【跳躍】は最高だな!!)
脚を縮め、地を蹴り、腰をひねり、腕を回し、全身を使って身を跳ねる。
血肉の詰まった袋を振り回すような挙動の中に流れる、淀みない力線。
野山を駆け回る兎のようにとまではいかないが、かなり獣的な動きを再現できている。
所詮「概ね現実準拠な」人間に可能な動きではあるが、それで十分だ。
現実の俺の、鈍り散らかした肉体ではこうもいかないだろう。
ありがとう、人並みに動ける俺のアバターッ!
「ぐぅっ――」
とはいえ、腱が伸びて縮んでの急制動を繰り返すのは流石にきつい。
ふくらはぎのあたりに、重い熱が溜まっていくのを感じる。
これ以上パフォーマンスが落ちる前に、いっちょやってみよう!
そうして、お目当ての樹木の地点まで下がり切る。
その樹木を背後に回して、迫ってくる獣を迎え撃つ。
「っしゃあ来い、ズールッ!! ここだ、俺は逃げも隠れもせんぞッ!!」
なにを喋ってるのか自分でもよくわからないが、とにかく叫ぶ。
そうして、獣が詰める距離を測る。
俺とズールの間には障害物はなく、こちらが攻撃するような動作も見せていない。
ならば、足を止めた俺に対して、目の前の獣が取ってくる行動は。
まだ、まだ――
――……ゥゥウ、ルルアァッ!!
ここだッ!
ガォンッ――
眼前に迫る獣の巨躯。
空気の震える音と共に。
俺の身体を横薙ぎにせんと迫る。
瞬時に持ち上げられた、左前脚――
(やっぱり、そっちだよなッ!!)
頭だけ避けても意味はない。
背後の樹木に腕を掛け、その幹を横に蹴り、
迫る巨肢から逃れるように。
全身を――左にかっ飛ばすッ!!
バゴォォン――ッッ!!
「ぐぅっ――」
それは、前脚の先についている細く小さな爪で、俺の身体が抉られた音――ではない。
というか、どう聞いてもそんな生易しい音ではない。
先ほどまで俺がいた場所。その少し後ろ。
そこに立っていた巨木の幹。
その表皮が、表皮の下の組織ごと、まるで重たい金属を叩きつけられたかのように、擦り抉られている。
ビリビリと振動する巨木がぶるぶると震え、振動に耐えきれなかった葉が舞い落ちる。
「――パンチの威力、やばいっすね」
それは獲物をしとめる動きなのか?
挽き肉を作る動きではなく?
人間の身体を破壊するのに、それほどの威力は必要ないぞ。
むしろ飛び散って食べにくくなると思うぞ。
……だが、いい感じだ。
見た感じ、30cmほどの太さの幹の、1/3くらいは抉れている。
あれなら、申し分ない。
「――っし、ぐるっと一周するぞ、ついてこいッ!!」
――……ゥゥウ、ルルァ……ッ!!
幹に叩きつけられた前脚を庇うような素振りも見せず、すぐさまこちらを駆り立てる動きに戻る。
さいわい、こいつの癖もだんだんわかってきた。
この距離なら、こいつは――走るように距離を詰めてくるッ。
――……ゥゥウ、ガァ……ッ!!
俺が左後方に跳ねれば、素直に追い掛ける。
ただし、俺が樹木を盾にしようとすると――
――……ゥゥ、ルルルァッ!!
それを避けるような軌道で、ダンっ、ダンっと跳ねてくるッ!!
「ぐッ!!」
そこからはまた、絶え間ない追撃が続く。
だが、障害物を挟まないまま数回繰り返せば――
――……ゥゥウ、ガァ……ッ!!
また元の走るような追跡に戻る。
当たり前だ。こいつだって、呼吸する生物だ。
ましてやその巨体、そんな無酸素運動など、長続きはしないッ!!
「身体がでかいとリソース管理も大変だよなァ!?」
――……ゥゥ、ルルルァッ!!
「ひぇっ」
なにやら例外もあるようで、突進せず一息に飛び掛かってくることもあるが――それも対処可能だ。
こいつが静止状態から飛び掛かるときは必ず、後ろ足を縮ませる必要がある。
その状態からは左右前後どちらにも跳ねるが、こちらは基本的にバックステップでいい。
そのあとは着地モーションを見てから、次の行動を予想すればいい。
突進中ならそのまま飛びついてくるが、その時こいつは突進方向にしか跳ねられない。
多少は左右にぶれるが、手足の構造上、走りながらでは水平方向への力を生み出せないのだ。
ゆえに突進に関しては、前脚の薙ぎ払う範囲も含めて、左右への横っ飛びで対処できる。
つまり――
「……はぁっ、はぁっ――」
俺がこいつに捕まるときは、瞬発力で負けたときか、加速力で負けたときか、速度で負けたときか、体力で負けたときか、外部の要因でミスったときだ。
……よし、余裕だな!
*――――
一触即死のじゃれ合いを続けながら、この付近を小さくぐるりと周る。
そうして、先ほどズールのねこぱんちを食らった樹木の場所に戻ってくる。
ズールの癖を掴んだおかげで、ある程度の距離を離すことにも成功している。
今なら――多少の時間的猶予はある。
左手にナイフを逆手に持ち、右手にはホルダーから抜き出した石楔を握り締める。
「……はぁっ、はぁ――行くぞッ!!」
前方に見えるのは、高さ5m以上はありそうな巨大な樹木。
40cmほどの太さの幹は、先ほどのねこぱんちによって大きくえぐれている。
その傷痕に向かって――まずは【跳躍】ッ!
「ちぇえぃッ!!」
足裏に返ってくる硬い感触を――さらに【跳躍】ッ!
目の前を、樹の幹の荒い樹皮が高速で過ぎ去っていき――
「どっせいっ!!」
右手の石楔を、右斜め上から振り下ろすようにして荒い樹皮に突き立てる。
鋭く尖った杭状の切っ先が、樹皮を抉り、しかし幹には浅く食い込んだのみで止まる。
その杭を斜め下に向けて押し込むように、力強く身体を引き寄せ――
「もっぱつッ!!」
今度は左手のナイフを、先ほど石楔を打ち込んだ地点よりも高い位置に突き立てる。
そちらも、樹皮を抉って浅く幹に潜り込んだのみだが、
(十分ッ!!)
さらに身体を上方に引き上げ、先ほど突き立てた右の石楔から手を離し――既に手の届く高さにある、木の枝を掴む。
「ふぁいとっ――」
左のナイフを樹皮から抜き取り、右腕を思い切り縮め――
「――いっぱぁぁつッ!!」
身体全体を、上へと跳ね上げる。
右腰を枝の上に載せるように、くるりと身を回す。
そうすれば、枝の上に腰掛けるような形。
眼下、かなり下方に地面が見える。
(……よしっ! 思い込み大作戦、成功っ!)
これは【登攀】だ。誰が何と言おうと【登攀】なんだ。
そう思ってかなり無茶な登り方をしてみたが――無事に登ることができた。
こうして成功した以上、【登攀】のアシストが効いたんだろう。たぶん。
この枝の高さは……3mほどはある。
【跳躍】単体ではぎりぎり届くか届かないかといった高さだったから、【登攀】も混ぜてみたのだが……まぁ、成功したならいいだろう。
下方に手を伸ばして、幹に刺さっていた石楔を回収……
……したかったのだが、その余裕はなさそうだ。
下方には既に、こちらに近づく白い毛玉が見える。
――で、俺はここまで登ってしまったわけだが。
「……どうする、ズール。お前の体高は、1m半くらいだが」
この樹から3mほど離れた地点で、ピタリと止まった獣を見下ろす。
いかな巨獣とは言っても、その体高は、地面に立っているときの俺の胸までくらいしかない。
飛び掛かれるとは言っても、その巨体では俺の頭を喰いちぎれる程度、2m弱が精々だろう。
つまり、今までのお前の狩り方では、この高さにいる俺を捕らえることはできない。
そう――今までの、狩り方では。
(……。懐かしいなぁ)
もう、8年前だっけ。
『犬』の初回イベントで、異常進化したアミーに襲われた時も、こうして樹の上に逃げたなぁ。
あのときはもっと必死で、無様で、涙目になりながらだったけど。
それでも、現実では到底登れないような高さまで登ったものだ。
それは火事場の馬鹿力か、いや、当時はコントローラーを操作していただけだから、レバガチャしていたらたまたま登れただけ、か。
とにかく、当時の俺は、十分な高さの樹の上まで登って、思ったのだ。
流石に、ここまでは来られないだろう、と。
さすがにその巨体では、樹を登ってくることなどできないだろう、と。
樹に縋り付くようにその巨体を這わせてきても、更に上に逃げればいい、と。
そうして――油断していたのだ。
(……。)
腰掛けていた枝に、足を載せる。
太い幹に、手を掛ける。
全身に力を込める。
なにが起きても、いいように。
そうして――
(――ッ!!)
トラウマが、想起する。
その光景を、俺はかつて、一度だけ見たことがあるけれど。
その直後に、俺は挽き肉になってしまったから、あまり覚えていないのだ。
「――ひゅぃっ」
引きつるような笑いが、腹の底から込み上げてくるのを感じながら、俺はぎゅっと足を縮める。
いろいろと死のイメージが迫ってくるが、ひとえに無視し、成功のイメージだけを描く。
そうして覚悟を決めて、前方を睨みつける。
3mを超える高さの、樹の枝の上に蹲っている俺。
その目の前に、ズールの頭がある。
目の前に、一匹の獣が、立っている。
その獣は、こちらに倒れ込むようにして、
俺の頭よりも太い、その左前脚を、
その巨躯の全質量を載せるだけでなく、
身体全体を、ばねのように使って、
ぶぉんっ、という、風鳴りの音とともに、
メギッ……バゴォォォン――ッッ!!
振り下ろした。
それぞれ二本の前脚と後ろ脚に支えられた、長い胴体、長い体毛、もふりとした尻尾。
狐のように三角に尖る耳、獲物との距離を測る瞳、すらりと突き出した鼻梁、空気の振動を察知する細い髭。
大きさについても、通常の個体は、大型犬程度までしか成長しない。
もしも現実に存在したならば、狼と同じように、あるいは犬と同じように、食肉目イヌ科イヌ属に分類されたことだろう。
地球の狼がそのような姿になったのと同じような理由で、この世界のアミーはそのような姿をしているのかもしれない。
より速く駆けるため。
より効率よく狩りをするため。
そのような形であるのが、もっとも生き延びられたから。
まるで狼のような、姿かたちをしている。
――ように、見える。
だがその獣が、もしも現実に存在したならば、ネコ目イヌ科イヌ属には分類されるだろうが、決して狼や犬とは呼ばれないだろう。
狼の仲間と、区分されることはないだろう。
その所以は、たとえば異常に発達した後ろ脚の構造であるとか、猫のように柔軟な背骨の骨格であるとか、臓腑の配置とか、牙のかたちとか、尻尾の太さとか、そういうまっとうに生物学的な理由からも裏付けられるかもしれない。
その結果として、あるいはイヌ科イヌ属にも分類されないかもしれない。
だが、そもそも。
そんな理論的な裏付けがされなくても。
前作のプレイヤーは、アミーという獣を、狼だとは認識してなかった。
狼のような姿をしていて、狼のように愛らしいけれど。
だが、決して狼ではない。
前作の初回イベントで、異常進化した個体に遭遇したプレイヤーは、最初からその獣を狼と呼ぼうとはしなかった。
その獣は、現実に存在するいかなる獣の名を与えるのにも相応しくないと思われた。
ゆえに、アミーという新たな名が与えられたのだ。
イベントのあとから『犬』を始めたプレイヤーであっても、アミーという獣の本気の狩りを見たあとには、アミーを狼と認識するのをやめていた。
なぜなら、その獣の動きが、明らかに狼のそれではなかったからだ。
こんな狼が居てたまるかと、考えをあらためたからだ。
時には兎のように跳ね、時には鹿のように身体を振り回し、
ある程度の中距離を疾駆し、飛び掛かり、
顎から食らいつき、前脚で薙ぎ払い、押し潰し、
時には尻尾を鞭のように振るい、敵を打ち据える。
そんな、四つ脚動物に見られる、常識的な動き。
それを逸脱しているからこそ、その獣は新たな名を与えられたのだ。
その異常な動きを、最初に見せつけられた、哀れな犠牲者たち。
その姿かたちから、その獣を狼のようなものだと誤認して、『犬』の初回イベントに参加したプレイヤーたち。
彼らは、その誤りの代償を、その命で支払うことになった。
――そこには、当然、俺も含まれている。
*――――
――……ゥゥウ、ルルァッ!!
飛び跳ねるような挙動を繰り返し、獣の猛追を躱す。
荒い息を吐きながら、それでもこの身は機敏に跳ねる。
腐葉土の積もった地面を蹴りながらも、足を滑らせることはない。
それは、単に俺がこの手の回避動作に慣れているから――というわけでは、ない。
(……やっぱり【跳躍】は最高だな!!)
脚を縮め、地を蹴り、腰をひねり、腕を回し、全身を使って身を跳ねる。
血肉の詰まった袋を振り回すような挙動の中に流れる、淀みない力線。
野山を駆け回る兎のようにとまではいかないが、かなり獣的な動きを再現できている。
所詮「概ね現実準拠な」人間に可能な動きではあるが、それで十分だ。
現実の俺の、鈍り散らかした肉体ではこうもいかないだろう。
ありがとう、人並みに動ける俺のアバターッ!
「ぐぅっ――」
とはいえ、腱が伸びて縮んでの急制動を繰り返すのは流石にきつい。
ふくらはぎのあたりに、重い熱が溜まっていくのを感じる。
これ以上パフォーマンスが落ちる前に、いっちょやってみよう!
そうして、お目当ての樹木の地点まで下がり切る。
その樹木を背後に回して、迫ってくる獣を迎え撃つ。
「っしゃあ来い、ズールッ!! ここだ、俺は逃げも隠れもせんぞッ!!」
なにを喋ってるのか自分でもよくわからないが、とにかく叫ぶ。
そうして、獣が詰める距離を測る。
俺とズールの間には障害物はなく、こちらが攻撃するような動作も見せていない。
ならば、足を止めた俺に対して、目の前の獣が取ってくる行動は。
まだ、まだ――
――……ゥゥウ、ルルアァッ!!
ここだッ!
ガォンッ――
眼前に迫る獣の巨躯。
空気の震える音と共に。
俺の身体を横薙ぎにせんと迫る。
瞬時に持ち上げられた、左前脚――
(やっぱり、そっちだよなッ!!)
頭だけ避けても意味はない。
背後の樹木に腕を掛け、その幹を横に蹴り、
迫る巨肢から逃れるように。
全身を――左にかっ飛ばすッ!!
バゴォォン――ッッ!!
「ぐぅっ――」
それは、前脚の先についている細く小さな爪で、俺の身体が抉られた音――ではない。
というか、どう聞いてもそんな生易しい音ではない。
先ほどまで俺がいた場所。その少し後ろ。
そこに立っていた巨木の幹。
その表皮が、表皮の下の組織ごと、まるで重たい金属を叩きつけられたかのように、擦り抉られている。
ビリビリと振動する巨木がぶるぶると震え、振動に耐えきれなかった葉が舞い落ちる。
「――パンチの威力、やばいっすね」
それは獲物をしとめる動きなのか?
挽き肉を作る動きではなく?
人間の身体を破壊するのに、それほどの威力は必要ないぞ。
むしろ飛び散って食べにくくなると思うぞ。
……だが、いい感じだ。
見た感じ、30cmほどの太さの幹の、1/3くらいは抉れている。
あれなら、申し分ない。
「――っし、ぐるっと一周するぞ、ついてこいッ!!」
――……ゥゥウ、ルルァ……ッ!!
幹に叩きつけられた前脚を庇うような素振りも見せず、すぐさまこちらを駆り立てる動きに戻る。
さいわい、こいつの癖もだんだんわかってきた。
この距離なら、こいつは――走るように距離を詰めてくるッ。
――……ゥゥウ、ガァ……ッ!!
俺が左後方に跳ねれば、素直に追い掛ける。
ただし、俺が樹木を盾にしようとすると――
――……ゥゥ、ルルルァッ!!
それを避けるような軌道で、ダンっ、ダンっと跳ねてくるッ!!
「ぐッ!!」
そこからはまた、絶え間ない追撃が続く。
だが、障害物を挟まないまま数回繰り返せば――
――……ゥゥウ、ガァ……ッ!!
また元の走るような追跡に戻る。
当たり前だ。こいつだって、呼吸する生物だ。
ましてやその巨体、そんな無酸素運動など、長続きはしないッ!!
「身体がでかいとリソース管理も大変だよなァ!?」
――……ゥゥ、ルルルァッ!!
「ひぇっ」
なにやら例外もあるようで、突進せず一息に飛び掛かってくることもあるが――それも対処可能だ。
こいつが静止状態から飛び掛かるときは必ず、後ろ足を縮ませる必要がある。
その状態からは左右前後どちらにも跳ねるが、こちらは基本的にバックステップでいい。
そのあとは着地モーションを見てから、次の行動を予想すればいい。
突進中ならそのまま飛びついてくるが、その時こいつは突進方向にしか跳ねられない。
多少は左右にぶれるが、手足の構造上、走りながらでは水平方向への力を生み出せないのだ。
ゆえに突進に関しては、前脚の薙ぎ払う範囲も含めて、左右への横っ飛びで対処できる。
つまり――
「……はぁっ、はぁっ――」
俺がこいつに捕まるときは、瞬発力で負けたときか、加速力で負けたときか、速度で負けたときか、体力で負けたときか、外部の要因でミスったときだ。
……よし、余裕だな!
*――――
一触即死のじゃれ合いを続けながら、この付近を小さくぐるりと周る。
そうして、先ほどズールのねこぱんちを食らった樹木の場所に戻ってくる。
ズールの癖を掴んだおかげで、ある程度の距離を離すことにも成功している。
今なら――多少の時間的猶予はある。
左手にナイフを逆手に持ち、右手にはホルダーから抜き出した石楔を握り締める。
「……はぁっ、はぁ――行くぞッ!!」
前方に見えるのは、高さ5m以上はありそうな巨大な樹木。
40cmほどの太さの幹は、先ほどのねこぱんちによって大きくえぐれている。
その傷痕に向かって――まずは【跳躍】ッ!
「ちぇえぃッ!!」
足裏に返ってくる硬い感触を――さらに【跳躍】ッ!
目の前を、樹の幹の荒い樹皮が高速で過ぎ去っていき――
「どっせいっ!!」
右手の石楔を、右斜め上から振り下ろすようにして荒い樹皮に突き立てる。
鋭く尖った杭状の切っ先が、樹皮を抉り、しかし幹には浅く食い込んだのみで止まる。
その杭を斜め下に向けて押し込むように、力強く身体を引き寄せ――
「もっぱつッ!!」
今度は左手のナイフを、先ほど石楔を打ち込んだ地点よりも高い位置に突き立てる。
そちらも、樹皮を抉って浅く幹に潜り込んだのみだが、
(十分ッ!!)
さらに身体を上方に引き上げ、先ほど突き立てた右の石楔から手を離し――既に手の届く高さにある、木の枝を掴む。
「ふぁいとっ――」
左のナイフを樹皮から抜き取り、右腕を思い切り縮め――
「――いっぱぁぁつッ!!」
身体全体を、上へと跳ね上げる。
右腰を枝の上に載せるように、くるりと身を回す。
そうすれば、枝の上に腰掛けるような形。
眼下、かなり下方に地面が見える。
(……よしっ! 思い込み大作戦、成功っ!)
これは【登攀】だ。誰が何と言おうと【登攀】なんだ。
そう思ってかなり無茶な登り方をしてみたが――無事に登ることができた。
こうして成功した以上、【登攀】のアシストが効いたんだろう。たぶん。
この枝の高さは……3mほどはある。
【跳躍】単体ではぎりぎり届くか届かないかといった高さだったから、【登攀】も混ぜてみたのだが……まぁ、成功したならいいだろう。
下方に手を伸ばして、幹に刺さっていた石楔を回収……
……したかったのだが、その余裕はなさそうだ。
下方には既に、こちらに近づく白い毛玉が見える。
――で、俺はここまで登ってしまったわけだが。
「……どうする、ズール。お前の体高は、1m半くらいだが」
この樹から3mほど離れた地点で、ピタリと止まった獣を見下ろす。
いかな巨獣とは言っても、その体高は、地面に立っているときの俺の胸までくらいしかない。
飛び掛かれるとは言っても、その巨体では俺の頭を喰いちぎれる程度、2m弱が精々だろう。
つまり、今までのお前の狩り方では、この高さにいる俺を捕らえることはできない。
そう――今までの、狩り方では。
(……。懐かしいなぁ)
もう、8年前だっけ。
『犬』の初回イベントで、異常進化したアミーに襲われた時も、こうして樹の上に逃げたなぁ。
あのときはもっと必死で、無様で、涙目になりながらだったけど。
それでも、現実では到底登れないような高さまで登ったものだ。
それは火事場の馬鹿力か、いや、当時はコントローラーを操作していただけだから、レバガチャしていたらたまたま登れただけ、か。
とにかく、当時の俺は、十分な高さの樹の上まで登って、思ったのだ。
流石に、ここまでは来られないだろう、と。
さすがにその巨体では、樹を登ってくることなどできないだろう、と。
樹に縋り付くようにその巨体を這わせてきても、更に上に逃げればいい、と。
そうして――油断していたのだ。
(……。)
腰掛けていた枝に、足を載せる。
太い幹に、手を掛ける。
全身に力を込める。
なにが起きても、いいように。
そうして――
(――ッ!!)
トラウマが、想起する。
その光景を、俺はかつて、一度だけ見たことがあるけれど。
その直後に、俺は挽き肉になってしまったから、あまり覚えていないのだ。
「――ひゅぃっ」
引きつるような笑いが、腹の底から込み上げてくるのを感じながら、俺はぎゅっと足を縮める。
いろいろと死のイメージが迫ってくるが、ひとえに無視し、成功のイメージだけを描く。
そうして覚悟を決めて、前方を睨みつける。
3mを超える高さの、樹の枝の上に蹲っている俺。
その目の前に、ズールの頭がある。
目の前に、一匹の獣が、立っている。
その獣は、こちらに倒れ込むようにして、
俺の頭よりも太い、その左前脚を、
その巨躯の全質量を載せるだけでなく、
身体全体を、ばねのように使って、
ぶぉんっ、という、風鳴りの音とともに、
メギッ……バゴォォォン――ッッ!!
振り下ろした。
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