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3話
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「あいつ……」
栗毛の少女がデイタを見つけて忌々しい、とばかりの目を向ける。
一方でドーナツの穴を覗き込んでいるデイタは、その穴の中に、口うるさい先輩の姿を発見する。
「うげっ! なんで女騎士がこんなとこいんだよ」
嫌そうに、露骨な渋面を作る。
「それは、こちらの……セリフだ」
女騎士ではない。ヒヅキにはそう続ける余裕もなかった。人類の脅威と最前線で戦った自分が、何故そんな顔を向けられなければならないのかと渋面を返す。相変わらず憎たらしい後輩だ。
「あ、あとお前。なんつったっけ……」
デイタの視線が栗毛の少女に移る。栗毛の少女は素知らぬ顔を浮かべていたが、
「たしか肉みてーな……ああそうだ、ラム!」
ラム、と呼ばれた途端に目を丸くする。
デイタが屋上で出会ったラムという少女は、神に祝福されたような誰しもが目を奪われる典麗な容姿をしていた。同年代の少女と比較すると少し背が高く、絹のように艶のある長い黒髪が特徴的な少女。
平凡で印象の薄い栗毛の少女とは、似ても似つかない。
「え、私?」
不思議そうに自身を指さす栗毛の少女。
「また死にそうじゃん。どんまい」
栗毛の少女は惚けてみせたが、デイタの中で栗毛の少女がラムであるということは確定しているらしい。
「ラム……君が?」
ヒヅキもその名前に聞き覚えがあった。だが、記憶にある容姿と結びつかない。
「私は……」
栗毛の少女は言葉を詰まらせる。
その間にプテラが、ドーナツを齧りながら歩いていたデイタへ注意を向けた。ゆっくりと獲物を甚振ろうとしていたところに水を差した邪魔者。先にそちらから始末してしまおうと、プテラが狙いを変える。
「こっちって殺すのダメらしいけど、プテラはさすがに?」
デイタは誰に問うでもなく独り言つ。
そこへプテラの腕鎌が振り下ろされた。
「デイタ!?」
ヒヅキの悲鳴にも近しい声。無残にもデイタが切り裂かれる様を幻視し、己の無力さを嘆く。叫びも空しく、凶刃はデイタに迫る。首を刈り取ろうと、弧を描いた斬撃が届いた。
しかし。
デイタはドーナツを咥え、空いた手の甲で腕鎌を振り払った。
中学一年生の少年と、数十メートルの巨体を持つ怪物。力を比べる土俵にすら上がれていない。人間が羽虫を振り払うように、デイタが斬殺されると考えるのが当然。
だが結果を見れば羽虫は、プテラの方だった。
まるで自身より巨大な何かに轢かれたように、弾き返されたプテラの腕。それが、デイタに殴られた箇所を起点に罅割れていく。更に内部に齎された衝撃は波打つように浸透し、腕を構成する組織を破壊していった。外部と内部の破壊が肩まで到達したとき、プテラの腕が崩れて爆ぜた。肉片と体液が雨のように降り注ぎ、街灯や信号機のグレーが緑の斑に染まる。
「「……は?」」
ヒヅキと栗毛の少女の声が重なる。信じがたい光景に脳の処理が追い付かず、疑問の音だけを発していた。
紙袋を置き、咥えていたドーナツを口に詰め込んだデイタが瞬時にプテラへ肉薄する。その目は燃えるように赤赤と怪しく光っていた。袖を捲って晒された肘から先。そこへ絡みつくように黒い瘴気が溢れ出す。瘴気はデイタの腕を侵蝕するように変異させていった。
そうして造り替えられてできた腕は、竜の腕を模した黒い籠手のようだった。瘴気が籠手の形をとっているかのような禍々しい気配を放っている。
デイタを迎え撃たんと繰り出される幾つもの凶刃。竜の腕がそれを引き裂き、砕き、握り潰す。一手一手が確実にプテラの命を削っていった。
「いいな……」
ラムがぽつりと呟く。好き勝手に暴れて壊す姿を見て、不思議とそう思った。
「……再生、しない?」
ヒヅキが壊されていくプテラの異変に気付く。悩まされた最も厄介な性質。それが機能せず、一方的に蹂躙される光景を見て訝る。
六肢を失ったプテラが足掻き、角を突き出した。
デイタはそれを掴み、もう一方の腕でプテラの顔面を穿つ。体液をまき散らしながら頭部が砕け散り、プテラが倒れる。損壊が激しくやはり再生もできないようで、漸く鎌のプテラが沈黙した。
いつの間にか腕を元に戻していたデイタは紙袋を回収すると、思い出したように栗毛の少女とヒヅキのもとへ歩いた。
「うーわ……休んだほうがいいっすよ。これ食います?」
脇腹を押さえ、プテラの亡骸を確認しようと足を引きずるヒヅキ。デイタはその怪我を見て思わず顔を顰める。肩を掴んで無理やり座らせるついでにドーナツのおすそ分けを提案した。
場違いな態度にきょとんとしたヒヅキ。
「……ザクザクはあるか?」
デイタに聞きたいことはある。プテラの被害が拡大してる中、じっとしているのももどかしい。だが食べたいか食べたくないかで言えば、食べたかった。紙袋に印刷されたロゴを見て、お気に入りの商品名を口にする。
「どぞー」
デイタがごそごそと紙袋からザクザクを取り出して手渡した。
ヒヅキは手袋を脱いでそれを受け取り、
「ありがとう」
一口齧る。ザクザクという硬めの食感と甘いバターの香りが口に広がった。上品に食べているが、ポロポロと欠片が落ちてしまうのは仕方がないことだ。
「お前は?」
紙袋を見せながら、今度は栗毛の少女に聞く。
「……モチモチはあるの?」
「うぃー」
「ありがと」
栗毛の少女は受け取ったモチモチを細く長い指の先で一口大に千切り、口へ運ぶ。頬に蓄えて奥歯で咀嚼しているため、頬がぷっくりと膨らんでいた。
「リスみてー」
癖のある食べ方に、デイタが言う。
「っ」
見られていたことに気づいた栗毛の少女がそっぽを向く。
戦闘音の響く崩壊した街中で、暫し三人はドーナツを食べた。
「なんなの、あの手」
モチモチを食べ終えた栗毛の少女が口元を指先で拭いつつ聞く。戦闘中に変化していた黒い腕について。ヒヅキも興味があるのか耳を傾けていた。
「しらーん。気づいたらできた」
デイタの返答は軽い。
「幼少の頃から、ということか?」
「そっすね」
女性陣がドーナツを食べ終える中、デイタは三つ目のドーナツを食べ始めた。
ヒヅキが怪訝な顔でそんなデイタを見る。幼少時に特別な力が発症したとして、隠し通すことは可能だろうか。ましてや生意気でバカな後輩だ。目の前で暢気にドーナツを食す少年にそれができるとは思えなかった。絶対に露見する。
異常に強い個体のプテラ。それを容易く屠る程の驚異的な力を上層部が放っておく筈がない。何が何でも管理下に置こうとする。それができないなら最悪の場合、始末することも厭わないだろう。
だがヒヅキの見てきた限り、デイタの付近でおかしなことは起こっていない。
……否、校内でおかしなことが起こると、原因の大半はデイタだった。
学校の敷地内で肉を焼く、花火を打ち上げる、温泉を引こうとする、グラウンドで教員の車を乗り回す等々の悪行の数々。ただそれはデイタが宿す特異な力に起因するものではない。個人の頭のネジの問題だ。
非常に、何度も、手を焼かされはした。振り返ってみれば、何の冗談かプテラよりも引っ掻き回されていた。それでも、上からの干渉は影すら感じられなかった。第一、軍に所属し同じ中学に通っているヒヅキに話がないのはおかしい。
「ほはえほがひのほほかは?」
デイタがもごもごと口内にドーナツを含んだまま、栗毛の少女に喋りかける。
「飲み込んでからにして。きたない」
栗毛の少女が嫌そうに身を引きながら言うと、デイタはごくりと飲み込んで口を開く。
「お前もガキの頃から?」
「……まあ」
諦めたようにそう答える栗毛の少女。お前も。それは屋上で会った時との容姿の差異が、なんらかの特異な力によるものだということ。
「やはり、君はラムなのだな」
ヒヅキは栗毛の少女の正体を確信した。
「バレるなんて思ってなかったですけど」
そういってラムは恨めしげにデイタを見る。
「なんで、わかったの」
「は? 見たらわかるけど」
デイタはそう言うが屋上で出会った時のラムの姿と今のラムの姿は大きく異なる。メイクが違うなどという範疇じゃない。身長や輪郭など、骨格からして違うのだ。見ただけで同一人物だと判断するには無理があった。細かな癖を知っているような関係でもないなら尚更。
「……君に聞いても無駄だったわ」
まともな返事を期待してはいけない。ラムは短い付き合いながら、なんとなく理解していた。
「上が詳細を話したがらないわけだ。体内に発信機を埋め込まれているのは……そういうことか」
発信機の反応を追って、ヒヅキは駆け付けたのだから。
ラムはデイタとは違い、幼少期に特異な能力を宿していることが発覚し、管理下に置かれていたということだ。
ラムが周囲を見回す。他に人がいないことを確認すると、突然ラムの姿にノイズがかかった。電波を受信できなくなったテレビ画面が立体化したような、異常な光景だった。
ノイズが収まると、デイタとヒヅキが屋上で目にした時と同じ絶世の美少女が現れる。黒髪がふわっと広がって持ち上がり、一切絡まることなく下りていく。
「こんなこと出来たら、発信機でも埋め込まないと怖いじゃないですか」
ラムが冗談でも言うように笑う。
変身能力。それは存在そのものが脅威だ。
変身能力がこの世に存在するという事実だけで、目の前の人物が本物かどうかという疑惑が常に生まれる。情報を慎重に扱わなければいけない立場にいる者程、疑心暗鬼に苛まれて身動きが取れなくなってしまうだろう。
変身能力者を常に監視し、識別でもしない限りは。
「そうかもしれないが……」
理解はできるが、ラムにとっては辛い話だ。多感な時期の少女が常に多数の人間に所在を把握されるというのは、精神に膨大な負荷がかかるだろう。ヒヅキにはかける言葉が見つからなかった。
「ヒヅキさんだって、軍に入ってるなんて思わなかったです」
気を遣わせてしまった、とヒヅキを慮ったのか、ラムが話題を変える。
「私も声をかけられたが、選択肢はあったよ。君たちのように不思議な力があるわけではないからな」
在りし日のことを思い出し、ヒヅキは中空を見上げて言った。
「それであんな化け物と戦ってる方がヤバいです」
ラムはヒヅキとプテラの戦いを思い出していた。あれで特異な力を持ち合わせていないなんて、一体どんな身体能力をしているのか。
「恵まれている自覚はあるさ」
ヒヅキが立ち上がる素振りを見せる。プテラを倒しに行こうとしたのだろう。密命を受けたラムの護衛が最優先だが、ヒヅキより実力のあるデイタがいるなら安全だ。ラムを一旦は任せてもいいと判断してのこと。近場のプテラだけでも片付けておきたかった。
しかし血を流しすぎた為か、ふらついたかと思うと前のめりに倒れた。
「おい!」
デイタが慌てて抱きとめる。
呼吸はある。気絶しているだけのようだ。一度も体の不調を訴えてはいなかったが、限界だったのだろう。
支えるのは間に合わなかったが、身を乗り出していたラムは胸を撫で下ろす。
「女騎士ん家知ってたりする?」
デイタが聞く。安静にできる場所ならどこでも良いか、と。
「知らない。ってか家より病院連れてった方がいいでしょ」
「びょういん? なんだよそれ」
「……君さ、知らないとか言わないよね?」
嫌な予感を感じたラム。まさかと思い、一応聞いてみる。
「……知らない」
デイタは少し言い訳を考えたが、面倒くさくなり白状した。
ラムは片手で頭を抱える。どう過ごせば病院を知らずに生きてこられるというのか。
「宇宙人と話してるのかと思うわ」
「うるせー案内しろ」
混沌を極める街。果たして病院が無事なのか定かではないが、歩き出した二人。
すると何か思うところがあるのか、ラムが口を開く。
「一つ言いたかったんだけど」
「なんだよ」
「君、一年でしょ」
三年のヒヅキがデイタのことを後輩だと言っていたが、ラムと同級生なら見たことくらいあるはず。
「そうだけど」
「私二年」
「ふーん」
「ヒヅキさんには敬語使ってたよね?」
「そうだね」
「態度を改めるべきじゃない?」
「第一印象って大事なんだなって」
屋上でのことを思い出してデイタが言った。自暴自棄になっていたラムは大人っぽくはなかったかもしれない。涙を流して腫れた目元も、鼻をすすりながら肉を食べる姿も。
その生意気な態度にラムが柳眉を逆立てる。
「ヒヅキさん抱えてなかったらボコボコにしてやるのに」
「そういうとこだぞ」
ラムがデイタの頬を引っ張る。
「ほんと生意気。その辺の化け物全部倒してきなよ」
「なんでだよめんどくさい。あんくらい自分たちでなんとかすんでしょ」
「正義感とか無いわけ? ヒヅキさん見習ったら?」
「じゃあお前がやればー」
「無理に決まってんでしょ。あと、そのお前ってのやめて」
「いーじゃん別に」
その後もわちゃわちゃと言い合っていた二人。
そして目的地で見たものは、
「マジ?」
「びょういんって、これ?」
崩壊した瓦礫の山だった。
栗毛の少女がデイタを見つけて忌々しい、とばかりの目を向ける。
一方でドーナツの穴を覗き込んでいるデイタは、その穴の中に、口うるさい先輩の姿を発見する。
「うげっ! なんで女騎士がこんなとこいんだよ」
嫌そうに、露骨な渋面を作る。
「それは、こちらの……セリフだ」
女騎士ではない。ヒヅキにはそう続ける余裕もなかった。人類の脅威と最前線で戦った自分が、何故そんな顔を向けられなければならないのかと渋面を返す。相変わらず憎たらしい後輩だ。
「あ、あとお前。なんつったっけ……」
デイタの視線が栗毛の少女に移る。栗毛の少女は素知らぬ顔を浮かべていたが、
「たしか肉みてーな……ああそうだ、ラム!」
ラム、と呼ばれた途端に目を丸くする。
デイタが屋上で出会ったラムという少女は、神に祝福されたような誰しもが目を奪われる典麗な容姿をしていた。同年代の少女と比較すると少し背が高く、絹のように艶のある長い黒髪が特徴的な少女。
平凡で印象の薄い栗毛の少女とは、似ても似つかない。
「え、私?」
不思議そうに自身を指さす栗毛の少女。
「また死にそうじゃん。どんまい」
栗毛の少女は惚けてみせたが、デイタの中で栗毛の少女がラムであるということは確定しているらしい。
「ラム……君が?」
ヒヅキもその名前に聞き覚えがあった。だが、記憶にある容姿と結びつかない。
「私は……」
栗毛の少女は言葉を詰まらせる。
その間にプテラが、ドーナツを齧りながら歩いていたデイタへ注意を向けた。ゆっくりと獲物を甚振ろうとしていたところに水を差した邪魔者。先にそちらから始末してしまおうと、プテラが狙いを変える。
「こっちって殺すのダメらしいけど、プテラはさすがに?」
デイタは誰に問うでもなく独り言つ。
そこへプテラの腕鎌が振り下ろされた。
「デイタ!?」
ヒヅキの悲鳴にも近しい声。無残にもデイタが切り裂かれる様を幻視し、己の無力さを嘆く。叫びも空しく、凶刃はデイタに迫る。首を刈り取ろうと、弧を描いた斬撃が届いた。
しかし。
デイタはドーナツを咥え、空いた手の甲で腕鎌を振り払った。
中学一年生の少年と、数十メートルの巨体を持つ怪物。力を比べる土俵にすら上がれていない。人間が羽虫を振り払うように、デイタが斬殺されると考えるのが当然。
だが結果を見れば羽虫は、プテラの方だった。
まるで自身より巨大な何かに轢かれたように、弾き返されたプテラの腕。それが、デイタに殴られた箇所を起点に罅割れていく。更に内部に齎された衝撃は波打つように浸透し、腕を構成する組織を破壊していった。外部と内部の破壊が肩まで到達したとき、プテラの腕が崩れて爆ぜた。肉片と体液が雨のように降り注ぎ、街灯や信号機のグレーが緑の斑に染まる。
「「……は?」」
ヒヅキと栗毛の少女の声が重なる。信じがたい光景に脳の処理が追い付かず、疑問の音だけを発していた。
紙袋を置き、咥えていたドーナツを口に詰め込んだデイタが瞬時にプテラへ肉薄する。その目は燃えるように赤赤と怪しく光っていた。袖を捲って晒された肘から先。そこへ絡みつくように黒い瘴気が溢れ出す。瘴気はデイタの腕を侵蝕するように変異させていった。
そうして造り替えられてできた腕は、竜の腕を模した黒い籠手のようだった。瘴気が籠手の形をとっているかのような禍々しい気配を放っている。
デイタを迎え撃たんと繰り出される幾つもの凶刃。竜の腕がそれを引き裂き、砕き、握り潰す。一手一手が確実にプテラの命を削っていった。
「いいな……」
ラムがぽつりと呟く。好き勝手に暴れて壊す姿を見て、不思議とそう思った。
「……再生、しない?」
ヒヅキが壊されていくプテラの異変に気付く。悩まされた最も厄介な性質。それが機能せず、一方的に蹂躙される光景を見て訝る。
六肢を失ったプテラが足掻き、角を突き出した。
デイタはそれを掴み、もう一方の腕でプテラの顔面を穿つ。体液をまき散らしながら頭部が砕け散り、プテラが倒れる。損壊が激しくやはり再生もできないようで、漸く鎌のプテラが沈黙した。
いつの間にか腕を元に戻していたデイタは紙袋を回収すると、思い出したように栗毛の少女とヒヅキのもとへ歩いた。
「うーわ……休んだほうがいいっすよ。これ食います?」
脇腹を押さえ、プテラの亡骸を確認しようと足を引きずるヒヅキ。デイタはその怪我を見て思わず顔を顰める。肩を掴んで無理やり座らせるついでにドーナツのおすそ分けを提案した。
場違いな態度にきょとんとしたヒヅキ。
「……ザクザクはあるか?」
デイタに聞きたいことはある。プテラの被害が拡大してる中、じっとしているのももどかしい。だが食べたいか食べたくないかで言えば、食べたかった。紙袋に印刷されたロゴを見て、お気に入りの商品名を口にする。
「どぞー」
デイタがごそごそと紙袋からザクザクを取り出して手渡した。
ヒヅキは手袋を脱いでそれを受け取り、
「ありがとう」
一口齧る。ザクザクという硬めの食感と甘いバターの香りが口に広がった。上品に食べているが、ポロポロと欠片が落ちてしまうのは仕方がないことだ。
「お前は?」
紙袋を見せながら、今度は栗毛の少女に聞く。
「……モチモチはあるの?」
「うぃー」
「ありがと」
栗毛の少女は受け取ったモチモチを細く長い指の先で一口大に千切り、口へ運ぶ。頬に蓄えて奥歯で咀嚼しているため、頬がぷっくりと膨らんでいた。
「リスみてー」
癖のある食べ方に、デイタが言う。
「っ」
見られていたことに気づいた栗毛の少女がそっぽを向く。
戦闘音の響く崩壊した街中で、暫し三人はドーナツを食べた。
「なんなの、あの手」
モチモチを食べ終えた栗毛の少女が口元を指先で拭いつつ聞く。戦闘中に変化していた黒い腕について。ヒヅキも興味があるのか耳を傾けていた。
「しらーん。気づいたらできた」
デイタの返答は軽い。
「幼少の頃から、ということか?」
「そっすね」
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異常に強い個体のプテラ。それを容易く屠る程の驚異的な力を上層部が放っておく筈がない。何が何でも管理下に置こうとする。それができないなら最悪の場合、始末することも厭わないだろう。
だがヒヅキの見てきた限り、デイタの付近でおかしなことは起こっていない。
……否、校内でおかしなことが起こると、原因の大半はデイタだった。
学校の敷地内で肉を焼く、花火を打ち上げる、温泉を引こうとする、グラウンドで教員の車を乗り回す等々の悪行の数々。ただそれはデイタが宿す特異な力に起因するものではない。個人の頭のネジの問題だ。
非常に、何度も、手を焼かされはした。振り返ってみれば、何の冗談かプテラよりも引っ掻き回されていた。それでも、上からの干渉は影すら感じられなかった。第一、軍に所属し同じ中学に通っているヒヅキに話がないのはおかしい。
「ほはえほがひのほほかは?」
デイタがもごもごと口内にドーナツを含んだまま、栗毛の少女に喋りかける。
「飲み込んでからにして。きたない」
栗毛の少女が嫌そうに身を引きながら言うと、デイタはごくりと飲み込んで口を開く。
「お前もガキの頃から?」
「……まあ」
諦めたようにそう答える栗毛の少女。お前も。それは屋上で会った時との容姿の差異が、なんらかの特異な力によるものだということ。
「やはり、君はラムなのだな」
ヒヅキは栗毛の少女の正体を確信した。
「バレるなんて思ってなかったですけど」
そういってラムは恨めしげにデイタを見る。
「なんで、わかったの」
「は? 見たらわかるけど」
デイタはそう言うが屋上で出会った時のラムの姿と今のラムの姿は大きく異なる。メイクが違うなどという範疇じゃない。身長や輪郭など、骨格からして違うのだ。見ただけで同一人物だと判断するには無理があった。細かな癖を知っているような関係でもないなら尚更。
「……君に聞いても無駄だったわ」
まともな返事を期待してはいけない。ラムは短い付き合いながら、なんとなく理解していた。
「上が詳細を話したがらないわけだ。体内に発信機を埋め込まれているのは……そういうことか」
発信機の反応を追って、ヒヅキは駆け付けたのだから。
ラムはデイタとは違い、幼少期に特異な能力を宿していることが発覚し、管理下に置かれていたということだ。
ラムが周囲を見回す。他に人がいないことを確認すると、突然ラムの姿にノイズがかかった。電波を受信できなくなったテレビ画面が立体化したような、異常な光景だった。
ノイズが収まると、デイタとヒヅキが屋上で目にした時と同じ絶世の美少女が現れる。黒髪がふわっと広がって持ち上がり、一切絡まることなく下りていく。
「こんなこと出来たら、発信機でも埋め込まないと怖いじゃないですか」
ラムが冗談でも言うように笑う。
変身能力。それは存在そのものが脅威だ。
変身能力がこの世に存在するという事実だけで、目の前の人物が本物かどうかという疑惑が常に生まれる。情報を慎重に扱わなければいけない立場にいる者程、疑心暗鬼に苛まれて身動きが取れなくなってしまうだろう。
変身能力者を常に監視し、識別でもしない限りは。
「そうかもしれないが……」
理解はできるが、ラムにとっては辛い話だ。多感な時期の少女が常に多数の人間に所在を把握されるというのは、精神に膨大な負荷がかかるだろう。ヒヅキにはかける言葉が見つからなかった。
「ヒヅキさんだって、軍に入ってるなんて思わなかったです」
気を遣わせてしまった、とヒヅキを慮ったのか、ラムが話題を変える。
「私も声をかけられたが、選択肢はあったよ。君たちのように不思議な力があるわけではないからな」
在りし日のことを思い出し、ヒヅキは中空を見上げて言った。
「それであんな化け物と戦ってる方がヤバいです」
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「恵まれている自覚はあるさ」
ヒヅキが立ち上がる素振りを見せる。プテラを倒しに行こうとしたのだろう。密命を受けたラムの護衛が最優先だが、ヒヅキより実力のあるデイタがいるなら安全だ。ラムを一旦は任せてもいいと判断してのこと。近場のプテラだけでも片付けておきたかった。
しかし血を流しすぎた為か、ふらついたかと思うと前のめりに倒れた。
「おい!」
デイタが慌てて抱きとめる。
呼吸はある。気絶しているだけのようだ。一度も体の不調を訴えてはいなかったが、限界だったのだろう。
支えるのは間に合わなかったが、身を乗り出していたラムは胸を撫で下ろす。
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「知らない。ってか家より病院連れてった方がいいでしょ」
「びょういん? なんだよそれ」
「……君さ、知らないとか言わないよね?」
嫌な予感を感じたラム。まさかと思い、一応聞いてみる。
「……知らない」
デイタは少し言い訳を考えたが、面倒くさくなり白状した。
ラムは片手で頭を抱える。どう過ごせば病院を知らずに生きてこられるというのか。
「宇宙人と話してるのかと思うわ」
「うるせー案内しろ」
混沌を極める街。果たして病院が無事なのか定かではないが、歩き出した二人。
すると何か思うところがあるのか、ラムが口を開く。
「一つ言いたかったんだけど」
「なんだよ」
「君、一年でしょ」
三年のヒヅキがデイタのことを後輩だと言っていたが、ラムと同級生なら見たことくらいあるはず。
「そうだけど」
「私二年」
「ふーん」
「ヒヅキさんには敬語使ってたよね?」
「そうだね」
「態度を改めるべきじゃない?」
「第一印象って大事なんだなって」
屋上でのことを思い出してデイタが言った。自暴自棄になっていたラムは大人っぽくはなかったかもしれない。涙を流して腫れた目元も、鼻をすすりながら肉を食べる姿も。
その生意気な態度にラムが柳眉を逆立てる。
「ヒヅキさん抱えてなかったらボコボコにしてやるのに」
「そういうとこだぞ」
ラムがデイタの頬を引っ張る。
「ほんと生意気。その辺の化け物全部倒してきなよ」
「なんでだよめんどくさい。あんくらい自分たちでなんとかすんでしょ」
「正義感とか無いわけ? ヒヅキさん見習ったら?」
「じゃあお前がやればー」
「無理に決まってんでしょ。あと、そのお前ってのやめて」
「いーじゃん別に」
その後もわちゃわちゃと言い合っていた二人。
そして目的地で見たものは、
「マジ?」
「びょういんって、これ?」
崩壊した瓦礫の山だった。
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