クラムレンリ 嫩葉散雪

現 現世

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4話

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「ここ、は……?」

 ヒヅキがベットから体を起こす。室内を見回すとどうやら病室のようだが、定期検診に訪れている市立病院とは違った。

「あ、よかった。起きたんですね」

 椅子に座って情報端末を操作していたラムが気づいて声をかける。

「ここはどこだ? プテラはどうなった?」

「心配いりませんから、ヒヅキさんは大人しくしてください」

 矢継ぎ早に聞くヒヅキ。それを宥めるように、ラムは肩をやさしく押してベットに横たえようとする。しかしヒヅキの体はビクとも動かない。「むっ」と力を籠めるが非力なラムでは、負傷したヒヅキの抵抗にすら押し勝つことができなかった。

 ラムは諦めのため息を吐いて、椅子に座り直す。

「市立病院ではないようだが……」

「民間の病院です。一番近かった市立病院は壊されちゃってたので」

「病院が……今回は犠牲を出し過ぎた。不甲斐ない」

 ヒヅキが己の無力を嘆く。布団を握る手には力が籠められていた。実際は人ひとり分を遥かに超える多大な貢献をしているのだが。ラムの元へ駆けつける道中にもプテラを駆除している。ヒヅキが地下シェルターへ駆けつけるのが遅ければ、更に人的被害は増えていた。彼女の活躍で救われたものは数知れない。それでも、療養中の患者や懸命に人を救おうとしている医療従事者が多数巻き込まれてしまったことは悔やみきれない。

「プテラ共は、全て駆除できたのか?」

 一番の懸念だ。プテラが残っている限り被害は拡大し続けるのだから。更に言えば今回の場合、ヒヅキに重傷を負わせた鎌のプテラが別の場所でも出現している可能性がある。もしあれが複数体現れたのだとすれば、最悪の場合、都市が亡びる。

「はい。なんとかあいつに戦ってくれるように頼みました」

 あいつが誰のことを指すのか。すぐに理解するヒヅキ。

「……デイタが? 言うことを聞くタイプじゃないと思うが」

 デイタの態度と普段の迷惑極まりない行いから、そう判断する。もしデイタが軍に所属してくれるなら、どれほど有難いか。

「ねばりましたもん。『倒しとかないと、ヒヅキさんが怪我したまま戦い始めちゃうでしょ』って言ったら、嫌々行きました」

 ラムはその時のことを思い出しながら呆れたように笑う。相当説得に苦労したようだ。

「……意外だな」

 自分を引き合いに出して動いてくれるとは思っていなかったのだろう。ヒヅキが目をぱちつかせた。いつも追い掛け回していることもあって、どちらかと言えば嫌われていると思っていた。全面的に非があるのはデイタの方だが。

「ヒヅキさんのこと、好きなんじゃないですか?」

 ラムがニヤニヤと底意地の悪い表情を浮かべる。

「……ないな。デイタにそういった情緒があるとは思えない」

「ですよねー。キスしたら子どもできるとか思ってそうですもん」

「それは流石に……いや、あるのか?」

 苦笑する二人。あの少年が誰かに懸想するところがあまりにも想像できなかった。

 いないところで散々に言われているデイタ。今頃どこかでくしゃみでもしているかもしれない。

「いつも、あんな数の化け物と戦ってくれてたんですか?」

 ラムが問う。人が享受する平和のために、知らないところで起きていた戦いの苛烈さ。目の前で重傷を負ったヒヅキを見て、それに思うところがあったのだろう。

「今回程大規模なものは初めてだ。あの危険な個体が現れたのもな。こんなことになると分かっていたら、私への指示も変わっていただろうさ……権力者の保身のために」

 付け足した言葉に嫌悪感が滲み出ていた。

「あいつらが、他人の安全を優先するとは思えませんからね」

 ヒヅキの知らぬところで、ラムもまた内閣府とかかわりのある人間だ。経験則なのか、含みのある言い方だった。

「すぐに自分たちを守るように連絡してきそうですけど……」

「実状を正しく判断できていなかったのだろうな。戦場に立ったことがないから」

 二人の間に、つい先程までとは打って変わって微妙な沈黙が訪れる。

 その間、ラムは考えていた。何がヒヅキを突き動かしているのかと。もし自分がプテラと戦えたとして、傷を負い、痛い思いをしてまで戦場に身を置くだろうかと。

「……ヒヅキさんは、何で、戦っているんですか?」

 ラムが聞いても良いものか、迷いながらも聞いた。きっとラムには考えてもわからない。自分にない選択をした、尊敬できる人の考え方を知りたかったから。

 窓を見ているヒヅキが口を開く。

「……こんなにも分かりやすい『生きる意味』があったら、飛びつきたくなるものだぞ?」

 振り返って、自嘲気味に微笑む。

 見目麗しく、成績も優秀で、身体能力も高い。その上高い志も持っている。完璧にも見えるヒヅキ。

 しかしラムはその笑顔の中に、脆さのようなものを見た気がした。

「そうですかね?」

 ラムは自分で聞いておきながらはぐらかす。その感覚を自分も知っていたから。

 ヒヅキは特に不快に思わなかったようで、「ああ」と零した。

 それから少し話してラムは病室を出た。



 ラムが廊下の角を曲がるとスーツ姿の男が立っていた。整髪料を多めに付けた、生真面目そうな男。

 男は襟元を正すとラムに近寄り、数枚のプリントが入ったファイルを手渡した。

「今回も処分はそちらでお願いします」

「……」

 ラムはうんざりといった様子で男を睨む。

「あなたに拒否権はありませんよ。拒むなら……」

 男はその視線を意にも介さず、自身の胸元を軽く叩く。それが示すのは、心臓。

 ラムに埋め込まれたものは、発信機だけではなかった。彼らの気分次第で、ラムの命は容易く潰えるのだと再認識させられる。

 その態度が気に入らなかったのかラムは乱暴にファイルを受け取り、足早にその場を後にした。

 もう幾度となく繰り返してきた短いやり取り。その間、男は終始表情一つ変えなかった。

 ◇

 ネオンに彩られた色街。

 近隣でプテラによる被害が出たことなど知らぬ顔で、そこは活気づいていく。

 草臥れた者が彷徨うように踏み込む宵の口。

 白髪の混ざり始めた初老の男が周囲を警戒しながら歩く。ただしその足取りに迷いはない。色素を取り込まなくなった頭髪からは気苦労を感じさせるが、鋭い眼光と鍛え上げられた肉体は未だ衰えを知らない。

 そして、そんな初老の男を陰から窺う女がいた。

「このタイミングでE3T2Bイースリーティートゥービーの幕僚長がハッスルだなんて迂闊迂闊ぅ。これは賑わっちゃうわよ~!」

 音を立てずにシャッターをきる。撮れた写真を数枚確認してほくそ笑んだ。

 そうこうしている間に初老の男が店に入っていく。直接的なサービスのある、色街でも最もけしからんタイプの店だ。

 女はもちろんその瞬間も逃さず写真に収めた。そこから先は追うことができないが、収穫は十分だ。あとはこのデータを同僚に送り、店から出る瞬間の写真も手に入れれば……。

 ネオンの陰でホクホク顔の女。

 それを他所に、初老の男が入った店舗内では緊張感が高まっていた。

 運良くか悪くか、受付にいた店長は初老の男の顔を知っていた。突如現れた地球外生命体をこの国で初めて打ち取った軍隊。それを指揮していたとして、当時若くして特殊部隊E3T2Bの幕僚長に任命された男。この表向き平和な国で、これほどギラついた目をする男がいるのかと画面越しに震えたことを覚えていた。

 失礼があってはいけない。

 なぜこんな店に、と聞きたい気持ちをぐっと堪え、VIP向けのサービスを説明する。

 紹介した女性の画像の中から一人を指さした初老の男。店長は「この顔の感じでこういう女が好みなのか」と笑いたくなるがそれは飲みの席まで取っておく。

 スムーズに段取りを進め、いざ部屋へ案内しようとしたところで想定外が起こった。

 店の奥から黒服が吹き飛んできたのだ。

「なんなんだこの店はぁ!」

 黒服に続いて、奥から現れたデイタがソファに片足をかけて吠える。なぜかその下半身はパンツ一枚だけ。痩せ型だが筋肉のついた健康的な素足が公衆の面前に晒されていた。

「なんで君が……」

 暫し呆然としていた初老の男が呟く。その声音にまで困惑が含まれていた。

「あ、お前! また会ったな! この店やめといた方がいいぞ。意味わかんねー!」

「……意味がわからないのは君だ」

 呆れを通り越した初老の男はデイタに近づき、その肩に腕を回して強引に引き寄せる。

「なにすん……」

「すまん。私の連れが失礼した。店の修繕費はこちらに」

「は、はぁ……」

 何か言おうとしたデイタを遮った初老の男。情報端末を操作し店宛てに何やらデータを送信する。そうして内閣府に請求がいくよう手配するとそそくさと店を出た。

 デイタを引き摺り高架下まで連れてきたところで、初老の男が周囲を確認する。そして安堵のため息を吐くと、その体にノイズが発生する。

 ノイズが晴れると、美しい黒髪を靡かせるのラムが現れた。服装まで女性もののコートに変わっている。

「そっちの方が似合うね」

「……うっさい」

 ラムが心底疲れたように頭を抱える。想定外には、得てして思考をかき乱されるものだ。

「なんであんなとこにいたの」

 あの店は質の良いあんなサービスやこんなサービスが売りの、色街でも有名な高級店だ。中学一年生が居ていい場所じゃない。意外とそういうことに興味があるのかと、ジトっと睨む。

「それがさ、聞いてくれよ! プテラの近くにいた女が『お礼にいろいろ教えてあげる』っつうから、言われた店に来てみたんだよ。そしたらあの女、俺の服脱がそうとしやがって! やめろっつってたら黒い服のおっさんが襲い掛かってくるし、訳わかんなくてさー」

「なんでついて行っちゃうかな……」

 身振り手振りで不満を訴えるデイタ。どうやらラムに説得されてプテラを倒した際、助けられたと思った女性が店に誘ったようだ。

 ラムは呆れながら、「こういうやつだったわ」と呟く。

(こんなんでも男だし、もしかしたらって思ったけど……)

 内心ではデイタがいかがわしい店に興味を抱いていないことに、ほっとしていた。

 そうしてぶつくさと文句を言うデイタの話を聞きながら少し冷静になると、視線がある一点に向かう。デイタの、パンツ一枚の下半身に。

「し、下! ……履きなって」

 慌てて顔を背けるラム。ふわりと髪が靡き、露になった耳は真っ赤になっていた。

「お前が引っ張るから店に置いてきたんだけど」

 対するデイタは恥ずかしがる素振りも見せず恬然としている。

「いいから、なんとかして」

 デイタを見ずに……いや、チラチラと見ながら言う。

「えー、なんとかって言われてもさ……」

 面倒くさそうに頭を掻くデイタの視線が、ラムのコートを捉える。

「じゃ、そのコート貸して」

「……」

 ラムが熟考する。コートの使い道を。デイタはラムより少し背が低いため、羽織れば大事なところ周辺は隠せる。素足は丸出しだが。腰に巻けばもう少し足も隠せるだろう。

 だが。

 その二つの方法にはとある見過ごせない共通点がある。ラムの視線が捉えているのは、デイタの下腹部。コートを貸すということは、それがコートに当たるということ。

 それを良しとするのか。ラムが自身に問えば、彼女の純情はノーを突き付けていた。

「無理」

 結論がでた。

「はぁ? まあ俺は別にいいけど」

 良くないが。デイタは羞恥心と法律を知らないらしい。

「ってか今着てる服、私の力で出してるから私から離れたら消えるんだった」

 少々気を取り乱していたようだ。今更ながらにラムが気づき、服を貸さなくてよくなったことに安堵する。

 服を力で出していると聞いたデイタは何かに気づいたように口を開く。

「じゃあお前今素っ裸ってこと? だっせぇ~」

 茶化されたラムは愕然とする。今までそのように考えたことはなかったが、言われてみればそう考えられなくもない。デイタのデリカシーの無さに恐怖すら感じた。

 顔がみるみる紅潮する。それは羞恥か怒りか、将又その両方か。形の良い眉が歪み、ピクピクと動く。

「しね!」

 外見は先程までと変わらずコートを着込んでいる。しかし素っ裸と言われて心細くなり、自らの体を隠すように抱いた。

 その夜。色街のすぐ近くで少年の笑い声と少女の怒りに満ちた声が響いていた。事案だ。

 更に翌日。E3T2B幕僚長のスキャンダルが報道される。プテラによる甚大な被害を阻止できなかったという状況も相まって、厳しく責任を追及されることとなった。
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