クラムレンリ 嫩葉散雪

現 現世

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8話

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 ラムとデイタはカフェで羽を伸ばしていた。

「コーヒー飲める?」

「……飲める」

「なに頼む?」

 メニューを見ながら、ラムが聞く。デイタの分まで注文を済ませると、早めに届いたコーヒーを飲んで一息つく。

 幼少期から多忙な日々を過ごしていたラムだが、今日は一段と疲れていた。カップ越しに伝わる温かさ、口に広がる苦みとほんのり抜けていく酸味。内側から温まっていく心地良さに癒される。

「……飲まないの?」

 なかなか手を付けないデイタの様子が気になり声をかけた。

「飲むし」

 急かされるように、コーヒーに口をつける。

 ラムは、デイタが顔を顰めたのを見逃さなかった。あえて追及はせず、我慢しながら飲む姿を眺めた。

「こういうところは来たことないの?」

「ない」

 ラムがフレンチトースト、デイタがナポリタンに舌鼓を打つ。相変わらず、ラムは頬に蓄えてリスのように咀嚼している。

「そうなんだ」

「こっち戻ってきたばっかだから」

「転校生だったんだ。地元はこの辺ってこと?」

「そんな感じ」

「ふーん」

 静かな音楽とカトラリーの鳴らす音が小気味良い店内。

「お前って偉かったりする?」

「偉くないけど。なんで?」

「めっちゃみられてね?」

 食事をとるため、マスクを外していた二人。

 ラムは芸歴も長く、ドラマの主演やCM出演もしているため、変装していなければ視線を集めてしまう。

「一応知名度はあるから」

「悪いことでもした?」

「一緒にしないで」

「嫌なら、見んなって言えば」

「なに急に」

「別に」

 先に食べ終わったデイタが、苦手なことを取り繕いながらコーヒーを啜る。

「あとは遊園地だっけ」

「行かなくてもいいよ。疲れたし」

「あの回ってるやつあるとこだよな」

 観覧車のことだろう。

「……そう」

 ラムが中止を提案したが、これは行くことになりそうだと諦める。もの知らぬデイタでも観覧車くらいは遠くから見たことがあったため興味があった。

「一番速く回したやつが勝ち?」

「違うから……ほんとにやめてよ」

 冗談かとあしらおうとしたが、デイタに至っては本気の可能性もある。

「じゃああれで何すんの」

「乗るの」

「そんだけ?」

「それだけ」

 食べ終わり、ラムが会計を済ませようとすると、デイタがポケットをガサゴソとする。するとくしゃくしゃになった紙幣と硬貨を取り出しカウンターに置いた。明らかに金額が多い。

「それ、盗んだとか言わないでよ」

「ちげーし。もらったの」

 デイタがお釣りを受け取り、再びポケットにしまう。ラムに訝し気な目を向けられながらカフェを出た。

 ◇

 二人は遊園地にて、メリーゴーランドに乗っていた。

「フウゥーー!」

 デイタがロデオのように体をダイナミックに揺らす。跳躍した瞬間の体勢のまま流れる無機質な馬。それが今は生き生きと踊っていた。

「恥ずかしいからやめて」

 ラムが注意するが聞く気はないらしい。

 可動域の限界を超え、バキッと音を上げた馬の表情が何故か悲しそうに見えた。



 続いて乗ったゴーカート。

 インコース擦れ擦れを曲がり、最高速度のままトラックを周回するデイタ。

「なんでそんなに上手いの!」

 やたら操縦が上手いデイタにラムが声を張り上げて問う。距離が少しあり、施設の賑わいも合わさって、互いの声が聞き取り辛い為だ。

「先生の車で練習した!」

 返ってきたのは、非常識極まりない所業。法に触れていないか心配だ。

「いい加減にしなよ……」

 すっかり呆れを通り越えてしまったラム。何か言う気も失せてきた。風紀委員長の苦労が思いやられる。



 コーヒーカップに乗れば、デイタは目にもとまらぬ速さで高速回転させていた。両手を広げて立ち、プロペラのようになったデイタが跳躍する。高速回転しながらゆっくりと降りてくる様は、子どもたちから大人気だった。

「何やってんだか……」

 絶対に変なことをすると予想していたラム。別のカップに座り、組んだ腕を縁に乗せて寄りかかりながら、飛んでいくデイタを見上げていた。

 僕も私も、と子どもたちは降りてきたデイタに両手を伸ばす。デイタが「しゃーないな」と子どもの脇を抱えて、高速回転するカップの上に乗せようとする。

「ちょっと!?」

 慌ててラムが止めに入った。「怪我したらどうすんの」とあれこれくどくど早口で捲し立てる。話を聞いているのかいないのか、目を合わせようとしないデイタ。ラムが疲れたように振り返ると、涙を浮かべる子どもたちと目が合う。恨めしげにラムを睨んでいた。

 泣きたいのはラムの方だ。事前に危険から遠ざけたというのに、子どもたちからは遊びを取り上げた悪魔のように思われているのだから。

「気にすんなって」

 励ましの声をかけてきたデイタが堪らなく憎たらしかった。



 今度はジェットコースターに乗ることに。デイタたっての希望で最前列の席を譲ってもらった。乗客が安全バーを下げると、ゆっくりと動きだす。

 どんな反応をするのか気になってラムがチラリと隣を見た。しかしそこにデイタの姿はない。キョロキョロと当たりを見回すが、なかなか見当たらなかった。諦めて降りてから探そう、と前に向き直る。

「なんでそこにいるかな……」

 山なりになったレールの頂上。そこでデイタが手を庇にして周囲の景色を眺めていた。

「それ遅くねー!」

 ラムに向かって叫ぶ。もの凄く速い乗り物だと聞いていた為、出だしの遅さに拍子抜けしていた。

「危ないから戻りな!」

 ラムが声を張る。デイタの身を案じているのだが、

「大丈夫だって。ビビりすぎ!」

 肝心のデイタは心配無用だと暢気にレールを下る。ラムを煽ることも忘れない。

 ジェットコースターが止まってしまいそうな遅さでじわじわとレールを上っていた。やがて頂点に達する。そして下りに差し掛かると一気に加速した。本領を発揮したジェットコースターが爆速でデイタに迫る。

 ふと振り返ったデイタは眼球が飛び出んばかりに目を見開いた。

「えええぇぇぇぇぇぇぇーーーーっ!!」

 逃走劇が始まった。絶叫を上げて走り出す。急カーブや円を描くレールの上をひたすら速く。

「逃げろーーー!」

 ラムは乾く目をぎゅっと閉じて叫んだ。最高速に達したジェットコースターからでは、デイタを目で追い続けることができなかった。無事を祈るばかり。時折目を凝らして、遠心力に振り回されながらもデイタの背中を確認する。

 二人は気づかない。レールから降りれば済むだけの話だと。

 そして漸く、長いようで短かったデイタとジェットコースターの競争は幕を下ろした。

「絶叫マシンて……こういう感じか……」

「そんなわけないでしょ……」

 息を切らして倒れるデイタ。

 ラムもぐったりとした様子でデイタの上に座った。

「あとは……あの回ってる……やつ、だな……」

「観覧車ね……」



 息を整えた二人が観覧車の前に案内された。

「上じゃなくて中に乗んだ」

 前の客を見て学んだデイタがラムに続いて乗り込む。扉が閉じ、向かい合わせに座った二人を乗せて観覧車は回りだす。

「……大人しくしててよ」

 ラムは頬杖をついて、デイタを半眼で見る。観覧車内で暴れられては堪ったものではない。ラムも逃げ場がないし、他の客にも多大な迷惑がかかる。

「なんだと思ってんだよ」

 外を見ていたデイタ。不服そうな様子で斜眼に見る。

「君だけど……」

 ラムが今日見てきただけでも、デイタは数々の奇行を繰り返していた。そう思うのが妥当。よくもまあ口答えできるものだ。

 しかし珍しくデイタが静かだった。

 茜差す箱の中に、静寂が満ちる。周囲と隔絶された二人だけの空間。小さな揺れを感じながら、自分たちが過ごす街並みを眺める。なんとなく空気を壊してしまう様な気がして、声を出すのも躊躇われた。

 少しして、黙っていられなくなったのかデイタは外を見ながら口を開いた。

「こっちって楽しいもん多いんだな」

 今日のことを振り返っているのか、それとももっと前のことも含めてか。

「大きい街なら、どこもこんな感じじゃない?」

 常識知らずなことも踏まえると、デイタは海外にでも行っていたのだろうか。そんなことを考えながらラムも外を見ていた。この街と同じかそれ以上の規模感の街なんていくらでもある。ラムは生まれながらにこの街で過ごしているからか、楽しいと思うことがなくなったからか、デイタの感想に共感できない。

「じゃあお前はなんで、つまんなそうな顔してたんだ?」

 こんなに楽しいことが溢れているのに、暗にそう言っている。

 ラムがデイタに視線を戻す。デイタは相変わらず外を見たままだった。

「……そうみえた?」

 ラムが笑顔を作る。上げられた口角も、下がった目じりも。表情筋が固まっておらず、その表情をよくするのだろうと思わせる。完璧で隙のない、美しい笑顔。直視されれば、誰もが思わず見とれてしまう。

 デイタはその表情を一瞥した。

「まあ」

 それだけ言って口を噤む。絶世の美少女の微笑みにも、あまり興味がないらしい。

「夜に会ったからわかるでしょ? 私がどんなことしてるか」

 色街で偶然出会った時のことを言っているのだろう。デイタは女に服を脱がされたことを思い出す。

「こっそりあの店入ってたな。服脱がされんの好きとか?」

「……ほんとバカ」

 ラムが露骨にため息をついて苦笑した。むっとして何か言おうとしたデイタに被せて続ける。

「他人の振りして悪いことしたり、騙したりしてんの」

 デイタにもわかるよう、ストレートに言う。自嘲の混ざった言葉の選び方。ラムの中の何かが磨り減るのを感じていた。

「詐欺師ってこと?」

 言葉を選ばぬデイタにまたしても苦笑する。

「……まあ変わらないか」

 ラムにそう言わせたのは、これまで募らせてきた罪悪感かもしれない。一瞬否定しようとしたが、何も間違っていなかった。

「嫌なのにやってんのはなんで?」

 デイタの言葉に、ラムが眉根を寄せる。まただ。

『嫌なら、見んなって言えば』

 カフェでも似たようなことを言っていた。嫌なことを許容しているのが理解できないらしい。

「……嫌なんて言ってなくない?」

 デイタの質問が癪に障った。

 何のしがらみも無く伸び伸び生きているデイタには分からない。許されるのならとっくにやめている。単純な考え方しかしなくていい環境で育ったんでしょうね、と内心嫌味を言う。

「言ってないけど、そう思った」

「あっそ。いろいろあんの」

「大変そだな」

「慣れた」

「ふーん」

 それからは話題を変え、デイタから話を聞いていた。主にヒヅキが如何に口うるさいかという内容だった。

 二人を乗せた観覧車が地上に戻る。空いた扉からラムが降り、続いてデイタが出てきた。

「帰るかー」

 デイタが大きく体を伸ばす。

「そうだね、お願いしてもいい?」

「おっけ」

 デイタがラムを抱えて帰路につく。ラムに案内されながら駆け回り、屋根伝いに跳び回る。

「そーいえば、マスクつけなくてよかったの?」

 カフェの入店前に外してから、そのままだ。

「もうどうでもいいかなって」

「そか」

 時折そんな話をして、ラムの家の前にたどり着いた。

「でっけー家」

「無駄にね」

 デイタが感心しながらラムを下ろしていると、二人の方へ男が歩いてきた。

「おうラムちゃん。彼氏か?」

 酒とたばこの入ったレジ袋を提げた男が陽気に声をかける。

「……ちがいます」

 男に見られたラムは視線を落とし、無意識に片腕を抱く。情欲の含まれた、粘ついた視線。こんな鼻持ちならない男を家に上げる母の気が知れなかった。

 デイタは視線をラムから男に移す。すると男の背後に回った。

「あ? どうした坊主?」

 男が振り返り、デイタを見た。その顔は不快そうに歪められている。男は意味の分からない行動をとる人間が嫌いだ。理解しようと考えるのが億劫だから。それ故に、自分と違う考えは否定する。実際にどちらが正しいかは関係ない。

「なんでもないっす。おっさん昔はモテたんじゃないっすか」

「お、わかるか? 中学の頃なんてよう……」

 しかしデイタの軽口に気を良くした男は饒舌に語りだす。昼間から酒を飲んでいたのだろう。アルコール特有の臭気を漂わせていた。ところどころ呂律が回っていない。

 デイタは適当に相槌を打ち、男の気の済むまで話を聞いた。息に混じった、甘ったるい不快な臭いに耐えながら。

「気ぃつけて帰れよ!」

 上機嫌な男は話すだけ話すとレジ袋を掲げてデイタにそう言い、ラムの家に入っていく。

 ラムがほっと肩の力を抜いた。

「……殴るかと思った」

 これまでのデイタの行いを思えば、そう思うのも当然だろう。冷や冷やしながらデイタと男のやり取りを見守っていた。

「お前が困んじゃん」

 今朝までのラムなら、驚いて目を見開いたかも知れない。けれど一日を通して見た彼は、男の視線をラムから外してくれた少年は、そういうことを言うかもしれないと思っていた。意外と相手のことを考えているのだ。

 嫌なのになんでやめないのかと聞かれたときはラムの癪に障った。その言葉も、デイタなりにラムのことを考えての発言だったのだろうと今になって思う。

 だから。

「ありがとね」

 はにかんだラムの表情は、ぎこちなかった。

「なにが」

 照れ隠しなのかデイタはそれだけ言って振り向くと、さっさと歩き出す。

 その背をラムは見つめていた。少しずつ、距離が離れていく。

 もう少しだけ……

 気が付けば、駆け出していた。

 どんどん大きくなる背中。追いつくなりデイタの肩をトントンと叩く。振り向いた頬を突いてやろう、と人差し指を突き出して罠を張る。

 まんまと振り向いたデイタ。

 しかしその指が突いたのは、

 ──唇だった。

 柔らかな唇が、人差し指に押されてふにゅっと形を変える。

「んむっ、喧嘩売ってんの?」

 デイタが口を動かすと、頬を赤らめたラムは慌てて手を引っ込めた。

「ま、間違った!」

「なにをだよ」

 そう言ってデイタは今度こそ帰っていく。

 デイタの背が見えなくなるまで見送ったラム。一人になるなり俯き、人差し指を見つめた。予想外の出来事に慌てていた為、感触すらもあまり覚えていない。

 けれど、確かに触れた。柔らかな唇を、歪めた。

 思い返せば、まだ少し瑞々しい感触が残っているような気がしてきた。自分のものじゃない体温の名残。

 目が離せなかった。

 そして。

 ……その指先を唇にそっと。
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