クラムレンリ 嫩葉散雪

現 現世

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9話

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 機械刀に付着した体液を振り払ったヒヅキ。付近には複数のプテラが沈んでいた。

 プテラは強力な再生能力を持つ為、どれもが再生不可能な程に凄惨な死骸となっている。

「今回もあれは出てこなかったか」

 刀を鞘に納め、以前デイタが仕留めた、全身に鎌を持つプテラを思い返していた。あの時は辛酸を嘗めたが次に現れれば必ず。そう意気込んでいるがあれ以来、鎌のプテラは現れていなかった。ホロウの出現頻度、プテラの出現数自体は増加傾向にあるのだが。

「ヒヅキ特将補、こちらも掃討完了しました」

「負傷者は?」

「重傷者が六名、その他は軽傷で済んでいます」

「私の力が及ばなかったです……申し訳ありません」

 被害を聞き、ヒヅキが頭を下げる。

 彼女のようにプテラを単独で相手取れる者は少ない。プテラはいつ出現するのか定かではない。そのため戦力を各地に分散させる必要がある。この地域ではヒヅキと幕僚長以外にそういった強者はいなかった。

 であればこそ、被害の大小はヒヅキの働きにかかっている。責任感の強いヒヅキ、重傷者を出してしまったことに忸怩たる思いだった。

「決してそんなことは。ヒヅキさんは最善を尽くしてくれていると敬意を抱きこそすれ、責める者などおりません」

 まだ中学生の少女の身にどれだけの責任がのしかかっているか。真面目な気質のヒヅキはそれを正しく理解し、期待以上の役割を果たそうとする。

 彼女の実直な働きぶりを近くで見てきたものは、自身より年若い少女に対しても信頼を置いていた。大人たちに負けじと努力する姿は背伸びしているようで微笑ましく、同時にそんな少女の見本として相応しい大人でありたいと隊員たちの心に火が点った。意図していなかったことではあるが、隊員にとってヒヅキは娘の様でもあり妹の様でもあり互いに切磋琢磨してきた戦友でもある。

「……そうですか。嬉しいです。私も尊敬しておりますので」

 空間の裂け目、ホロウの出現以前、この国では目立った軍事行動は行われていなかった。故に新設されたE3T2Bは異例続きであり、外れ扱いされることもある。

 しかし配属されたのは、前幕僚長が「どれだけ過酷な責務であれ全うするだろう」と判断した選りすぐりの人員。

 そんな彼らを見て育ったからこそ、今のヒヅキがある。

「お疲れ様です」

「ヒヅキ特将補こそ、お疲れさまでした。しっかり休んでください。では」

 勤勉すぎるヒヅキに労いの言葉をかけて隊員が去っていく。入隊したばかりのヒヅキは誰かが休めというまで鍛錬を止めなかったため、休息を取るよう促すのが隊員たちの習慣になっていた。

「特将補、か……」

 昇任されたヒヅキは内心、辞退したい気持ちがあった。分不相応な階級だ、と。特将補は幕僚長を軍のトップとし、特将、特将補と続く、E3T2Bに於ける上から三番目にあたる階級だ。いくら戦闘能力が高く、単騎でプテラから国を守ることのできる重要な人材とはいえ、十代のヒヅキに相応しい階級だとは思えない。

 加えて昇級に伴い、慕っている隊員たちの言葉遣いが慇懃になってしまったことには一抹の寂寥を覚えていた。

 そしてヒヅキにとって最も疑問だったのは、前幕僚長の退任。

「あの方に限って、そんなことをする筈は……」

 前幕僚長は未知の災害に対して最前線に立ち、指揮を執り行ってきた傑物。今のE3T2Bを一から築き上げてきた英才だ。その男がよりにもよってプテラの大規模出現の後に色街など。絶対にないとは言い切れないが、ヒヅキにはどうも腑に落ちない。

 仮に表舞台に立てなくなったとしても、形式上はいないものとしたまま軍に所属させることはできる。前幕僚長ほど優秀で替えの利かない人材を、事実かすら不明のくだらないスキャンダル一つで手放すほど上の連中も愚かではない、と思いたい。

 まだ疑問はある。上層部がラムについて秘匿していたこと。そしてデイタが野放しにされている件。

 ラムについては混乱を避けるため存在を隠し、監視下に置くのは妥当な判断だ。

 しかしデイタはどうだろうか。ヒヅキが敗れた鎌のプテラを、単独で撃破するほどの力を持った少年。取り込むことも排除することもしないなど有り得ない。

 元々良い印象はなかったが、ここ最近内閣府がきな臭かった。

「少し調べてみるか」

 ヒヅキが真意を探るため、動き始めた。

 ◇

 カチカチとマウスをクリックする音が静かな部屋に響く。軍のデータベースにアクセスしているヒヅキ。デスクにはプテラについての詳細が記されたファイルも並べられている。

 昇級したことでアクセス権限が数段上のものとなり、以前までは閲覧できなかった情報にも手が届くようになった。そこには非公開の情報も多く含まれている。

 防衛省のデータには、プテラという地球外生命体の体を構成する元素の解析結果や生態、ホロウという未知の現象についての詳細等も保管されていた。

「これは……」

 プテラに関する詳細はヒヅキも目にしたことがあった。特にその再生能力が厄介であり、頭部の破壊や首の切断以外で倒すことが困難等、実動部隊に必要な情報が多かったから。

 ただし王と女王を戴く、社会性を持った生命体であることなどは、たった今データを閲覧するまで知らなかった。

 そうしてデータを確認していると、少し気になることがあった。

 それは一部の記録がなされた日付。

「プテラが出現してから、生態を明らかにするまでが早すぎる……」

 いくつかの資料が作成された日付を改めて確認すると、やはりその解析結果や考察の証明を結論付けるには早すぎるものが散見した。

 プテラが現れてから数年。ホロウの内部調査は全く進んでいない。派遣した人員は軒並み消息が途絶えてしまったから。

 であれば、時期が早いどころか生態を把握していること自体疑問だ。

「可能性があるとすれば……もともと知っていた? いや、それなら知った時点で対策していた筈……知っているものから情報を得たか?」

 プテラが初めて現れた際に自国が被った大規模な損害を考えると、元々知っていたとは思えない。どこかの国でもっと早くに出現していたが、情報を秘匿されていた。その情報がプテラの出現によって共有された。そんなところだろう、と考えていると気になるファイルを見つけた。

「『高次知的生命体』……?」

 それを開き、文字列を目で追う。

「他者の姿に変わることのできる、特異な力を持つ人間を確認。これは人類の新たな可能性であり、しかしながら秩序を乱す混沌ともなりえる。監視下に置くとともに……」

 更に新たなファイルを開く。

「プテラの掃討に当たっていたE3T2Bの部隊が超高次知的生命体と遭遇。これを刺激したことにより交戦。壊滅。討伐は不可能と判断。幸い好戦的では無かったため不戦を誓い、地球での衣食住の支援を行うと取り決めその場を収めた。以降は干渉しないものとする……」

 そこに記されていたのは不可解な内容だった。

「高次知的生命体は、ラムのことだろうな。だがこれは……? 確かこの日は……」

 ヒヅキはその日付に覚えがあった。別動隊の援護に駆け付けた際、どのような攻防を繰り広げればこうなるのか、と思うほど原形を留めないプテラと人間だったものの骸が散乱していたことがあった。プテラとの激しい交戦の結果かと思っていたが、プテラでも人間でもない存在があの場にいたというのだろうか。

「まさか……」

 プテラをも凌駕する戦闘能力を持った存在。思い当たる人物がいる。正にヒヅキの気がかりである少年その人だ。

(しかしこの情報を私に共有しないのにもかかわらず、アクセスを制限していない理由はなんだ? これでは私と時を同じく特将補に昇任された者たちも閲覧できてしまう。もっと機密性が高くあるべき情報ではないのか……)

「面白いものを調べていますね」

「!?」

 突然背後から声を掛けられ、ヒヅキが勢いよく立ち上がった。

 倒れた椅子を「おっと」と置きなおしたのは、新たに幕僚長に起用された男、コウガだった。短く切られた茶髪のサイドを刈り上げた、二十代後半くらいの爽やかな印象の男。ヒヅキと同じように特殊な装備を支給され、プテラを単独で討伐可能な猛者。槍術においてコウガの右に出るものはいない。積み上げた実績の数々は、彼の幕僚長への起用を納得させるには十分なものだった。

「すみません、驚かせてしまいました」

「いえ……」

 ヒヅキは自らに許された権限内で資料を閲覧していただけであり、やましいことは何もない。だが何故か見つかってはいけないような気がした。警戒を緩めず、コウガの真意を探るように見つめる。

「……若い子に悪戯なんてするものじゃないですね。近頃は何かとハラスメントと言われてしまいますから」

 対してコウガはやれやれと軽口を吐いた。まだ二十代後半にもかかわらず年寄ぶってみせる。

「コウガさんも調べ物を?」

 ヒヅキはそれに付き合わない。演習で何度か顔を合わせたことがあるが、どうにも気を許せなかった。物腰が低く謙虚であり、周囲からの評価は概ね高かった。しかしヒヅキの印象は異なる。常に腹の内で暗い打算を巡らせているような、奸佞な男。それがコウガに対する率直な印象だった。一部ヒヅキと同じように、コウガを警戒している者もいる。態度もそうだが、コウガは前幕僚長が選出した人間ではないというのも、不信感を高めていた。

「ええ、ご一緒してもよろしいですか?」

「私はもう済みましたので、失礼します」

「そうかい?」

 ヒヅキは手早くデスクを整理して、部屋を後にした。

「これを知って、どう動くか……」

 新幕僚長はデスクに寄りかかり、若き特将補の選択を楽しむ。

「こっち側についてくれりゃ、楽なんだが……そうもいかねえだろうな」

 ヒヅキの性格からして都合よくは動いてくれないだろうと思案し、その後に起こるであろう衝突の血の臭いに、顔を顰めた。

 ◇

 図書室で一人、本を読んでいたラム。基本的に利用者が少ない為、人気《ひとけ》の多い場所が苦手なラムにとっては落ち着くことのできる数少ない場所だ。とは言ってもここ最近まで学校に来ること自体稀だったのだが。

 しかし今日はどうにも内容が頭に入ってこない。文字列を追っても散り散りに逃げて行ってしまうような感覚に囚われていた。心なしか、散った文字がボサボサ頭に見えてくる。仕方なく本を閉じ、机に突っ伏した。無気力に時間が過ぎていく。

「ラム?」

 そんな折、小声で名前を呼ばれて、ラムはサッと背筋を正す。そして声の主がヒヅキだと分かると肩の力を抜いた。

 声をかけたヒヅキが申し訳なさそうに、

「すまない」

 と言った。先日、幕僚長にされたことと同じことをしてしまったと反省する。

「あ、いえ全然……」

「よかった。此処、いいか?」

「どうぞ」

 迷惑には思ってないと伝えるラム。

 ヒヅキは安心したように笑ってラムの正面の席に座る。

「本、好きなのか?」

 閉じられた本が、ヒヅキの目に留まったようだ。

「そうでもないんですけど、なんかぽくないですか?」

 読書が趣味の人間は知的に見えるとか、周囲からのラムへのイメージに合っているとか、そういった意味だろう。

「寝ていなければな」

「効くぅー」

 ラムが痛いところを突かれ、再び机に突っ伏して足をぷらぷらと揺らす。

「仕事関係か? 疲れているようだが」

「最近はスケジュール空けてもらってるので疲れとかは、そんなに」

「? ……そうなのか。何かあるなら相談にのるぞ? 社会経験は及ばないが一年先輩なわけだしな」

 予想が外れて首を傾げるヒヅキ。謙遜しているがヒヅキも軍に所属している身の上。芸能界とは似ても似つかないが、負けず劣らず厳しい環境で生きている。相談すれば実年齢よりも達観した意見が貰えそうな気もするが……

 だがしかし。

 ラムはジトーッとヒヅキを見る。

「な、なんだ……?」

 探るような視線を受けてたじろぐヒヅキ。

(顔はクール系で可愛いし、鍛えてて細見なのにお尻とか出るとこは出てる。しっかりしてて成績もいい……んだけど……)

 男子からの人気も高そうだ。実際そうだろう。ラムはヒヅキをそう分析するが。

(なんか、そっち方面は終わってそうなのがなー)

 ラムの目下の悩みは少年の顔がちらつくこと。ヒヅキを見ていると素材は良い筈なのに何故か、男っ気を一切感じない。保健体育の知識しか持っていなさそうだ。男女共学なのに。その手の見識が浅そうで、いまいち相談する気になれない。

「ヒヅキさんは気になってる人とか、いるんですか?」

「恋情といった意味であれば、いない」

「はぁ……」

 ラムがこれ見よがしにため息を吐く。

「そ、そういったことで悩んでいるのか?」

 腕を組み、余裕振った態度を装うヒヅキ。しかし目は合わせないよう横を向いている。ラムの様に心を隠すのが得意ではないのかトントンと指が動き、焦っているのがまる分かりだった。

「噂が聞こえてきたことありますよ。しつこく絡んできた不良グループ全員縛って晒上げた女生徒がいるって。これ、ヒヅキさんですよね」

「彼らが風紀を乱していたからな」

 頬杖をついて呆れたように言うラムに、ヒヅキは当然のことをしたまでだと言ってのける。

「男子に怖がられてるんじゃないんですか?」

「軟弱なものが多いらしい」

「私より相談必要ですよね」

「……すまない」

 ヒヅキの頬が若干赤みがかる。珍しく先輩面してみれば空回り。図星を突かれ、返す言葉もなかった。

「上の年代が多い環境に身を置いているからか、どうにも同世代のものたちは頼りなく見えてしまってな……」

 言い訳を始める始末。

「あー、それはまあ、思います」

 しかし、ラムも思うところがあったようで共感する。

「その点、ラムは話しやすい。できるなら今後も偶に、こういった時間を過ごしたいと思う」

 視線を合わせることなく、ヒヅキがラムに素直な気持ちを吐露する。

 ラムはポカンとその横顔を見つめた。

「いま、口説かれてます?」

「か、勘違いするな! 友人として……!」

 からかうラムは嫣然としていて、同性であるヒヅキですら一瞬見とれてしまう。

 雑念を振り払うように少し大きな声を出してしまったヒヅキ。図書委員からの冷たい視線を受けて咳ばらいを一つ、落着きを取り戻す。

「友人としてだな……」

「私も、ヒヅキさんのこと好きですよ?」

「からかうのは止してくれ」

 秋波を送られ、ヒヅキの語気が弱まっていく。

 少女たちのひと時は、デイタがグラウンドに穴を掘り池を作っていることに気づくまで続いた。
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