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38 大切なものを守るため
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パン屋の前は大騒ぎになった。周囲で見ていた群衆のうちの誰かが警察に通報したらしく、パン屋の店長が店先で事情聴取を受けているが、本人も困惑しきりで碌な情報が得られていない様子だった。
「お嬢様、大丈夫ですか? すぐにホテルへ帰りましょう!」
喧騒から抜け出し、ソディアックはリチアへそう提案する。
突然のことにずっと狼狽えていたリチアは、怯えるように両手を胸の前で握りしめている。
「わ、私、どうしたら……」
「どうもこうもありません。お嬢様が気にすることなんて何一つない。あれはあいつらの問題、ボク達には無関係です。今なら警察の注意もこちらに向いていない、ホテルへ戻ってしまえばどうとでも誤魔化せます」
ここで警察に見つかり、事情を聞かれるうちにうっかりトロワと知り合いであることが知られれば、この騒動の関連人物として不要な拘束と尋問を受ける恐れがある。
何もしていないのだから何も知らない、警察はそれで見逃してくれるような機関ではないことを、ソディアックは分かっている。
「…………」
「この路地から向こうの通りへ抜けましょう、そうすれば……お嬢様?」
早速リチアを連れていこうとしたソディアックは、彼女が自分から一歩下がって距離を空けたことに気付いて振り向く。
「……ウィルさんを、探しに行きます」
「え?」
「ソディは、トロワさんのところへ行ってちょうだい。このままホテルへ帰るなんて、私は出来ない……!」
硬い声と表情で、リチアはそう口にした。
「あの人達が何なのか、どうしてトロワさんを襲ったのか、わからないけれど……でも、お友達が危ない目に遭っているのに、黙って離れるなんてしたくない。お願いソディ、貴方の魔法でトロワさん達を助けてあげて! 私はその間に、ウィルさんを探して呼んでくるから!」
「お嬢様!」
厳しい口調でソディアックはリチアを制する。
「貴方はご自分の身分を、立場を理解しておられないのですか。イドラ公国の公女、ルミナム家の一人娘、それが貴方です。そんな貴方が、たかだか数日前に会ったばかりの〈劣性〉のために何をしようと言うのですか。ボクの魔法は、貴方をお守りするためにあるのであって、あんな連中のためにあるのではないのですよ!」
「……っ」
声を尖らせるソディアックの言葉に、リチアはぎゅうっと表情を強張らせる。
「イドラ、ルミナム、〈劣性〉……、貴方が私のことを話すときは、この言葉しか言わない。私にはリチアという名前があるのに、それすら呼んでくれない……貴方にとっての私は、ルミナム公家の娘でしかないのね……」
絞り出すように呟くリチアに、ソディアックはまるで頬を叩かれたかのようにはっとする。
「お嬢様、何を」
「でも、でもねソディ……私は、貴方も友達だと思っているわ。昔、私にたくさんのお話を聞かせてくれた貴方を、今でも覚えているの。だから、貴方を従者として命じることはしたくない……お願いを、聞いてほしいの……!」
そして、リチアはソディに向けて静かに頭を下げ、嘆願した。
「お願い、私のお友達を助けて……! イドラを出て、初めて出来たお友達なの。私をリチアと呼んで、公女とも〈劣性〉とも呼ばなかったあの人達を、私は守りたいの……!」
皺が寄る程ドレスを握りしめて、リチアは必死にソディアックに頼み込む。その姿を、ソディアックは顔を顰めて見下ろす。
「……ボクは、貴方にそんなことをしてほしくない」
絞り出すように、ソディアックはそう呟く。
その声にいつもの棘はなく、どこか寂しさを滲ませていた。
「だけど、それを貴方にさせたのがボクであるなら、ボクはボク自身を許せない……」
小さく吐き出した言葉を、ソディアックはため息で吹き飛ばす。
「わかりました。言うとおりにします……ですが、お嬢様。あのリ、いや、ウィルの居場所はわかるのですか?」
その言葉を聞き、リチアはぱっと顔を上げて嬉しそうに笑みを浮かべた。
「本当? ソディ、本当に?」
「本当ですよ。ですから、お嬢様はこのまま」
「では、私はウィルさんを探してくるわ!」
ソディアックの話を途中で打ち切り、リチアはドレスの裾を持ち上げた。次の瞬間には〈打ち砕く踵〉がその足を包んでおり、彼女は高らかに跳躍する。
「お願いね、ソディ! 貴方も気を付けて!」
ソディアックが頭上を見上げる頃には、リチアはドレスを翻しながら建物の屋根の上を走り抜け、すぐに見えなくなってしまった。
魔装具には基本的な防御力だけでなく、装着した者の身体能力を劇的に向上する効果がある。
元々武術で身体を、特に脚力を重点的に鍛えているリチアが使用すれば、壁を蹴り屋根の上まで跳躍することくらい造作もない。
ないのだが。
「……またそんな、はしたないことを……」
置いていかれたソディアックは呆然と呟く。
自分がウィルを探して呼びに行き、その後二人でトロワを救援するから、お嬢様はホテルに戻っていてください。そう言うつもりだったのに、そんな猶予もなく彼女は飛び出してしまった。
ソディアックの知っている彼女は、いつもおどおどして小さな声で話し、お外は怖いから行きたくないの、と部屋で本ばかり読んでいる女の子だった。それが、あんな風になるなんて予想もしなかった。
「って、思い出に耽ってる場合じゃないな。……さっさと終わらせて、こんな町すぐ出ていってやる」
つまらなそうに吐き捨て、ソディアックは路地から抜け出すべく走り出した。
***
「ウィル、そろそろ休憩行っとけ。この後でかい荷物来るぞ」
タッカーにそう指示され、作業中だったウィルは首を捻って返事をする。
「この荷物置いたら、一旦休憩入ります。今日って残業ですかね?」
「それはお前の頑張り次第だな! ま、俺もなるべく早く帰りたいし、気合入れて仕事しろよ! わははははは!」
リフターバギーを操作しながら、エンジン音に負けない喧しさでラチェット班長が笑う。午後からの仕事なんて特に疲労がたまっているというのに、これは気が抜けない、とウィルはこっそりため息をついた。
ここは町の東にある倉庫エリアで、ウィルはここで貨物整理の仕事をしている。
元々倉庫業をやっていたため、以前の仕事と共通する作業が多く、何より〈精密機械〉のリフターバギーが扱えるとして、日雇いという儚い立場でありながらバリバリ働いている。
大きなコンテナはリフターバギーやその他の〈精密機械〉で運搬するため、ウィル自身が大荷物を運ぶことはない。それでも〈精密機械〉の操作を長時間行うのは心身共に疲れるし、広い倉庫エリアを行ったり来たりするのはそれだけで疲れる。
とにかく、仕事とは疲れるものなのだ。
「じゃ、俺休憩行きます。あー、腹減ったぁ」
リフターバギーを所定の位置に戻し、エンジンを切ってウィルは運転席を降りた。僅かな時間とは言え、気を抜いてリラックスできる休憩時間は絶対に欠かせない。ここは特に大型貨物や〈精密機械〉が動き回る現場であるため、ほんの少しの油断が大事故になりかねない。
常に緊張感を持つ必要があるため、自覚している以上に疲労がたまりやすいのだ。
残業に向けて、今のうちに少し腹に何かいれておくか、と考えながら、ウィルが休憩場所の方へ向かおうとすると。
「おーい、ここにウィルって奴いたよなぁ?」
「あん? ウィルならあそこにいるぞ、ほら」
背後から、誰かとタッカーがやり取りする会話が聞こえた。
日雇いのウィルのことを、名前や外見までしっかり記憶している者は案外多くない。そのため、ウィルを尋ねてくる者は、大体ああして確認するやり取りをする羽目になる。
別の部署からの応援要請か、はたまた面倒な手続きの指示か。いずれにしても、自分の名前をやり取りされている以上、ウィルは振り向くしかない。
「はい、ウィルは俺っすけど……」
「ウィルさんっ!!」
甲高い声に呼ばれ、ウィルはぎょっとしてその方向へ顔を向ける。
ウィルと同じ作業服を着た男の横に、凄まじく場違いなドレスを纏う少女が立っている。
「え、あ……り、リチアさん!?」
「よかった! ここにいらしたんですね!」
驚くウィルに、リチアは安堵したようにそう言った。
「現場入口の門の前に、この子が立っててね。ウィルってやつを探してるんですって言うもんで、そういえばバイトにそんな名前の奴いたなって」
リチアを連れてきた男性作業員が、タッカーに説明している声が聞こえた。
よく見れば、綺麗に結い上げられた髪がやや乱れ、彼女も呼吸を乱している。まるで全力で走ってきたかのような様子に、ウィルはただならぬものを感じた。
「どうしてここに……一体どうしたんだよ?」
急いで駆け寄ろうとするウィルに、リチアも待ちきれないとばかりに駆け寄り、そして飛びついてきた。
予想だにしなかった反応に、ウィルは硬直する。
「おいおい、カノジョを職場に連れ込むのはまずいよぉ」
「おうウィル、お前仕事舐めてんのかコラ。給料減らすぞ」
彼女を連れてきたのであろう男性と、その傍に立っているタッカーが離れた位置からこちらを凝視している。
「ち、違うっす! この人はカノジョとかじゃなくて、お、俺も何がなんだか……!」
動揺と混乱で顔を赤くしながら、とにかくリチアを引き放そうとすると。
「ウィルさん、急いで来てください! トロワさんが、何者かに襲われて……クレシアさんと一緒に逃げているところなんです!」
リチアが必死な表情で伝えてきた内容に、ウィルはすっと頭が冷えていく。
「……トロワが、襲われた!? 誰にだ!」
大声を出したい衝動をぐっと抑え、ウィルはリチアにだけ聞こえる声量で返した。
「分かりません、名乗ってはいたのですが、私も混乱していて……! 相手が魔法を使うため、ソディを向かわせました。だけど、彼一人で対処できるかどうか……お願い、一緒に来てください!」
リチアの言葉に、ウィルは応じようとしたが、はっとする。
トロワの危機に駆けつけたい、駆けつけなければならないのは分かっている。
だが、ウィルは今仕事をしているところだ。現場を放り出して飛び出すわけにはいかず、ウィルは顔を歪めて言葉を飲み込んだ。
リチアは、ウィルがすぐに返事をしないことに訝しんでいる。その表情を見て、ウィルは決意を固めた。
ウィルはリチアの脇をすり抜け、タッカーの方へと駆け寄ると、声を張り上げた。
「……タッカーさん! 俺、どうしても行かないといけない用事が出来たんで、早退していいっすか!」
リチアを連れてきた作業員は持ち場に戻ったらしく、タッカーは一人でこちらの様子を窺っているようだった。ウィルの言葉を聞き、普段から仏頂面のタッカーは更に眉を顰める。
「おいウィル、今日のこの後の仕事のこと、知ってるだろうが。それをいきなり放り出す気か? あぁ?」
「す、すいません……! でも、どうしても外せない用事なんです! 俺が行かなきゃいけないんです!」
ウィルは頭を下げて食い下がるが、タッカーはすぐには頷かない。それを見て、リチアもウィルと同じように頭を下げようと駆け寄るが。
「その外せない用事ってのは、仕事を放り出す程大事なもんか?」
背後から声がして、リチアは慌てて振り向く。いつか見た、金髪の作業着姿の男がこちらへ近づいてくる。
「ラチェット班長……!」
「俺は、お前はもっと責任感ある奴だと思ってたんだがなぁ?」
リチアの横を通り過ぎ、ラチェットはウィルの前へと立つ。いつも笑っている顔は、今は真顔である。
元々大柄で迫力のある体格のため、笑顔でなくなると凄みが更に際立つ。いつも見慣れているはずのウィルですら、その威圧感に勢いを削がれそうになる。
しかし、それでもウィルはラチェットを真っすぐ見て言葉を繋いだ。
「俺は、自分の仕事に責任もってやってます! でも、今日だけは……行かないといけないんです! お願いします! 今日の日当は無しでもいいです、明日は皆の倍働きます! だから今日だけは、許してください! お願いします!」
頭を下げ必死に頼むウィルを、ラチェットはじっと見下ろす。やはり自分も、とリチアが動こうとした、その直後。
「自分の仕事に責任持つって言うんならな、簡単にタダ働きするんじゃねえよ。お前の責任に、こっちは金を払ってるんだよ。金はいらねぇっていうのは、責任を放棄することだ。覚えとけ、ウィル」
ラチェットの言葉に、ウィルはがばりと顔を上げた。見上げた班長の顔は、いつもの笑顔だった。
「大事な用事なんだろ、行ってこいや。その代わり今日の日当は半日分、明日の仕事は容赦しねえぞ。それでもいいんだな?」
「……は、はい! ありがとうございます!」
ついに許可を得たウィルは、顔を明るくしてもう一度頭を下げて礼を言った。
「あの、あの、私からもお礼申し上げます! ありがとうございます!」
ようやくウィルへと駆け寄ったリチアは、隣に並んで共にラチェットへ頭を下げた。
そして二人は顔を上げ、お互いに顔を見合わせる。
「行きましょうウィルさん!」
「あぁ!」
そうして駆け出した二人は、見送る上司と先輩を振り向くことなく現場を後にした。
「あの女の子、あんなひらひらした服でよく走れるなぁ、元気だねぇ」
腕を組んで二人の背を見送ったラチェットに、タッカーが近寄ってきた。
「いいんすか? ウィルがいなきゃ、俺達残業確定ですよ」
「俺らが残業した分は、明日ウィルに返してやるさ。仕事より大事なものがある、結構なことじゃねえか! わははははははは!」
楽しそうに笑う上司の横で、タッカーは呆れたようにため息を吐く。その表情は穏やかなものであった。
「お嬢様、大丈夫ですか? すぐにホテルへ帰りましょう!」
喧騒から抜け出し、ソディアックはリチアへそう提案する。
突然のことにずっと狼狽えていたリチアは、怯えるように両手を胸の前で握りしめている。
「わ、私、どうしたら……」
「どうもこうもありません。お嬢様が気にすることなんて何一つない。あれはあいつらの問題、ボク達には無関係です。今なら警察の注意もこちらに向いていない、ホテルへ戻ってしまえばどうとでも誤魔化せます」
ここで警察に見つかり、事情を聞かれるうちにうっかりトロワと知り合いであることが知られれば、この騒動の関連人物として不要な拘束と尋問を受ける恐れがある。
何もしていないのだから何も知らない、警察はそれで見逃してくれるような機関ではないことを、ソディアックは分かっている。
「…………」
「この路地から向こうの通りへ抜けましょう、そうすれば……お嬢様?」
早速リチアを連れていこうとしたソディアックは、彼女が自分から一歩下がって距離を空けたことに気付いて振り向く。
「……ウィルさんを、探しに行きます」
「え?」
「ソディは、トロワさんのところへ行ってちょうだい。このままホテルへ帰るなんて、私は出来ない……!」
硬い声と表情で、リチアはそう口にした。
「あの人達が何なのか、どうしてトロワさんを襲ったのか、わからないけれど……でも、お友達が危ない目に遭っているのに、黙って離れるなんてしたくない。お願いソディ、貴方の魔法でトロワさん達を助けてあげて! 私はその間に、ウィルさんを探して呼んでくるから!」
「お嬢様!」
厳しい口調でソディアックはリチアを制する。
「貴方はご自分の身分を、立場を理解しておられないのですか。イドラ公国の公女、ルミナム家の一人娘、それが貴方です。そんな貴方が、たかだか数日前に会ったばかりの〈劣性〉のために何をしようと言うのですか。ボクの魔法は、貴方をお守りするためにあるのであって、あんな連中のためにあるのではないのですよ!」
「……っ」
声を尖らせるソディアックの言葉に、リチアはぎゅうっと表情を強張らせる。
「イドラ、ルミナム、〈劣性〉……、貴方が私のことを話すときは、この言葉しか言わない。私にはリチアという名前があるのに、それすら呼んでくれない……貴方にとっての私は、ルミナム公家の娘でしかないのね……」
絞り出すように呟くリチアに、ソディアックはまるで頬を叩かれたかのようにはっとする。
「お嬢様、何を」
「でも、でもねソディ……私は、貴方も友達だと思っているわ。昔、私にたくさんのお話を聞かせてくれた貴方を、今でも覚えているの。だから、貴方を従者として命じることはしたくない……お願いを、聞いてほしいの……!」
そして、リチアはソディに向けて静かに頭を下げ、嘆願した。
「お願い、私のお友達を助けて……! イドラを出て、初めて出来たお友達なの。私をリチアと呼んで、公女とも〈劣性〉とも呼ばなかったあの人達を、私は守りたいの……!」
皺が寄る程ドレスを握りしめて、リチアは必死にソディアックに頼み込む。その姿を、ソディアックは顔を顰めて見下ろす。
「……ボクは、貴方にそんなことをしてほしくない」
絞り出すように、ソディアックはそう呟く。
その声にいつもの棘はなく、どこか寂しさを滲ませていた。
「だけど、それを貴方にさせたのがボクであるなら、ボクはボク自身を許せない……」
小さく吐き出した言葉を、ソディアックはため息で吹き飛ばす。
「わかりました。言うとおりにします……ですが、お嬢様。あのリ、いや、ウィルの居場所はわかるのですか?」
その言葉を聞き、リチアはぱっと顔を上げて嬉しそうに笑みを浮かべた。
「本当? ソディ、本当に?」
「本当ですよ。ですから、お嬢様はこのまま」
「では、私はウィルさんを探してくるわ!」
ソディアックの話を途中で打ち切り、リチアはドレスの裾を持ち上げた。次の瞬間には〈打ち砕く踵〉がその足を包んでおり、彼女は高らかに跳躍する。
「お願いね、ソディ! 貴方も気を付けて!」
ソディアックが頭上を見上げる頃には、リチアはドレスを翻しながら建物の屋根の上を走り抜け、すぐに見えなくなってしまった。
魔装具には基本的な防御力だけでなく、装着した者の身体能力を劇的に向上する効果がある。
元々武術で身体を、特に脚力を重点的に鍛えているリチアが使用すれば、壁を蹴り屋根の上まで跳躍することくらい造作もない。
ないのだが。
「……またそんな、はしたないことを……」
置いていかれたソディアックは呆然と呟く。
自分がウィルを探して呼びに行き、その後二人でトロワを救援するから、お嬢様はホテルに戻っていてください。そう言うつもりだったのに、そんな猶予もなく彼女は飛び出してしまった。
ソディアックの知っている彼女は、いつもおどおどして小さな声で話し、お外は怖いから行きたくないの、と部屋で本ばかり読んでいる女の子だった。それが、あんな風になるなんて予想もしなかった。
「って、思い出に耽ってる場合じゃないな。……さっさと終わらせて、こんな町すぐ出ていってやる」
つまらなそうに吐き捨て、ソディアックは路地から抜け出すべく走り出した。
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「ウィル、そろそろ休憩行っとけ。この後でかい荷物来るぞ」
タッカーにそう指示され、作業中だったウィルは首を捻って返事をする。
「この荷物置いたら、一旦休憩入ります。今日って残業ですかね?」
「それはお前の頑張り次第だな! ま、俺もなるべく早く帰りたいし、気合入れて仕事しろよ! わははははは!」
リフターバギーを操作しながら、エンジン音に負けない喧しさでラチェット班長が笑う。午後からの仕事なんて特に疲労がたまっているというのに、これは気が抜けない、とウィルはこっそりため息をついた。
ここは町の東にある倉庫エリアで、ウィルはここで貨物整理の仕事をしている。
元々倉庫業をやっていたため、以前の仕事と共通する作業が多く、何より〈精密機械〉のリフターバギーが扱えるとして、日雇いという儚い立場でありながらバリバリ働いている。
大きなコンテナはリフターバギーやその他の〈精密機械〉で運搬するため、ウィル自身が大荷物を運ぶことはない。それでも〈精密機械〉の操作を長時間行うのは心身共に疲れるし、広い倉庫エリアを行ったり来たりするのはそれだけで疲れる。
とにかく、仕事とは疲れるものなのだ。
「じゃ、俺休憩行きます。あー、腹減ったぁ」
リフターバギーを所定の位置に戻し、エンジンを切ってウィルは運転席を降りた。僅かな時間とは言え、気を抜いてリラックスできる休憩時間は絶対に欠かせない。ここは特に大型貨物や〈精密機械〉が動き回る現場であるため、ほんの少しの油断が大事故になりかねない。
常に緊張感を持つ必要があるため、自覚している以上に疲労がたまりやすいのだ。
残業に向けて、今のうちに少し腹に何かいれておくか、と考えながら、ウィルが休憩場所の方へ向かおうとすると。
「おーい、ここにウィルって奴いたよなぁ?」
「あん? ウィルならあそこにいるぞ、ほら」
背後から、誰かとタッカーがやり取りする会話が聞こえた。
日雇いのウィルのことを、名前や外見までしっかり記憶している者は案外多くない。そのため、ウィルを尋ねてくる者は、大体ああして確認するやり取りをする羽目になる。
別の部署からの応援要請か、はたまた面倒な手続きの指示か。いずれにしても、自分の名前をやり取りされている以上、ウィルは振り向くしかない。
「はい、ウィルは俺っすけど……」
「ウィルさんっ!!」
甲高い声に呼ばれ、ウィルはぎょっとしてその方向へ顔を向ける。
ウィルと同じ作業服を着た男の横に、凄まじく場違いなドレスを纏う少女が立っている。
「え、あ……り、リチアさん!?」
「よかった! ここにいらしたんですね!」
驚くウィルに、リチアは安堵したようにそう言った。
「現場入口の門の前に、この子が立っててね。ウィルってやつを探してるんですって言うもんで、そういえばバイトにそんな名前の奴いたなって」
リチアを連れてきた男性作業員が、タッカーに説明している声が聞こえた。
よく見れば、綺麗に結い上げられた髪がやや乱れ、彼女も呼吸を乱している。まるで全力で走ってきたかのような様子に、ウィルはただならぬものを感じた。
「どうしてここに……一体どうしたんだよ?」
急いで駆け寄ろうとするウィルに、リチアも待ちきれないとばかりに駆け寄り、そして飛びついてきた。
予想だにしなかった反応に、ウィルは硬直する。
「おいおい、カノジョを職場に連れ込むのはまずいよぉ」
「おうウィル、お前仕事舐めてんのかコラ。給料減らすぞ」
彼女を連れてきたのであろう男性と、その傍に立っているタッカーが離れた位置からこちらを凝視している。
「ち、違うっす! この人はカノジョとかじゃなくて、お、俺も何がなんだか……!」
動揺と混乱で顔を赤くしながら、とにかくリチアを引き放そうとすると。
「ウィルさん、急いで来てください! トロワさんが、何者かに襲われて……クレシアさんと一緒に逃げているところなんです!」
リチアが必死な表情で伝えてきた内容に、ウィルはすっと頭が冷えていく。
「……トロワが、襲われた!? 誰にだ!」
大声を出したい衝動をぐっと抑え、ウィルはリチアにだけ聞こえる声量で返した。
「分かりません、名乗ってはいたのですが、私も混乱していて……! 相手が魔法を使うため、ソディを向かわせました。だけど、彼一人で対処できるかどうか……お願い、一緒に来てください!」
リチアの言葉に、ウィルは応じようとしたが、はっとする。
トロワの危機に駆けつけたい、駆けつけなければならないのは分かっている。
だが、ウィルは今仕事をしているところだ。現場を放り出して飛び出すわけにはいかず、ウィルは顔を歪めて言葉を飲み込んだ。
リチアは、ウィルがすぐに返事をしないことに訝しんでいる。その表情を見て、ウィルは決意を固めた。
ウィルはリチアの脇をすり抜け、タッカーの方へと駆け寄ると、声を張り上げた。
「……タッカーさん! 俺、どうしても行かないといけない用事が出来たんで、早退していいっすか!」
リチアを連れてきた作業員は持ち場に戻ったらしく、タッカーは一人でこちらの様子を窺っているようだった。ウィルの言葉を聞き、普段から仏頂面のタッカーは更に眉を顰める。
「おいウィル、今日のこの後の仕事のこと、知ってるだろうが。それをいきなり放り出す気か? あぁ?」
「す、すいません……! でも、どうしても外せない用事なんです! 俺が行かなきゃいけないんです!」
ウィルは頭を下げて食い下がるが、タッカーはすぐには頷かない。それを見て、リチアもウィルと同じように頭を下げようと駆け寄るが。
「その外せない用事ってのは、仕事を放り出す程大事なもんか?」
背後から声がして、リチアは慌てて振り向く。いつか見た、金髪の作業着姿の男がこちらへ近づいてくる。
「ラチェット班長……!」
「俺は、お前はもっと責任感ある奴だと思ってたんだがなぁ?」
リチアの横を通り過ぎ、ラチェットはウィルの前へと立つ。いつも笑っている顔は、今は真顔である。
元々大柄で迫力のある体格のため、笑顔でなくなると凄みが更に際立つ。いつも見慣れているはずのウィルですら、その威圧感に勢いを削がれそうになる。
しかし、それでもウィルはラチェットを真っすぐ見て言葉を繋いだ。
「俺は、自分の仕事に責任もってやってます! でも、今日だけは……行かないといけないんです! お願いします! 今日の日当は無しでもいいです、明日は皆の倍働きます! だから今日だけは、許してください! お願いします!」
頭を下げ必死に頼むウィルを、ラチェットはじっと見下ろす。やはり自分も、とリチアが動こうとした、その直後。
「自分の仕事に責任持つって言うんならな、簡単にタダ働きするんじゃねえよ。お前の責任に、こっちは金を払ってるんだよ。金はいらねぇっていうのは、責任を放棄することだ。覚えとけ、ウィル」
ラチェットの言葉に、ウィルはがばりと顔を上げた。見上げた班長の顔は、いつもの笑顔だった。
「大事な用事なんだろ、行ってこいや。その代わり今日の日当は半日分、明日の仕事は容赦しねえぞ。それでもいいんだな?」
「……は、はい! ありがとうございます!」
ついに許可を得たウィルは、顔を明るくしてもう一度頭を下げて礼を言った。
「あの、あの、私からもお礼申し上げます! ありがとうございます!」
ようやくウィルへと駆け寄ったリチアは、隣に並んで共にラチェットへ頭を下げた。
そして二人は顔を上げ、お互いに顔を見合わせる。
「行きましょうウィルさん!」
「あぁ!」
そうして駆け出した二人は、見送る上司と先輩を振り向くことなく現場を後にした。
「あの女の子、あんなひらひらした服でよく走れるなぁ、元気だねぇ」
腕を組んで二人の背を見送ったラチェットに、タッカーが近寄ってきた。
「いいんすか? ウィルがいなきゃ、俺達残業確定ですよ」
「俺らが残業した分は、明日ウィルに返してやるさ。仕事より大事なものがある、結構なことじゃねえか! わははははははは!」
楽しそうに笑う上司の横で、タッカーは呆れたようにため息を吐く。その表情は穏やかなものであった。
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【作者より、感謝を込めて】
この日を迎えられたのは、長年にわたり、Webで私の拙い物語を応援し続けてくださった、読者の皆様のおかげです。
そして、この物語を見つけ出し、最高の形で世に送り出してくださる、担当編集者様、イラストレーターの市丸きすけ先生、全ての関係者の皆様に、心からの感謝を。
本当に、ありがとうございます。
【これまでの主な実績】
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「自分らしく、全力で生きる」ことを選んだ物語。
世界を知り、仲間と出会い、規格外の強さで冒険と成長を繰り広げる、
最強幼竜の“成り上がり×異端×ほのぼの冒険ファンタジー”開幕!
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ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?
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