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錬金術師編
11パルケルススの受難
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「ああ、そうなのか」
アルハザードが一人ごちるように呟いた。
「これはダメらしいよ」
アルハザードが小首を傾げた。
「その黒猫が言ってるのかい」
「うん、この石は全くの役立たずらしい、そして、あのホムンクルスも唯の出来損ないだと言ってるね」
「でも、あのホムンクルスは人間の形をしているように見えるけど」
「人間の形はしているが、少なくとも僕の体を治す知恵は与えてくれないらしい」
アルハザードがいつものように自嘲気味にクスリと笑った。
「賢者の石も?」
「僕が下の部屋で読んだ本の中には、『エーテル』という名前が繰り返し出て来る。エーテルっていうのは、古代ギリシャのアリストテレスがそれまでの四大元素説、つまり、火、空気、水、土、を拡張して天体を構成する未知の物質として空気の上層、雲や月の領域に満たされているとされる物質らしいんだけど、それが、あるらしいというだけで、何の根拠もないものなんだ。賢者の石にはそのエーテルが必要不可欠らしい。その物質を発見していない限り、賢者の石は作ることはできない」
「今のは卵だと言ってけど、そのエーテルがないと卵のままということ?」
「卵でさえないだろうけどね、卵は待っていればじきに孵るからね」
「ふーん、やっぱりアニメとは違うね」
「うん、ここは魔法の世界ではないからね」
アルハザードの住んでいる世界の方が、ほとんど魔界ではないだろうか。では、こんな所に来る必要はなかったのではないか。
「僕のいる世界にあったら、わざわざこんな所に来ないよ」
そうだった、この魔人は世界を放浪し、あらゆる医術、魔術を試した経験があるのだ。
「それじゃあ、ここにはもう用事がないね。早く元の世界、日本に帰りたいよ」
「まあ、そうなんだけど、こいつがこの錬金術師に用事があるみたいだよ」
「何か嫌な予感がするけど」
「多分、その予感は間違っていないよ。この詐欺師には罰が与えられる、ちょっときつめのやつがね」
出来ることなら、パルケルススにこれから起こる不幸を知りたくはない。しかし、目の前の魔人により知らされてしまうのは確実だ。
「そのとおり、彼はこれから命を吸われるのさ、こいつにね」
肩に乗った黒猫をチラリと見た。
命を奪われるのではなく、吸われるとはどういうことだろうか。
「文字通り、こいつに命を吸われるのさ、それがこいつの大好物だからね」
「大好物?」
「そう、災いを食べるのさ。この男の恐怖という災いをね」
「災いを食べる? どんなふうに」
「それは神谷は見ない方がいいよ。しばらく悪夢にうなされることになるからね」
アラブの魔人が悪夢を見るというのは、よほどのことだろう。
「僕は悪夢は見ないけどね、神谷はやめておいた方がいいということだよ」
アルハザードに促されて、神谷は部屋を出て、扉の外で待つことにした。
五分程経った頃だろうか、部屋の中から「ギャー」という絶叫が聞こえ、少し開かれたドアからアルハザードが顔を出した。
「もう入っても大丈夫だよ」
肩の上には先程までと変わらずに乗っている黒猫が満足そうに舌なめずりしたいる。
「邪神が嬉しそうな顔をしているね」
「まあね、餌をもらえたからね」
神谷が部屋の中に入ると、部屋は相変わらず雑然としたままだったが、部屋の隅に白髪の男が椅子に越しを降ろしていた。
近づいみると、それは先程までもじゃもじゃとした黒髪に顔を覆われたパルケルススだった。しかし、酷くやつれているというよりも、一気に年をとったという感じだ。
肘掛けに両手を置いて、うつろな目は焦点が合わず、半開きの口からはよだれが垂れ流しになっている。
「死んでる訳じゃないよね」
「死んではいないよ、唯二十年分くらい命が短くなったかな、こいつがこの男の恐怖を食らったからね」
「どういうふうに?」
「それも知らない方がいいよ、そのうち嫌でも見るかもしれないけどね」
翌年にパルケルススが亡くなるのは、病気のせいではなく、邪神に寿命を吸い取られたせいだったのだ。ではどのように?
色々と想像を巡らせたくなったが、唯一つ思うことは、出来ることならばそんな場面に遭遇したくはないということだった。
「そうだね、でも、大丈夫だよ、神谷はこいつのお気に入りだからね」
ということは、恐怖を吸われる場面を目にするのではなく、神谷自身が恐怖を吸われることもあるということか。
「少ない確率だけど、ないこともないだろうね、何たってこいつらは気まぐれだからね」
冗談なのか真剣なのか、アルハザードがクスリと笑った。
「さて、そろそろ帰ろうとこいつが言っている。何の準備も必要ないと思うけどいいかい」
「うん、いいよ」
神谷がそう言った瞬間にあたりが目映い光に包まれ、目を開けていられなくなった。
あたりが暗くなった気配に静かに目を開くと、そこは神谷の部屋だった。あたりを見回してもアルハザードの姿はない。
ギターを肩から降ろして、卓上時計を手にすると、アルハザードが神谷を砂漠の世界に連れ出した当日、しかも時間にして五分も経っていなかった。
仕事の心配などしなくてもいいというのは、このことだったのだ。
神谷は押し入れの扉が閉まっていることを確認して、ギターの練習を始めた。
アルハザードが一人ごちるように呟いた。
「これはダメらしいよ」
アルハザードが小首を傾げた。
「その黒猫が言ってるのかい」
「うん、この石は全くの役立たずらしい、そして、あのホムンクルスも唯の出来損ないだと言ってるね」
「でも、あのホムンクルスは人間の形をしているように見えるけど」
「人間の形はしているが、少なくとも僕の体を治す知恵は与えてくれないらしい」
アルハザードがいつものように自嘲気味にクスリと笑った。
「賢者の石も?」
「僕が下の部屋で読んだ本の中には、『エーテル』という名前が繰り返し出て来る。エーテルっていうのは、古代ギリシャのアリストテレスがそれまでの四大元素説、つまり、火、空気、水、土、を拡張して天体を構成する未知の物質として空気の上層、雲や月の領域に満たされているとされる物質らしいんだけど、それが、あるらしいというだけで、何の根拠もないものなんだ。賢者の石にはそのエーテルが必要不可欠らしい。その物質を発見していない限り、賢者の石は作ることはできない」
「今のは卵だと言ってけど、そのエーテルがないと卵のままということ?」
「卵でさえないだろうけどね、卵は待っていればじきに孵るからね」
「ふーん、やっぱりアニメとは違うね」
「うん、ここは魔法の世界ではないからね」
アルハザードの住んでいる世界の方が、ほとんど魔界ではないだろうか。では、こんな所に来る必要はなかったのではないか。
「僕のいる世界にあったら、わざわざこんな所に来ないよ」
そうだった、この魔人は世界を放浪し、あらゆる医術、魔術を試した経験があるのだ。
「それじゃあ、ここにはもう用事がないね。早く元の世界、日本に帰りたいよ」
「まあ、そうなんだけど、こいつがこの錬金術師に用事があるみたいだよ」
「何か嫌な予感がするけど」
「多分、その予感は間違っていないよ。この詐欺師には罰が与えられる、ちょっときつめのやつがね」
出来ることなら、パルケルススにこれから起こる不幸を知りたくはない。しかし、目の前の魔人により知らされてしまうのは確実だ。
「そのとおり、彼はこれから命を吸われるのさ、こいつにね」
肩に乗った黒猫をチラリと見た。
命を奪われるのではなく、吸われるとはどういうことだろうか。
「文字通り、こいつに命を吸われるのさ、それがこいつの大好物だからね」
「大好物?」
「そう、災いを食べるのさ。この男の恐怖という災いをね」
「災いを食べる? どんなふうに」
「それは神谷は見ない方がいいよ。しばらく悪夢にうなされることになるからね」
アラブの魔人が悪夢を見るというのは、よほどのことだろう。
「僕は悪夢は見ないけどね、神谷はやめておいた方がいいということだよ」
アルハザードに促されて、神谷は部屋を出て、扉の外で待つことにした。
五分程経った頃だろうか、部屋の中から「ギャー」という絶叫が聞こえ、少し開かれたドアからアルハザードが顔を出した。
「もう入っても大丈夫だよ」
肩の上には先程までと変わらずに乗っている黒猫が満足そうに舌なめずりしたいる。
「邪神が嬉しそうな顔をしているね」
「まあね、餌をもらえたからね」
神谷が部屋の中に入ると、部屋は相変わらず雑然としたままだったが、部屋の隅に白髪の男が椅子に越しを降ろしていた。
近づいみると、それは先程までもじゃもじゃとした黒髪に顔を覆われたパルケルススだった。しかし、酷くやつれているというよりも、一気に年をとったという感じだ。
肘掛けに両手を置いて、うつろな目は焦点が合わず、半開きの口からはよだれが垂れ流しになっている。
「死んでる訳じゃないよね」
「死んではいないよ、唯二十年分くらい命が短くなったかな、こいつがこの男の恐怖を食らったからね」
「どういうふうに?」
「それも知らない方がいいよ、そのうち嫌でも見るかもしれないけどね」
翌年にパルケルススが亡くなるのは、病気のせいではなく、邪神に寿命を吸い取られたせいだったのだ。ではどのように?
色々と想像を巡らせたくなったが、唯一つ思うことは、出来ることならばそんな場面に遭遇したくはないということだった。
「そうだね、でも、大丈夫だよ、神谷はこいつのお気に入りだからね」
ということは、恐怖を吸われる場面を目にするのではなく、神谷自身が恐怖を吸われることもあるということか。
「少ない確率だけど、ないこともないだろうね、何たってこいつらは気まぐれだからね」
冗談なのか真剣なのか、アルハザードがクスリと笑った。
「さて、そろそろ帰ろうとこいつが言っている。何の準備も必要ないと思うけどいいかい」
「うん、いいよ」
神谷がそう言った瞬間にあたりが目映い光に包まれ、目を開けていられなくなった。
あたりが暗くなった気配に静かに目を開くと、そこは神谷の部屋だった。あたりを見回してもアルハザードの姿はない。
ギターを肩から降ろして、卓上時計を手にすると、アルハザードが神谷を砂漠の世界に連れ出した当日、しかも時間にして五分も経っていなかった。
仕事の心配などしなくてもいいというのは、このことだったのだ。
神谷は押し入れの扉が閉まっていることを確認して、ギターの練習を始めた。
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