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15 フライト
竜苑地に来たクレムは、湖畔で居眠り中の竜のボディにルーペを当てていた。
もう一体の竜が「何してるの?」という顔でクレムに鼻先を向けている。
この若い竜の事をクレムは「ラズベリー君」と呼び始めた。ラズベリージャムを好むので。
ここ半月、彼らの食事は量を変えず材料が置き換わっている。
長年のメニューが変わり糖の摂取量が増えたのだ。何らかの影響が出るかもしれない。経過観察は欠かせない。
今のところ肥満や身体能力の低下といった兆候は見られない。
飛行も異常は無かった。侯爵邸から竜苑地までクレムは「メープルさん」に乗って来た。
無論ながら高速でなく低速飛行だった。手綱を握っていたのもクレムではない。ラファルがクレムの横から腕を回して操縦した。
クレムは彼の眼前で横向きに座り、馬とはまるで勝手が違う翼を持つ生き物の動作を観察し、感動していた。
診断の終わりにラファルがやって来た。
獣医から受け取った検査結果の紙をクレムに差し出す。
「正常値だそうだ」
「何よりです」
唾液と涙と爪を調べた。
血液は採れない。皮膚が分厚過ぎて注射針が刺さらない。それに痛い思いもさせたくない。
クレムは「良かったねメープルさん」と言って、竜の皮膚上に鱗状に並んだ装甲をぺんっと叩いた。
それが落ちた。地面にぼろっと。
急な事にクレムは固まった。伏せた皿みたいな物体を唖然と見下ろす。質感がメタリックなので鎧の騎士が使う盾っぽくも見える。ではなく、
「――私の所為で。まさか糖で弱って?」
「ああ違う」と言ったラファルが隣に並び、青褪めるクレムの肩に触れた。
「単なる代謝だ」
クレムは安堵ごと息を吐き、項垂れた。
項垂れついでにしゃがみ込み、剥がれた装甲の端をそっと掴んだ。
「凄く軽い」
「ああ。風雨に晒しておくとやがて砂の城のように消える」
風化するようだ。この軽さなら仮に足の甲にぼろっと落ちてきても骨は折れなかっただろう。
クレムは納得した。
「彼は飛ぶのですからパーツが軽量化されてて当然ですね」
「そうだな。――彼と言うが竜に性別は無いだろう」
「お顔が凛々しいので便宜上、彼と」
でもメープルさんは目元が優し気で彼女という感じもする。
装甲の生え変わりはひと月に一度はあるらしい。
装甲が失せた皮膚からは、既に新たな装甲の円い先端が出ている。
不思議な生き物だ、とクレムはとことん感心した。
「この古い装甲を少し調べてもよろしいでしょうか」
「好きにすればいい。こいつもお前にくれてやる、と言っている」
「竜とテレパシーを?」
「適当だ」
二人の笑い声が揃った。
笑う最中、不意に暗くなった。雲が太陽を遮ったのとは違う。濃い影が二人の周囲を包んでいる。
覚えのある感覚をクレムが閃くより先に、頭上で声が発した。
「ほう。笑えたか、ラファルよ」
二人と二体が上空を仰ぐ。新たな青竜が青空の中で滞空していた。
その背に皇太子ラギュオルが跨っているのは可笑しくない。彼もラファルと同じく竜を操る希少なパイロットだ。
クレムをより驚かせたのは、ラギュオルの背から顔を覗かせたもう一人だった。
「ようクレム、俺のミューズ」
「ケリデュー?」
帝都から侯爵領の中心地まで、汽車と馬車を乗り継いで二日はかかる。
ファイターたる青竜なら安全飛行速度で一時間とかからない。
青竜は、人間が乗った状態では最高速を出せない。襲い来る高温と風圧に人間が耐えられないからだ。
無人飛行なら青竜は音速の壁を越えられる。スーパークルーズである。竜の装甲には砲弾も銃弾も効かないが、それ以前に当てられもしないのだ。
四十五分のフライト時間を経て侯爵領に到着したラギュオルとケリデューは、竜のキッチン傍にあるテラス席に着き、急遽ランチに加えてもらった。
クレムが籐のバスケットから取り出した横長のパンを見て、ケリデューが「あー」と歓声を上げる。
「それクレムのブリオッシュだろ。ご無沙汰ー」
テーブルの向かい側に座るラファルがケリデューに目をやった。
「前に食った事が?」
「ありますよー何度も。ソーセージ入りのやつとかクソ美味い」
「ブリオッシュというのは菓子だと思っていた」
「フードですよ、北部ではね」
クレムがパンをスライスして、各々の皿に分ける。
「ソーセージのやつ来た」とケリデューがはしゃぎ、隣でラギュオルも「ほう」と瞬いた。
「内部の緑色は何だ?」
「ピスタチオですよー。これがまたクソ美味くて」
答えながらケリデューはもうパンを頬張っていた。
ラギュオルも続いた。ラファル同様、ブリオッシュは生クリームやフルーツを挟む菓子パンだと思っていた。
「なんと。肉に合うな」
「でしょー」
我が事のように言い張るケリデューを見て、クレムが苦笑している。
ばくばくと頬張りながらラファルも「美味い」とクレムに伝えた。
クレムは「良かったです」と控えめに笑む。
睦まじいカップル、のように見える二人を観察しつつラギュオルは少々困惑した。
こう思った。
ラファルは、クレムをどうする気なのだろう。
南方の戦線で婚約の報を受け、ラギュオルは驚いた。それも「若くて美しいなら問題児であっても構わない」などと凡そラファルらしからぬ理由では猶更だ。
後々、婚約者はマレオンの独断によって追放された娘だと知り、察した。男気から哀れな娘に救済の手を差し伸べたのだろうと。
それでもラギュオルにはピンとこなかった。
ラファルは嫁を取る気が無いと思っていた。
彼の士官学校時代、今は亡き侯爵夫人は身籠ったラファルの弟か妹を流産し、心を病んで衰弱死してしまった。
ラファルの父たる侯爵は、妻を支えられなかった事を悔やみ続け、息子の戦場デビューと時を同じくして現役から退き、姿を消した。
帝国内には見当たらない。自身が操る青竜を連れて放浪の旅に出た。
死んではいない。前侯爵が死んだのであれば、青竜は彼の亡骸と共に侯爵領に帰投する筈。ホームはここ。青竜の認識では現状は「お出掛け」に過ぎない。
いつだか野営地でラファルが口にした。
「家族は難解過ぎて、私には向かんでしょう」
ラギュオルは頷いた。彼の家庭の事情と、軍人という因果な職業から納得した。
カダリーニャ侯爵家は直系が途絶えるかもしれない。
竜は、人間のスピリットを視て共生、共闘し得る相手か否かを判断する。高貴な血とかではない。優秀な親戚も多い侯爵家なら軍事力を維持出来る。
最悪ラファルが子孫を残せなくても南西部の安泰は保たれるのだ。
クレムの嫁入りは必須ではないし、彼女の名誉は支配層では回復している。
じき侯爵の保護は不要になる。
パンを頬張る戦友の仏頂面には至福が滲んでいる。
諸々察し、ラギュオルは苦笑した。
――その幸せを手放したくなくば「ちゃんとする」事だ、友よ。
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