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15 さよなら
しおりを挟むその日の午後、小さな家から少ない荷物が運び出された。
学校の制服や教材、私服、画材、バードケージ、ブラウン・ライス、作り置きのスコーン等々。
冷蔵庫内の食材や調味料も破棄せず、可能な限り持ち出した。野菜の類はその場でむしゃむしゃした。
カットされたトマトをむしゃむしゃしながら、コルネイユが告げた。
「伯爵邸に着いたらそちらのスコーンを頂戴します」
「これレーズンなんですよ。チョコチップはお高いので」
「ドライフルーツは好物です。そもそも私に好き嫌いなどありません」
「エスカルゴもグルヌイユ(食用カエル)も平気ですか?」
「平気です。ヘビでもワニでも食えます」
「ワイルドですね。ワニなんて見た事すらないです」
「なくていいんですよ。――ところでボールのアイテムが見当たりませんが、生活費の足しにされましたか?」
「いえいえ。思い出の品を売ったりしませんよ」
「役立てられるなら構わないと思いますが」
「友人宅に一式預けてます。彼女の休暇後に取り寄せませんと。祖母のティアラも一緒です。管財人さんの金庫がキャパオーバーだったので」
「……一点だけ言わせて頂くなら、もっと管財人を使っても良かったと思います」
「彼もお父様から事業を引き継いだばかりで、大変そうで……」
「お優しいのですね。以後はぜひ私だけに――いえ、今のはその……」
「あ、チョコレートスプレッドが残ってました。スコーンに塗りましょう」
「え? ――良いですね、チョコレートスプレッド」
一時間後、部屋の中がほぼ空になった。
残ったのは元々あった椅子とテーブルと、作り付けのベッドと本棚くらい。
カラフルな壁紙を剥がしたので茶色ばかりになった。
がらんとした室内を点検して「忘れ物なし」と頷いたクレールは、玄関前で待つコルネイユのもとへ向かった。
小さな引っ越しとはいえ、かなりの物量が動いた。
にも拘わらず、邸内から飛び出して来た使用人から「何事ですか」と訊かれる事はなかった。暑いからみんな涼しい部屋で昼寝でもしているのだろう。
ポストにぽつんと残されたテレグラフを想念すると溜息が出る。億劫な誰かが対応に出て、門まで受け取りに行かなかった。メッセンジャーボーイが困った挙句、ポストに残していった事は想像に難くない。
雇い主がいないからサボりたい放題だ。毎年こうだったと思うと呆れるしかない。
――でももう、彼らに頼る事もないのね。
去る前にクレールは、外観だけは立派なタウンハウスを仰いだ。
肩の上でカナリー氏も未踏の邸宅を眺めている。
「この家、とっくに私の家じゃなくなってたんだわ」
赤の他人によって適当に管理され、信頼出来ない者達が好き勝手に住み続ける建物を到底「我が家」とは思えない。室内から懐かしい空気が消え去っていると、確認しなくても分かる。庭の手入れも適当で、家主の緑への関心の無さが窺える。
家とはそこに住む者が作り、完成させるものなのだ。
お陰でクレールは、今何の未練も感じない。ゼロから築き上げたと言っても過言ではない小さい家の方が余程「我が家」だった。
最後の半年は同居鳥がいたから余計にそう思える。
だからって後ろ髪は引かれない。
「さよなら、子爵邸」
コルネイユに手を引かれながら門扉を抜けて、伯爵家の馬車に乗り込む。
二人と一羽は、新たな家へ向かった。
ジュネ子爵領は、連日暑かった。
山麓にある湖まで足を延ばせば涼めるが、自然が豊か過ぎて行きたくない。
カントリーハウスのリビングルームで、アンリエットはだらけていた。
「都会っ子の私にこんな田舎似合わないわ。ホント何もない。ホントつまんない」
文句があるなら保護者達に同行せず、観光地にでも行けば良い。
けれど一人旅のスキルは無いし、どこに行くべきかもよく分からない。
元々ロウワー階級のアンリエットにはバカンスなんてハードルが高過ぎる。誰かの助けがいる。
クレールは、外国人の一家と共に出掛けていた。連中と船や鉄道に乗って近隣の観光地を巡っていた。
外国人と言ったって連中の故郷は距離的に近い。領土はかなり狭いが、早くから海運を発展させてきた古い歴史があり、海外領土を保有している。目立たないながらも先進国なのだ。
文無しのクレールの方が有意義な休暇を過ごしてきた事になる。気に入らない。
一度継母に「外国に行きたいわ!」と強請った事がある。
元貴族令嬢の癖して、継母は首を左右に振った。
「私も外国って詳しくないの。だから詳しい人間を雇わなきゃいけない。それって凄くお金がかかるのよ。通訳とか全部兼ねるから普通の使用人とは違うの。でも高が旅行ごときで他人に大金を払うのって無駄じゃない? そうまでして見たいものが、貴女にある?」
そんなの、外国に行った事がないアンリエットに分かる筈がない。
アンリエットは不貞腐れた。
「まあでも今年のクレールは王都居残り組だしい」
自分よりつまらない休暇を送っているクレールを想像し、少し溜飲が下がった。
カントリーハウスの連中は毎回顔を出さないクレールに疑問すら抱かない。「都会から出たくないんでしょ」と思うだけで気にも留めない。
せめてアンリエットに他領の友人がいれば国内旅行が出来るのだけれど、友人は男子ばかりで保護者達が許してくれない。
継母は「どちらのお宅のご令息?」と確認し、その度に顔を顰めるのだ。
「……もっと家格が上の子はいないの? 男爵の三男って何の価値もないわよ」
「へえそうなの? でもお家とかお店とか割と大きいわよ? 絶対金持ちよ」
「……その子が継げる訳じゃないわ」
「あ、そっか」
「……最低でも子爵家の嫡男でなきゃ。貴族でも平民でも富豪の嫡男でなくちゃ、貴女を嫁がせる意味がないわ」
貴族社会に疎いアンリエットは、継母の言う事がピンと来なかった。
内心、こう思っていた。
「変なママ。私が子爵家を継いで婿を取ればいいだけなのに――」
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