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25 着る?
しおりを挟む二日前の土曜日――アンリエットの誕生日。
レミュザ伯爵家のタウンハウスに予定外の訪問客があった。
名刺を差し出されたクレールは、相手を見た。
「ムッシュ・デュラン?」
「はい」
二十歳の彼は駆け出しのドレスメーカーで、若手デザイナーが皆そうであるようにファッションウィークでの作品発表を目標にしていると言う。
「自分のブランドを持ったばかりの新参」らしく、去年までビッグブランドでキャリアを積んでいた。ほとんどの若手が歩む道だ。
「顧客のお一人が、私が手掛けたドレスを大層気に入ってくださり、独立後も何かと支援してくださるのですが」
先日、興味深いオーダーを受けた。
「ドレスとしても使えるトレンチコートを作って欲しいと」
「なんだかカッコいいですね。海峡越しの紳士達のイメージが湧きます」
「はい。僕もそれを想像したんですが――」
顧客曰く「チェック柄は一切無しでお願いね」だそうだ。
なるほど興味深い、と頷いたクレールの隣で、コルネイユがソファーの上で軽く身を乗り出した。
低い声が切り出す。
「本題はまだですか?」
「あ、失礼しました」
デュランは慌て、改めてクレールに姿勢を正して見せた。
「書店の店主に伺って参りました。カナリアのポストカードは貴女が手描きされたものだと」
「ええ。お買い上げくださったのですか? 有難うございます」
「誤解を招き、申し訳ありません。僕は友人からカードを受け取っただけでして」
「だとしても、有難うございます」
にっこり笑ったクレールにつられて、デュランも人懐こい顔に笑みを浮かべた。
けれどコルネイユに視線を流した後、サッと表情と姿勢を引き締めた。
「そ、それでですね、ドレスの生地にカナリアのデザインを採用したいと思い付きまして、ぜひクレール様にそのイラストを手掛けて頂きたいと思い立ち、こうして足を運ばせて頂いた次第です」
クレールは惚けて、それから前のめりになった。
「そ、――そんな事が出来るんですか? カナリー氏を着る?」
「カナリー氏? あ、モチーフのカナリアちゃんですか」
「ええ。今別室でお昼寝しています。会われてみますか?」
「ぜひ!」
こちらも前のめりになったデュランは、またコルネイユに視線を流した後、シュッと引いた背中を背凭れに張り付けた。
クレールは、あ、とコルネイユに目を向けた。
「ついご提案してしまいましたけど、カナリー氏はコルネイユ様のカナリアちゃんでした。ごめんなさい」
「いえ。既に貴女のものですよ」
「カナリー氏がどう思うか……それに私達で骨肉の親権争いをする訳には」
「私に争う気は微塵もありません。そもそも貴女へのプレゼントです」
「カナリー氏がどう思うか……」
「あの鳥も承知していますから問題ありません」
「本当に?」と上目遣いで窺うクレールに、コルネイユは顔を寄せた。
「私の言葉が信じられませんか?」
甘く囁く声に、クレールはぽうっとして「貴方を信じています」と答えた。
デュランは努めて空気になっていた。
思いがけない提案に面食らったものの、クレールはすっかり乗り気でいた。
「着られるカナリー氏」を絶対見たかった。
部屋を移動し、カナリー氏と対面したデュランは「やはり美しい小鳥ですね」と観賞ではなく観察を始めた。
「美しいコート風ドレスのイメージが湧きます」
「スケッチされるなら、こちらの椅子をどうぞ」
「ああ、いえ。覚えて帰りますから」
「とっても記憶力が良いんですね」
感心したクレールに、何故か彼のきょとん顔が向いた。
「クレール様もそうでは?」
「確かにカナリー氏を見て描く事はあまりありませんが、それは毎日じっくり見ていてとくと覚えたからですよ」
「それはそうかもしれませんが――あの、私が友人から送られたカードはこちらになるのですけども」
小脇に抱えていたファイルからカードを取り出した彼は、クレールの初期作、水彩・カナリー氏を翳した。
「羽ばたく一瞬を切り取った、見事な構図です」
「有難うございます。カッコいいカナリー氏に仕上げました」
クレールは肩の上の小鳥に指先を伸ばす。あむあむと嘴で軽く挟まれる。
デュランは苦笑した。
「一瞬を切り取るには記憶力だけでなく動体視力が必要不可欠です。僕にも同じ能力がありまして、だからこそクレール様のカードに心惹かれたのです」
クレールは「まあそんな」と感激してしまった。アーティストに仲間扱いしてもらえるなんて光栄だ。
不意に、クレールの背中にそっと大きな掌が被さった。
振り向いたクレールと、コルネイユの目線が絡む。
精悍な顔がにっこりと微笑んだ。
「私も動体視力には自信があります。お仲間ですね、私のクレール」
クレールは再び「まあそんな」と感激してしまった。
デュランは「仰る通り仰る通り」と首を上下させて同意を繰り返していた。
何はともあれ、クレールが大任を引き受けてくれる事になった。
無事了承に漕ぎ着けられたデュランは、改めて応接セットで彼女と彼女の恐い婚約者氏と向かい合っていた。
「こんな案が浮かんでます」とデザイン画を描いては見せる。
クレールは頻りに「凄い」と感心してくれ、穏やかに見えて恐い婚約者氏は「そうですね」とやけに彼女に密着した態勢で頷いている。
デュランは、どうにか彼に「違います、敵じゃありません」と伝えたかった。
前の職場でお針子をしている彼女がいる。仕事が軌道に乗ったら結婚するつもりだ。間違っても仕事を餌にクレールを口説いたりしない。
――この仕事が上手くいったら、彼女と揃いの指輪を買おう。
まさか身の安全の為に指輪が要るとは、思いもよらなかった。
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