追放夫婦とドラゴンと

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09 失敗談




夕刻の王都。
高級ホテルの一室で、エドゥアールは床に叩き置いた号外を踏み付けていた。
レーシング・ドライバー風情の従兄が名声を築きつつある。昔から優秀な従兄はエドゥアールにとって目の上の瘤でしかなかった。

――折角追い出したのに。

変わらず目障りだ。
カリンはカリンで平然と船暮らしに甘んじている。「こんな生活無理!」と泣きついてくるのを待っていたのに未だ音沙汰無し。

――これじゃ僕が捨てられたみたいじゃないか!

カリンの幸せはエドゥアールの敗北を意味する。クロヴィスに劣る男だと主張されているようなものだ。こんな屈辱はない。
年間チャンピオンのクロヴィスはつまり賞金王だ。大きな買い物をするかも。
土地を買うかも。

――妨害してやる。

一生、水上生活をさせてやる――。

ノックが鳴った。
後輩の男爵令嬢が来たらしい。美貌の彼女は学業イマイチながらセンスが都会的で良い。ただし、かなりの粘着質だ。

――潮時かな。

まさか男爵令嬢を未来の侯爵夫人には出来ない。
嘆息と共に、エドゥアールは扉に向かった。



海原の上に月はなく、星空が広がっていた。

ディナー後、沖に出た海洋調査船は静かに海面を揺蕩っている。
カリンは後部デッキに座り込み、寝そべったドラゴンの横腹を背凭れにして星を仰いでいた。
少し距離を開けた隣で、クロヴィスもドラゴンをソファー代わりにしており、スパークリングワインのグラスを傾けてはチーズを摘まんでいる。
カリンの方はショコラをつまみに、二杯目のグラスを空けた。
透かさずボトルの注ぎ口を差し出すクロヴィスに、首を横に振って見せる。

「ちょっと飲み過ぎました」
「まだ二杯だろう。酒に弱いのか?」
「強くはないです。それに、ボンボンにも少し入ってます」
「そうなのか?」

ドラゴンの背凭れからクロヴィスが上体を浮かせる。
カリンは皿からひと粒を摘まみ上げて彼に差し出した。
クロヴィスが瞬く。
カリンは固まった。素手で渡そうとした。

「ごめんなさい。こちらから――」

皿に目を落とした時、ボンボンを持つ手を軽く掴まれた。
その手の下に、彼の掌が差し込まれる。

「くれ」

頓着しない、男性らしく大きな掌にカリンはぽうっと見入って指の力を抜く。丸いひと粒がぽとっと落ちて彼の掌に収まった。
掌で口を叩くようにして、クロヴィスはボンボンを頬張る。嚥下の後、怪訝に首を傾げた。

「本当にアルコール入りか? 全く分からんな」
「既に何杯も飲んでいらっしゃるからでは」
「それもそうか」

納得した彼は片腕を後頭部に回し、再びドラゴンに背を預けてグラスを呷った。
彼のリラックスした様子を眺めながら、カリンは頬に熱が溜まるのを感じた。
仕事では細かいのに、私生活では細かくない。

――それって最高なのでは?

カリンの視線に気付き、クロヴィスがまた首を傾げた。

「どうした」
「いえ。あ、もっとチーズをお持ちしますね」
「いや充分だ。それより見せたい星座が昇ってきた」
「どれですか」
「あれだ」
「どれ」
「あれ」

隣り合う二人の肩は自然と近付き、やがて触れ合う。
カリンは接触に気付かないふりをして、彼の低い声を耳に入れた。

「――あれだ」
「あれ――、は何ですか?」
「何だと思う?」

問いの問いに振り返ったカリンと、クロヴィスの双眸がかち合った。
思いがけず近くにある碧い瞳が星空の反射で煌めく。

――綺麗ね。

低い声が囁いた。

「綺麗な目だな」

カリンは瞬き、紅潮した。
クロヴィスの広い肩がゆっくりとドラゴンの外皮から離れ、傾く。
接近する星空の瞳を、カリンは見詰め続けた。

――これって二人のファースト……。

「くう」と呑気な唸り声が発し、彼の動きが止まる。
首で声に振り向いて、カリンはスカイの寝顔を認めた。

「寝言、言うんですね……」
「鼾も掻く」
「へえ……」

首を戻した時、クロヴィスはもうドラゴンに凭れて星を仰いでいた。
カリンは心持ち居住まいを正す。離れた肩が少し寒い。
徐に、クロヴィスが告げた。

「キスをしないか」

カリンは内心「え、さっきの今で確認する?」と目を瞠った。
クロヴィスは続けた。

「外出の際は俺から君に、帰宅の際は君から俺に」

カリンは内心「あ、今すぐの話じゃないのね」と納得する。
クロヴィスの目がカリンを見た。

「新婚らしいと思うのだが、どうだろうか」

何故かカリンは笑いがこみ上げてくるのを感じた。酔っているかもしれない。

「いいと思います。どこにしますか?」
「頬がいい。屋外で口を合わせる行為は少々抵抗がある」
「同意です」
「王都育ちの君がか?」
「王都の一部のエリアですよ、激しいのは」
「激しいのか」
「噂だけで見た事はありません。探した事はあります」
「探したのか」
「友達数人で公園とかうろうろしましたけど、日がある内はダメでした。しかも家に帰ったらはしたない事をしなさんなって、母に怒られました」
「バレたのか」
「誰かが目撃していて告げ口されたようです」
「そうか……、そういう事もあるか」

嘆息気味の声音は少し掠れていて、大人の色気があった。
カリンはぽうっとなってクロヴィスの横顔を眺めた。

「クロヴィス様の失敗談は?」

クロヴィスの横顔が、淡い笑みを浮かべた。

「海軍をクビになった」
「詳しく教えてください。何を隠そう人様の失敗談が大好物です」
「良い性格だな」
「楽しいし、教訓になるし、可愛いし、その人を好きになれます」

クロヴィスは軽く瞼を伏せ、カリンを見た。

「ならば話すしかないな」
「お願いします」

カリンはクロヴィスの失敗談に耳を傾けた。
時折挟まれるスカイの「くう」が相槌のようで可笑しい。
彼の話を聞いて、カリンは彼へのいとしさを自覚した。
失望はなく、いつかと同じ想念が過った。

――この人について行こう。





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