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37 寛容過ぎる
しおりを挟むルネが運び込まれたのは五階ファミリーフロア南側の、公妃エリアだった。
現在は住人不在のエリアである。とはいえ長々と居座り続けるのは気が引ける。
退室を申し出たルネに、アランは素っ気なく「却下」と返した。
「この部屋を出て、どこに行くつもりですか」
「それは勿論、小ドラゴンの塔に……」
「三階を修復中なので無理ですね」
「え?」
この時、初めてルネはモンブランによる鉛筆屋根破損事件を知った。
チラリと足元に目を落とすと、モンブランは「ごめんね?」という感じで首を傾げて見せた。
あまり悪びれていないのは、ルネに負の感情が無い事を察知しているからなのだろう。一方的ながらシンクロなる状態にあると聞いた。
戻る部屋がないのなら仕方がない。
「では恐縮ですが、暫くこちらのお部屋に居候させて頂きますね。いえ、どっちにしろ居候ですけども」
「好きな部屋に滞在されればよろしい。貴女は私の大切な婚約者殿ですから遠慮は無用ですよ、ルネ」
「……お気遣いに感謝致します。閣下」
目覚めて以来、アランのルネに対する友好的な言動が続いている。
ルネは心配になってきた。
――毒キノコとか、食べてない?
判断を狂わせるような幻覚を視ていないだろうか。
小ドラゴンの塔に戻れないルネは「公妃の寝室」で仕事をする事にした。
ティータイム前に渓谷からエレーヌが戻り、馬車内に置き忘れた取材メモを手渡してくれた。
その際、今回の山賊事件は伯爵領に責任があると聞かされた。
事件を知ったムニエ伯爵は仰天し「渓谷での出没はない」と言い張ったらしい。
けれど山賊らはルネの荷物にお宝がある事を知っていた。人と情報の管理が杜撰だという証拠だ。
ただ、ドラゴン辺境伯軍も治外法権下で盛大に火力を使用した負い目が、全く無い訳でもない。なので相殺という形で決着すると見られている。
エレーヌの帰還と同じタイミングでタイプライターも届いた。
依頼品の配達に来たピションは、何気に初対面となるモンブランを前にすると少年のように瞳を輝かせた。
「どえらい生き物がこの世にいたもんだよ。正しく生きた芸術品だ」
「特に翼が高性能なんですよ。ちょっと可動域を御覧に入れますね」
「ひらひらと動き過ぎる。少し前に某外国メーカーが引っ繰り返っても元に戻る傘を開発したが、あれより優秀だぞ」
「素晴らしい機構ですけど工業製品には応用出来ませんよね?」
「これを真似るテクノロジーはないな。まだ暫くドラゴンの専売だろうさ」
翼を弄られてもモンブランは成すがままで、いつものようにルネに寄り添ってうとうとしていた。
「未だに不思議なんですよ」とルネは硬く白いボディを撫でながら、ピションに切り出した。
「どうしてモンブラン様は私の前に現れてくださったのか。コーヒーくらい、領内の皆さん日頃から飲んでいらっしゃるじゃないですか。ピションさんだってずっと漉さないコーヒーを召し上がってると教授が……あ、いえ」
「アイツに会いに行ったんだよな。まあ生きてるなら良かったよ」
古い知り合いを軽く流したピションは、若い個体を観察した。
「コーヒーに反応しなかった理由は推測出来る。恐らくだが、こちらさん方は嗅覚が弱い」
「え?」
「少なくとも犬猫並みの高性能はない。必要ないから退化したんだろう。相当近くで強く香っていなければ感知出来ないのさ」
ルネはすんなり納得した。
モンブランと出会ったあの日、初めて三階の窓を開け放った。風と共に流れ込んだコーヒーの香りが、モンブランを目覚めさせる切っ掛けとなった。その一方で、同じコーヒー豆使用のカフェテラスは半年以上もスルーされている。
外気が香りを浚うからだというルネの予想は半分正解だった。
嗅覚の問題なら、屋外待機の城ドラゴン達が兵士や御者の持ち物に反応しなかった説明も付く。
「屋内でのコーヒーブレイクは大正解だったんですね」
ルネと目線を合わせ、ピションは頷いた。
「ドラゴンさん方は食い物が要らん。しかも魔法を有する肉体は強く、自然界ではほぼ無双状態だ。嗅覚を研ぎ澄ませて脅威を警戒したり餌を探す必要がない」
そして必要のない味覚も嗅覚も退化していった。
「これで諸々推測出来る」とピションは自分でも納得している。
「ドラゴンさん方は大昔から人類と共にあった。ルネ嬢、彼らとの共存を可能にした最大の理由は何だと思うかね?」
「食物の不要、ですか」
「それで間違いない。食い物の奪い合いをしなくていい相手となら同じ土地で仲良く暮らせる」
「昔はドラゴンと共に暮らす王族がかなりいたんですよね」
「ドラゴンが消えて九割以上滅んだけどな。ドラゴン喪失後も現存出来た王家は、ドラゴンの代替となる高度な文明を築けた大国の主だけだ。個人的には、今に至るまでドラゴンを保有し続けている国家の方が凄いと思う」
「我が国ですね」
「正確には大公国だな。そして遠い極東の島国」
「あ」
「お、気付いたな。二国の共通項に」
「どちらも水が綺麗で、豊富ですね」
「正解」とルネの背中に発したのは、いつの間にか入室していたアランだった。
同フロアにある「公妃のサロン」に移動し、ティータイムとなった。
ちゃっかり円卓に同席しているピションが、ティースタンド最下段のセイボリに手を伸ばしてキッシュを掴み取る。
紅茶大帝国からアフタヌーンティーが伝わった当時、最下段のプレートはキュウリのサンドイッチが独占していた。瑞々しいキュウリが王侯貴族のステイタスを示す時代だったのだ。
人間三人は塩気のあるティーフードを口に入れ、ドラゴン一体はコーヒーカップの前でぼんやりしている。
キュウリを咀嚼中のルネの横顔に、アランが目を向けた。
「知りたい事は、なんでも私に訊けばよろしい」
ドラゴンについてあれこれ詮索していた件を指摘されて、ルネは反応に困った挙句やはり変な笑みを浮かべるしかなかった。
叱責しないアランに慣れない。
寛容過ぎるアランが、どうしても心配になってしまう。
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