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31 実家
しおりを挟む五歳の頃。
幼いデジレは母を亡くし、スールト伯爵家に引き取られた。
生前、母は言っていた。
「簡単に他人を信用しちゃダメよ。王侯貴族は特に、呼吸と同じ感覚で貴女に嘘を吐くからね」
思うに、伯爵の愛人も妊娠も母の望むものではなかった。それでもキャリアを犠牲にしてデジレを産み育ててくれた。感謝している。
そんな母の残した言葉をデジレが理解するのにそう時間はかからなかった。
「よく来たわね、デジレ」と笑顔で出迎えた伯爵夫人は、第一声がもう嘘だった。
「今日からここを自分の家だと思って、好きに過ごして頂戴ね」
「ここを自分の家だと思って」という部分にデジレは引っ掛かりを覚えた。要するに夫人は「ここは貴女の家じゃないのよ」と言っている。
歓迎しているようで、実はしていないのだ。
影みたく夫人に寄り添う異母姉は強張った表情をしていて、警戒心の強そうな目で「異物が来たぞ」と語っていた。
書斎で面会した実の父に至っては、挨拶も労いの言葉もなくこうだ。
「母親から踊りの基礎は習ったな?」
それでデジレは「この人は、私が母から受け継いだかもしれない才能にしか興味がないんだな」と察した。
案の定、母ほどの才能がデジレにないと分かると、父はあっさり次女への興味をなくした。
「それでも城が引き取ってくれるならば、まあ良しとしよう」
父にとっての「良し」とは一体何なのか、デジレは理解する気もなかった。
異母姉アンドレは常にデジレと比較されていて、よく陰で義母に叱られてはしくしくと泣いていた。
自分の事で手いっぱいのデジレはアンドレに寄り添わなかった。彼女は母親の被害者には違いないけれどデジレの仲間じゃない。だって泣くのに気が済むと、こっそりデジレの教本やバレエシューズを切ったり破いたりしている。
それを捨てればいいのに「知らない内にこうなってた」と言ってわざわざデジレに見せに来る。とんだ嘘吐きだ。
伯爵家は静かで、冷たく、誰も本当の事を口にしない。
学校に通い始めても、城で暮らし始めても、静けさも冷たさも嘘吐き達もデジレに付き纏い続けた。
「――お、お、おい、そこのお前!」
アシルが現れた事で、デジレを取り巻く環境に変化が起こった。
天邪鬼な彼の言葉は、素直ではなかった。でも不器用過ぎて、顔が感情を隠せていないから結局素直な反応になっている。
いつも全力疾走という感じで概ね空回るけど、疲れ知らずだからへっちゃらだ。
彼のような人は家にも学校にもいなかった。
デジレにとってアシルは奇跡みたいな存在だったのだ。
一応は実家となるスールト伯爵のタウンハウスに赴いたデジレは、異母姉と共に応接セットで父と対面した。
「即刻、お姉様のお金を全額お返しください。あれはお姉様が自力で稼いだお金ですから勿論お姉様だけのものです。誰にも親にも奪う権利はありません」
「……お前は勘違いをしている。私に金を預けたのはアンドレ自身の意思だ」
「存じ上げております。ですが、もう預かって頂く必要がなくなりましたので、こうしてお返しくださいと申し上げております」
記憶喪失ですっかり雰囲気の変わったデジレに、父も、そして父の背後に立つ義母もどこか呆気に取られている。城でも見てきた光景なので、デジレは気にしない。
父の目がデジレの隣に逸れた。
「デジレの言う通りなのか、アンドレ」
低い声を向けられた途端、アンドレの両肩が跳ね上がった。
「はい、あ、いえ、あの」
デジレは、可哀そうなくらいガクガクしているアンドレの肩を掴んだ。
「そうです。お返しください、とお姉様は言っておられます」
「お前の意見をアンドレに押し付けているだけではないのか」
父に「そうですよ、失礼ですよ」と便乗したのは義母だった。
デジレは父越しに義母を見やった。
「意見を押し付けてこられたあなた方が何を仰いますやら」
これに憤慨した義母は「まあ!」で、父はだんまりだ。
デジレはどちらにも構わなかった。こういう時、思い出がないのは便利かもしれない。下手に「良かった頃の思い出」とかが蘇って情に流されずに済む。
「お返しくださらないと仰られるのであれば、こちらにも考えがあります」
「な、なんですか貴女! 急に! 一体何を」と義母は挙動不審になる。
勝手に悪い想像をして「脅された」と思い込んでいるようだ。実際にはデジレは彼らに何も告げていない。良い感じの仕込みが出来た。
先を続ける事なく口を閉じて、デジレはアンドレの腕を引っ張り上げながら腰を浮かせた。
「――まあ、本日のところはこれで失礼致します。お金の件、確かにお伝え致しましたよ」
「ちょっと! まだ話が途中でしょう!」
「いえ、この後行くところが出来ましたので」
暗に「あなた方の対応の所為で予定が変わった」ような言い方をしておく。義母は面白い程「どこに行く気よ」と食い付いてきたけれど無視する。
では、と一礼したデジレは、完全に竦み上がってフラフラ状態になっているアンドレを半ば引き摺り、部屋を後にした。
廊下に出た背中に父の声が飛んできた。
「――お前は、本当はそういう娘だったのだな、デジレ」
本当も嘘も無い。全て私という人間だ、とデジレは思っただけで父に返事はしなかった。
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