彼女は思い出せない

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北半球には世界最大の瘴気の吹き溜まりがある。
大ドラゴン帝国を遥か西に進んだ先に広がる新大陸――ノース・ニューワールドである。
世界第三位の面積を誇る陸地は、凡そ九割が不毛の地となっている。近海の気象は常に不安定で、頻発する雷雨が近代のハイテク船の上陸すらも困難にする。
陸地では複数のツイスターが猛威を振るう。黒い雲の下、渦巻状の風が馬より速く不規則に動き回っては大地を撫で、荒らす。
通称ダークツイスター。太古より新大陸の動植物の繁栄を阻み続けてきた超高速回転の風だ。
大陸を荒らす一方で、この風は北半球の大掃除もしている。隣の大陸から海を越えて届く大量の瘴気の大部分を掻き集めているのだ。
ダークツイスターが無ければ、北方大陸の魔物被害はもっと深刻で壊滅的な規模となっていただろう。



北方大陸からノース・ニューワールドへと伸びる航路上に、国際会議の場はある。
大ドラゴン帝国領、アトラス諸島だ。主都たる本島は観測所が置かれ、常駐する研究チームがノース・ニューワールドから送られて来るデータを日々解析している。

七月中旬。
会議に出席する各国の要人らは北方大陸横断の道中にあり、各々の交通手段でアトラス諸島を目指している。それが陸路にしろ海路にしろ、必ず西側の大国を通過する事になる。
パーヴォ王国は絶対に外さない。丁度ファッションの祭典で王都中が盛り上がる時期と被る。
デジレは、にまーと笑んだ。

「お金持ちの皆様方には惜しみなくマネーを落として頂きましょう」

リハーサルを兼ねた「新王太子ご挨拶の会」では、観光業界の業績上げに大いに貢献してもらった。祭りと重なる今回、前回超えの経済効果が得られるのは間違いない。国際イベント様様だ。
デジレの傍らで、アシルが苦笑した。

「お前、意外にも商魂とかあったんだな」
「ちょっと火が付いてます。陛下に公式カレンダーを確認して頂き、お買い物ツアーを組んでみたいと思います」
「全く、頼りになる嫁だな」

まだ嫁じゃない、とは口にせずデジレは笑んで頷いた。



夏季休暇シーズン、本番。
パーヴォ王国王都は、国内外からやって来る観光客で賑わっていた。
ハイブランドの激戦区では、婦人達の目が異様に爛々と輝いている。
ある外国人の一行がカフェテラスに腰を落ち着け、通りの往来を眺めた。

「……人多過ぎ。パーヴォの王都ってさ、住むトコじゃないよね。お金持って遊びに来るトコだよね」
「それな」
「なんか金銭感覚が可笑しくなってる」
「スリも多いから気を付けないと……」

ふと、一行の傍らをすり抜ける一団があった。
なんとなく顔を上げた青年と、エキゾチックな黒髪女性の目がかち合う。
東洋風の美少女は笑みを閃かせ、カフェから通りへと出ていった。
綺麗な子だけど勝ち誇った感じが苦手……と感想を結びつつ、青年は艶やかな黒髪を流す華奢な背中を見送った。



「――ザリ王子殿下、お待ちになって」

背後の声に、褐色の美青年が振り返って優美な笑みを浮かべる。
ゆったりとした袖を揺らして、彼は揃えた指先を差し出した。

「おいで、我らが大聖女ヴィヴィアンよ」

ヴィヴィアンは長い黒髪を軽やかに揺らしてザリに駆け寄った。
彼の手を掴み、腕を絡ませて歩く。

「殿下、私の我が儘でカフェに付き合ってくれて有難うございます」
「可愛いヴィヴィアンの頼みなら当然だ。そなたが緑化してくれた山は我が曾祖母の出身地から近く、信仰であった。曾祖母は心からそなたに感謝しておるよ」
「光栄です。どうやったのかは覚えてないけど、お役に立てて良かったです」

田舎の人って素直、とヴィヴィアンは顔でも内心でもにっこり笑う。
先月、南方大陸東沿岸部でザリの曾祖母と出会った。船酔いの彼女に親切にしてやったらすぐに懐かれ「以前と山の風景が違う」という話を聞けた。

「火事になったという噂を聞いたから、思い切って何十年かぶりに行ってみたの。そしたら恐い山賊はいなくなってるし、岩だらけだったお山は新緑に覆われていてびっくりよ。山の神の奇跡かしらねえ。大昔、私の先祖はあの一帯でシャーマンをしていて山の神をお祀りする使命を帯びていたの」

「あ、この話使える」とヴィヴィアンは閃いた。
高貴な老婆の話を遮り「実は」と切り出した。

「私、少し前から記憶がありませんの」
「まあ可哀そうに」
「一緒に旅をしていた兄が言うには、私は大聖女の生まれ変わりらしく」
「まあそうなの。大聖女がどういう人か分からないけど、シャーマンみたいな女性かしら」
「神秘的な力を持つ点は同じです」
「まあ凄い」
「私は大聖女として王様のところへご挨拶に行く途中だったみたいです。その道中に、禿げた岩山と森に通りかかって癒しの大聖女パワーを使ったと」
「まああ」
「でもフルパワーを使った反動で記憶を失い、自分が何者か分からなくなって気が動転して、自ら能力を捨ててしまったようなんです」
「まああ。なら貴女はウィナーだったのね」
「みたいです。お医者様に診てもらったのですが治療法はないと言われ」
「まああ、大変」

現国王の祖母である彼女は人を疑う事を知らなかった。他の王族も同じで、招待された王宮では大層持て成された。
中でも麗しの第二王子ザリは「ここでゆるりと過ごすがよい」と言ってヴィヴィアンを傍に置き、恋人のように溺愛した。
来月アトラス諸島で開かれる締約国会議にも、同行させてくれた。

「最新のドレスとジュエリーを見に行こう。馴染みの店がある」

ヴィヴィアンは大いにはしゃいだ。

「嬉しい! ザリ殿下、大好き!」

素朴な田舎の人、大好き。
因みに、偽称兄は海賊みたいな奴で元同棲相手で元カレだった。そいつと長らく船上暮らしをしていたけれど、王族に気に入られたからにはもう用は無い。
大聖女の証言者としての役目を終えた偽称兄に、ヴィヴィアンは感謝の毒入りウィスキーを贈った。
偽称兄は寝酒で逝った。急性アルコール中毒で片が付き、毒殺体は火葬された。

ハイジュエラーに入店したヴィヴィアンは、ショーケース前のザリを窺った。
こんな老舗が「馴染みの店」とは意外過ぎる。小国の王子にも拘わらず、ザリは都会のパーヴォに慣れている。さっきのカフェでもコーヒーやお菓子のオーダーにもたつかなかった。

――国際会議は初参加って言ってた。きっと留学経験があるのね。

あまり彼を田舎の人と侮らない方が良さそうだ。
ヴィヴィアンは人知れず気を引き締めた。





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