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50 正体
しおりを挟む見目だけは麗しいザリが、慈悲深い笑みを浮かべた。
「そなたに、私の秘密を教えよう」
仲良くなる為の秘密の共有に、デジレは無論乗った。
肩を寄せるザリに渋々耳を貸す。女性兵士の殺気がとんでもない事になっているようだけれど、文句なら誘拐犯の主人に言って欲しい。
ザリは、そっと耳打ちをした。
「亡き王太子アレクサンドルは、良き友人であったのだ」
デジレは瞠目で、鼻先のザリを見返す。
漆黒の瞳をゆったりと微笑ませ、ザリは続けた。外遊していた十代の頃、大陸北東部の避暑地でアレクサンドルと出会い意気投合したと言う。
「パーヴォの王都も案内してもらった。美術館や飲食店やハイブランドで得た経験は宝だ。そしてアレクサンドルからそなたを紹介されたのだ」
デジレは妙な気がした。
現在二十五歳だというザリが十代の頃なら、少なくとも今から六年以上前になる。
アレクサンドルに紹介されたデジレは城暮らしをしていた事になり、年齢は十二、三歳ほどだった筈だ。
――未成年の子に一目惚れしたって事?
それはかなり気色が悪い。
見目だけは麗しいザリが、どこか恍惚と続けた。
「今日そなたと再会して心から感激した」
心から感激するあまり、彼はデジレを誘拐したのだそうだ。
――何も納得出来ない。
デジレは己の不運を呪った。
ザリに世話を焼いてもらうなど真っ平御免なので、デジレは自力で食事を詰め込んだ。
大変美味しく頂けた。料理人の腕ではなく南方大陸産の食材が優れていた。寒い北方大陸はその点で勝てない。
食後、デジレは鉄扉の部屋に戻る前に「お化粧室をお借りします」と切り出した。
女性兵士ナキアがドアを開け放って用を足せと命じたので、ザリに縋ってみた。
ザリは「デジレの願いなら何でも叶えるよ」と微笑んだ。
ナキアから送られる殺気が増したのと引き換えに、デジレは個室でゆっくり身嗜みを整えられた。没収を免れた指輪は念の為、指から外してポケットに仕舞った。
鉄扉の部屋では、アンが壁際のソファーで寝転がっていた。
二人きりになるやサッと体を起こした彼女の傍に寄り、デジレは情報交換をした。
「ザリ殿下はヤバいです。身代金目的の誘拐という希望は潰えました」
「そうですか。――死ねばいいのに」
否定はしない。
アンの方は、デジレが不在の間にヤタガラス宅配を一往復させたと言う。
「北極圏で海戦勃発です」
「永久凍土の人達は、この誘拐と何か関係あるんですか?」
「タイミングからして無関係な筈はないと見るのが妥当です。今、王妃殿下の配下が北に潜入中だそうです」
王妃ディアーヌは情報部を組織している。元々持っていたものをアレクサンドルによって解体されてしまった。
再編成チームが探りを入れている。任せておける、とデジレは安堵した。
アシルから聞いた事がある。長年城を空けていながらもディアーヌは、アルノーに秘密の回線を教えたりと秘策を仕込んでいた。アシルもそれで助けられたそうだ。
「パーヴォ王国へのテロ攻撃はなさそうですね」
「ええ。戦火に巻き込まれる事はないかと。まあ国王陛下はアレですが、パーヴォが付いていますからね」
国王は若かりし頃、陸軍訓練を三日で放り出している。とことん戦いを疎んだ。ただし競争は推奨したから国力アップに貢献してきた。
実はパーヴォと最も相性のいい国王なのでは、と考察する研究者は多い。
このまま大事にならずに解決出来れば、と想念してデジレは船窓の外に目をやる。
突然、水平線が下がった。
違う。船が浮いた。
「――また奴か!」とアンは機敏に動き、デジレをソファーの座面に押し付けるようにして倒した。
「上昇しています。じっとして」
恐らくデジレが食事を取り、化粧室を使ったから「飛行可能」と判断された。
全身を圧迫する大気圧に、デジレは喉の奥で呻いた。
「不調の演技、しておくべき、でした?」
「下手な演技は逆効果ですし、奴から話を引き出す事も出来なかったでしょう。今多分、オゾン層の下ですね。高度は固定されましたが速力が上がっています。お教えした耳抜きの方法は覚えていますね?」
「は、い」
「抑えていますのでそのまま横になっていてください。――下がってきた。陸地が近い。外の様子が変わった。南に飛んだ……?」
アンの独り言つ声が、轟音のような耳鳴りの合間に聞こえていた。
スピードが落ち、船が降下し始めたのを見てアンは、デジレをソファーに残して船窓に駆け寄った。
今度こそザリのミーティアの正体を確認するのだ。
――海面に映ってくれれば。
隙間しか開けてくれない窓に顔を押し当てて眼下に目を凝らす。
洋上に巨大な影が落ちている。生憎、波が高い所為で輪郭線が判然としない。
水平線の先には港の景色が見えている。やはり南に飛んでいた。
しかしあれは南方大陸ではない。
西半球の新大陸、その南側サウス・ニューワールドに来た。
新大陸とは、世界最大の北方大陸と南方大陸を旧大陸とした場合の呼び名だ。新大陸の北側をノース・ニューワールドと呼ぶ。
アトラス諸島を南に迂回してやり過ごし、一つの海を斜め横断した。
アシルも読んでいた通り、やはりザリはノース・ニューワールドに用がある。
不毛のノース・ニューワールドと違い、南側のこちらは自然豊かで人も動物も定住出来、古代文明も栄えた。地上絵や天空城と言えば誰でも分かるだろう。
ノース・ニューワールドへの補給基地として、ザリは北端の港に目を付けた。
命のリスクをおしてノース・ニューワールドに眠る資源を欲しているのだ。
アンは、船窓の景色に集中した。ミーティアの正体を知る手掛かりを探す。海面が迫っている。もうじき着水する。
小さな島の傍に船が接近した。緑の無い無人島で絶壁に囲まれている。
無機質で平らな壁のスクリーンに、巨大な影が一瞬だけ映し出された。
アウトラインを捉えた瞬間、アンは窓から飛び退いた。
恐怖と驚愕。鳥獣ばかりを見てきたからザリのミーティアもそうだろうと思い込んでいた。
違った。不気味な羽虫のフォルムだった。東洋人のアンでも名が浮かぶ。
――ベルゼブブ。
ハエの姿をした堕天使で、悪魔だ。
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