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王都編
28 仕方がない
しおりを挟む実際のところ、アネットが危惧していたのはテオフィルの事ではなかった。
自分の事だ。
「君の事が好きだ。出会った日から、今もずっと――」
去年の夏。アネットは、テオフィルから離れなければならなかった。
駆り立てられる思いから何も告げずに彼と別れる事を選んだ。
アネットは、彼に惹かれている自分に気付いていた。
惹かれてはいけない相手だった。身分が違う。生まれも育ちも違う。
彼は誠実で素晴らしい男性で、アネットには過ぎた人だった。
彼は立派過ぎた。
アネットには何もなかった。停職を食らって日雇いの仕事をしていた。
それ自体を恥じてはいなかった。自分なりに精一杯の事をしていた。
でも彼は立派過ぎたし、眩し過ぎた。
アネットは、惨めになりたくなかった。
母は娘に、自分と同じ轍を踏ませまいとした。
あの最低の父親とテオフィルは全く違う。似ても似つかない。
でも立場だけを見ると、よく似ていた。
母と父。アネットとテオフィル。
惨めになりたくない。
アネットは、だから彼から逃げ出したのだ。
アネットは相当長く、無言でテオフィルを見詰めていたらしい。
テオフィルは身じろぎをし、気持ち体を後ろに引いた。
「……いきなり、だったよな。驚かせてすまん。何から話すべきか考えたんだが、どう話を進めようとも結局同じところに行きつくと分かり、結論から言った」
「……テオ様」
「君に、迷惑をかけるつもりは決して……いや既に迷惑だと思うが。だが俺は、どうしても君を忘れられなかった。だから言ってしまえば気持ちが晴れると思った」
「……晴れましたか」
「ああ晴れた。晴れたが、変わらず君が好きだ」
テオフィルの大きな体が背を丸め、項垂れた。
「君に会えても会えんでも、俺はどうにもならん。変わらんのだ」
アネットはテオフィルの背に片手を添えた。
分厚い生地は軍服ならでは。夏仕様は少しはクールビズなのだろうか。
接触に励まされたようで、テオフィルの横顔がそろりとアネットを窺い見た。
「一つ確認させてくれ。君は結婚か婚約をしているか」
大真面目な相手に、アネットはつい笑ってしまった。
「普通は告白よりも先にその確認をしますよね」
「……すまん」
「テオ様ってちょっと天然ですよね。世慣れてるけど擦れてないと言いますか」
「……褒め言葉ではなさそうだな」
「個性は誇るべきですよ、テオ様――私に特定の男性はいません」
さらりと告げたアネットに、テオフィルの姿勢がさっと戻った。
「いない?」
「ええ。でも彼女がいます」
「彼女……」
「冗談です」
「……甚振るのはやめてくれ」
「仕事が恋人です。これ、ずっと言ってみたかったんですよ。誰も訊いてくれないから出番がありませんでした」
「仕事……」
「勤め先はテオ様もご存知ですよ」
「俺が知る勤め先となると、――釣具店か?」
「凄い、大正解です」
「……違うようだな」
「名探偵のテオ様に、ヒントを差し上げます」
アネットはクラッチバッグからシトリンのドレスウォッチを取り出した。夜会に腕時計は無粋なので外していた。
「こちらです」
「時計屋か」
「ああ……、テオ様ってお買い物をしたお店を覚えない人なんですね」
「それを君に贈った事なら無論覚えている。しかし買った時、君は傍にいなかっただろう」
「ですから、お店を覚えない人って言ってます。――そっか。再就職出来たのは、テオ様のお陰でもあるんでした。今更ですが有難うございました」
「何が何だか分からん……」
「仕方がないテオ様ですね」
仕方がないので、アネットは彼に提案した。
「帰宅はキャンセルしてどこかで飲み直すのはどうですか。再会を祝して乾杯致しましょう」
急な提案にテオフィルは瞬き、微かに眉間に皺を寄せた。
いつかと同じように言う。
「俺に否やはない」
馬車を降りた二人は、城下のバルに入った。ピンチョス片手に立ち飲みをする。
夜会仕様でドレスアップしたアネットも、正装仕様で軍服着用中のテオフィルもカジュアルな飲食店では大層浮いていた。
追加注文をして、アネットは安ワインのグラスを傾けた。
「アヒージョが、堪りませんねコレ」
「このワインの味は懐かしいな……」
「ご店主は本場の人ですよ」
「西の隣国か。仕入れに苦労しそうだな」
「エビは冷凍、かな? ま、美味しいから問題無しです」
「エビはともかくアネット、君を冤罪で停職にしたメーカーは潰れたんだな?」
「無くなりました。ご臨終です」
「俺が潰してやったものを」
「あれですか、誤爆ですか」
「いや死人は出さん。しかし、まさかスランプのジュエラーのもとで再就職していたとはな……」
「住所教えてくださればインヴィテーション送りますよ」
「ぜひ送ってくれ。君が手掛けた仕事を見たい」
「我ながらいい仕事しました。でもまだまだです。もっといい仕事します」
「君なら出来る。俺も負けていられん」
「あれですか、誤爆ですか」
「誤爆は仕事じゃない」
本場のルールに則り、店を三軒はしごした。
三軒目の終盤、ワインとビールでアネットはふわふわしていた。
「そろそろ、帰ります。なんか死ぬほど眠い……」
「アネット、掴まれ。今馬車を呼んだ」
「テオ様、我が素敵な住まいに寄っていきます?」
「いや、それは……」
「ルームメイトいないんですよ。凄くないですか、王都で部屋独り占めとか。有り得ないですよ」
「……誰もいないなら、余計にいかん」
「あ、冷蔵庫にバターしかなかった。ワイン買って帰ろうかなー……」
「買うならパンだろう。おい、バッグを忘れているぞ」
「眠い……」
飲み過ぎた。
夜会で飲み損ねた青いカクテルのリベンジを、バルで果たした。
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