靄が晴れましたので、

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11 良い紙




ウサギが戻って来た。
戻ってくる習性はそこらのウサギと同じのようだ。
傍らで足を止めたウサギは「はいよ」という風に何やらシルヴィーに差し出した。
シルヴィーは「まあ」と目を輝かせた。小さな巻貝を掌で受け取る。白黒のマーブルカラーで角みたいな形をしている。

「綺麗な貝ね。素敵なお返しをどうも有難う」

仲良し女子らの理屈が通じた。
物々交換を繰り返せば、やがて彼の祖母の指輪も戻ってくる、かもしれない。

彼はまだ姿を見せない。徹夜で仕事をしているのかも。洋上にいるらしいから時差もありそうだ。
いずれにせよこの日指輪は戻って来なかったし、彼も現れなかった。
朝。
目覚めたシルヴィーの手の中にはマーブル柄の巻貝があった。

「夢の中で受け取った物を現実に持ってこられるのね……」

魔法は驚きに満ちている。



その日も、白いウサギは切り株に猫背で腰掛け、池に釣り糸を垂らしていた。

今日までシルヴィーは、様々な物々交換をウサギと試みてきた。
一口サイズの焼き菓子や、小さなヘアアクセや、綺麗な服の飾りなど。子供時代に着ていたカーディガンが重宝した。五つのボタンが全て違っていて可愛いのだ。
惜しまず差し出した五種類のボタンは、様々なドングリで以て返された。
それらは明らかに手製の玩具で、細い枝の手足と顔が描かれた小人だった。
ドングリの五つ子を貰ったシルヴィーは、作り手に思いを馳せた。
ウサギはここで様々な人と出会い、その度に色んな物をゲットしてきた。

「可愛い釣り具も、誰かに貰ったのよね?」

小さなウサギが使えるほど小さな品が市販品な筈はない。ウサギの為に誰かが作ってやったのだろう。
シルヴィーは、さして工作のスキルが高くない。
なので祖父の形見の万年筆をウサギに贈った。クリップ部分にダイヤモンドをあしらった逸品ながらインクは切れているし、ボディには大きな傷もある。

「この傷、私が落として付けちゃったのよ」

祖父は「お前にくれてやるわい」と笑って許してくれた。

「これ、ウサちゃんに預けるわね。ここって現実とは時間の流れが違うみたいだから劣化が遅くなるんじゃないかしら。保管場所には最適よね。次に受け取る人が万年筆コレクターなら喜んでくれるかも」

シルヴィーの手から万年筆を受け取ったウサギは、小さな鼻をひくひくとさせた。目利きの鑑定士が品定めをしている感じだ。
ウサギは万年筆を抱えて霧の中に消え、またすぐに戻って来た。
「あら」とシルヴィーは思わずの声を発した。

戻って来た、指輪が――。



カレンダーは六月に変わっていた。

シルヴィーのもとに領地の両親から急報が届いた。
「業績に陰り」とある。
その原因は、王都百貨店を含めた大口の取引先が、伯爵領の産物から徐々に手を引いている為だと言う。
故郷デュバン伯爵領では、製紙業が盛んだ。中世時代に手すきが始まった。当時稼働していた水車付きの工房は、歴史的建造物として国から保護されている。
亡き祖父は、一度は途絶えた昔の製法を復活させた功績により、メートル・ダール(人間国宝)に認定された。父と従兄が祖父の後を継いでいる。
勿論、今は機械化も進んでいて領民の多くが工場で雇われている。

手紙の中で、従兄が述べた。

「――どうやら公爵家の圧力がかかっている。と言っても公爵本人が直接指図したのではなく、ジュリエット嬢が父親の名代と称して動き回っているようだ。彼女の婚約者の実家はあからさまで、うちとの取引を全て切ると通知してきた。お前、ジュリエット嬢とトラブルでもあったのか? もしかして彼女はお前の留学を快く思っていないとか――」

シルヴィーは冷めた目を細める。
これがジュリエット流の、幼馴染で親友への「応援」なのだ。

「……長々と休んで寝込んでいるのかと思えば、とんでもない嫌がらせをしてくれてたワケね」

伯爵領のメイン産業を突いて来た。元より小さな領地が細々と継承する事業は、歴史的な価値があっても莫大な利益には成り得ず、脆弱で、少しの揺さぶりでも大打撃に繋がる。
ジュリエットのやり口はかなり悪質で巧妙だ。各担当者に「私はこの紙が好きじゃない」と触れ回るだけで「取引するな」と直球の言葉を使わない。威力業務妨害罪に当たらないギリギリを攻めている。

――入れ知恵してる大人がいるわね。

公爵家、或いはトリスタンの実家の執事か誰か。

間の悪い事に、先月からデュ・ムーリエ公爵は辺境の領地に出向いている。国境の森林地帯「悪魔の森」にディザスター・スピリットが発生した。集団的自衛権により同盟国たる帝国が戦力を出してくれるとはいえ、王国サイドの警備を固めておく必要がある。

公爵に報せは出すけれど、望み薄だろう。カントリーハウスの召使いに「父に渡る前に手紙を破棄せよ」と命令が飛んでいるに違いない。

――まだ動けないわ。

貴族間トラブルなら王家に泣き付く手もある。でも現状では弱い。
紙の入荷を切ったトリスタンの実家をアンフェアとも訴えられない。彼らの領地は内陸に向かう鉄道が通過しており、好立地を活かして貿易業を営んでいる。
代わりの紙をいくらでも輸入出来るから「こっちの方が安い」と言い張れる。
実際、安価な外国製は多い。品質は劣悪ながら。



デュバン伯爵領産の紙は、耐久性に優れていて破れ難い。
国家間の調印書面に起用されたりもする。王家が使用する書類は金箔やリボンなどの飾りが多いので頑丈さは重要なのだ。

就寝前、シルヴィーは自家製の紙で鶴を折った。
完成品を持って眠った後、白いウサギに遭遇した。

「はい、良い紙」

ウサギは、差し出された鶴をむしゃむしゃと食べた。
あ、そう来る、とシルヴィーは感心しただけで落胆はしなかった。
美味しそうに見えたなら良かった、と前向きに捉えておく。

かなり久しぶりに、良いお声が背に発した。

「――そなた」

パッとシルヴィーが振り返ったのと、パッとウサギが走り去ったのは同時だった。





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