靄が晴れましたので、

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12 餞別




駆け去ったウサギを一瞥し、彼はシルヴィーに歩み寄った。

「ウサギを手懐けたのか?」
「仲良くなっただけですよ。良い紙は要りませんか?」
「……相変わらず唐突だな。何の事だ」

シルヴィーは家業のピンチを彼にグチり、ビジネスの話を始めた。

「冠婚葬祭に紙はご入用ですよね? ヴィッツ様のご家庭は大家族でいらっしゃいますか? 親戚友人含めて千人いてくださると良いマネーになるんですけど」
「……切羽詰まっているようだな。紙は、まあ一般家庭よりは消費する家ではあるが無論ながら、既に国産銘柄と契約している」

ああー、とシルヴィーはその場に蹲って泣き崩れた。泣き真似だ。

「オワタです」
「元気を出せ。紙がダメならヤギでも飼ってチーズを作れ」
「既に作ってます。パッケージがクールで人気なんですよ。でもメイン産業の収益には遠く及びません」
「ヤギを増やせ」

領地をヤギまみれにする。
それはかなり絵的に可愛いのでは、と思えてきたシルヴィーは、ポケットの硬い感触に意識を向けた。

「あ、すっかり忘れてました。こちら餞別としてお受け取りください。お会いするのは今日が最後かもしれませんので」
「餞別とは大袈裟な、――――」

シルヴィーが差し出した物を受け取るや彼は硬直した。
唖然を経て、シルヴィーを見る。

「――祖母の指輪だ」
「お間違いないですか?」
「……見事なスマラクト(エメラルド)と言い、裏の刻印と言い間違いない」
「良かったですね」
「……そなた、一体どんな魔法を使った」
「ですからあの子と仲良くなっただけですって。ところで、ヤギは何頭追加すればいいと思いますか?」

彼のスカイブルーの双眸が静かにシルヴィーを見据えた。

「ヤギの追加は必要ない」
「増やせってさっき仰りましたよね?」
「状況が変わった。恩義を果たす為、今度は私がそなたを助ける」
「紙の事ですか? でも国産銘柄とぶつかるから無理なんですよね?」
「国産である必要性のない場所に卸せばいい。私の管轄ならば融通出来る。軍学校あたりがいいだろう」
「校長先生にコネをお持ちなんですか? 凄く助かります」

学校なんて紙だらけだ。希望の光が射してシルヴィーは目を輝かせた。
彼は厳かに頷いた。

「早速本国に伝達する。銘柄を教えろ。そなたの名も」
「はい、私は――」

シルヴィーは目を覚ました。



朝は消沈から始まった。
天井を仰いだシルヴィーは「オワタ……」と現実では初めて口にした。
夢の中では解放感があるようで、本来の自分よりフランクなキャラクターになる。彼から「幼く見える」と言われたのもその所為だろう。貴族令嬢と認識されていない気もする。
とりあえず支度にかかる。
ふとヒミカに問い合わせる案が過ぎった。

「ヴィッツ様と仰る男性に心当たりはありませんか? 名前か苗字かは分かりません。例の夢に出てくる青年将校っぽい方で――」

雑な情報だ。ダメ元過ぎて、外国宛の高額テレグラフ料金を無駄にする。八卦に頼りたくともヒミカは対面でなければ人を占えない。
ウサギの夢は毎夜必ず視ない。霧の森に行っても彼に会える確率は六、七割。
本当に今回の夢が最後だった可能性もある。「オワタ……」かもしれない。

学校に着き、教室に入るや親しい女子達の顔が一斉にシルヴィーを振り返った。
「おはよう」、「大丈夫?」と言って集まってくる。
家業の悪化を知られているらしい。クラスメイトの凡そ三割の家が百貨店や専門店に何らかの商品を卸しているから、業界で噂になっているようだ。
「大丈夫よ」とシルヴィーはどうにか微笑んだ。

「それより、みんな試験勉強は捗ってる?」
「キツいですわね。範囲が広過ぎて……」

席について暫く、ジュリエットとトリスタンが現れた。
トリスタンにエスコートされて入って来たジュリエットは、教室を見渡して笑みを浮かべた。

「ごきげんよう、皆さん」

彼女から挨拶が発せられるのは初めての事で、みんなして面食らった。
手前の席の数名は挨拶を無視する訳にはいかず「おは、よう」とぎこちなく返す。
内一人に、ジュリエットは微笑みかけた。

「先日、お宅の素晴らしい白ワインを頂いたんですのよ」
「それは、どうも……」
「定期的に購入するよう父に言っておきますわね」
「……どうも」

故郷に広大なブドウ畑を持つ彼女は、気まずげにジュリエットを上目遣いにした。
王国はワイン産業の聖地で、激戦地だ。自家製ワインを手掛けるホテルやレストランまであってとにかく競合が多い。年によって当たったり外れたりするリスクに加え、左右の隣国が価格競争を仕掛けてくる。
太く、安定した客は有難い。彼女は弱みを握られたように感じているだろう。衆目とあっていたたまれない。
教室はすっかり白け、静まり返っている。いや警戒している。
シルヴィーは悟った。
この場の全員をジュリエットは威嚇した。家格で勝る者はいない。品性や道徳を度外視するなら、ジュリエットはいつでもプリンセス然と振る舞えたのだ。

――今までは私がいたからその必要がなかったのね。

幼馴染に尽くすシルヴィーの存在が盾の役割を果たし、同級に安寧を齎していた。
盾が消えて現状がある。皮肉だ。





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