靄が晴れましたので、

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帝都編

39 魔法の夢




ヒミカと別れた後、シルヴィーはヴィンツェンツの案内で今度は彼のサロンへと向かった。
旅支度前なのに、ヒミカにもセンジュにも手間を取らせてしまった。父娘に対して申し訳ない。
無駄骨に付き合わされたというのにヒミカは、別れ際「何も無かったのですから良かったですよ」と微笑んでくれた。
出会った時から彼女は素敵な女性だった。

――私も彼女のようになりたいわ。

通されたサロンのテーブルセットには、既にコーヒーの用意があった。
ローテーブルを挟んで向かい合ったヴィンツェンツが、シルヴィーに切り出した。

「では早速聞かせてくれ。何故エレオノーレのメイドが病かもしれんと?」
「はい。――」

シルヴィーは自分自身が経験した事と、ヒミカとセンジュとの僥倖でしかない出会いについて語った。
なるほど、とヴィンツェンツは納得した。

「以前そなたは、他人に尽くしたくなる魔法に心当りがないかと私に尋ねたな。まさかそなた自身に異常が起こっていたとは」
「お話しするのが遅れて申し訳ありません。既にセンジュさんのお陰で治った後だったので機会を逸していました」
「いや、治っているなら問題ない。未だ原因が分からんのは不安だろうが、そなたの健康に支障をきたしていないのであれば、一先ず置いておいてよろかろう。もしトラウマの類だったのであれば、蒸し返すのも良くないしな」
「有難うございます」
「私の方こそ、エレオノーレとの夢の遭遇を話すのが遅くなってしまった。完全に忘れていたのだ。誓って本当だ」
「それほど一生懸命になられなくても、殿下のお言葉を信じますとも」
「……そなたから、不誠実な男と思われたくないのだ」

少し肩を落とした彼に、シルヴィーはつい頬を緩めた。

「殿下ったら、なんだか……」
「なんだ?」

落ちた目線をパッと上げた彼に首を横に振って見せ、内心だけで呟く。

――なんだか可愛い。

「――それではお待ちかね、エレオノーレ様との夢の遭遇を存分に語ってくださいませ。他の方の夢の体験談なんて、とても興味があります」
「無論だ。隠し立てする事など何もない。だが面白味は期待するなよ。短い上に実につまらん内容なのだ」

前置きをしたヴィンツェンツは、両腕を組んで見せた。



その日、ヴィンツェンツは北の任地で仮眠を取っていた。
例によって霧の森の夢を視る。もう五年は続いている。
夢を視始めた頃に亡くなった祖母は「誰かやってみせて頂戴」と言い遺した。

――私は託された。やり遂げねばならん。

霧の中、ウサギを探す。白い霧に白いボディが溶け込む為、静止されると分からなくなる。小癪な奴だ。
うっかりの祖母は大事な指輪を取られて相当無念だった……筈だが、その割にウサギへの恨み辛みは聞いた事がない。上品で潔い人だからだろう。

霧の森を歩き、ヴィンツェンツは池の畔まで辿り着いた。
最初からここに到着しないあたり、ウサギの妨害工作と思えてならない。
つくづく謎の空間だ。
少し霧が晴れて来た。ふと気付くと、離れた岸辺でウサギが蹲っていた。眠たげな顔をしている。

――そのまま眠れ。

隙を見て、寝込みを襲う。
だがそれは無理だった。

「まああ、可愛いウサちゃん!」

甲高い娘のはしゃぎ声にヴィンツェンツもウサギも振り返った。
霧の中から寝間着姿のエレオノーレが飛び出して来て、ウサギに駆け寄った。
ウサギはすかさずその場を飛び退き、水面に逃れた。本人の夢だから何でもありなようで沈まない。
ウサギを追って池に入ろうとしたエレオノーレだったが、踏み込んだ片足がどぶりと膝下まで沈むや「きゃあ!」と飛び上がり、慌てて陸地に戻った。

「ええーん、冷たいよう。風邪引いちゃうよう」

魔法の夢で受けた感覚や感情は、現実で眠る肉体に影響を及ぼす。
死ねば死ぬとも言われているが記録はない。進まない研究分野の一つだ。
子供につき子供然と泣き出したエレオノーレを見かね、仕方なくヴィンツェンツは彼女のもとへ足を向けた。
一応は自分の妃候補で帝国の家臣だ。同じ候補でも隣国の王女とかなり出来が違う点に思うところがないでもないが、口に出す必要はない。
いずれエレオノーレは城を出て国を出る。憐れな娘なのだ。

「これを使え」

ハンカチを差し出すと、へたり込んだエレオノーレはぱあっと顔を輝かせてヴィンツェンツを仰ぎ見た。

「殿下あ。まさか夢でお会い出来るなんて夢にも思いませんでしたあ」

ややこしい、とヴィンツェンツは思うだけに留めた。
ヴィンツェンツのハンカチを受け取ったエレオノーレは既に泣いておらず「えへ、殿下のハンカチ貰っちゃったあ」と笑っている。
現実には貰えていない。ここで他者の物品を持ち去れるのは、ウサギだけだ。

冷めた顔で幼子を見下ろしたヴィンツェンツは、水面のウサギを一瞥した。
ウサギは人間達を注視している。さすがビースト、最早隙は無い。
その白いすまし顔は「やーい、人間、やーい」と言っているようにも見える。
ヴィンツェンツはウサギをひと睨みし、エレオノーレに目線を戻した。
彼女は呑気に笑った。

「あの子、真っ白でふわふわ~で妖精みたいですう」
「……そうか」
「えへへ、私もよく妖精みたいって言われるんですよお」
「……そうか」
「似てる子って親近感湧きますよねえ。私とウサちゃんが一緒にいたら可愛さ百万倍になると思いませえん?」
「…………」

ヴィンツェンツは、実に簡単な掛け算をした。
仮にエレオノーレの可愛さとやらが百万あるとする。しかし泥棒ウサギのそれはヴィンツェンツにしてみればゼロでしかない。

――だからゼロだ。

掛け算の直後、ヴィンツェンツは目を覚ました。
以後、エレオノーレが夢に現れる事はなかった。





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