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4. 緑のすじのあるマティス夫人の肖像
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彼は19歳で死んだ。そのとき私は20歳だった。27歳になった私は、避暑地の別荘でアンリ・マティスについて調べていた。その画家の名前なんて覚えていなかったから、彼が見せてくれた画集で印象に残っていた変な絵を曖昧に思い描き、「緑 鼻 絵」と検索した。行き当たったのはアンリ・マティスの「緑のすじのあるマティス夫人の肖像」だった。
次に、アンリ・マティス本人について調べる。その後、写真史と絵画の歴史についてのいくつかの記事を読み込み、幼少の庵が写真や画集を通して、伝えたかったことを数年越しになんとなく理解した。5歳の彼が、言葉足らずに演説をしている様子を私は妄想する。
「写真機の誕生に際し、画家のドラロシュが『この日から絵画は死んだ』と叫んだという。それほどまでに写真の誕生が絵画に与えた衝撃は凄まじかったのだろう。写真の誕生により、スケッチや肖像絵画といった需要は低下し、失業者も多く生んだ。いつの時代においても、テクノロジーにより世界は変容する。現実の再現性において絵画は写真には敵わない。写真が生まれたことにより、絵画は死んだ。当時の写真は銀板写真と呼ばれるもので、その精緻な細部の描写に人々は魅了されたが、それには色彩が欠如していて白黒だった。カラー写真の誕生は、それから数十年後だ。カラー写真は、絵画という幾多の死体を蹴り上げるようなものだった。画像の解像度が増す度に、写真は絵画を蹴り上げ続けるのだ。目を逸らすことなくその死体の山を凝視すると、写真のような光景を絵画へと落とし込む新古典主義や写実主義、ロマン派という絵画が死んだことがわかる。それから、生き残ったものもあることに気づく。チューブ入り絵の具の発明によるアトリエ外での戸外制作の活発化。そのことにより光を捉えようとした画家たち。一瞬の自然光を留めるための分割筆致。明るさを保ちつつ色を表現する色彩理論。それらを象徴として印象派はゆっくりと時間をかけ、やがて花開いた。画家たちは、写真のフィルタを通していない、肉眼で直視する現実を描写しようとした」
空想上の5歳の演説家は、水を一口含み、喉で飲み下してから、静かな語り口から転調するように、熱を帯びた口調で続ける。
「写真の大衆化以前と以後では、絵画の目的に差異がある。写真が普及する前の目的は、現実の再現であり、リアリズムの追求だった。写真が普及した後の目的は、芸術でしか表現できないことの模索だ。やがて近代芸術は死んで、現代アートが生まれた。
アンリ・マティスは、現実の色彩を写実的に再現するのではなく、自らが感じた主観的な色彩で画面を再構成しようとした。青は青でなくてもよく、赤は赤でなくてもいいのだ。
パブロ・ピカソは、固定した単一の視点で描くのではなく、複数の視点で対象を一枚の絵に再構成しようとした。キュビズムにより多面的に描くことで、一枚の絵により多くの情報量を詰め込んだ。
ジャコモ・バッラは、瞬間的な映像を連続写真のような動きで描いた。犬が走るダイナミズムを描写することで、時間の動きを表現しようとした。
ワシリー・カンディンスキーは、音楽を絵画で表現した。自然の束縛から解放された内面的な体験や内的感情を表現する非対象絵画を描き、そして抽象画の父となった。
マルセル・デュシャンは、男子用小便器に『R. Mutt』という署名をし、『泉』と題した作品を発表した。レディメイドを芸術と宣言し、創造せずにアートとした。アートとは『一目でわかる美しいもの』ではなく『その作品を根底に思考をめぐらし、鑑賞者の中で成立するモノ』と定義した。アートと非アートの境目は曖昧なのだ。
ジャクソン・ポロックは、絵具間缶から絵具を直接滴らせるドリッピングや絵具を垂らすポーリングにて、キャンバスに絵の具を無造作に垂らし塗りたくることで、絵画とは何かの対象を絵画へ落とし込むものという常識をぶち壊した。その絵は、何かを表しているようで、何も表していない。
芸術とは、これまでの文脈を破壊することだ。どれほど酷評されようとも、死に物狂いで戦うことだ。常識を疑え。全部ぶっ壊して、自由になれ。さもなくば、芸術は停滞する」
文脈を壊した彼らに憧れるということは、彼らと違うことをしなければならないということになる。それはたぶんとても大変なことだったのだろう。芸術は「何故それが芸術となりうるのか」という問いに対する答えがあれば、何でも芸術となりうる。庵は彼自身に問い続けたのだと思う。「さあ、僕は何を表現できるだろうか」と。
別荘から少し歩いたところにある湖があった。油絵の具で汚れたボートを湖にひっそりと浮かべ、その上で19歳の彼は死んだ。それは自殺だった。
私は彼が自殺した理由を求めて、ここにいる。殺人者がいるわけでもなく、ゆっくりと時間をかけてもいい謎解きだった。ただ、死者とは答えあわせもできない。
次に、アンリ・マティス本人について調べる。その後、写真史と絵画の歴史についてのいくつかの記事を読み込み、幼少の庵が写真や画集を通して、伝えたかったことを数年越しになんとなく理解した。5歳の彼が、言葉足らずに演説をしている様子を私は妄想する。
「写真機の誕生に際し、画家のドラロシュが『この日から絵画は死んだ』と叫んだという。それほどまでに写真の誕生が絵画に与えた衝撃は凄まじかったのだろう。写真の誕生により、スケッチや肖像絵画といった需要は低下し、失業者も多く生んだ。いつの時代においても、テクノロジーにより世界は変容する。現実の再現性において絵画は写真には敵わない。写真が生まれたことにより、絵画は死んだ。当時の写真は銀板写真と呼ばれるもので、その精緻な細部の描写に人々は魅了されたが、それには色彩が欠如していて白黒だった。カラー写真の誕生は、それから数十年後だ。カラー写真は、絵画という幾多の死体を蹴り上げるようなものだった。画像の解像度が増す度に、写真は絵画を蹴り上げ続けるのだ。目を逸らすことなくその死体の山を凝視すると、写真のような光景を絵画へと落とし込む新古典主義や写実主義、ロマン派という絵画が死んだことがわかる。それから、生き残ったものもあることに気づく。チューブ入り絵の具の発明によるアトリエ外での戸外制作の活発化。そのことにより光を捉えようとした画家たち。一瞬の自然光を留めるための分割筆致。明るさを保ちつつ色を表現する色彩理論。それらを象徴として印象派はゆっくりと時間をかけ、やがて花開いた。画家たちは、写真のフィルタを通していない、肉眼で直視する現実を描写しようとした」
空想上の5歳の演説家は、水を一口含み、喉で飲み下してから、静かな語り口から転調するように、熱を帯びた口調で続ける。
「写真の大衆化以前と以後では、絵画の目的に差異がある。写真が普及する前の目的は、現実の再現であり、リアリズムの追求だった。写真が普及した後の目的は、芸術でしか表現できないことの模索だ。やがて近代芸術は死んで、現代アートが生まれた。
アンリ・マティスは、現実の色彩を写実的に再現するのではなく、自らが感じた主観的な色彩で画面を再構成しようとした。青は青でなくてもよく、赤は赤でなくてもいいのだ。
パブロ・ピカソは、固定した単一の視点で描くのではなく、複数の視点で対象を一枚の絵に再構成しようとした。キュビズムにより多面的に描くことで、一枚の絵により多くの情報量を詰め込んだ。
ジャコモ・バッラは、瞬間的な映像を連続写真のような動きで描いた。犬が走るダイナミズムを描写することで、時間の動きを表現しようとした。
ワシリー・カンディンスキーは、音楽を絵画で表現した。自然の束縛から解放された内面的な体験や内的感情を表現する非対象絵画を描き、そして抽象画の父となった。
マルセル・デュシャンは、男子用小便器に『R. Mutt』という署名をし、『泉』と題した作品を発表した。レディメイドを芸術と宣言し、創造せずにアートとした。アートとは『一目でわかる美しいもの』ではなく『その作品を根底に思考をめぐらし、鑑賞者の中で成立するモノ』と定義した。アートと非アートの境目は曖昧なのだ。
ジャクソン・ポロックは、絵具間缶から絵具を直接滴らせるドリッピングや絵具を垂らすポーリングにて、キャンバスに絵の具を無造作に垂らし塗りたくることで、絵画とは何かの対象を絵画へ落とし込むものという常識をぶち壊した。その絵は、何かを表しているようで、何も表していない。
芸術とは、これまでの文脈を破壊することだ。どれほど酷評されようとも、死に物狂いで戦うことだ。常識を疑え。全部ぶっ壊して、自由になれ。さもなくば、芸術は停滞する」
文脈を壊した彼らに憧れるということは、彼らと違うことをしなければならないということになる。それはたぶんとても大変なことだったのだろう。芸術は「何故それが芸術となりうるのか」という問いに対する答えがあれば、何でも芸術となりうる。庵は彼自身に問い続けたのだと思う。「さあ、僕は何を表現できるだろうか」と。
別荘から少し歩いたところにある湖があった。油絵の具で汚れたボートを湖にひっそりと浮かべ、その上で19歳の彼は死んだ。それは自殺だった。
私は彼が自殺した理由を求めて、ここにいる。殺人者がいるわけでもなく、ゆっくりと時間をかけてもいい謎解きだった。ただ、死者とは答えあわせもできない。
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